背中を撃つ覚悟
今までたいして気にも留めていなかったが、よく集中してみると、常に自分は誰かに見張られている。
部下や予備軍がめずらしがって自分に視線を送っているのとは違う、殺気だった視線があちらこちらから突き刺さる。自分を臥たんでいる奴らだとも思ったが、これが裏切り者たちの正体か。
「こうも見られると、肩が凝るな」
上総は白衣を羽織り、新薬開発会議に参加していた。しかし、研究所にこれだけの数存在しているとは。本部だけじゃない、この組織ごと侵されている。
「都築執行役、ご意見を頂戴してもよろしいでしょうか?」
二百名近い研究者らを前にして、上総は最終決定権を握っている。これで開発が決定すると、試薬を恩田に提出し実際に販売するかどうかを閣議する。
米国やオランダ、ドイツもウェブ上で会議に参加しているため、上総は淡々と英語で意見を述べる。こうなると、海外にも敵がいるのではないかとさえ思えてくる。
だが、薬で殺さないということは彼らは根本的なことは知らされていないのだろう。見張りだけを命令し、最後の楽しみは恩田自らといったところか。
会議が終了すると、上総の担当医師が慌てて駆け寄って来た。
「……都築一佐。たまには治療されていきませんか」
以前、上総から命令を受けた手前強要は出来ないが、さすがに気にしているようだった。
「そうだな。それと、ひとつ頼みがある」
***
その頃、相馬と結城は病棟に向かっていた。上総と同時進行で、急遽瀬野を久瀬の隣の部屋へ移動させることに決まった。
「急に運び出すわけにはいかないしな。なんとか医師たちが納得するよう話をつけないと」
相馬は医師をどう言いくるめるかを必死に考えていた。
「相馬一尉が一言がつんと仰ってしまえばそれで済むんじゃないですか?相馬一尉にだってそれくらいの権限あるでしょう」
つい最近、似たようなことを言われたばかりだ。部下としてではなく後釜として……。確かにそうかもしれない。相馬は意を決し、集中治療室の扉に手を掛けた。
「あ、都築さん!どうされました」
中へ入ると、上総が点滴治療を受けている最中だった。
「会議でこっちに来たから、ついでにね。……後は任せるよ」
上総は自分に託している。自分のために口出ししないでいる。そうだ、もうそろそろ独り立ちしないといけない。上総から離れないと、立派な姿を見てもらわないと。呼吸を整え、相馬は医師の目をまっすぐ見据えた。
「お疲れさまです。急で申し訳ありませんが、現在治療中の瀬野を、今後はこちら本部で預かることになりました。必要なものは後ほど取りに来させます。早急に準備に取り掛かってください」
相馬は少し緊張気味に、それでも堂々と上総の前で医師に指示を出した。医師は思った通り混乱した様子で、上総と相馬を交互に見回している。それでも、上総は目を閉じたまま口を開かない。
「これは、命令です」
「……かしこまりました」
遂に医師は首を縦に振った。そして、点滴薬などの準備に取り掛かる。相馬はほっと一息つく。普段、部下たちに指示を出すのとはまったく違う。上官の前で指示を出すなんてなによりも緊張する。
「瀬野ですが、久瀬将官の隣の部屋へ運ぶことになりました。私もその部屋へ移動します」
「……そう。お前なら大丈夫だとは思うが、気を抜くなよ。結城、お前も部屋を移れ。無関係な人間は絶対に入れるな。なにかあれば、工兵部隊の技術を使用して構わない」
初めて上総から直接指示を出され、結城は緊張を隠せない。
「は、はい。承知しました!」
結城は、少しぎこちなく、それでも頼もしい顔で敬礼を掲げた。
「都築さんの方はどうですか。なにか出来ることがあれば申し付けください」
「こっちは俺一人で平気だ。一人の方が怪しまれない。だけど、思ったよりも範囲は広いぞ。隣ももう……」
「隣って、病棟や研究所にもですか?それじゃあ、この組織ごとってことですか。私たちだけでなんとかなりますかね……」
結城は落胆していた。そんな結城の様子に、相馬は静かに口を開く。
「重要なのは人数じゃない、頭脳と戦闘能力だ。それに関しては、俺たちは負けていない」
相馬はきっぱりと言い切った。結城は少々驚いていたが、次第に希望の眼差しへと変わっていく。上総も安心した表情を浮かべていた。
「相馬一尉、準備が整いました。それと、都築一佐、先ほど申し付けられたものです」
そう言うと、医師は薬品の入ったバイアルを手渡した。相馬と結城が顔を覗かせる。
「これは」
「簡単に言えば自白剤だ。それに少々睡眠導入剤を加えてある。俺たちが独自に開発したもので、もちろん製品化はしない。したがって、俺より上には伝わらない」
なんだか最近は、毎日のように上総の違った一面を目にしている。正直ここまでとなると、自分が後を継ぐのには最低でも数年はかかるのではないか……。
「では、私たちは瀬野を運び出します」
相馬と結城は、非常用エレベーターに乗り込み瀬野を運び出した。
「相馬一尉、都築一佐はどこかお悪いんですか?先ほどの点滴も、ただの体調不良には見えませんでしたけど。この間も具合悪そうでしたし」
相馬は顔を顰めた。上総には口止めされているとは言え、共に闘う以上知った方がいいと判断した。
「……都築さんは脳に腫瘍が見つかって、もう手術することも出来ないんだ。さっきの点滴も、転移とかを最小限抑えるためだけのものだからあまり意味はない。なんとか安静にして良い薬の開発でも出来ればいいんだけど、なによりもう時間がない。都築さんは、自分の命よりもこの組織を選んだんだ」
思いもよらぬ話に、結城は唖然としていた。
「俺さ、都築さんにこれからは自分の後釜として行動しろって言われたよ。確かにこの先、都築さんから離れることはあるかもしれない。だけど、そんな先のことを言ってるんじゃないんだよな。都築さんの部下は俺だけじゃない。俺の下にも和泉の下にもいる。それにお前たちだってそうだ。でも、最近は俺の知らない都築さんの姿がどんどん見えてきて、正直俺じゃあ都築さんの後なんてとても無理だと思えてきた」
思った以上に、相馬は自信喪失していた。組織の中でもトップの部隊に所属し、小隊長の座についている。これがどれほどの事なのか、予備軍でさえよく知っている。
それでも、やはり上の人間があまりに超越しているため、その距離は近そうで非常に遠い。
「あの……。こんなこと言うのもあれなんですが、都築一佐は特別すぎます。ですので、そんな主力がいなくなるというのは組織にとって大打撃です。それに、私は第一部隊ってだけでも一歩引くくらい遠い存在でした。ですが、相馬一尉は私なんかに本当の部下のように接してくださっていますし、都築一佐と同じように命令も適切な判断も下せます。都築一佐だって、はじめから今のようになんでも出来ていたわけではないと思います。ですからその……。あ、なんかすみません」
結城の言葉に、相馬の心は少しだけ軽くなったような気がした。確かに自分の上官は、比べる必要もないほどに遥か上の人間だ。だが、人一倍努力と苦労を重ねているのも事実。彼の代わりなんて考えは捨てて、追いつこうとするその過程が大事なのではないか。
「……ありがとう。俺、ちょっと焦っていたのかもしれない。そんなにすぐには都築さんと同じようになんて出来るわけないよな。ただ、都築さんの事をよく知っているつもりだったけど、正直知らないことの方が多いんじゃないかって、それが不安に繋がっていたのかも」
「知らないこと……」
結城は視線を落とし、深い溜め息をついた。
「どうかしたか?」
「私たちは柏樹さんの補佐であるのに、私も藤堂も柏樹さんの本当の顔を知りませんでした。信用されていなかったのかなって……。それでも、藤堂はなんとか疑惑を晴らそうと必死ですが、私は結構ショックで」
陽は依然として姿を眩ませている。藤堂より随時連絡は入るが、山梨の件で逃亡した奴らが多いため、藤堂もなかなかこのビルから遠く離れることが出来ないでいる。
藤堂は、それでも陽に張りついて行くと決意を固めていたが、久瀬がそれを止めた。これ以上危険な目に遭わせて部下を失いたくなかったのだ。
「そうか」
最も信頼していた上官の知らない姿。自分には話してくれるだろうという期待と自信。事実を知ったときの衝撃。それは、相馬も同じだった。
「……前に、桐谷三佐に言われました。私たちには、柏樹さんの背中を撃つ資格があると。柏樹さんのことは誇りに感じます。ですが、間違ったことをしているなら、やはり私たちが止めるべきだと思うんです」
背中を撃つ資格。きっと、陽もそれは覚悟していたんだろう。それでも戻ることはしなかった。それはおそらく上総も同じ。
「止めるべきか。そうだよな、それが正しいんだよな。でも、俺に出来るかなあ。都築さんを撃つだなんて。……俺に」
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