11-2 : 笑み

「……南部の町が、魔物の襲撃を受けています」



 シェルミアが険しい口調で、“焼き文字”に書かれた内容を皆に説明する。



「住民の連絡を受けて、南部駐屯地から第1陣が救援に向かいましたが、魔物の数が多く、撤退……。第2陣が続いて出動しましたが、南部駐屯地の戦力だけでは防戦一方、魔物の群れを押し返すことができず、町は壊滅状態にある、と……」



 シェルミアが震える拳で、“焼き文字”の浮かんだ羊皮紙をぐしゃりと握り潰した。


 上級騎士たちの間で、動揺が広がった。



「魔物の群れが町を襲撃だと……?」



「魔族の野盗騒ぎならいざ知らず……人間領への魔物の大規模侵攻なんて、聞いたことがない……」



「何かの間違いでは……?」



 騎士たちの間で臆測が飛び交い、執務室の中が騒然となる。



「――静粛に!」



 シェルミアの声で、執務室はしんと静まり返った。



「魔族領“宵の国”を越境しての、人間領“明けの国”への魔物の大規模侵攻……確かにこれまで経験のない事態です。ですがこれは、まぎれもない事実。情報の取り違えでもなければ、訓練でもありません」



 シェルミアが、重い口を開いて言葉を継ぐ。



「ことは一刻を争います。直ちに部隊を編成し、南部駐屯地へ援軍を派遣する必要があります。事態の性質上、魔物との戦闘経験のあるものを優先的に組み入れます。この中でその経験のある者は前へ」



 シェルミアの言葉の前に、大半の上級騎士たちは歩を後ろへと下げた。その流れに逆らって前に歩み出た者は、ロラン・エレンローズを含めた11人の上級騎士である。



「……再度確認しますが、今回の相手は凶暴な魔物です。魔物との実戦経験があることに、間違いはありませんね?」



 11人の上級騎士たちは、ただその場に堂々と立ち、無言をその回答とした。エレンローズとロランも、険しい表情でそこに立っている。



「では、あなた方を筆頭に、南部支援部隊を編成します。装備の準備はこちらで行います。人員の選抜はそちらに任せます。よろしく頼みます」



「はっ」



 11人の上級騎士たちが、かかとを合わせてシェルミアの命に応えた。



 ――。





「おい、中の様子、どうなってる?」



 新顔騎士が、新米の肩をたたいて催促した。



「うるっさいな……ちょっと待ってろよ」



 新米騎士が鍵穴かぎあなのぞき込んで、執務室の中の様子をうかがう。



「魔物と戦闘経験のある騎士かぁ……すっげぇなぁ……俺、魔族も魔物も、生まれてこの方見たこともないよ……。あ! エレンローズ教官が名乗りを上げてる……! げぇっ! ロ、ロランさんも……!?」



 新米騎士の報告を聞いて、新人と新顔が詰め寄ってきた。声を潜めて、驚嘆する。



「何ぃ!? エレンローズ教官、魔物を討伐したことあるのか……! さ、さすが、“右座みぎざつるぎ”の異名は伊達だてじゃない……!」



 新人騎士が興奮気味に言った。



「待て待て、腕っ節の強いエレンローズ教官は納得だけど、あの優しいロランさんも名乗りを上げるのか……!? あの料理上手で気立てが良くて可憐かれんなロランさんが、魔物相手なんて……お、俺、心配になってきた……」



 新顔騎士が、心底心配そうな声で言った。


 小声でわめき散らす3人のひよっこ騎士たちは、執務室の扉の向こうのやりとりに夢中になっている。


 ひよっこ騎士たちは、夢中になり過ぎていた。ゆえに、背後に近づいてきた人影の気配に、彼らは全く気づかなかった。



「貴様たち、そこをどきたまえよ」



 ひよっこ騎士たちは、背後のその声を無視して扉にへばりついている。



「……聞こえんのか? 貴様ら」



 新米騎士が、声の方へ手を挙げて制止する。



「しっ! 静かに! よく聞こえない」



「……そこをどけと言っている。私の命が聞けんのか? 低級騎士ども……」



 ひよっこ騎士たちが、鬱陶しそうに背後を振り返った。そして背後を見た瞬間、ひよっこ騎士たちの顔が、手品のように一瞬で青くなった。



 ――。



 執務室の扉の前で、ゴソゴソと物音が聞こえた。そして外からドアノブががちゃりと回り、扉が開く。


 その音に、執務室内に並ぶ騎士たちが振り返った。



「やあやあ、騎士の諸君……そして団長殿。何やら騒がしい様子だね?」



 上級騎士たちの顔に一瞥いちべつを向けた後、その人物はシェルミアを見据えて口を開いた。



「随分と仰々ぎょうぎょうしい集まりじゃないか……戦争でも始まるのかい?」



 シェルミアが思わず、頬をひくりと引きらせた。



「……兄う――アランゲイル王子……どうされましたか、このような場所へ……」



 上級騎士たちが左右に割れ、アランゲイルとシェルミアとの間に道を空けた。その中、シェルミアからの命を受けた11人の上級騎士たちだけは、アランゲイルに背を向け、シェルミアの前にじっと立っている。



「いや何……我が明けの国の領土が、宵の国の魔物どもに踏みにじられていると聞いてね。善良な罪なき市民たちが、次々と命を落としているとも……」



 それだけ言って、アランゲイルが沈黙する。


 ……。


 ――ドン!


 そしてアランゲイルが、ふいに壁に右拳をたたきつけた。


 執務室の中に、重苦しい沈黙が降りる。



「何をやっているのだ……シェルミア……。騎士団の実力は、この程度のものか……? 父上が、お前に預けた騎士団は……。このままでは、町がひとつ、地図から消えるぞ……どうするつもりだ、シェルミア!」



 激情したアランゲイルの怒声が、騎士たちの肌をびりびりと震わせた。



「……落ち着いてください、アランゲイル王子……貴方あなたや私は、こういうときこそ冷静でいなくては――」



「黙りたまえよ、シェルミア……。綺麗事きれいごとは責務を全うしてから言うのだな……」



 アランゲイルの言葉に、シェルミアが思わず喉を詰まらせた。両手の拳が、ギリギリと音が聞こえるほどに固く握られる。



「……支援部隊を、今まさに編成中です……。南部駐屯地には、王都からの援軍が到着するまで、前線を何としても死守せよと伝達しています……無論、もとより彼らもその覚悟です」



 怒り冷めらぬといった表情のアランゲイルが、シェルミアと11人の上級騎士たちに厳しい目を向けた。



「なるほど……そしてそこに並んだ者たちが、歴戦の勇士というわけか……貴様ら、顔を見せたまえ」



 11人の上級騎士たちは、アランゲイルに背を向けて、じっと立っている。そして目の前の執務机に座るシェルミアを見つめ、その命を待った。


 シェルミアが、静かにうなずく。それを見てようやく、11人の上級騎士たちが、アランゲイルに振り返った。


 いや、正確には9人である――エレンローズが断固としてアランゲイルに振り返らず、それを見守るロランも背を向けていた。



「(姉様、ほら、アランゲイル様が……)」



 ロランが気まずげにエレンローズを肘で小突いて、姉にだけ聞こえる小さな声で耳打ちをした。



「……」



 エレンローズは、ロランの声にも全く反応しない。



「(……姉様?)」



 ロランが再度、小さな声で姉を呼ぶ。


 そうしてようやく、エレンローズは鬱陶しげに、ロランに振り向いた。


 弟に振り向いた姉の額には、青筋が浮かんでいた。



「(……あ゛? な゛に゛?)」



 エレンローズが、野太い声でロランにささやいた。



「(ア、アランゲイル様が、こっちを向くようおっしゃってるよ、姉様!)」



 エレンローズの形相に、ロランが思わずひるむ。



「(……は? だから? それが、な゛に゛?)」



 エレンローズが、ロランをにらみつけた。目が完全に据わっている。



 ――ひえぇ……ね、姉様、お願い、そんな怖い顔しないで、ちゃんとしっかりしてよぉ……。



「(……エレンローズ)」



 そうささやいたのは、シェルミアだった。エレンローズの目をまっすぐに見つめて、こくりとうなずいて合図を送る。「私の指示に従いなさい」と。


 それを見て、エレンローズが下唇をみ、一瞬悲しげな表情を浮かべて、渋々アランゲイルの方を振り返った。ロランもそれに続く。



「ほお、皆、頼もしい顔つきをしているな……。ああ、君は祭礼の騎士の……先日は“騎士びょう”の儀礼で、世話になったね……」



 アランゲイルが、振り返ったエレンローズの顔を見ながら言った。



 ――。





「び、びっくりしたー……何でアランゲイル様なんだよ」



 外では、再びひよっこ騎士3人組が扉にへばりついて中の様子をうかがっている。



「知らねぇよ、そんなの……ああ、何やってるんだ、今は一刻の猶予ゆうよもないってのに……。アランゲイル様、まさか邪魔しに来たとかじゃないよな……?」



 そわそわと落ち着かなげにしている新顔騎士が、頭をくしゃくしゃと手で引っかき回した。



「ほんとだよ……中のみんなも苛立いらだってる顔して――ひぃっ?!」



 鍵穴かぎあなのぞき込みながら小言を漏らしていた新米騎士が、後ろに飛び退いて尻餅をついた。



「な、何だ、どうした!?」



 新人騎士と新顔騎士が、駆け寄って尋ねた。



「――先日は“騎士びょう”の儀礼で、世話になったね……」



 扉の向こうから、アランゲイルの声が聞こえてくる。



「あ、あわわわ……」



 新米騎士が、鍵穴かぎあなを指差しながら震えていた。



「――いえ、とんでもございません。祭礼の騎士の役、つつがなくこなすことができましたのは、殿下の御配慮のお陰にございます」



 アランゲイルの声に続いて、エレンローズのかしこまった涼やかな声が聞こえてきた。



「どうしたんだよ、ほんとに……」



 腰を抜かしている新米騎士を後ろに置いて、新人騎士と新顔騎士が顔をくっつけて、2人同時に鍵穴かぎあなのぞき込んだ。



「「……!!」」



 そして2人が同時に、凍りつく。


 鍵穴かぎあなの向こうでは、エレンローズがアランゲイルに満面の笑みを向けていた――エレンローズとふだんから関わっている者にしか分からない、その笑顔の下に燃え盛る怒りを宿した、邪悪な笑顔を一杯に浮かべて。


 その邪悪の笑みを垣間かいま見て、新人と新顔もその場にへたり込んだ。



「「「こ……怖えぇ……」」」



 示し合わせたように、ひよっこ騎士3人組が同時に声を漏らした。

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