神々の樹海―――叛逆の女神たち―――

クファンジャル_CF

【オープニング】

【黒と銀と】

【三十五年前 樹海にて】



 曇天であった。

 大気は湿り、世界は霧に包まれている。重苦しい空気は、どこまでも広がっていた。時折雷鳴が鳴り響き、光が暗雲の中を飛び交う。そんな空模様に、突如として。


―――天にも等しき巨体が、降って来た。


 雲を裂いて現れたその胴体は大地へと激突。木々を薙ぎ払い、見渡す限りの樹海を震わせる。

 蛇。それを精巧に象った漆黒の巨像だった。素材は大理石のようにも、金属のようにも見える。まるで液体のように、反射する光が揺らめいていた。

 その巨大さは、宙に舞い上がった木々が木の葉かと思えるほどである。

 蛇は、ひと時もその場に留まっていなかった。咄嗟に転がったのだ。

 直後。

 大地に突き立ったのは、尖塔よりもなお長い銀の輝き。

 槍であった。

 二本。三本。立て続けに突き立つ槍から逃れるように、蛇は身を逸らす。

 そして四本目が蛇に突き立とうとした時。

 閃光が、槍を切り払った。

 雷のごとき早さで振るわれたのもまた槍だった。黒き短槍である。

 それを握るのは、蛇に跨る者。

 漆黒の女神。側頭部から二本のねじくれた角を前方へと伸ばし、一枚の布を巻きつけるようにした衣装を身にまとう。少女を象る巨像であった。

 その表情は分からない。仮面に覆われていたから。けれども、唯一外側から覗ける瞳に宿るのは、見まごう事なき憎悪。

 彼女は天にその視線を向けた。

 そこから舞い降りてくるのは銀の天使。戦衣を纏い、甲冑で身を守った大いなる女神像が、槍を手に急降下してくる。

 二つの槍がぶつかり合い、つばぜり合いの格好となったのは一瞬。

 銀の槍が震えた。いや、その主人たる銀の女神像の全身が、まるで波紋のように脈打ったのだ。

 効果は覿面だった。

 黒の槍。そして、槍を支える黒の女神の両腕が粉々に砕け散る。

 押し込まれた刃が突き立つその瞬間。

「この……裏切り者!!」

 黒の少女神が口を開いた。

 銀の槍はわずかに胴体を外れ、黒の女神の脚に突き立つ。

 間一髪で蛇の尾が動き、銀の女神像を強かに打ち据えた。

 弾き飛ばされた銀の女神像は木々の絨毯を切り裂き、大地へ新たな運河を刻み付けてようやく止まる。

 無理な動きで乗騎から投げ出された少女神は、負傷した脚で辛うじて立ち上がった。それを守るように立ちはだかる蛇。

 対する銀の戦女神は、その背から伸びる何対もの翼を最大限に広げた。

 その身を構成する流体が脈打ち、構成原子がこすれ合って大気を震わせる。


―――それは、音だった。


 凄まじい振動が、大気の疎密を作り出し、蛇の巨体と同調する。

 大都市すらも灰塵と帰すエネルギーが集中した。

 蛇が持ちこたえられたのはほんの一瞬。

 その彫刻のごとき体は粉々に砕け散り、かと思えば無数の雨となって大地に降り注ぐ。

 そこから飛び出してきたのは黒の女神。背からは幾つもの翼を広げて加速する。

 音をその場に置き去りにすると、少女神は頭からぶつかっていった。

 一対の角が銀の女神像へ―――その胸へと突き刺さる。

「ああああああああああああああ!?」

 銀の戦女神が初めて苦痛の悲鳴を上げた。音を流し込もうとするも、痛みで集中が千々となり、力が霧散してうまくいかない。

 少女神の目元が嗜虐的な笑みに歪んだ。突き込んだ角を、更に何度もねじり引き回す。

 それでも、銀の女神は少女神を抱きしめた。最後の力を振り絞って、その体が脈打ち出す。

 蛇を砕いたものとは違う。分子間結合を切断する超音波だった。

 先ほど己の両腕を破壊した音に、しかし黒の女神は耐えていた。その身に加えられるエネルギーの全てが、破壊力を発揮するよりも早く物質へと相転移されていたからである。

 これこそが彼女の権能。誰よりも己の死を願う少女神に与えられた、不滅のアスペクトだった。

「我慢比べと行きましょう?お姉さま」

 破壊の音か。不滅の呪いか。

 ぶつかり合う二つの超常の力。

 やがて雨が降り出し、組み合う両者の体に降り注いだ。銀の女神像に当たるそばから雨滴は蒸発。それはただでさえ濃かった霧をますます濃密にしていく。

 永劫とも思えた力比べは、銀の女神に軍配が上がった。

 突き刺さったままの角が爆裂。次いで、仮面が消し飛び、黒の女神像は後方へと吹き飛ばされる。

 戦女神も満身創痍だった。

 その胸から下腹部にかけては醜い傷跡が何本も走り、もし生き物であるならば息があるのも不思議、という有様である。

 それでも彼女は槍を手に取ると、トドメを刺すべく敵へ歩み寄った。

「あはははははっ!」

 哄笑を上げているのは端正な顔だった。彫刻であるにもかかわらず、その表情は実に生き生きとしている。

 黒の少女神は、露わとなった顔を向け、呪いの言葉を吐き出した。

「あなたと私。どこが違うというの?このおぞましい体を与えられ、破壊と殺戮をまき散らすためだけに作り変えられたのは同じだというのに。

何故。何故!!あなたが、あなただけが救いの手を差し伸べられたの!?

憎い。すべてが憎い。お姉さまも、あの男も。神々も。全てが憎い!」

 それは、魂の叫びだった。

 テクノロジーによって生み出された殺戮機械。かつてヒトだったもののなれの果て。神々の奴隷にすぎぬ不死の化け物。それが彼女たち、呪われた姉妹に与えられた在り方のはずなのに。


───この宿命から、何故姉だけが解き放たれたの?どうして私を救ってくれるひとはいないの?


 少女神の内を占めるのは憎悪。それ以上に、嫉妬。

 彼女を突き動かすのはもはや、創造主たる父王から与えられた命令ではなかった。魂に組み込まれた枷を破り、あの男を連れて逃亡した姉を───眼前の狂った殺人マシーンを滅ぼしたいという、強烈な欲求。

 対する銀の女神は、槍を振りあげる。

 兜に覆われたその顔は苦悩に満ちていた。

「―――ごめんなさい。私にはあなたを救えない。だから、せめてひと思いに」

 槍が振り下ろされる。

 少女神を串刺しとするはずだった一撃はしかし、大地に穴を穿つだけに終わった。

 銀の女神像の狙いは正確だった。それを狂わせたのは、彼女の脚に噛みつき、宙へと振り回した蛇。つい先ほど砕けたはずの乗騎だった。

「―――馬鹿な!?」

 少女神に与えられたもう一つの呪い。

 彼女を死から遠ざける、不死の乗騎であった。

 それは、銀の女神を大地へ叩きつける。一度だけではない。何度も何度も。

 まるで蛇に、少女神の憎悪が乗り移ったかのような光景だった。

 叩きつける回数が十をこえた頃には、戦女神の姿は無残なものになっていた。

 その翼は千切れ、右腕は切断され、頭部はぐちゃぐちゃに潰れている。

 蛇に足からぶら下げられた体は力を失っていた。

 黒の女神像は精神を集中。砕け散り、大地にまき散らされた流体が流れ込み、右腕を再び構築していく。

 立ち上がり、虚空から取り出した槍を握ると、彼女は銀の女神に歩み寄った。

 復元しきれていない右足を引きずりながら。しかしそんなことはもはや問題ではなかった。敵手は虫の息だ。

 恐怖を煽るようにゆっくりと近づく少女神の前で、戦女神は自らも槍を召喚。まだ繋がっている左腕でつかみ取る。

 僅かに残った力で、槍が投じられた。

 膨大な熱量をそそがれた短槍は、その熱運動―――本来バラバラな分子の運動方向が束ねられ、慣性を無視して飛翔。射出時の速度は、音の三十倍にも及んだ。

 だがそれだけ。

 来るのが分かっていれば、どれほどの速度だろうが躱すのは容易だ。

 少女神を掠めた槍は、雲を切り裂き、遥か地平線の彼方へと虚しく消えた。

「それで終わりですか?」

 嘲笑う黒の女神像。

 銀の女神は無言。

「ならば―――絶望と共に死になさい」

 憎き裏切り者を両断するはずだった槍は、しかし空を切った。

 銀の女神像が霧散したからである。

「―――!?」

 構造を維持できずに死んだ?―――いや、まさか。

 振り返った少女神は、槍が飛び去った彼方へと目をやった。

 もはや手が届かないほどに遠くへと消えた槍。

 いかに強大な力を持つ少女神と言えども、あれに追いつくのは不可能だ。

 逃げられた。まさかこんな手で!

 姉は、自らの本体と、そしてあの男を槍に乗せて逃がしたのだろう。

「おのれ……っ!」

 まき散らされる呪詛。

「おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 それは、降り注ぐ雨の中、いつまでも響き渡っていた。

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