第16話「謎の種族」



 降三世警視の信仰問題管理室を訪れるのは初めてだった。

 警視庁自体には何度かやってきたことがあるけど、少なくとも本来の用事をそっちのけにしてあの変人警視に会いに行くつもりはなかったので、これまでは悉くスルーしてきたからだ。

 あっちも別に僕に会いたいわけではないだろうし。

 とはいえ、友達がまったくもっていなさそうな人だから、もし万が一、いや万が一プラス一ぐらいの割合で彼が僕のことを友達認定していたらマズいことになるけれど。

 地下ということで電灯が煌々と照っているだけの息苦しい廊下を抜けると、わりと端っこに管理室はあった。

 入口は予想以上に普通のオフィスっぽい。

 そういえば、信仰問題管理室には降三世警視以外の職員はいるのだろうか。

 僕だったら、あんな上司の下で仕事はしたくないなあ。

 たまに所轄として協力するだけで、僕でさえヘトヘトになってしまうのだから、四六時中一緒になんていたくないね。

 やはり上司の人柄は大事だ。

 職場はやり甲斐と楽しさがないと。

 ドアの前に立つと、「ノック不要」と張り紙がしてあった。

 意外と達筆なので、すぐに見覚えのある警視の字だとわかる。


「失礼します」


 中に入ると、やはりというか、さすがというか、驚きしかなかった。

 半分が書庫で、半分が物置。

 高い書架にはぎっしりと本が詰まり、机と来客用のテーブルにも書物が山積みになっていた。

 あらゆるところが本だらけ。

 ざっと見たところ、七から八千冊はあるだろう。

 しかも、すべてが分厚くて古めかしい、文庫の類いはほとんどなかった。

 以前、降三世警視が言っていた自慢が真実なら、この中には最低でも一冊か二冊は幻といわれるオカルト界の宝のような本が混じっているはずである。

 ……僕にとっては何の意味もないけれど。

 書庫の反対側は便宜上物置と評したけれど、こちらは書架に比べればかなり整然としていた。

 ガラス張りのボックスを積み重ねたようなケースが幾つも立ち並び、そこに物品が色々と納められている。

 学校の理科室や大学の研究室を思わせる場所だが、それよりはずっと整理されていて、まとまっている。

 中に入ってるものは、不気味な標本や使い方のわからない機械のようものが多く、丁寧なラベリングがしてあった。

 本に比べて扱いがいいと思ったが、あっちは何度も読み返すために出したり仕舞ったりするのに対して、こっちは一度納めたらそのままだということからだろう。

 とはいえ、どちらもプランに沿って行われているの確かだ。

 この整頓プランは警視のものだろうか。

 中に何が入っているかと、近づいてみようとしたら、書庫のブースの奥の方から声がかかった。


「おや、久遠君じゃないか。どうして、私の遊び場で三面怪人ダダのように突っ立っているんだい? ははあ、君は実は偽物だね!」


 すいませんが、意味のわかる挨拶をお願いします。

 ちなみにどこからツッコめばいいのか皆目見当がつかないので、解説もできたら頼みます。


「僕の顔はあんな白黒の幾何学的な縞模様にはなっていません。……お久しぶりです、降三世警視」

「いや、私はダダには格別の思い入れがあってね。それと比較できる君のことを高く買っているんだよ! なんて、いい話だろう!」

「知り合いをメトロン星人やガッツ星人扱いしたら、即座に殴られて怪獣墓場行きになりますよ」

「くっくっく、望むところさ。私の百八つある望みの一つは、いつか世界か次元の端に行きたいというものだからね。怪獣墓場がそこにあるというのならば行かずにはいられないね!」


 普通、人間は百八ある煩悩を消し去るために努力するのに、この人は好きなことを百八叶えたいだけなのかあ。

 その中に「久遠君と友達になりたい」という項目がないことを神に祈る。


「ところで、どうしたんだい? ―――いや、わかった。私の泡立ち爛れた雲のような脳みそが告げているぞ。君が私に助けを求めにきているに違いないとね!」


 頭蓋骨の中がクリームシチューになっている人の言うことは一味違うな。

 助けを求めている訳じゃなくて、少し参考意見を貰いに来ただけなのに。


「さあ、腰掛けたまえ、そこに来客用の椅子がある!」


 どうみても本が山積みしてあるだけだけどね。

 これを椅子という感性に僕はびっくりだよ。


「失礼します。随分と状態の悪い椅子ですね」

「そんなことはないんじゃないかな」


 基本的に降三世警視に皮肉は通じないし、嫌味はスルー(いや、たぶん頭に入っていないのだ)だ。

 とはいえ、階級が遥かに上の人間の勧めに乗らずにはいられないので、僕は本が十冊ぐらい積んである上にハンカチを敷いて座った。

 グラグラするじゃないか。

 これだったら座らない方がマシなような気がする。


「茶は出さないよ。今は、この管理室のもう一人の職員が外出してていないのでね。ちなみに私に家事や事務作業ができると思っているのならば、人生で初めてぐらいのことになるが挑戦してみてもいいぞ」

「謹んで辞退いたします。キャリアである警視殿にそんなことはさせられません。……僕も死にたくありませんので」

「そうか。それは残念だ。この間、別件で実に怪しいお茶の葉を仕入れたので、一緒に飲む相手を探していたのだが残念だ」


 なんてものを飲まそうとするのかナ!

 まあ、一緒に飲んでくれるというだけ、この変人にしては付き合いのいい方かも。

 一方的に人体実験の被験者にされたらたまらないしね。


「でも、思ったよりは整理整頓されているんですね」

「まあね。私の部下がわりとまめなタイプなんだ」

「部下、おられたんですか」


 そっちも驚きだ。

 こんな上司のもとで少しでも勤められるなんて、どんな聖人か大物か、怪物なんだろう。


「うーん、新卒で来たからもう三年目か」


 三年!

 この上司の下で三年!

 信じられない。


「へえ、―――すげえ、一キロぐらい遠くから双眼鏡で拝見してみたい」


 そこまで行くと実際に接するのは逆に怖い気がする。

 どんな偏狂な人なのか想像もできない。


「で、久遠君はどんな助けを求めているんだい?」

「本筋に戻りましたね。でも、警視にしては珍しくまともな言葉のキャッチボールができて驚いています。やればできるんですか。―――実は、警視の知識に期待していまして」

「神話以外? なーんだ、一般警察業務か。まったく、私に警察官の真似事をしろっていうのかね? いやだね」


 あんた、警察官じゃん。

 しかも階級は上から数えた方が早いでしょ。

 とは思ったけど、これまでになく話が通じているうちに畳みかけることにした。


「二週間ほど前に、ある殺人事件がありまして―――」


 とりあえず有無を言わさず事件の概要を叩きこむことにした……



        ◇◆◇



 坪井邸の事件のことを息もつかさずにまくしたてた。

 口を挟まれると面倒だし、興味が完全になくなる前に事実を脳みそにさえ届かせれば、ある程度の反応はあるだろうという目論見のもとだ。

 僕もここの部下ほどではないが、降三世警視ともう一年は付き合っている。

 だいたい、この人の扱い方は理解してきたところだ。


「警視には、この坪井の弁護士がどういうつもりでいるのかを推測してほしいんです。証拠とか必要なら僕が探し出しますから」


 最初は本当に心底つまらなそうに僕の話を聞いていた降三世警視だったが、途中から少しは警察官魂がトライオキシン245で復活したのか、真面目に聞いてくれるようになった。

 ふんふんと相槌なんかも打ちながら。

 そして、話が終わってから少し考えると、


「わかった。久遠君なんかが持って来たにしては意外と驚くべき程に面白い話だった」

「やたらと言い回しに引っかかるんですけど」

「ふーむ」


 すると、警視は椅子から立ち上がると(なんか上質な皮張りの高そうな官給品だ)、書架から一冊の本を持ってきて、僕にタイトルを見せる。

 英語で書かれていて一瞥だけでは読み取れない。


「これはナサニエル・ウィンゲイト・ピースリー教授が『アフリカ心理学協会紀要』という学会誌に寄稿したものを翻訳したものでね。とある種族についての研究が載っている」

「種族? 僕が聞きたいのは殺人事件で……」


 言いかけたが、このモードに入った降三世警視は止められない。

 大人しく謹聴するしかない。


「ピースリー教授に寄れば、かつて〈イスの偉大なる種族〉と呼ばれている種族がいた。僕たち人類がこの地球に産まれる前に地球を支配していたという、時間の秘密にまで辿り着いた連中だから、「偉大なる」という二つ名がついている。一説によるとYithイースという滅亡寸前の惑星から六億年程前に地球に到来したといわれているね」


 なんだ、また、いつもの気持ち悪い神話のバカ話か。

 こっちは忙しいんだけど。


「彼らは信じ難いほどの科学力を有し、互いに精神を交換する装置を使うこともできたという。滅亡するだろう故郷から元の肉体を捨て、精神生命体となって六億年前の地球に存在していた円錐形の生物の肉体を乗っ取ることで地上の支配者になったのさ。だが、四億年前頃から五千万年前頃まで栄えたが、かつて滅ぼした先住生物の復活によって、滅ぼされそうになったため、かつてと同じようにいつかの未来に別の生物の肉体へと逃亡したそうだ。そのため、彼らの痕跡のようなものははっきりと見つからない。恐竜よりも古い連中だからね」

「……それが、坪井の事件にどんな関係があるんですか」

「円錐形の生物というのは、図で描くとこんなのだ」


 円錐というのは、定義としては円を底面として持つ錐状にとがった立体のことであり、鱗のようなもので表面が覆われている。

 円錐形の頂部あたりから、太いパイプが四本ほど生えていて、そのうち二本には巨大な鋏がついていた。残りの一本にはラッパのような摂取口があって最後の一本には頭らしきものがくっついていた。

 頭部はぐにゃぐにゃしていそうな球体で、大きな眼が三つ並んで、上からは細い肉茎が四本垂れさがり、下には不気味な触手が八本ついていた。

 種族というよりも、なんだろう、ロボットか植物のようだ。

 スタジオジブリの映画にこんなのがいたような気がする。


「なんですか、これ?」

「だから、イスの偉大なる種族さ。何度も説明しただろう」


 いや、僕が言いたいのはそんなことじゃなくて……


「えっとですね……警視」


 こちらの事情はおかまいなしにいつもの神話の話を続けようとする降三世警視を止めることは僕なんかではできない。

 ただ、警視の話はここで終わりで、彼は吊るしてあったコートをばっと着込む。

 バーバリーのクソみたいに高いコートのはずだ。


「では、出掛けるとしよう。久遠君、車は乗ってきているね」

「は、はい……」

「運転したまえ。君は私を連れていけばいい」

「え、どこへですか?」


 降三世警視は両手の指を一本立てて、まるでちょっと前に流行った恋ダンスのように動かした。

 この人が流行のドラマなんか観ているはずがないので多分違うだろう。

 それぞれの指を交差させて、行き違わせる。

 何か意味があるのか。


「その坪井巳一郎という被疑者……いや、起訴されたのならもう被告か……のところへだ。接見交通権の行使だな!!」


 とりあえず、この変人警視は僕の再捜査にちょっとは協力してくれるつもりらしかった。




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