15-2 : 魔族の兵法

「ベルクト様。動きました」



 大平原の彼方かなたを見やるたかの目の黒騎士が、無感情に事実を告げた。



「人間兵、宵の国の国境を越えます。10、9、……」



 たかの目の黒騎士は、正確に距離を測り、人間兵が国境線を越える瞬間を数え始める――それはすなわち、開戦までの秒読みだった。



「……8、7、……」



「……全騎、抜刀……」



 ベルクトが静かな声で指示を出し、105人の“イヅの騎兵隊”が一斉に刀を引き抜く音が重なった。



「……6、5、……」



「……手加減無用」



 ボッ……。ボッ……。


 抜刀した“イヅの騎兵隊”の兜の奥にともった紫色の火が炎となり、空気を揺らす音を立て始める。1人、また1人と、目に宿る炎の数は増していき、やがてすべての“騎兵“の目に炎がともった。兜の陰の向こうで燃えさかる、105対の紫炎。それは昼の世界に彷徨さまよい現れた鬼火のようだった。



「……4、3、……」



「我に続け……。“イヅの騎兵隊”よ」



 片手に刀を持ったベルクトが姿勢を低くすると、甲冑かっちゅうの合わせ目からギシリ、ギシリと筋肉のしなる激しい音が聞こえた。大地に接する脚周りが、余りの踏み込みの強さにギギギギときしむ音を立てる。



「……2、1、……」



 ベルクトが、独り言のようにぽつりとつぶやく。



「……魔族の兵法とは……」





 ――……。



 大平原の彼方かなたに上がった、人間兵の巻き上げる砂煙を尖塔せんとうから見やりながら、ゴーダが独り言を漏らす。



「……魔族の兵法とは、実に単純明快だ……」



 それは、既に工房に引き揚げたガランからの、「魔族の兵法とは何ぞや」という問いに対する答えだった。


 ゴーダが視線を下に向ける。その先には、ゴーダが長年敷いてきた“人間の兵法”から解き放たれ、“魔族の兵法”に回帰した“イヅの騎兵隊”の目に宿る、紫炎の光があった。


 その光を目にして、ゴーダが口元をニヤリとゆがめる。



「魔族の兵法とは……」





 ……――。



 そして、離れた場所に立つゴーダとベルクトが、同時につぶやく……。



 ――「「魔族の兵法とは……“蹂躙じゅうりん”、あるのみ」」――



「……今」



 たかの目の黒騎士が“その時”を告げ、8000人の明けの国騎士団が、宵の国の国境を越える――。



 ***



 ――“イヅの大平原”、国境線直上。


 歩兵と騎馬兵からなる8000の明けの国の騎士たちの、大地を踏みしだく振動と自らを鼓舞するかけ声が、何十重、何百重、何千重と共鳴し、空気を振るわす地鳴りとなっていく。


 長剣、メイス、フレイル、長槍、弓……ありとあらゆる装備を持った騎士たちで構成された明けの国の軍勢が取る陣形は、至って単純であった。


 長方形に形成された陣形が、絨毯じゅうたんを広げるかのように“イヅの大平原”になだれ込む。“イヅの城塞”には100体程度の魔族兵しかいないと知っている人間の指揮官たちは、最も単純で、最も確実な兵法でそこに攻め入ったのだった。すなわち、相手方よりも100倍近い巨大戦力でもって、これを数で押し潰すという戦法である。



け! 止まらず突っ込め! 明けの国の領民の住まう家と、命を奪った宵の国に、我らの怒りと正義を思い知らせるのだ!」



 長大な長方形陣の中心後方、最もまもりの堅い位置に陣取って、指揮官を務める初老の騎士が声を張り上げた。



「城壁のない城塞など、攻める前から陥落しているようなもの! 我ら8000の兵力の前には砂の城も同然! 後発部隊の道の邪魔だ! あんな小さな城塞は踏み砕け!」



 初老の指揮官は、圧倒的な数的優位と自身の権限に酔い、高揚した声音で部隊にげきを飛ばした。



「“イヅの騎兵”の首を取った者には金貨10枚! “魔剣のゴーダ”を討った者には金貨1000枚! 武勇と名声を上げるは今ぞ!」



「ほぉ……ならば、貴様の首には、一体幾らの値がつく?」



 8000の兵がとどろかせる地鳴りとかけ声の嵐の中で、初老の指揮官はその淡々とした声を耳元に聞いた。


 不気味なほど近く、それも後方から、自分の首を値踏みする声がする……戦場の高揚感で恐怖など消し飛んでいる指揮官が、何が起こっているのか訳も分からぬまま、後ろを振り向いた。


 巻き上がる砂煙の中、8000の兵で組み上げた陣形の最もまもりの堅い箇所、明けの国の銀の甲冑かっちゅうまとった騎士たちの真っただ中に、漆黒の甲冑かっちゅうを着た者が1人、紛れていた。


 彼方かなたに見える“イヅの城塞”に向けてまっしぐらに突撃していく明けの国の騎士たちは、誰1人としてその漆黒の甲冑かっちゅうに気づいていない。いや、彼らの興奮状態にある意識が、その事実を無意識に否定し、拒絶し、受け入れなかったのかもしれない――巨大な陣形の中心に、敵方の騎兵がたった1人で立っているなど、夢でもあり得ないことなのだと。


 漆黒の騎士ベルクトの姿を認めたのは、直接言葉をかけられた初老の指揮官ただ1人だった。



「な――」



 そして、初老の指揮官が口を開くより先に、ベルクトが抜き身の刀を両手に構え、文字通り目にも止まらぬはやさで駆けた。


 指揮官が最期に見たものは、その余りのはやさで空中に残像を引く、紫色の炎が宿った眼光だった。


 次の瞬間、初老の指揮官の視界の中で天地がひっくり返り、急速に視界がかすみ、意識が永遠に溶けていった。


 突撃をかける人間兵の群れの中で、誰にも気取られぬまま、ベルクトがカチンと軽快な音を立てて刀をさや仕舞しまう。



「……大将首、取ったり」



 宙に高く舞い上がった指揮官の首が、猛進を続ける8000の人間兵の大波の中に、ゆっくりと落ちていった。

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