第9話最弱の強敵

最初はよく理解できなかった。なにか見間違えているのかな?と思うほどに。

 そして、理解しようとしなかった。いや、したくなかった。今自分たちが置かれている状況に。

 私たちは、ただ、王都に行き、買い物をすませ、フランとお話しして、美味しそうなぶどうを食べて姉妹仲良く・・・とまではいかないが、それでも楽しく二人で生活していて、これからもそれが続くはずだった。

 目の前にいる『やつ』が現れるまでは。

 それは、私が玉ねぎを拾ってそららに話しかけようとした一瞬だった。

 そららが動かなくなっていた。いや、動けなかったんだと思う。

 私たちと対峙するかのように見慣れない人影が木々の間から姿を現していた。

 赤褐色の肌。

 小さくも、つり上がっている赤い目。

 豚のような鼻。

 耳が尖っていて、人間のそれとは違う。

 口元からは唾液が垂らし、

 体には汚らしい布をまとっている。

 手には輝く真新しい剣を携え、

 二足歩行ではあるが、獣のように歩いている。

 私も【やつ】を見たときに動けなくなってしまった。緊張と、どうしたらいいのかがわからない。

 そららは相手の動きをただずっと見つめている。

 再び強い風が吹き、生臭い臭いが鼻につく。

(すごく臭い。気持ち悪い・・・)

 一瞬の気の緩みでバランスを崩し、買い物袋から玉ねぎが再び落ちてしまう。

 トン、トントントトトン・・・。

 3つくらい連続で落ちて転がっていく。今度は前に・・・。そららの横を通り過ぎる玉ねぎ。

(ド・ジ!)

 そららが口パクでそういった気がする。視線が痛い。

 私は何も言い返せずに恐る恐る【やつ】の顔を見た。

「っひ!」

 視線があった。・・・気がする。赤い小さな目が、私を見ていた。その場に尻餅をついてしまう。

 【やつ】はゆっくりとこっちに向いて私たちを見ていた。あたりはどんどん闇に覆われてきている。

 風が吹くたびに、茂みや木々が揺れ、何もいないのに人の気配を感じ視線を送ってしまう。何人にも囲まれた気持ちだ。

「い、いやだ・・・」

「し、静かに。」

 足が、震える。手に持った買い物袋が音を立てているのが分かる。手が、震えている。

 くちびるを噛み締めてその場で動けなくなる私。そららはただ、無言で立っている。スカートの下から見える足が少し震えているのが分かる。

「逃げるよ。走れる?」

 前を見たまま、そららはゆっくりと後退している。

 ずり足で、少しづつ、少しづつ。

「うん、でも、あ、足が震えて・・・・」

 震えの止まらない足。見たことのないモノに対し、身体が言うことを聞いてくれない。

 【やつ】はフガフガと臭いを嗅いでいるのか?呼吸をしているのかよくわからないけど、豚がなくような音を出している。

「このままじゃ、ローラが来るか、ゴブリンが仲間を呼ぶか、あいつがうちらを襲って来るか・・・。何が起きても不思議じゃない。だったら。街まで逃げよ。全力で。もしかしたらローラに会えるかも知れないし。その可能性に信じてみよ?」

 そららは私の隣まで後退してくると、大きく深呼吸をしていた。

「怖いね?お姉ちゃん」

 こんなときまで、無理に私を勇気づけようと笑ってくれる。

 その時、やつが動いた。


 ぐうぅうおぉおぉぉ!!


 見た目の通り獣が哭なくような声を上げて、剣を振りかざして走ってきた。

「逃げるよ!!お姉ちゃん!」

 そららは私の手を取り走り出した。二人共買い物袋を投げ出して、ただ、全力で王都へと走った。

 はぁ、はぁ、はぁ

 無我夢中で走ると、視界に映る景色と、実際の体の行動がチグハグになってしまい転びそうになる。

 気持ちばかり焦って、体が前に進まない。頭では前に行こうとしているのに、体がついてこない。

 後ろを振り返ると、やつ。【ゴブリン】の姿が見える。距離は遠くもなっていなければ縮まってもいなそうだ。走るスピードは同じなのか・・・。

 でも、王都まで戻るのにはいくらか結構距離が長すぎる。約20分歩いた距離を戻らないといけない。しかも今度は走って。そららの体力が持つわけがない。

「そら・・、だ、だい、・じょぶ?」

「・・・」

 私の問い掛けに首を横に振るだけのそらら。彼女も限界が近そうだ。


 ぐごおおぉぉぉぉ!


 相変わらず叫びながらゴブリンは私たちを追ってきている。

 足音が重く響いて余計にプレッシャーを感じる。


 不意にそららが立ち止まる。

(やばい!ばてちゃった!?)

 私も立ち止まりそららの元へ行こうとする。

「なにしてるの!?はやく!!」

 そららは深い深呼吸を何回かして、ゴブリンの方へ向き直った。

「風の精霊シルフ。我は汝の加護を受けし者。我が魔力と引き換えに、彼の者を捕らえる戒めの鎖を。」

 そららの周りの空気が乱れる。さっきまでゴブリンの方から吹いていた風の流れが変わった。

 目には見えない何かが、そららの周りに集まっていく。

 ゴブリンも見えない何かを感じ、その場で立ち止まり、こちらを警戒している。

 そららのメイド服がバタバタと煽あおられている。髪も乱れ、何かが起ころうとしている。私もその場で立ち尽くしてしまう。

 唾液が飲む音が耳の奥で聞こえてしまうほど、彼女の様に見とれてしまう。

(これが、魔法。)

 刹那、

「捕縛しろ!バーグハンド!」

 彼女の周りにあった何かが一気にゴブリンめがけて襲いかかる!

 木々を揺らし、茂みの上を走り抜く。

 ゴブリンは見えない何かに怯えるように剣を振り回す。が、そららの放った【それ】に身動きがとれなくなってしまう。

 振り回していた剣、足、身体、顔。全ての動きが止まり、それは空気が固まる。いや、凍りつくような感じだった。目がこちらを睨みつけるように私とそららを捉えている。

「今のうちに、逃げるよ!そんなに持たない。あと数秒くらいしかない」

 そららは再び走り出した。私はゴブリンを見ていて一瞬遅れたがそららに続いた。

 王都まで、もう少し。このまま逃げ切りたい。

 魔法が気になった私は少し走ったあとに振り返ると、そこにはゴブリンの姿はなかった。




 王都へ着くと、急いで王城へ戻った。街は闇に飲み込まれ、所々に明かりが灯っていて薄暗い。

 さっきの【襲撃】を経験した今、街の中でも不安は拭えない。

 西門から王城の入口へ最短距離でそららが進む。私はそのあとを必死についていく。

 人がいなくなった市場には静けさが溢れ、私たちの走る音が虚しく響いていた。

 お昼に寄ったぶどう屋。昨日行ったケーキ屋を過ぎていくつかの細い路地を抜け、突然曲がり角でそららが吹っ飛んだ。

「うぎゅう!!」

 そららが潰れたような声を出して後ろに倒れるように尻餅をつく。何かに跳ね返されたようだ。

 私は立ち止まり、そららに駆け寄ろうとしたとき

「だ、だいじょうぶ?そんなにあわてて。」

 そこにいたのは赤髪の女剣士、ローラだった。

 思いっきり尻餅をついたそららは、ローラの顔を見てその場にそのまま倒れ込んでしまった。

 私も疲れたのと、緊張の糸が切れその場に座り込んで胸をなでおろした。

『たすかった~』

 二人でいっせいに笑い出す。笑いが止まらない。

 ゴブリン1体に人生の終わりも予感してしまった。初めて見るモンスターは刺激的だった。

 それは、見たこともない生き物だった。

 豚でもなく、猪でもなく、人間でもない。あの雄叫びにも似た声は獣が襲いかかる時の咆哮そのものだった。

 あの生臭い臭いはまだ鼻に残っている。

「あんたたち、フランに帰れって言われたんでしょ?なんでもまだ王都にいるの?ってか、どうしたのよ、その格好」

 自分の体を見てみると、逃げているときは夢中で気がつかなかったけど、かなり汚してしまったらしい。

 土だらけの手。

 泥や砂が付いた靴、足もだいぶ汚れている。

 洋服も葉っぱに擦れたりして緑色の汚れがあちこちに出来ていて、枝か何かに刺さったのか服が切れているところさえある。

 手のひらや、足にも切り傷やスリキズがある。

 髪もかなりバサバサになっていたが、そららに至っては私よりもすごい。

「そ、そんなことより、ゴブリンです!ゴブリンが出ました!お屋敷へ帰ろうと道を歩いていたら、突然。玉ねぎを拾っていたら、急に目の前に現れて、それで、急いで戻ってきて、そららがローラに会えるかもしれないって。だから」

「はいはいはい。お姉ちゃん。それじゃわからないよ。」

 そららがむくっと起き上がって私にムリムリ、と手を振る。

「ローラ様、このような姿で申し訳ございません。ヴィルサーナ領、西の街道にゴブリンが現れました。フラン様より、ローラ様が護衛に来てくださると伺いましたので頼りに王都まで戻ってきました。途中ゴブリンは再び林に消えたようです。どうかフラン様にこのことをお伝えください。」

「なるほど。ゴブリンが西の街道に・・・。フラン様に至急報告しなければならないが、私にふたりの護衛を言われてから外出されていて連絡が付かない。とにかく、王城へ戻ろう。歩けるか?」

 ローラはそららに手を出し、立ち上がらせる。私も立ち上がり、二人のものとへ近づいていく。

 あの時はあまり気にならなかったが、こうやって改めて見ると、お互い結構汚くなっている。

「頼もしい姉妹だ。急いで城門へ向かおう。」

 そららが私の手をギュッとつないでくれた。これでゴブリンの危機からは救われたようだ。

「あ、」

 私はせっかくのこの雰囲気の中、あることに思い出した。

「なに?きらら。また変なこと言うの?」

「どうしたんだ?」

 二人の視線が集まる中、正直どうでもいいことだったので悩んだが、

「買い物袋・・・なくなっちゃった。」

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