ショート番外編 「魔薬事件」
第33話 「白昼の通り魔」
事件は、駅前の大通りで起こった。
とある雑居ビルの入口から通行人のひしめく通りへと現れた男は、しばらく立ち尽くしたあと、数日前の積雪のときに使われて放置されていたスコップを掴んだ。
男はそのまま躊躇することなく、通行人の一人に背後から襲い掛かり、スコップのシャベル部分で殴打した。
何度も何度も執拗に叩き続け、止めに入ろうとした勇気あるサラリーマンたちにすら牙を剥き、最後には遠巻きに見つめ続ける野次馬にまでスコップを振るった。
事件の発生から8分ほどで駅前の交番から警察官が駆け付け、説得に当たったが、それで収まる様子もなく、かといって人通りの激しい場所で発砲するわけにもいかず、男が最終的に確保・制圧されて傷害罪で現行犯逮捕されるまでには20分を要してしまう。
この事件ででた負傷者は七名。
最初に背後から襲撃された男性は救急車で運ばれ、意識不明の重体のまま集中治療室に運び込まれた。
白昼の駅前で起きた通り魔事件。
被疑者は薬物中毒患者だろうと推測された。
なぜなら、凶行の最中に男はずっと意味不明の言葉を口走っていたからである。
口から泡が出るほどの異常な形相で、男は何度も同じ言葉を口にしていて、目撃者の証言もほぼ一致していたことから内容はほぼ確定されたと言っていい。
僕が所轄の強行犯係として臨場したときに聞き込んだのは、
『ああ、ああ、なんなんだ、なんなんだ、ゼリーみてえな縄が浮いてやがる! どうして、てめえらは平気なんだ…… おかしいじゃねえか! あんなものがくっついているのに平然としていやがるんだ! 化け物、バケモノ、ばけもの……おい顔があるじゃねえか? 一番上に顔がある。あれだあれだあそこが弱点に違いねえぞ。顔だ、顔を殴るんだ……!』
であった。
各目撃者が聞いたものはだいたい断片的なものばかりで、しかも男は呂律が回っていなかったせいでゼリーだの顔だのは今一つはっきりしていないが、意味のある文章として並べてみたらこういう内容になったという訳である。
男は彼にしか見えないらしい透明なものに対して、それを始末するために凶器を手にしたという訳だ。
本人的には正当防衛というか、良いことをしたつもりなのかもしれない。
ただ、それは誰にでもはっきりとわかる、薬物中毒者のたわごと以外のなにものでもなかったのである。
◇◆◇
「―――要するに、ヤク中の幻覚だろ。皮膚の下から蛆が湧いて出るのが視えるみたいなもんだ。クスリに頭をやられた奴にしか視えないものってことさ。透明なゼリーも縄も。もっとも、まあ、真面目な話、透明な何かなんてもんが見えていたとしたらそりゃあ完全に妄想だろうよ」
確かにそうだ。
幻覚が視えてる人間が「透明なものが見える」といっても、見えているのか透明なのかさえはっきりいって区別ができない。
透明なものをどうやって視界にとらえているんだ、ということになる。
つまりは、すべてが幻という訳だ。
幻に対して攻撃を続けて、結果として人を傷つけた通り魔による犯行が今回の事件である。
僕らは被疑者も被害者もいなくなって、署の鑑識がそれらしいものを捜査している傍でぼうっとしていた。
いつもの殺人事件などに比べると、もう解決済みといってもいい事件であり、僕らのやることはもうそんなに残っていない。
隣の署から鑑識の応援が来てくれているし、あとは被疑者の身元を調べて、調書をとって、検察に任せるだけのルーティンワークだ。
「藤山さん、久遠先輩、犯人の部屋が特定できました」
うちの係の新人くんが少し髪の薄い小柄な中年男性を引き連れてやってきた。
僕たちを見て小さく会釈をしてくる。
作業着のようなものを着ていた。
「このビルの管理人です。犯人のことを知っているそうです」
ビルの受付あたりにある管理人室にいたところを、まず機動捜査の刑事に話を聞かれ、だいたいの事情が判明したところで、刑事課の新人君に引き継いだのだそうだ。
別に新人君のお手柄でもないのになんだか得意げである。
「被疑者の男、ご存知なのですか?」
「五階の504号室にいる平川さんだと思います。オフィス兼住居ということで一年ほど前から借りられています」
「平川何さんですかな?」
「……確か、拓也だと」
「オフィスというと、お仕事は?」
「ライターだと聞いています。直接、聞いた訳ではないんですが…… インターネットに記事を書いているらしいと」
インターネットに記事をあげるライターか。
WEB上には足で取材しないで、ネットの書き込みだけで憶測記事を書くライターがたくさんいる。
犯人もそういう類いの連中だろうか。
気を付けないと、ちょっと先入観が入りそうだった。
「部屋を見せてもらっていいですかな。……新人、一応、こういう場合の令状はどうする?」
「現行犯逮捕に基づく、緊急処分としての無令状捜索ですか。逮捕の際の時間的・場所的にも近いですし、薬物事案なら認められると思います」
「正解だ。犯人は決まっていて、ヤサは目の前だ。令状はいらねえ。まあ、あとで念のために出してもらうがな」
藤山さんはどうやら新人君をきちんと育てるつもりらしい。
僕のときにも似たようなことをしていた。
すると、僕は佐原先輩のポジションになるわけか。
佐原先輩みたいにやれるとはまったく思わないけれど。
「案内してください」
僕たちは管理人に案内されて、504号室に向かった。
狭くて自然光のささない廊下の一画にその部屋はあった。
入り口に「平川」と表札がある。
今時珍しいが、とりあえずオフィスも兼ねているというのならばプライバシーはある程度犠牲にせざるを得ないのだろう。
管理人がマスターキーを差し込もうとするのを制して、僕たちが左右に並んだ。
もし中に誰かがいた場合の用心だ。
鍵を開けるのも藤山さんが行う。
アメリカのドラマなら拳銃を構えるところだが、日本ではそうはいかないので拳に力を入れて呼吸を整えるだけですませた。
「平川さん、警察のものです」
インターフォンにも反応がないので、鍵を使って玄関扉を開いた。
「甘い臭いがするな」
「大麻ですかね」
「ありえるな。相手はヤク中だ。気合い入れろよ」
藤山さんが扉を引くと同時に僕が身を滑り込ませる。
チェーンはついているがかかっていないということは、内部には誰もいない可能性が高い。
靴も脱がずにどかどかと上がり込む。
ユニットバスがついた、2Kのいかにもな住居だった。
玄関すぐは散らかりまくった事務所兼仕事場のようなので、奥の部屋が寝室だろう。
何処にでもあるスチール机の上はパソコンと資料で埋まっていたし、キッチンは汚れた食器とコンビニ弁当のゴミでいっぱいだ。
そのまま中に入る。
クスリをやっていた場合、仲間がいたのなら証拠隠滅を図られるおそれがあるので一気呵成に押し込む必要がある。
多少の危険は無視して突入するしかない。
「―――誰もいないですね」
警戒に反して、寝室には誰もいなかった。
念のため収納も確認してみたが誰かが隠れている様子もない。
「トイレにもいませーん」
ユニットバスのチェックをしていた新人君が間の抜けた声で言う。
ベランダはないし、窓が開いている様子もない。
どうやら、仲間はいないようだ。
「でも、まあ、これが確認できればいいか」
僕はベッドの脇にある小さなテーブルの上にある器具を見て安堵した。
わかりやすい「炙り」の器具が無造作に置いてあったからだ。
明白なまでの証拠物件。
覚せい剤の使用はこれで立証できる。
「藤山さん、あとはあいつの小便から覚せい剤反応が出れば終わりですよ」
「だな。ヤバ姫様も喜ぶぜ、すぐに解決だってよ」
「ですね」
これ以上、現場を荒らすわけにもいかないので僕はそっと玄関へと向かう。
下で色々とやっている鑑識に来てもらって、色々と採取してもらおう。
そのとき、平川被疑者の机の上にあるものに目がひきつけられた。
そんな大したものじゃない。
だが、最近やたらと育ってきた刑事の勘というものに引っかかったのかもしれない。
「なんスか、先輩」
「ああ、これなんだけど」
新人君が背後から覗き込む。
「おっと、証拠発見じゃないですかあ? しかも、結構な量ですよ。末端価格でも凄い額になりそー」
「ご禁制の品をこんなところに放り出しておくものかい」
「でも、ガラスケース二重重ねにしてんですから、厳重そのものじゃないですかあ。……茶色く変色しているから不良品かもしれませんけどね」
「白い粉でないと覚せい剤という気がしないな」
それはガラスのケースの中にさらに透明な小瓶に詰め込まれた茶色い粉末であった。
雑然と積み重ねられた山ような資料とラップトップの脇に、どことなく宝物のように置かれたそれがやたらと僕の記憶にこびりついていた。
いかにも怪しいという品であったからである……
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