14-5 : 地の底の異形

 ――同日。“騎士びょう”、最下層。隠し部屋。


 ほの暗い光源だけが点々とともっている薄闇の中で、ボルキノフが苔生こけむした巨大な石棺の前に独り立っていた。



「聞いておくれ、ユミーリア……。私たちの邪魔をする者は……あの忌々しい“明星”は……ちて消えたよ……。私たちの悲願が、ようやく動き出す……」



 ――(『お父様……とても長い日々を……永い永い日々を耐えて、ようやくお父様の願いがかなうのですね』)



「あぁ、いとしい私の娘……これは“私の願い”ではないよ。“私たちの願い”なんだよ、ユミーリア」



 ボルキノフが、閉ざされた石棺の蓋を手でなぞった。



「悲願の成就の光は見えた……だが、そのもとまでの道のりは、まだ険しい……。私1人の力では、とてもそこには届かないよ……。だから、お前の力も貸しておくれ……ユミーリア……」



 ――(『……はい、お父様……何なりと、お申し付け下さい……』)



「うれしいよ、ユミーリア……お前なら、きっとそう言ってくれると、信じていたよ……」



 ボルキノフが、よろこびに感極まって声を震わせた。



「ああ、ユミーリア……そういえば、しばらくの間、お前の顔を見ていなかったね。いつも相手をしてやれない私を許してほしい……。さあ、お前の美しい姿を見せておくれ、いとしい我が子よ……」



 独り言をぶつぶつと漏らし続けるボルキノフが、石棺の蓋の縁に手をかけた。とても人の手では動かせそうにない大きさの石の蓋だったが、ボルキノフが力をめると、蓋はゴリゴリと削り滑る音を立ててずれ動き始める。



 ――(『ああ、お父様、いけません……まだ、身だしなみを整えていないのです。恥ずかしい……』)



「大丈夫だよ、ユミーリア……恥ずかしがらなくてもいいんだよ……お前はいつだって、どんなときだって、美しい……」



 石棺を覆っていた巨大な石の蓋が、ズズンと大きな音を立てて、石棺の縁から滑り落ちた。


 ほの暗い闇の中で、慈愛に満ちた表情を浮かべたボルキノフが、開け放たれた石棺の闇の奥へと手を伸ばす。


 ……ヌチャリ。


 粘り気のある、不快な音がした。


 ……ニチャ。グチャ。


 ボルキノフが、何かを探すように、石棺の中に差し伸べた腕を動かすと、それに合わせて粘液質のものをき混ぜるような音がする。


 そして、ボルキノフの手が、石棺の闇の中で、何かをつかんだ。



「さぁ……ユミーリア……私の手を握って……」



 ボルキノフが、つかんだ何かを、引っ張り上げる。


 ぐっ、と、“それ”が石棺の中に引っかかる感触があった。



「……ユミーリア。随分永く、ここで眠っていたからね……少々、その“寝床”に、お前の身体が癒着してしまっている……」



 ボルキノフが、更に腕に力をめて、石棺の中に眠る“それ”を強く引き上げた。


 ブチリ。と、石材に癒着した肉が剥がれる音がした。


 ブチリ、ミチリ。ブチブチブチ。と、強引に癒着した肉が引き剥がされる音が連続して続いた。



「起きあがるんだよ、ユミーリア……私の手を借りているばかりじゃ、いけないよ? 自分の手と足で、しっかりとつかんで、立ち上がらなくては……」



 引き上げられる“それ”の姿の一部が、石棺の縁に現れた。


 ボルキノフがつかんでいるのは、少女のものと思われる細い2本の腕だった。細くて華奢きゃしゃで、美しい肉付きをした少女の腕。……そのきめ細かい肌は青白く、表皮はぶよぶよの半透明の粘膜で覆われていた。


 ボルキノフが、更に“それ”を引き上げると、石棺の縁に、だらりと脱力した少女の胴体と口元が現れた。顔の半分は、まだ石棺の闇の向こうに沈んだままである。


 “それ”は全身に一切の力が入っておらず、糸の切れた人形のように、ボルキノフに握られた腕を中心に、ブラブラとぶらさがっているばかりだった。



「ほら、ユミーリア……ぶらさがっているばかりでは、立ち上がれないよ? 力を入れてみなさい……」



 ……ゴボリ。ボコッ、ボコッ。ズルッ。


 石棺の闇の向こうで、何か粘度の高い液体が泡立つような、はじけるような、引きずるような音がした。


 そして、ぶよぶよの半透明の粘液をビチャっとまき散らしながら、石棺の中から“3本目の腕”が伸びてきて、ボルキノフの首と胸元を鷲掴わしづかみにした。



「むっ……」



 不意を突かれたボルキノフが、声を漏らす。


 石棺の中から伸びてきた“3本目の腕”は、巨大な異形をした腕だった。青白い肌に、ぶよぶよの半透明の粘膜が表皮を覆っているのは同じだったが、その粘膜の下には、うろこのようなものが見えた。


 指は4本しかなく、その先端には鋭い爪が生えていた。


 余りに巨大な手の平は、ボルキノフの上半身を覆い尽くさんばかりで、その手は力強く握られ、ギリギリと宰相の身体を締め上げていく。


 その恐ろしい光景を前に、ボルキノフは目を輝かせて狂喜の声を上げた。



「すごい……! すごいじゃないか、ユミーリア! この“新しい手”は、きちんとものをつかめるのだね! すばらしい……!」



 “異形の腕”に、更に力が籠もる。ボルキノフの胸が圧迫され、首が絞まる。



「それに……すごい力だ……! 息が……できなく、なる、ほど、だよ……ユミー、リア……!」



 “異形の腕”の力が、更に強くなる。ボルキノフは呼吸ができなくなり、口の端からよだれを垂らした。胸部と背中が折れ曲がり、骨からメシリと異常な音がする。


 それでも、ボルキノフはその手につかんでいる2本の“少女の腕”を決して離さなかった。



「カハッ……い、いいぞ……ユミ、ィリア……窒、息、してい、るぞ……ほら……あと、少、し、で……背骨、が、折れ、るぞ……ユ、ミー……リア……」



 ……。


 ……ベキャッ。


 骨の砕け折れる、鈍い音がした。


 ボトリ。と音がして、自身の握力で折れ潰れた“異形の腕”が、床に落ちた。



「……っ……はぁ……はぁ……」



 “少女の腕”を優しく握ったまま、“異形の腕”から解放されたボルキノフが、苦しそうに息を吸い込んだ。



「……」



 肺に空気を取り込みながら、ほの暗い床を見下ろすボルキノフの視線の先に、根本が腐って千切れた落ちた“異形の腕”があった。


 それを見たボルキノフが、がっかりした様子で首を振りながらため息をいた。その表情には、失望の色が浮かんでいる。



「ユミーリア……また、うまく使えなかったね……もう少し、練習が必要だ……」



 ボルキノフが、石棺の中に“それ”を戻していく。だらりと脱力してボルキノフにぶらさがっている“それ”は、再び石棺の底に横になった。



「悲しむことはないよ、ユミーリア……元来お前は、身体を動かすことが、余り得意ではないからね。お前は賢い子だ……学者や芸術家に向いている。だから、その身体を使いこせなくても、何も悲しむことはないよ、ユミーリア。お前には、お前にしかできないことがあるのだからね………」



 闇に紛れた石棺の底で、青白い皮膚を覆う粘膜に泡を立てて、“それ”がゴボゴボと何かを訴えるような雑音を立てた。


 しかし、石棺を見下ろして笑みを漏らしているボルキノフの耳には、その雑音は届かなかった。


 代わりに聞こえるのは、“聞こえていると思い込んでいるのは”、愛娘まなむすめの、楽器のような美しい声の幻聴だけだった。



 ――(『お父様、今宵こよいはもう、お夕食はおりになられましたか?』)



「いいや、ユミーリア、今日はまだ何も食べていないよ。このところ忙しくてね……最後にまともな食事をったのは、何日前のことだったか……」



 ――(『お父様、よろしければ、今宵こよいは私と一緒にお食事をしていただけませんか? お父様のために、おいしい料理を、腕によりをかけてお作りします』)



「ああ、ありがとう、ユミーリア。しかし……今日もまだ、仕事が残っていてね。残念だが、食事をしている暇は――」



 ――(『お父様……いけませんか? 私は……ユミーリアは、お父様のために、毎日よい子にしています……今夜くらい、我がままを許していただけませんか……? 毎日、ひとりぼっちで……寂しいのです、お父様……』)



 ボルキノフが、舞台劇のように大仰な動作をして、石棺をのぞき込んだ。



「ああ……! すまない……すまなかった、ユミーリア……! お前にそんな寂しい思いをさせていたなんて、私は全く気づいていなかった……! 許しておくれ、いとしい我が子……」



 ボルキノフが、石棺の横に立ち上がる。



「分かったよ、ユミーリア……今夜はもう、仕事は終わりだ。2人でゆっくりと、食事をしよう。今夜は、特別な夜にしよう、ユミーリア……」



 そしてボルキノフが、腐り落ちた“異形の腕”を持ち上げて、ぶつぶつと独り言をこぼしながら、闇の中にそれを引きずっていった。



「お前と一緒に食事をするのは、いつ振りだろうか、ユミーリア……ああ、そうだ、シェルミアが最後の“国葬”を終えた夜、ニールヴェルトと話し込んだ夜以来だね……」



 ……。


 “騎士びょう”の最深部で、宰相ボルキノフが何かを貪りらうグッチャグッチャという咀嚼そしゃく音が響いたが、その音を聞く者は、誰もいない。

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