5-1 : “明星のシェルミア”

イヅの城塞の見張り台に、漆黒の騎士が1人立っている。ベルクトと全く同じ作りの甲冑かっちゅうを着たその騎士は、イヅの大平原の彼方かなた、明けの国との国境線を凝視していた。



「あちらの動きはどうなっていますか?」



 見張りの騎士の背後に語りかけてくる声。



「……ベルクト様」



 見張りの騎士が振り返ると、そこにはベルクトが立っていた。


 そして見張りの騎士は、ベルクトに向かって膝を突いて頭を垂れる。



「やめなさい。見張りの任の最中に、そのようなことは」



「はっ」



 ベルクトが見張りの騎士に向かってさとすように言って、自身も見張り台の先端に身を乗り出した。


 見張りの騎士もベルクトの横に並び、再び国境線を凝視する。



「動きはないようですね。私には子細までは見えませんが」



 ベルクトが額に手をやり、差し込む日差しを遮りながら言った。



「国境線のあちら側に展開したままです。興奮した騎馬が1頭、国境を越えたためにしらせの笛を吹きましたが、それ以降半刻ほどの間、動きはありません」



 見張りの騎士が淡々とベルクトに報告する。見張り台から国境線までは、遮蔽しゃへい物がないとはいえ、かなりの距離があった。にもかかわらず、見張りの騎士はまるで間近で見てきたような細かさで状況を説明する。相当に目が良いようだった。



「そうですか……。あちらの兵力は、おおよそどれほどでしょうか?」



 ベルクトが見張りの騎士に向かって尋ねた。



「概算ですが、少なく見積もっても5000」



 見張りの騎士が、感情を一切廃した声音で、ただ事実だけを告げる。



「……前回は確か200ほどでしたね。あちらも本気ということでしょうか……」



 ベルクトと見張りの騎士が見つめる明けの国との国境線上には、無数の銀の甲冑かっちゅうが太陽光を反射するきらめきが、横1列にびっしりと並んでいた。



***



「5000、か。騎兵隊で白兵戦に持ち込むには、ちと厳しいな」



 イヅの城塞正門内部。閉じられた門の前で、ゴーダが腕組みをして考えを巡らせている。


 ゴーダの背後には、およそ50人の漆黒の騎士たちが並んでいた。兵力差1対100。白兵戦を挑むには、余りにも無謀な数字である。



「いかがされますか」



 見張りの騎士からの情報を届けて以降、ゴーダの横に立って指示を待っていたベルクトが、口を開いた。



「夜勤の騎兵を召集することもできます。規則に反しますが、緊急の事態ですので問題はないかと」



「いや、その必要はない」



 ゴーダが首を横に振った。



「全兵力を集めても100人程度だ。物量で到底かなわないという状況は変わらん」



おっしゃる通りです」



 ベルクトが冷静な声でうなずいた。


 城塞正門内部に、沈黙が降りる。


 沈黙の中、ベルクトが何か考え込んだ末に、少し言いにくそうに切り出した。



「……ゴーダ様。差し出がましいようですが……我ら――」



「ベルクト」



 ゴーダがベルクトを振り返り、厳しい口調でその言葉を遮った。



「我々は国境線を侵略したいわけではない。そうだな?」



「もちろんです」



「なら、お前が言いかけたその提案は却下だ」



 ゴーダがベルクトから目を離し、再び考えを巡らせ始める。



「申し訳ありません。いらぬことを口にしました」



 ベルクトが涼しい声でびる。その声には不満のようなものは微塵みじんも含まれておらず、ベルクトはただただ主であるゴーダの言葉を素直に受け入れていた。



「いや、私の方こそすまんな。お前たちに不要な心配をかけさせてしまった。こちらから侵略する気はないが、侵略させる気も毛頭ない」



 ゴーダが腕組みを解き、姿勢を正した。これからの方針について考えがまとまった様子である。



「騎兵隊は、全員このまま城塞内で待機。私が単騎で出よう」



 ゴーダの前に隊列を組んでいた漆黒の騎士たちが、黙ってその場で背筋を伸ばした。



「よろしいのですか?」



 ベルクトがゴーダに尋ねる。ゴーダの無謀な提案には全く驚いていない、ふだん通りの淡々とした口調で。



「数では及びませんが、ゴーダ様の盾となるには十分かと思われますが」



 それを聞いて、ゴーダが兜の下でふっと鼻で笑った。



「肉の盾などいらんよ、ベルクト。それに――」



 ゴーダが城塞の門に向かって1人歩き始めた。



「――仮にあの兵力で開戦となれば、私は“六式”を使う。お前たちが前に出ていると、巻き込んでしまうからな」





***





「ゴーダ様、お待ちください」



 正門を抜けてイヅの平原へ出ようとしていたゴーダの背中を、呼び止める騎兵がいた。


 見張り台の騎士である。



「こちらに向かってきている者がおります」



 ゴーダが歩を止め、見張り台の騎士の方を振り返った。



「ふむ、あちらの方がしびれを切らしたか。数は?」



「3騎です。騎馬に乗っております」



「3騎? 他の兵はどうしている?」



「国境線上、明けの国側に展開したまま、動きはありません」



 ゴーダが顎に手を当て、状況を整理する。



「……使者の可能性が高いな。ならばこちらも急いで出た方がよかろう。早馬を回してくれ」



 整列していた漆黒の騎士の内の数人が、騎馬を引きに、足早に城塞内に駆けていった。



「ゴーダ様、私もお供いたします」



 ベルクトがゴーダに進言した。



「いや、ベルクト、お前には城塞の指揮を――」



「お供させてください、ゴーダ様」



 ゴーダの言葉を遮って、ベルクトが言った。その声音には、これだけは譲れないという、明確な意志が含まれていた。



「相手は3騎です。あちらの目的が分からぬ以上、ゴーダ様をおひとりで行かせるわけにはいきません」



「ついさっきまで、私は単騎で5000の敵兵の前に出る気でいたのだがな」



 ゴーダが“やれやれ”肩を上げる。



「“殲滅せんめつ戦”と“交渉”では、その性質が異なりますので」



 ベルクトのその言葉を聞いて、ゴーダは肩の力を抜いた。それはベルクトの言い分に折れたという印である。



「よろしい。ベルクト、私と来い」



 ゴーダの指示を聞くより早く、更に数人の漆黒の騎士たちが、ベルクトの分の早馬を引きに城塞の奥へと消えていった。



***



 ――イヅの大平原。イヅの城塞と、明けの国国境線との中間地点。


 イヅの騎兵隊からも、明けの国騎士団からも、均等な距離だけ離れた、何もない平原の真っただ中。その場所で、2騎の漆黒の騎士(ゴーダとベルクト)と、3騎の銀の騎士が、無言で向き合った。


 両者はそれぞれ、黒馬と白馬にまたがっている。


 互いに今は対話の段階にあると理解している様子で、双方ともに剣は抜いていない。


 緊張した空気を感じとり、双方の騎馬が鼻息を荒らげ、不機嫌そうに地面をひづめで蹴り上げた。


 初めに沈黙を破ったのは、明けの国の銀の騎士だった。



「……そのお姿、ゴーダ卿ですね?」



「いかにも。私がゴーダだが」



 言葉を返しながら、ゴーダは3騎の銀の騎士にそれぞれ目をやった。


 しゃべっているのは3騎の内、中央にいる銀の騎士である。残りの2騎は、中央の騎士より1歩下がった場所に馬をやり、無言のままじっとこちらを見ている。



「よかった。貴方あなたと対話するために参りました」



 そう言うと、中央に座す銀の騎士が騎馬から降りた。



「私は明けの国騎士――」



「名乗る必要はない。用件のみお聞かせ願おうか」



 銀の騎士の言葉に割って入って、ゴーダが冷めた口調で言った。



「貴公らは宵の国の地を侵している。礼節をもって迎えられるとは思わないでもらおう」



 ゴーダの言葉を聞き、後ろに構える2騎の銀の騎士が騎馬上で身構えた。地に立った銀の騎士が右手を挙げ、手出し無用と、2騎を制する。中央の銀の騎士の意向をみ取った2騎は、互いの顔を見合わせ、同じタイミングで騎馬から降り、中央の銀の騎士の背後に立った。



「……確かに貴方あなたの言われる通りです、ゴーダ卿。それでは用件のみ申しましょう」



 中央の銀の騎士が切り出し直す。



貴方あなたに先日討たれた、我が騎士団のデミロフと、彼と死を共にした戦士たちの亡骸なきがらを引き渡していただけないでしょうか。デミロフは、明けの国第2王子、アランゲイルの近衛このえ兵長を勤める騎士でした。アランゲイル王子は、デミロフの死を嘆いています。王子の近衛このえ兵長が宵の国で戦死したという報に、明けの国の国民もひどく不安がっています。家族を亡くした者は、特に胸を痛めていることでしょう。せめて彼らの亡骸なきがらだけでも、祖国へ連れて帰ってやりたいのです。お聞き届けいただけないでしょうか」



 中央の銀の騎士は、身振り手振りに訴えながら、柔らかい口調で用件を述べた。


 ゴーダは、黒馬の上にまたがったまま、そう訴える銀の騎士を無言で見下ろしている。



「……貴公らが終始3騎でここまで来ていたのなら、その言葉を聞き入れることもできたかもしれんな」



 ゴーダが国境線を指差して続ける。



「しかし……この状況でそれはかなわん。あれだけの兵を展開した上でのそのような用件は、脅し・命令と同義。今の貴公の言葉は、そういう意味の籠もった言葉だ。貴公の本音がどうであろうとな……。私にも少なからず同情の心というものはあるが、だからと言って、5000の兵を後ろに敷いた言葉に、屈するわけにはいかんのだよ」



 ゴーダのその言葉には、この状況では最初から交渉の余地などないという拒絶の意思が色濃く表れていた。しかし中央の銀の騎士は、一瞬たりとも目をらすことなく、じっと馬上のゴーダを見上げている。



「……魔族最高位“四大主”の気高さ、しかと拝見しました。私も貴方あなたの立場ならば、そうしていたことでしょう。……ならば――」



 中央の銀の騎士が1歩前に出る。



「――ならば、この剣にかけて、聞き入れていただくより他にありません……。ゴーダ卿、私は貴方あなたに、一騎打ちを申し出ます」



 それを聞いたベルクトが、自身のまたがる黒馬の手綱を引きちぎらんばかりに、拳を固めた。



「貴様……先ほどから黙って聞いていれば、一方的なことばかりを……。ゴーダ様への度重なる無礼、承知せぬぞ……」



「落ち着け、ベルクト」



 ゴーダが手を伸ばし、珍しく感情的になっているベルクトを鎮める。



「お前がそんなことでどうする」



「……申し訳ありません。取り乱しました」



 ベルクトが、1度だけ深く静かに、息を吐き出した。自分の中に沸き上がった激情を鎮めるために。


 ベルクトが落ち着きを取り戻したことを確認すると、ゴーダは銀の騎士を見下ろしながら口を開いた。



「部下が失礼をした。一騎打ちと言ったな? こちらが勝った場合はどうするおつもりか?」



「そのときは、すべての兵を引かせましょう。ここにいる2人の連れが証人となります。血を流すのは私1人で十分です」



 銀の騎士がよどみなく応える。


 そのいさぎよい言葉に、ゴーダは思わず「ほお」と声を漏らした。



「ならば、もしもそちらが勝った場合はどうするね?」



 ゴーダが興味深げに尋ねる。



「先ほど申した通り、デミロフと戦士たちの亡骸なきがらを引き渡していただきます」



「誰がそれを保証するのだ?」



「言うまでもなく、ゴーダ卿、貴方あなた自身に保証していただきます」



「そちらが勝った場合、私は死んでいるのにか?」



「そのようなことにはさせません」



 そして銀の騎士が、まっすぐな声で続けた。



「ゴーダ卿、貴方あなたには、生きたまま敗北を認めていただきます。言い訳の余地なく。そのための一騎打ちとお考えください」



「……私は貴公を殺すつもりで剣を抜くことになるが?」



「当然そうでしょう。一騎打ちとは、誇りと命をかけるものと理解しています」



「貴公はそう理解した上で、殺さずに私に敗北を認めさせるということか?」



「一騎打ちを申し受けていただけるのならば、私にはその自信があるとだけ、申しておきます」



 イヅの大平原のただ中に沈黙が降りた。ゴーダと銀の騎士は、兜越しに合わせた視線をわずかの間も離すことなく、互いの考えを読みとろうとするかのように、じっと相手のことを見続けている。


 銀の騎士の後ろに立つ2人の騎士も、微動だにせず、その言葉にならないやりとりを見守っている。ベルクトも全く同じであった。



「……よろしい」



 ゴーダが沈黙を破った。



「貴公のその愚かしいほどに真っぐな目と、その自信、興味が湧いた。このゴーダ、貴公からの一騎打ちの申し出、受けて立とう」



「感謝します、ゴーダ卿。私の無礼をお許しください」



 銀の騎士がゴーダに向かって頭を下げ、礼を示した。


 その様を見て、ゴーダがくっくと兜の下で笑った。



「随分と余裕のある言葉だ……益々ますます興味が湧いたぞ」



 ゴーダが黒馬から降り、銀の騎士と対峙たいじする。



「私の方こそ失礼した。改めて、貴公の名をお聞かせ願いたい」



 銀の騎士が堂々たる風格で、名乗りを上げた。



「我が名はシェルミア。明けの国では、“明星みょうじょうのシェルミア”の2つ名を頂く騎士です」

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