花魁護衛に堕ちました

彩崎わたる

序章

 朱色に塗られた格子の向こう――張見世はりみせの中に、彼女はいた。

 猛獣を閉じ込める檻さながらの張見世に、数人の花魁おいらんたちが艶やかな着物に包まれて座っている。格子の前には幾人もの男が群がり、花魁が身動きするたびに極楽でも目にしたような、俗っぽいため息を漏らす。


「はあ、たまらんなあ……」


「花魁。花魁。ちっとこっちも見ておくれよ」


 男たちの呼びかけに応じて、花魁の一人が色っぽい仕草で煙管きせるを吸ってみせた。

 たったそれだけのことに、辺りにはうっとりとした雰囲気が漂う。

 

 ここは江戸の吉原。男が女を買う場所である。

 夜の闇を払うように灯りが煌々こうこうともされ、提灯を持った男たちが目抜き通りをぞろぞろと行きかう。道の両脇には妓楼ぎろうや茶屋が立ち並び、張見世の花魁たちが誘うような目つきで、男の足を引き止める。


 吉原全体にふんわりと漂うのは、花魁たちが着物にきしめる香の匂いである。吉原以外では嗅げない匂いであり、それだけでどこか別世界にきたような気分になるものだった。


「花魁。浄化の依頼が入ったよ」


 見世の中から呼ばれ、一人の花魁が嬉しそうに張見世から出ていく。

 

 男たちから残念そうな声が上がり、麟太郎りんたろうはハッと我に返った。

 匂いに酔いかけていた頭を乱暴に振り、改めて視線を張見世へと向ける。


 他の花魁たちは男からの熱い視線を受けて妖艶に笑ってみせるのに、彼女だけは決してりんとした表情を崩さない。つんと澄ました顔には一分の隙もなく、美貌を誇る花魁たちの中で一際異彩を放っていた。


「あいつだ……」

 

 ぽつりと呟けば、まるで声が聞こえたかのようにその花魁はふと麟太郎へ視線を向けてきた。

 ゆったりとした気怠げな仕草からは想像がつかないほどその瞳は鋭く、射抜くように真っ直ぐ麟太郎を見てきた。

 視線が絡まった。瞬間、花魁がかれたように目を瞠った。


 そのときである。通りの向こうがにわかに騒がしくなり、数人の男たちがこちら目がけて猛烈に駆けてきた。考えるより早く、麟太郎は格子に飛びついていた。


「頼む! 俺を助けてくれ!」


 ――それが人生の針を大きく動かすことになった花魁との再会だった。

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