20 義兄さん、怖いです

「で、やっぱり取り消しは難しいのか」

 帰ってきてから、ため息交じりに美都に聞く。


「はい、あの……やはりほとんど前例がないらしくて、取り消すなら今週土曜の昼の役員会議で審議が必要だそうです」

「土曜ってデート当日じゃん!」

 ううむ、お役所な天界の決定を待ってる余裕はないな。


「一応キャンセルの依頼だけしておいてくれ。ったく……お客さんが困ってる場合には、すぐにキャンセルできるようにした方がいいんじゃないか?」

「一悟さん、もう効力が発揮されてしまってるんですよ。それを直ぐに取り消すなんて、魔法じゃないんですから」

「だからその効力は魔法じゃないのかよ!」

 そのギャグ面白くないからな!



「でも、見たかった映画なんですよね? 悠雨さんとは行けなかったですけど、別にいいんじゃないんですか?」

「いや、確かに映画見れるのは嬉しいし、デートそのものがイヤだってわけじゃないんだけどさ……」

 問題があってね……主に相手の兄貴の方に……





「イチゴおおおおおおお! お、おま、お前というヤツは!」

 翌日。部活に入った途端に、獲物を捕らえるトラのような勢いで陽が俺に近づく。


「蜜と、フィオナと、デートで、2人で、密室の、イチゴは、土曜日で」

「陽、まずは単語を並べ替えろ」

 そもそも密室とフィオナはノー・リデンプションの単語だ。


「なんで蜜とデートすることになったんだよ!」

「いや、蜜ちゃんから一緒に行きませんかって――」

「ウソだウソだ! そんなのお兄ちゃんは認めないぞお!」


 泣きながらゴロゴロと床を転げまわる陽。兄貴の威厳は欠片もない。

 だからイヤだったんだよ、この流れ……。


「お前、まさか蜜を好きになったりするんじゃないだろうな?」

 ピタッと回転を止めて涙でぐしょ濡れの顔で質問してくる。いや怖いって。

「ならないっての、蜜ちゃん中学3年生だろ。そこまで飢餓状態じゃない」

「何だとお! 蜜に恋するだけの魅力がないって言うのか!」

 死ぬほど面倒くせえ……。



「イッちゃん、中学生とデートなんて不健全だよ!」

 また厄介な相手が1人。何故か朱夏も陽と同じくらい怒っている。


「ミッとんに続いて蜜ちゃんにまで手を出す気なの?」

「だからただ映画行くだけだっての。たまたま好きな映画が一緒だっただけでさ。別に俺はお前と一緒に行っても良かったんだぞ」

「ふぇ、そ、あ、へへ、一緒に映画! 頼まれたら行かないこともないけどさ!」


 そんな顔真っ赤にするほど怒ることかよ。


「反野、騙されちゃいけない。コイツは蜜を虎視眈々と狙って、『吾妻さんがお兄ちゃんだったらいいのに』とか言わせようとしている大馬鹿野郎だ」

「馬鹿はおめーだ」

 俺を何だと思ってるんだ一体。


「そ、そうだよね、騙されるところだった。イッちゃん、どうせ映画館の中で蜜ちゃんにエッチなことするんでしょ! 蜜ちゃんの靴下の内側にポップコーン詰めて『ほら、スゴいことになってるよ』とか囁くんでしょ!」

「ある意味スゴいことだな」

 どこがエッチなんだ!


「イチゴおおおお! そんな卑猥なことするのか!」

「お前も朱夏の菌が感染うつってるな!」

 だから全然卑猥じゃないだろ!



「時原君、朱ちゃん、あんまり部室でうるさくしないでね」


 軽く溜息をつきながら、文庫本を持った久瀬さんが来た。あ、あの文庫本、古本市で買ってたヤツだな。


「聞いた、ユメちゃん! イッちゃん、親友の妹を弄ぼうとしてるんだよ!」

「久瀬、ヒドいだろ? オレの妹を手籠めにしようとしてるんだぞ」

「悪意100%の説明をするな」

 俺は犯罪予備軍かよ。


「……あのねえ」

 両腕を掴む2人を振って解きながら、久瀬さんが続ける。


「一緒に映画見に行くだけなんでしょ? そのくらい良いんじゃない? やっぱり映画は趣味が合う人と行きたいしね」

「久瀬さん……」


 天使です! 皆さん、ここに生きた天使がいますよ!

 なんて素敵な人でしょう……妄想に汚れた2人とは大違いだ……。



「いいや、オレは不安だ。蜜みたいな可愛いヤツの隣を歩いてたらイチゴがどんな卑劣で下劣な行為に及ぶか分からん。それならオレがこの手で蜜を汚した方がまだマシだ」

「お前のシルコンは歪みすぎだぞ」

 結局お前が汚すことになってんじゃん!


「とにかく! 俺はそんな2人が心配だ!」

「アタシも! だから陽ちゃんと相談して、当日は2人で尾行することに決めました」

 …………は?


「反野、頑張ろうな!」

「うん! イッちゃん、アタシ達のオレらのことは気にしなくていいから」

「本気かよお前ら……」

 揃ってエイエイオーの掛け声を交わす朱夏と陽。

 ああ、映画は楽しみだけど、当日は不安だ。ああ、救いがないノー・リデンプション……。



「一悟、いよいよ親友の妹との禁断の逢引きですな」

「その表現やめてよ……」

 鞄の中身を確認する俺をニッシッシと笑うイチ姉。


 映画への期待とデートへの憂鬱さを全身に同居させつつ、あっという間の当日。

 イチ姉が帰って来てるので、美都は「都内のホテル取りました! 今回は浅草のあたりを観光して羽を伸ばします」と言っていた。誰が上手いこと言えと。


 一応魔法のキャンセルはお願いしておいたけど、今日の役員会議で審議するとか言ってたな。



「いやいや、お姉ちゃんは応援しますよ。陽君を『義兄にいさん』」と呼んで首の頸椎を殴られるも良し、陽君の前で『蜜さあ』とか呼んじゃって股間を蹴られるも良し」

「ちょっとは弟の心配してよ!」

 その究極の2択は絶対お断りだ!


「まったく、イチ姉まで不安を助長するようなことを」

「ま、せっかくのデートだ。恋愛云々考えなくてもいいから、楽しく過ごしといで。あ、これ、我ながら良い出来だから一口どうぞ!」

「ん、行ってきます」


 ヒラヒラと手を振って送り出してくれるイチ姉の特製のマドレーヌを咥えながら、乗換案内を検索しながら家を出た。





「吾妻さん!」

 駅前、柱に寄り掛かっていると、走ってきた蜜ちゃんがキキッと止まる。


「ごめんなさい、待ちました?」

「ううん、全然待ってないよ」

「お兄ちゃんが靴のインソール全部隠してて、出るの遅くなりました」

「あー、今のアイツならやりそうだな」

 陰険、ここに極まれり。


「よし、それじゃ行こっか」

「はい、今日はよろしくお願いしますね!」

 なんだかんだ言ってワクワクだな。イチ姉の言う通り、どうせなら楽しんでいこう!


「晴れてよかったですね」

「うん、雨だったら移動も大変だからね」


 梅雨明けを前に、夏のシーンを予告編として見せられているような暑い快晴。

 空にはボリュームのある雲がボンと1つ悠然と浮かんでいる。


「映画館で映画なんて久しぶりだなあ」

 電車でファッション誌の中吊りを見ながら呟く蜜ちゃんをまじまじと見る。


「そのカッコ、似合うね。蜜ちゃんやっぱりオトナっぽくなったわ」

「ホントですか! えへっ、ありがとうございます」


 ニコーッと満面の笑みを浮かべる。

 そんなに喜んでもらえると褒めたこっちまで嬉しくなるな。


 白いTシャツの上から淡いピンクのリネンシャツ、薄手の黒いバルーンスカート。今日みたいな夏の晴天にはピッタリの服装だ。



「ちょうど電車来るな」

「はい、乗りましょう!」


 楽しそうに前を歩く蜜ちゃんに招かれ、改札をくぐった。

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