第15話「いざ、信仰問題管理室へ」



「坪井さんの奥様で……?」

「はい。加奈と申します」


 無機質な人だなあ、というのが僕の第一印象だった。

 綺麗な人だし、柔らかく微笑んでいるのだけど、どうも冷たい感じがする。

 夫が兄弟を殺したというのに、あまり茫然自失といった様子でもなく、必要以上に淡々としているのだ。

 とはいえ、こういう突然の事件に接して感覚が麻痺してしまうというのはよくあることだった。

 例えば、交通事故で車同士が衝突した場合でも、大した怪我でなければ警察に通報し、それから保険会社に連絡するのが常だが、たまにどうしようもなくなって意味不明な行動をとる人がいる。

 僕が知っているのは、どういう訳か会社の先輩社員に携帯で連絡を取りだして、あれこれと言い訳を始めた男性であった。

 別に、事故を起こしたのは先輩社員から借りた車でもないのに、いきなり「先輩、どうしたらいいんでしょぅか」と質問をするのだ。

 先輩だって、交通事故の専門家という訳ではないだろう。

 ただの会社員にすぎない。

 あれことと尋ねられてもどうにもならないのに、そのうちに男性はヒートアップして、「明日、遅刻しちゃいますよおおお」と泣き言を叫び出した。

 あとで事情聴取した交番の巡査に聞くと、


「なんでも事故を起こしたら、会社の迷惑になる。遅刻して迷惑をかける。そればっかりが頭を廻って、完全にテンパッてしまっていたそうですよ。人間、突発的な事態には泡を食って別人みたいになるものです」


 と、解説してくれた。

 あの時の男性はテンパりすぎだが、この奥さんもある意味ではそういう精神状況なのかもしれない。

 おろおろするよりもぼおっとしてしまっているだけで、心の中は物凄く葛藤しているのかも。


「ご心痛、お察しします。ただ、ご主人が自分の兄弟を殺害したということはほぼ間違いないことのようですので、しっかりと事実を受け止めていただいて、我々の捜査に協力していただけると幸いです」

「はい、ご迷惑をおかけします」


 佐原先輩は長身イケメンで、よく女性が見惚れたりするのだが、坪井の奥さんには通じなかったようだ。

 本人的には事件の関係者の女性に好かれるのは迷惑らしいのだが。


「ご主人がこのような行動をとった動機というものに、心当たりはありませんか?」

「……主人は、洋二郎さんと美鳥さんが別人になったと誤解していたみたいです」

「別人? どういう意味ですか?」

「私の目から見ると、お二人はいつもと変わらない姿なのですが、主人からはまったく別人に思えていたそうです。聞くと、顔つきどころか、顔の造形さえも変わって見えているらしくて、それが兄弟ヅラして近づいてくるのは吐き気がすると言っておりました……」

「ご兄弟の写真はこれでいいんですよね」


 先輩は暖炉の上にあった写真を見せる。

 

「はい、そうです。洋二郎さんと美鳥さんです。これは私どもが二年前に結婚した時のものです」

「失礼ですが、奥さんはお幾つで」

「二十四です」

「随分、歳の差夫婦ですね」

「はい。おかげで洋二郎さんたちには財産目当てだと罵られたことがあります」

「―――財産目当てだったんですか?」

「主人がお金持ちなのは確かですが、私との間には十分な愛情があったと思いますわ……」


 まあ、そのぐらいの妥協ならいいだろうと思う。

 この奥さんの無機質な感じだと、普段から呆けている可能性もあるし、パトロンというか父親的な旦那さんがいた方がいいかもしれないからね。

 ただ、別人になったというのはどういう意味だろう。

 態度が変わってしまったというのではなく、顔まで変わって見えたというのは異常だ。

 しかも、それで殺してしまうほどに。


「ご主人は精神科などの病院、もしくはカウンセリングに通われたことは?」

「ありません。元々、外に出るのを嫌がるタイプですし、仕事と行政書士の会合以外では滅多にお出かけません」

「行政書士のお仕事の方は?」

「月に二から三個ぐらいですか。普段は投機筋をパソコンで確認して暮らしておりました」


 行政書士に限らず、士業では人づきあいが必要なはずなのに、それでこの生活がなりたっていたのだから、余程財テクの才能があるか、親の財産を相続しているか、どちらかかもしれない。


「洋二郎さんと美鳥さんについて調べたいので、お二人の住所があったら提供していただけますか」


 奥さんは居間の隅にあった、分厚いスケジュール帳を差し出した。


「主人のものです。こちらにだいたいは控えてあると思います」

「お預かりします」

「どうぞ」


 かなり捜査の助けになりそうなものを領置したので、これからの裏取り捜査はかなり捗ることだろう。

 奥さんには悪いが、坪井が犯人なのはほぼ間違いないので、地道な足を使った捜査をするだけで済みそうである。

 しばらくは定時すぎぐらいには家に帰れるかもしれない。


「もう少しだけ私が聞いておくから、佐原刑事と久遠君は被害者二人の周辺の地取りをしてきていいわ」


 離れた場所で聞いていたアリ慧がやってきた。

 おそらく警察署への任意同行を求めたりする手続きもしてくれるのだろう。

 そういえば中学時代はHR委員とかをやっていたから昔から仕切るのには慣れていた。


「いくぞ、久遠」


 僕たちは、さっさと坪井邸を後にした。



     ◇◆◇



 それが、だいたい二週間前。

 次の日、予想通りに坪井は起訴されて公判準備が始まったのに、このアリ慧からの無茶な命令で僕はまだ再捜査を続けてなくてはならなそうだった。

 自分の部下でもない司法職員をこき使うのは止めて欲しいものである。

 本当にこういうことが多くて困る。

 普段だって、警視庁の変人警視に絡まれるし……

 ここで閃いた。


「降三世警視なら、何かわかるかも」


 彼がいつもいつも繰り返す益体のない気持ち悪い神話の話は一瞬たりとも聞きたくないが、それ以外の雑学知識についても豊富な人材なのだ。

 確か、司法試験にも合格していると言っていた。

 坪井の弁護側がどのような作戦を考えているかのヒントぐらいは貰えるかもしれない。

 ただ、問題は……


「警視庁のあの人のところに行くのは、飛んで火にいる夏の僕になるんだよな~。自分からダンジョンに自殺を求めていくのは間違っているよね」


 だが、このまま署に戻っても、アリ慧からサディスティックに責めたてられるのは眼に見えている。

 僕にとって事態打開の切り札はあの変人しかいないのだ。

 前門の変態、後門のヒステリー。

 どっちも勘弁してもいたいものだ。

 しかし、行くしかない。


「僕一人だけで事件の再捜査なんて無理があるんだよな」


 覚悟を決めて、櫻田門にある警視庁に入る。

 一般向けとは違う、警察官用の案内係に話しかけた。


「すいません、○×署捜査課強行班の久遠久と言います」


 とりあえずバッジと身分証を見せる。

 案内係の女性はボブカットでなかなか綺麗な人だった。

 個人的な感想を述べていいなら、アリ慧の方が美人だが、あっちはおっかないのでこの人の方が好みだ。


「お疲れ様です。本庁にどのようなご用件でしょうか」

「えっと、信仰問題管理室の降三世警視にお目にかかりたいのですが」

「ひっ!」


 美人の顔がひきつって歪んだ。

 なまじ綺麗な人だったから、その落差が激しい。

 一気に顔色が悪くなった。

 ということだろうか。

 その気持ちがわかってしまうのが、どうにも困ったところだ。

 とはいえ、例え相通じるところのある同志といえども、今回の僕は東京スカイツリーから飛び降りるつもりでここにやってきたのだから、我慢してもらうしかない。


「信仰、問題管、理室に、どんな、ご、ご用件で?」


 そこまで区切ってどもらなくても。

 いや、逆に考えるべきか。

 この完璧な受付嬢にでもなれそうな女性警察官をここまで動揺させるほどの何かを、降三世警視はやらかしたのだ。


「事件捜査の協力を求めに来ました。ちなみに、です」


 僕がわざわざ「普通」を強調したおかげか、女性警察官はなんとか落ち着いてくれたようだ。

 ちなみに、僕らのやりとりを小耳に挟んだらしく、その場の多くの警察官がこっちをじっと見つめていた。


「ええ、っと、……降三世警視なら、地下二階のD区画にある監理官室に居られるはずです。警視は登庁時にここは通られないので、今、在室中であるかはわかりかねますが……。確認いたしましょうか?」


 こんなに怯えているのに試しに内線で聞いてみてくれ、というのも可哀想なので、


「場所、教えていただけますか?」

「ま、ま、まさか、本官に案内をしろと! 死ねと!」


 死ぬんかい。

 案内しただけで。

 降三世警視、どんだけ本庁で「ああ、やっちゃった」をしでかしていることやら。

 まあ、あの人は「ああ、やっちゃった」が高級なブランドスーツを着て歩いているような人だから、やったことなど覚えてもいないだろうけど。

 しかも、「ああ、やっちゃった」が無自覚なのでただの災害でしかないし。


「大丈夫です。教えていただければ一人でいけますので、本当に大丈夫です。お手を煩わしたりはしませんから」


 この女性ひとがこの有様なのに、降三世警視と結構付き合いのある僕は取り乱さないというのは大したもののような気がする。

 そうして、僕は、聞こえてくる、


「……あいつ、何者なんだ」

「化け物か」

「テロリストじゃねえのか……」


 という畏怖と疑念混じりの評価を背中で受けながら、信仰問題管理室のあるという地下の一室へと向かったのである。

 そういう評価は本当に欲しくないのに。


 



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