第34話 「ドラッグコレクター」


「尿検査で一発だったそうだ。覚せい剤所持・使用の現行犯もコミで、起訴決定。検察に送致しておいた」

「スピード解決ですね」

「そりゃあ、現行犯で冤罪の出ようもないしな。部屋にも山のようにクスリがあって、証拠も取り放題。捜査するには簡単なヤマだった。ただなあ、最初に襲われた被害者はまだ集中治療室で意識が戻らないそうだ。可哀想に、運がねえよな」


 通り魔事件というのはそういうものだ。

 誰にでも平等という訳ではなく、ただ単に事件発生時にたまたま巻き込まれただけの運が悪い人たちでしかない。

 襲われたことは一生消えないトラウマになるかもしれないし、今回の被害者のように下手をしたら深刻な障害をかかえる可能性もある。

 しかも、相手が薬物中毒だとしたら心神喪失で無罪の可能性もあるので、やられ損で終わってしまうかもしれないのだから。

 医療刑務所に放り込むだけで終わるというのは僕らも納得はできないが。


「まさか、ライターの肩書を使って違法薬物のコレクションをしていた異常者だってのは意外でしたね」

「ああ、そうだな。ヘロイン、コカインだけじゃなくて、エクスタシーにメサドン、プロザック、俺でさえお目にかかったことのねえ珍品がたんまりあったのは驚いたぜ。鑑識の連中も眼を剥いていたな」

「末端価格はどのぐらいなんでしょうね」

「さあ、全部調べるのにも相当時間がかかるようだから売ったらいくらかわからんが、量よりも種類で価値は跳ね上がるんじゃねえか」


 平川拓也という男は、闇のルポライターとでもいうべき男で、裏社会に精通し、それだけでなくて多種多様なドラッグを蒐集する奇人だったのである。

 最初は記事の資料のつもりだったようだが、そのうちに合法・違法を問わずにクスリを集めまくった。

 その体験レポートなんかもダークウェブあたりで発表したりしていた形跡もあったが、最終的にはただの薬物中毒者になって傷害犯になったという訳である。

 おかげで不謹慎なことに家宅捜索はだいぶ盛り上がってしまった。

 地下にあるうちの鑑識も手続きや検出で大忙し、いくつもの証拠が科捜研に回され、今頃は成分分析されていることだろう。


「とりあえず、塀の中に突っ込んでおけたのでいいじゃないですか」


 新人君はお気楽だ。

 まだあまり深刻な事態というのに遭遇していないので、刑事としては揉まれて叩かれていないからだろう。

 きっと、昔の僕もこんな感じだったのだろう。

 僕が曲がりなりにもまともな警官になったのはそういえばいつからだろう。

 藤山さんと佐原先輩に仕込まれて……色々な本庁の一課の刑事たちに教えてもらって―――


『やあ、久遠くんじゃないか?』


 怖気が走った。

 頭を激しく振った。

 違う。

 断じて違う。

 僕が成長したのは、あのおかしな狂人の捜査(という名の茶番)に付き合わされた結果ではない。

 あの人との付き合いは決して僕にとってプラスになるようなものでは―――


「ここに来るのは久しぶりだなあ!」


 ああ、ヤバい。

 聞きたくもない幻聴までしてきた。

 もしかして僕もクスリを使用してしまったのか。

 こんな悪夢みたいな声がリアルに耳に入ってくるとは!

 好きな言葉は希望なのに!


「やあ、久遠くん、久しぶりだねぇ。元気にしていたかい?」


 くそ、消え去れ、幻覚め!

 僕は決して屈しないぞ!


「どうしたんだい、豆が鳩鉄砲を食らったような顔をして!」

「どっかで聞いたようなボケはやめてください」


 思わず幻聴にツッコミを入れてしまった。

 同時に顔をあげて、そっちを向くと、幻聴どころか幻覚まで視えてしまった。

 僕の天敵―――降三世明警視が名状しがたい笑顔を浮かべて突っ立っていた。


「……本物だあ」


 膝が抜けそうになった。

 どうしてまたこの人がうちの署にやってきたのか。

 門番は何やってんだ、気配を感じた途端に銃で撃てよ。

 

「なんだね、遠方から友がやってきたというのにその不景気な顔は。まったく、そんなだから君はそんななんだよ」

「放っておいてください……」

「わかった。放っておこう。では、また」


 と、警視は踵を返して出ていこうとする。

 非常に珍しい反応だ。

 警視の生態にはいまだに詳しくないが、こういうさっぱりとした動きをするタイプではないことはわかる。

 なんだ、どうして、さっさと立ち去ろうとする。

 まるで逃げるように……


「ちょっと待ってくだ……さい……あの……警視……どの……あの、あの―――」


 突然、脇から現れて、警視に縋りつこうとして、ひっと恐ろし気にのけぞったのは鑑識係の女巡査であった。

 本庁の所属とは違い、所轄の鑑識というのは基本的に何でも屋で、様々な事件に駆り出されるため面識は多い。

 まだ、二十代半ばで可愛らしいタイプで、真面目な子だ。

 その子が、両手を警視に向けて伸ばそうとしては引っ込めるみたいな行動を繰り返している。

 どうやら力づくでも止めたいのだが、降三世警視の恐ろしい噂とか実際のとんでもない奇矯な言動を知っているために、手が止まってしまうのだ。

 半径二メートル以内に近づくのがやっとというのが、いかにこの人が嫌われまくっているかわかるというものである。

 本庁の受付の婦警もこんな感じだった。

 ただ、必死なのはわかった。

 涙が眼もとに溜まっているが、どうしても警視を止めたいのだろう。

 鑑識係にはいつもお世話になっているし、ここは僕がやるしかないか。


「ちょっと警視どの。待ってください」

「なんだい。放っておいて欲しいのか、構って欲しいのかどっちかはっきりしてくれないと私が困るんだが」

「困りはしないでしょう。―――鑑識からいったい何を持ち出したんですか。彼女に返してあげてください」


 すると、警視はにやりと笑った。

 悪魔みたいだな、ホントに。


「待ちたまえ。私が何を持ち出したというんだい?」

「さあ、何かまでは正直なところわかりません。僕は警視みたいに千里眼ではないのですから。ただ、うちの署の鑑識に迷惑をかけてもらっては困ります」

「ふーん、では君が『何か』を的中させれば考えなくもないかな。さあ、当てたまえよ」


 やられた、ゲームを仕掛けられた。

 黙ってお高いスーツのポケットを探って、強引に中身を取り出してやればよかった。

 実際には、警視庁の上役にそんな真似はできないけれど。

 ただ、なんとなく―――想像はついた。

 こんな真似、前までの僕ではできなかったと思う。


「―――昨日の通り魔事件ですね」

「根拠は」

「昨日の今日で、警視が興味を持つような事件はそれしかないからです。それに鑑識にはまだまだ調べ終わっていない証拠が山のようにあります。中にあなたの目的のものがあってもおかしくはありません」

「そりゃそうだ。で、ブツは?」

「おそらく二重のガラスに詰められた茶色い粉じゃないかと思います」

「理由は?」

「刑事の勘です」

「ほほお」


 そういって、降三世警視はわざとらしく剽軽な表情をした。

 僕を揶揄う気なのか、それとも普通に賛辞なのか。

 なまじ美男子だから腹立たしい。

 彼はポケットから、僕の指摘した通りのものを取り出して、翳して見せた。

 ガラスケースに入った茶色い粉だった。

 平川の机の上にあったものと一致している。


「なんとなんと、あの久遠くんが成長したものだ! 私の行動を読み切るとは! 藤山刑事、あなたの指導鞭撻は確かなもののようだね! あんなにも役立たずのお荷物だった久遠くんがこんなに立派な刑事になって、私は素直に嬉しいよ!」

「―――褒める気ないな、この人」


 この様子から見てゲームには勝てたようだが、鑑識から奪ったものを警視は返そうとはしなかった。

 代わりに、警視は懐から一枚の紙を取り出して、鑑識の女の子に渡す。

 おそるおそるそれを受け取り、中身を読んで目を丸くする。


「これって……科捜研への依頼書ですか……?」

「ああ、そうさ。私から科捜研にこの粉の分析依頼を出して、それが正式に許可されている。どのみち、今日中に君らが科捜研に送らねばならないブツだから、私がわざわざ引き取りに来てあげたのさ。だから、ここで君に返す必要もないし、私の後をインプリティングれた雛鳥のように追ってくる必要もないという訳だ。わかったかね?」

「は、は、はい……。で、でも、それはただの土……」


 鑑識の女の子は抵抗しようとしたが、食い気味に遮られた。


「では、さらば。―――おや、なにをぼけっと突っ立っているんだい、久遠くん。さっさと車を出す準備をしたまえ、私を桜田門まで送るんだよ」

「え、なぜ、僕が?」

「君は刑事である前に私の運転手じゃないか! さあ、その職責を果たしたまえよ」


 ―――という相変わらずの傍若無人な警視の要請に従って、僕は泣く泣くパトカーを用意して、運転手をする羽目になったのである。

 鑑識の女の子が少しだけ見直したように僕を見送ってくれたのだけが救いであった……



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