第5話「降三世明の名推理」



 次の日、署の強行係のデスクで調べ物をしていた藤山さんにそれとなく訊ねてみた。


「なんで、被害者は全裸であんなにみっちり焼かれたんですかね」

「そりゃあ、おめえ、身元をわかりにくくするためだろ」

「だったら、歯型も潰したほうがいいですよね」

「まあ、そうだな。そういう知識がなかった犯人なんじゃないのか?」

「そうですよね」


 僕は少しだけ引っかかった。

 足の指の指紋さえ焼くような犯人が、歯型について知らないなんてことがありうるのだろうか、と。

 それから検視を担当した警察病院の医師にも電話をして聞いてみた。


『……全身を焼くことで身元の判別を妨害するためですか? ありうるとは思いますが、私のような解剖医の立場ではなんともいえません』

「先生、少し捜査に行き詰まっておりまして、何かお気づきになられたことなんてありませんでしょうか?」

『……うーん、わざわざ遺体を焼いていますが、死因はすぐにわかりましたからね。頭部への鈍器による殴打だということは。他も軽く調べてみましたが、それ以上の外傷も見当たりませんし、早々に解剖も終わってしまいましたから……。うーん、遺体の引き取り要請がやたらと早かったのだけは覚えています。被害者の叔父さんからなんですけど。早く弔ってあげたいということでした。ただ、殺人事件ですし、まだ安置室にありますけどね。来週には遺族のもとへ帰られるとは思いますが……』


 という程度で、大して参考になる話は聞けなかった。

 あんなに邪険にしていたのに、甥の遺体を早く弔いたいだなんて、意外といい人だったんだな、と真野修平について認識を改めたぐらいだ。

 昨日、降三世警視に言われたのでちょっと調べてみたが、犯人がなぜ死体を焼いたのかということはさっぱりわからなかった。

 そんなことよりも、もっと被害者の身辺を調べて怪しい人物を見つけたほうがいいのではないかと、僕が考えていた時、


「やあ、久遠くん。今日も、よろしく頼むよ」


 と、降三世警視が姿を現した。

 僕としては嫌な顔の一つもしてやりたいが、糠に釘な人なので、無駄になるだろうと思って諦めて挨拶を交わして、またパトカーをだした。


「……警視、今日はどこに向かいますか?」

「まずはこの区を管轄する保健所に向かってくれないか」

「保健所?」

「そう、そこ。はい、レッツラゴー」


 古い冗談をいう警視は、僕にはなぜ保健所に行くのかということは教えてくれなかった。

 そのうえ、自分だけ保健所の中に入って言って、僕はパトカーでバカみたいにお留守番をさせられることになったのである。

 しかも、一時間も。


「いやあ、時間がかかったよ。でもあれだね、迷子の子犬とかは絶対に保健所に連れてきてはいけないね」

「気の滅入る話をしないでください。で、いったい、何かあったんですか?」

「ん、この事件の真相はだいたいわかったよ」

「ホントですか!」

「あとはもう一つ、証拠を見つけるだけさ。それで、あとは君らが裏付け捜査をしてくれればそれで解決だよ」


 僕は警視の顔を見た。

 嘘を言っているようには見えない。

 もっとも、この人は四六時中、誰かを騙しているような人間なのでただの演技の可能性はあるけど。


「そ、その証拠はどこに行けば見つかるんですか」

「警察病院。昨日のうちに、手配しておいたから。あとで見に行くと言っておいたんだよね」

「マジですか」


 要するに、この人は昨日の段階で真相に気づいていたということか。

 僕なんかを通り越して。

 これがキャリアの真の実力なのだろうか。


「……僕にはさっぱりわかりませんでした」

「まあ、そうだろうね。ところで、久遠くん。昨日のお話は覚えているかい?」

「昨日の?」

「ああ、深淵に潜むものを神として崇めているとある港町の住民の話だよ」

「あの胸糞悪い話ですね」


 正直、あまり聞きたいものではないが、警視が乗り気なので僕は仕方なくまた聞くことにした。


「西インド諸島の島のひとつにカナカイ族という原住民族がいたんだよ。そのカナカイ族はね、大きな恩恵を受けるために、海の底に棲むという魔神に若い男や娘をたくさん生贄として捧げたんだ。海の底には沈んだ街がたくさんあって、その中に多くのそういう魔神がいたそうだよ。その魔神たちに仕えるカエルのような魚人族は、そのうちにカナカイ族と混血して、さらに深い関係になっていった」

「気持ちの悪い話ですね」

「そのうち、どういう訳かカナカイ族はどこかに消えてしまったが、そのカナカイ族と取引をしていたマーシュという男が住んでいたのが、その例の港町だったんだよ。マーシュはカナカイ族との取引で莫大な富を手に入れていたから、その停止は大打撃だったんだろう。こともあろうに彼はその町でカナカイ族と同じことを始めた。つまりは魔神への生贄と富との交換だ。そして、その町はかの部族と同様に、魚人族との混血が進む羽目になった」


 パトカーの中はなんともいえない空気に包まれた。


「気がついたときには、町はその魔神を崇拝する教団に支配されるようになり、おぞましい呪われた町に堕した。その町の名前はインスマウスというんだ」

「そ、その町はどうなったんですか」


 僕は上ずりながら言った。

 警視の語り口調があまりに堂に入っていたので、とてもただの架空の話とは思えなかったからだ。


「1927から1928年にかけて、その町に紛れ込んだ一人の青年の告発を受けて、政府が調査し、そして何十軒もの廃屋が焼かれて、多くの住民たちが逮捕され、極秘裡に処刑された」

「酷い……です」

「そうでもないよ。インスマウスの住民たちはほとんど『ダゴン秘密教団』の信徒になっていたからね。今で言う政府転覆を企むテロリストと同じ扱いだったのさ」

「ダゴン?」

「ああ、カナカイ族。そして、マーシュが取引をした魔神の名前だ」

「でも、アメリカの話なんですよね。信教の自由はないんですか?」


 そこで、僕ははたと気づいた。

 降三世警視の部署は、『信仰問題管理室』。

 つまり、これも信仰問題だ。

 もしかして、そういうことなのか。


「……わかったみたいだね。つまり、私にとってはこの事件は、殺人の部分はどうでもよくて、むしろ、その裏にある被害者の信仰の方が重要なんだよ」

「だから」

「ああ、でも、とりあえず、この事件を解決しないと私の本分が果たせそうにないからね。そこで、君たちに協力するというわけだ。さあ、ついたぞ」


 僕は警察病院に入り、スタスタと中を歩いていく降三世警視についていった。

 そして、地下二階にある死体安置室に辿りついた。

 どういうわけか、入口には制服の警官が番をしていた。

 うちの署の警官ではなかった。

 彼の敬礼を受けて、僕たちは室内に入る。

 部屋はそれほど大きくはなかったが、ポツンと一つだけ遺体用のベッドが置いてあるだけなので、とても薄ら寒く感じられた。

 明かりも一箇所ついているだけで、部屋の隅は暗いままで何も見えない不気味さだった。

 ベッドに横たわる遺体のもとに向かう。

 白いシーツが被せられていたが、その下には例の真野洋一の焼死体があるはずだった。

 降三世警視がシーツをつまんで捲り上げると、やはり予想通りに黒焦げとなった遺体が鎮座している。


「よく見たまえ、久遠くん。この死体は肌の全てが焼け焦げているね」


 僕が覗き込むと、あの時よりはやや不気味な印象は減って見えた。

 ここが病院の中だということもあるだろう。

 殺人事件の被害者ではなく、ただの仏様という印象に落ち着いているのだろうか。


「そうですね」


 改めてみると、全身焦げているが、黒ずみにはなっていない。

 ただ表面だけが丸焼けになっている感じだった。

 火災現場で発見されるような焼死体とはやはり違う。


「この死体の特徴はね、皮膚の部分だけを丁寧に焼いたということなんだよ」

「え?」

「つまり、犯人は被害者の皮膚だけを焼きたかったのさ」


 僕は警視の言っていることがよく飲み込めなかった。


「犯人は死体の衣服を脱がせ、丸裸にすると、ガソリンを丁寧に全身に塗りたくった。現場で発見されたハケはそういう用途のためのものだ。そして、火をつける。すると、全身にくまなく火が燃え移り、すべての皮膚が黒く焼ける。犯人の狙いはそこにあったのさ」

「なんのために、そんなことを?」

「簡単さ」


 警視は手袋をはめて、それから、被害者の口にあてて、中にスプーンのようなものを突っ込んだ。

 そして少しだけ動かして、取り出す。

 そのまま用意しておいたビニール袋に入れる。

 被害者の口内の細胞などをDNA鑑定のように採取したのだとわかった。


「この口内部を調べれば、多分、犯人が死体を焼いてまで隠したがったものがわかるはずだよ」

「警視。もったいぶらずに教えてください。いったい、何がわかるというんですか?」


 警視はポケットの中から数枚の写真を出した。

 どうやらネットで落としたものをプリントアウトしたものらしい。

 その中には水分がなく乾ききった病人のものらしき皮膚が写っている。


「それはコレラ菌の羅患者の皮膚の写真だよ」


 警視はそう言った。

 僕だってコレラ菌という名前自体は知っている。

 ただ、伝染病だという認識しかなかった。

 あとで警視に聞いたところによると、コレラ菌を口を経由することで感染する感染症であり、致死性が高いが、自然界ではヒト以外には感染しない。

 不衛生な食材や調理環境での感染の危険性が高く、2、3日の潜伏期間ののち、下痢と嘔吐を突然引き起こす。

 米のとぎ汁のような下痢便をだし、急激に全身の体液を失う結果、脱水症状が現れる。

 そのくせ腹痛はなく、体温はむしろ低下する。

 一方で眼球が陥没し、声がかすれていき、皮膚がしわしわになり、さらに進行すると意識障害やけいれんなどが起きる。


「―――コレラに感染すると酷い脱水症状を伴うことから、皮膚が乾燥し、ひきつり、皺が寄り始める。その特徴から、『コレラ顔貌』という特有の顔つきになってしまう。あと、下痢がすごい」


 下痢のところをおまけのように言う。

 だが、確かに下痢よりも僕たちが着目したのは皮膚の乾燥についてだ。


「『コレラ顔貌』などの外見的な要素のおかげで、コレラ患者はわりとすぐに見分けがつくんだよ」

「でも、コレラ患者というだけで殺されたとでもいうのですか?」

「ああ、そうだよ。真野洋一はインドネシアに旅行に行った時に、きっと何か不潔なものを口に入れたんだろう。それでコレラ菌にかかった。あちらにいるときには気がつかなかったが、結局、帰国してからその症状が出たんだろうねぇ」

「なんで、殺されるまでいくんですか? 普通は病院に連れて行って助けようとするはずじゃあ……」

「そうでもないさ。身内に伝染病の患者が出たりしてみたまえ、特定の職業を営んでいればすぐに保健所に通報されて、そのまま営業停止だ。そして、一度でも営業停止になったら二度と回復できない損害を被ることがある」


 僕は、真野洋一が働いていた彼の叔父の店のことを思い出した。

 

 住み込みの従業員が東南アジアに旅行に行きコレラ菌に感染したとわかったら、あの店はもう終わりだろう。

 だから、そんなことのために実の甥を殺したというのか。


「……まさか」

「真野洋一の叔父修平は、かなりの借金があったらしいね。それの返済で首が回らないときに、頼みの店が営業停止になったりすれば彼はもうおしまいだ。自分のためなら血の繋がった甥でも殺す。生き物の怖いところだね」

「では、どうして焼いたりしたんですか?」

「それは、この皮膚のひきつりを隠すためさ。幸いなことに、真野洋一にコレラの症状がでたあとに彼を目撃した者はいない。全身の皮膚を焼いてしまえば、それ以上疑われることはないと考えたんだろう。実際、殺人事件の検視解剖で病原菌のチェックなどはしないからね」

「だから、歯型などは気にしなかったということですか」

「真野修平は、たとえ死体が発見されたとしても、コレラに罹患していることさえ隠しきれればよいと考えたのだろう」

「だったら、洋一をそのまま隠し通せばよかったのでは」

「おそらくもう気がついたときには運び出すのも厄介なぐらいに手遅れだったのだろうさ。治療をしなければ八割は死亡する伝染病だ。かといって、病院には連れて行けない。苦肉の策か、それとも短慮によるものかはわからないがね」


 ……この降三世警視の推理を受けて、藤山さんと佐原先輩は逮捕状を取り、真野修平を逮捕した。

 被害者の部屋に刑事を入れなかったのも、何かの拍子でコレラのことがバレるといけないからという理由だったらしい。

 凶器となった金槌は鮮魚店で発見された。

 ちなみに殺人の動機は警視の推理そのままだった。

 真野修平には多額の借金が存在し、その返済のために四苦八苦していたが、なんとか目処はついていたらしい。

 だが、住み込みの従業員である甥のコレラ罹患が表に出たら、保健所からマノ鮮魚店の営業停止の行政処分を受けるおそれがある。

 また、一度でも悪評がたてば地域密着型の鮮魚店など、すぐに客足が遠のいてしまう。

 それらの最悪の未来が現実化しないためには、甥をなんとかする必要があった。

 しかし、病院に運ぶことは、コレラ菌の感染の事実が露見する可能性がある。

 病床の甥を別の場所に移転して隠すという手もあったが、コレラの致死率は高く、病院で治療しなければまず死亡する。

 その場合も、コレラの件は世間に知られることになる。

 結果として、真野修平が選択したのは、甥の殺害とその死体をくまなく焼くことでコレラにかかっていた事実を隠し通すことだった。

 実際問題、降三世警視がいなかったら、被害者を殺害した動機は判明することがなかったろう。

 他の証拠から真野修平が容疑者として浮上したとしても、動機は解明されなかったはずだ。

 おかしな役職、妙な言動の持ち主だったが、さすがは本庁の警視だというだけのことはある。

 僕は少しだけ、彼のことを見直した。

 数日後、たまたま通りかかったマノ鮮魚店の近くで立ち尽くす、彼を見つけるまで。

 ……それはコレラ菌に汚染されたかもしれない建物に、保健所の立ち入り検査が行われる前日のことであった。



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