第11話「降三世警視の名推理」



 警視庁にある「信仰問題管理室」のオフィスには入ったことがない。

 というか、何度も連れ込まれそうになったが、ずっと必死になって固辞してきた。

 降三世警視の棲家なんぞに誰が好き好んではいるものか。

 僕が散々抵抗したからか、今回も警視は諦めてくれ、その代わりに警視庁にあるティーラウンジに引っ張りこまれた。

 僕ら二人が仲良く(ないからね)お茶をしていると思っている警視庁の人間は、傍目にもわかるほど遠巻きにこちらを眺め、決して近づこうとはしてこない。

 ヤバイ傾向だ。

 僕までこの変人警視の仲間だと思われる。

 大きな出世なんて望んではいなかったが、それにしたって天下の警視庁で悪い風評が流れるのは勘弁してほしいところなのに。

 だが、腐っても相手は警視。

 逆らう訳にはいかないのが、宮勤めというものである。


「……じゃあ、濱田貴一はまだきいち殺害の犯人は警視にはもうおわかりなんですか?」

「誰だって?」

濱田貴一はまだきいちです。あのゴミ屋敷で見つかった遺体の名前ですよ」

「あの死体、そんな名前だったの? まあ、私の知ったことではないよ。だって、その何某の名前なんては事件には特に関係ないし」

「そんな……」


 警視はこちらが提供した事件のファイルに少しだけ視線を落とし、


「痴呆の独居老人ねえ……。別に、このお祖父さんを殺す動機なんて誰も持っていないから、誰かがこの人を殺した訳じゃないよ」

「どういう意味ですか?」

「検死の結果はでたんだろ。私の勘だと、きっと心不全になったんじゃないかな。解剖したのちの公式な死亡診断書ではもう少し別の死因にされると思うけど」

「……はい」


 心不全という死因は正確にはない。

 ただ、何らかの原因で人が死んで、その死因がはっきりしない場合に心不全ということにする場合が多い。

 特に法医学者によるしっかりとした行政解剖がされない場合、その傾向は顕著になる。

 ただし、警視の言う通りに当初の検死でははっきりと特定できなかったのだ。


「外傷もありませんでしたし……」

「だろうね。ところで、君らはきちんと死体の足の裏を調べてみたのかい?」

「足の裏は―――綺麗でしたよ」

「なるほど。だから、どこからか運び込まれたと推理したのか」

「はい」


 すると、警視は顔を上げて、


「では、私の推理を聞かせてあげよう。それを参考にするかどうかは、君の考え次第だ」

「ぜひ、お願いします」

「―――まず、私の推理ではこの事件において、犯罪と呼べるものはない。あるとするならば、せいぜい死体遺棄程度だ。あと、住居不法侵入ぐらいか。他は何もないな」

「えっ!?」


 僕は警視の言っていることが呑み込めなかった。

 犯人がいないどころか、犯罪がないって、どういうことだ?

 現実に遺体が存在するというのに。


「答えは簡単だ。……まず、濱田何某が死んだのはきっと衰弱した挙句の病死だろう。身体が弱り切っていたのに、無理をして家の外に出てふらふらと徘徊した挙句に発作でも起こして死んでしまった。そんな死因のはずだ」

「病死……ですか?」

「おそらくね。それはもうちょっと解剖すればわかるかもしれない。だから、のさ」

「じゃあ、どうして……あのゴミ屋敷の庭に?」


 僕はあのゴミの山の横にぽつんと死んでいた被害者のことを思い出す。

 どうしてあんなところに捨てられていたというのだ。

 人の手が入らなければ難しいシチュエーションのはずだった。


「あそこには、ゴミ屋敷の内部を経由しないとたどり着けません。塀の外から投げ捨てたりは難しいし、そんな外傷はありませんでした」

「だから、濱田何某は勝手にゴミ屋敷に入って死んだのさ。痴ほうの徘徊老人だったらしいからね。意味も分からずに侵入して、自分が死んだのがあの汚いゴミ屋敷だという認識もなかったのかもしれない。まあ、苦しんだ形相だったので痛みは感じていただろうがね」

「でも、靴を履いていませんでしたよ。足の裏も汚れていないし。いくらなんでも靴も履かないでうろうろしていたらもっと酷い様子になっていたはずです」

「それは簡単さ。―――濱田何某はね、靴を履いて外に出たが、ゴミ屋敷にあがるときに脱いだのさ。日本人ならば例え痴ほうでもよそ様の家に上がるときは靴を脱ぐもんだ」

「じゃあ……」

「ゴミだらけで眼が届かなかったかもしれないが、あの屋敷のどこかに濱田何某の靴があるはずだ。それがきっと証拠になるだろう」


 確かに言っていることは筋が通っている。

 だけど……


「足の裏がまったく汚れてもいないということは、濱田は屋敷の内部ですぐに死んだんだろうな。自分の足で庭まで行ったのなら、多少は汚れているはずだから」

「では、どうしてゴミ屋敷の庭に……?」

「阿部崇が捨てたのさ」

「え、どうして? 警察や救急車を呼んだりしなかったんですか?」

「それは簡単さ。彼が狂っているからということもあるが、最も大きな理由は濱田何某の死体は自分の足でやってきて死ぬことで勝手にできたゴミだったから、彼にとってはいらない無用の長物として庭に捨てたんだ」

「―――?」


 どういうことだ。

 警視は何を言っている?


「君が隣のビルの管理人に聞いたといネコの死骸の話を思い出したまえ」


 そういえばそんな話があったな。

 あれは死んだネコの死骸を阿部が返してくれないというものだったか。


「阿部は外に落ちていて可哀想だと思ったものは例え犬猫の死骸でも持って帰って来て、自分の屋敷に溜めておく習性を持っていた。場合によっては葬式まで執り行ってね」

「でも、そのネコの死骸は……いらないと」

「それはそうだろう。なぜなら、そのネコの死骸は勝手に屋敷に入って来て死んだものだからだ。彼が拾ってきたものではない。―――さっき彼も言っていたじゃないか。『おれの家に勝手にやってきたものなど、どうなろうが知ったことか。むしろ、邪魔なだけだ』と。つまり、そのネコの死骸と一緒で勝手に屋敷の中に入って来て死んだ濱田の死体は、ゴミとしての哀愁を微塵も感じないだったんだ」

「……だから、庭に捨てた、と?」

「いらないからね。別に屋敷の外まで捨てに行くのも面倒だから、自分の家の庭に捨てる。そのあたりはネコの死骸と一緒さ。朝起きたら、自分の家に見たこともない死体が転がっていた。拾ってきたものでもない、ましてや自分が作ったものでもない。宝物だらけの自分の屋敷にはまったく相応しくないいらないものだ。だから、庭に捨てておいた。君らが持って帰ろうとしても止めない。あたりまえだね」


 僕は思わず叫んだ。


「狂っている!!」


 阿部崇の考えに僕は不快なものを感じた。

 人間の遺体をネコの死骸と同等に扱うというのはイカレた考えでしかない。

 だけど、警視は平然としたものだった。


「狂っているのはわかっている。話を聞く限り、彼は頭はかなりしっかりしているのに精神は相当壊れているんだろうね。病気というのはたぶん精神こころの病なのだろう。でなければ、あんなゴミ屋敷には棲めないかもしれない。一生懸命に勉強をして弁護士にまでなったものであっても、頭がおかしくなってはどうにもならない。きっと人間の死体をどうするべきかでさえ、今ではまともに判断できないんだよ」

「そんな……人の遺体ですよ」

「まあ、あれが自分の家でなく道端にでも落ちていたら、拾って帰って一緒に暮らしたりしたかもしれないね。さっきのおかし気な長口舌を聞いただろ? あの阿部崇という男はそんな風にとうの昔に狂っているのさ」

「では……事件の捜査は……」


 なんとなく疲れがでていた。

 そんな真相だとは……


「とりあえず、死体を庭に捨てたかどうかを聞いてみれば案外素直に喋るかもしれないぞ。だって、刑罰論の基礎すらどことなく忘れかけている様子だったからね。ただ、起訴できたとしても死体遺棄程度のどうでもいい微罪だ。しかも、刑法39条1項または2項あたりで責任無能力か限定責任能力ということになって、まず罪には問われないだろうがね」


 確かに、阿部崇は気が狂っている可能性がある。

 裁判になっても弁護士はそのあたりを主張してくることだろう。

 僕でもそのぐらいのことは想像できる。

 するだけ無駄ということか。


「ただ、まあ、とりあえずしょっ引いてみてそれから病院なんかで精神鑑定をしてもらうのが一番だろう。その間に令状をとって屋敷内を調べれば、濱田何某の靴とかも見つかるかもしれない。まあ、阿部は弁護士あがりらしいから二・三日はうまくいかないと思うが」

「……今回の事件の真相って、本当にこんなのなんですか?」

「ああそうさ。


 今、警視は聞き捨てならないことを言った。

 そして、僕は彼と交わした約束のことを瞬時に思い出していた。


「……?」

「ああ、そうさ。君はこれから所轄に戻って同僚たちに今の推理を伝えるんだ。そして、とりあえず阿部崇をゴミ屋敷から外に連れ出してくれ」

「それでどうするつもりなんですか、警視は?」

「私かい?」

「はい」


 降三世警視はとても嬉しそうに笑った。


「この事件の裏に潜む、神話的怪異の正体とご対面しようと思っているのさ!!」

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