BL・GL短編集

古池ねじ

言えなかった言葉が(GL)

 駅で会って、うちに来るまで、私たちはなんにもしゃべらなかった。うちに来て、私の部屋に入っても、まだ何もしゃべってない。その前に、二人とも泣き出してしまった。目の前の泣き顔は小さい頃の私の写真にそっくりで、ああ、私たちってやっぱり似てるんだなって思った。普通にしてると顔は、全然似てないのに。そんなことを思いながら、二人で泣いている。

 あの人とセックスしたのは嫉妬とかじゃないんだけど、でもみんなにはそう思われるんだろうな。高校のときからずっと仲良しの親友の彼氏を寝取るとか、一緒だと思ってたのに女として置いて行かれるのが嫌だったんだろうとか、本当はずっと嫌ってたんだろうとか、要は女って恐いってみんなでにやにやする、そういう噂話になる。別に、そんなことはどうでもいいんだけど。誰に何を思われても、私たちは違うって知ってるなら。わかってくれてるのかな。わかってくれてたら、いいんだけど。

 私たちはずっと仲良しで、初めて会ったときから話すペースとか笑うところとか人のどういうところが許せないとかどんなニュースに腹を立てるとか、そういうところが同じで、すごく気があった。いつも一緒で、双子みたいってみんなに言われて、先生の中には私たちの区別がつかない人もいた。同じぐらいの身長、体重、似たような髪形、おんなじ感じの制服の着方、お揃いのヘアアクセ。私たちはもともと似てはいたけど、でも双子みたいって言われるほどじゃなかった。私の肌はあの子みたいにふんわりしてなくて、もっと白くてちょっとそばかすがあるし、髪の毛ももっと細くて色も薄いし、だいたい顔が、全然似てない。共通点を見つけるほうが難しいぐらい、似てない。でも私たちはお互いにどんどん近づくように、自分と相手を変えていった。どうしてかは、説明が難しい。でも、それはすごく自然で、楽しいことだった。二人の仲のいい女の子っていうよりは、「私たち」になりたくて、だから間違われる度に、表向きは文句を言いながら、嬉しかった。言わなかったけど。

 私たちはいつも一緒で、勉強もずっと一緒にしてたから、成績も同じぐらいで、大学も何の悩みも疑問もなく同じところに行くぐらいで、一緒にいるときはずっと何かをしゃべってたけど、言わなかったことが、たくさんあった。私も、あの子も、言わなかったこと。たくさんっていっても、本当はたったひとつなのかもしれない。とにかく私たちはそれを怖がって、二人して見ないふりして、でもなくならないから余計に怖くて、その周りをどうでもいい言葉で埋め尽くした。それ以外のことなら、私たちは何でも話した。好きなもの、嫌いなもの、親のこと、子供の頃にした残酷で恥ずかしい遊び、将来の夢。とにかく、色々。他の人には話せないことばっかり話したから、私たちは自然ときれいなことばっかり話してた気がする。おかしいかもしれないけど、でもそういうことになる。汚い話なら、誰とだってできる。高校生なんて、自分の中の綺麗で柔らかいところを隠すのにとにかく必死な時期だから。でも、私たちはお互いの柔らかいところをどんなに晒したって平気だった。私もあの子も、相手のことを笑ったり絶対しなかった。だって、だって、うん。これは、言えないこと。

 私たちは大学でもずっと一緒、だったのははじめの方だけだった。一緒に授業に出て、一緒に勉強して、一緒に遊ぶ。似たような服に、お揃いの鞄。ずっと一緒でそっくりな私たち。でも、だんだん、なんだか違ってきた。あの子がバイトを始めて、私はサークルに入った。あの子が髪を切ったとき、私は切らなかった。二人でいても、それまでみたいな当たり前の仲の良さが薄くなって、言葉は途切れがちになった。ずっと言わないようにしてた言葉が、それまでの時間を吸い取って、どんどん膨らんで、どんどん重たくなって、私たちを余計に怖がらせた。一緒にいると、もう目を逸らしてなんていられない。

 離れていると会いたくて仕方がないのに、会うと悲しくなった。何を話していいのかわからないし、何かを話そうにも他の人と話すのと同じぐらい言葉を補わないと、伝わらなくなった。前は何にも考えずに、見えないところでつながってるみたいに、話して、笑い合えたのに。会うたびに悲しくて、でも、悲しいのに別れるのがつらかった。どうしていいのかわからなかった。図書館の前のベンチに二人で座って、二人とも自分の膝をじっと見ていた。そのまま、ベンチの上で、指先が触れ合った。偶然なのか、あの子がそうしたのか、私がそうしたのか、わからない。あの子の指は熱くて、私の指も熱くて、触れ合っている場所が痛くて、身体中が心臓になったみたいにどくどくして、涙が滲んだ。指が痛くて、つらくて、苦しくて、でも指を離したら死んでしまうような気がした。ずっと痛くてつらくて苦しいまま、ただこの子の指に触ってるしかないような気がした。どうしてこんなことになったのかわからないまま、二人でそのままじっとしていた。

 言ってしまえばいいのに、と思った。言ってしまえば少なくとも、今みたいには苦しくない。でも、言えなかった。周りの目が気になるとか、自分の偏見とか、そういうのはないわけじゃなかったけど、でも、それだけじゃなくて、なんていうんだろう。多分、戻れないのが、一番怖かった。一度言ってしまったら、もう戻れない。でも、苦しかった。どうしたらいいんだろう。どうしたら。

 どうしようもなくてぐるぐるぐるぐる悩んでるうちに、あの子に彼氏ができた。直接教えてもらったんじゃなくて、あの子とバイトが一緒の女の子が、何かのついで、って感じでぽろっと話してくれた。打ち明けるっていうよりも、当然知ってると思うけど、みたいな。それを聞いた瞬間、私は胸のどこかがからからに干からびた気分で、でもそういうの表に出すのもなんだから、当然知ってますよ、って顔をした。一人になってから、干からびてしまったところに手を当てて、ぼんやりとしていた。衝撃は受けていたけれど、でも驚いてたわけじゃなかった。いつか来るってわかってたものが、本当に来た、ってだけ。でも薄々予感していても、本当に起こると、やっぱりきつかった。だって、だって、うん。これは言えない。

 彼氏のことは、結局最後まで直接は聞けなかった。聞けなかったけど、みんなの雑談の切れ端を慎重に集めて、繋ぎ合わせると、どういう人なのかはすぐにわかった。あの子のバイト先の先輩。法学部の三年生。前の彼女とは同じゼミにいる。おしゃれな眼鏡をかけていて、痩せていて、かっこいいかどうかは意見が分かれる。そのぐらいの情報を仕入れたら、あの子のバイト先に行ってみた。大学の近くの本屋。あの子がいない時間を狙って。どうかなと思ってたんだけど、一回目で見つかったので、ちょっと拍子抜けした。見つかった、というか、見つけられた、というか。あっちから声をかけてきた。その時私は帽子をかぶってて、それはあの子とおそろいで大学に入る前の春休みに買ったやつで、つまりあの人は後ろ姿の私をあの子と間違えたんだった。

 あの人は、私には結構かっこよく見えた。顔は別に。正直あんまり覚えてないし、どうでもいい。ただまくり上げた紺色のシャツから、肘から先がすっと伸びて、なんだかそれがとてもよかった。布と肌の質感と、色の対比、というか。あの子もこういうのがいいのかな、と思ったら、ちょっと嬉しかった。謝るあの人に私は笑って、なんだかいつもよりもふにゃふにゃしたしゃべり方をした。しながら、自分がしようとしていることに気づいて、びっくりした。見つけるまで全然そんな気はない、つもりだったんだけど、私はその時にはもう、この人とセックスしようとしてた。

 正しいかはわからないけど私の実感として、本当に心の底からセックスしたい相手よりも、そうでもない相手のほうが、簡単にセックスに持ち込める、んじゃないかなって。だって、本当に簡単だったから。もともと、私とあの子みたいなのが好きだったのかもしれないし、浮気っていうことにすごく魅力を感じるタイプだったのかもしれない。とにかく手馴れてない私のちょっとわざとらしすぎるほのめかしに、あの人は何の警戒もなくあっさりと乗って、二週間と経たないうちに、私はあの人のアパートで、服を脱いでいた。

 罪悪感があったかというと、わからない。だってもう私は苦しくて怖くて、他の人の気持ちなんかどうでもよくて、どうにかなりたかった。こうすることでまたひどいことになるのかもしれないけど、それでもそこは今とは違う。私はもう、何の苦しみもない状態なんて想像することも出来なくて、どのひどさを選ぶか、ってことだけが問題だった。

 初めての男の人とのキスも、セックスも、たいしたことじゃなかった。あの人の唇はかさついて少しつめたくて、触れた私の肌も少しひんやりと温度が低くなるみたいだった。怖かったわけじゃないけど、乳首や脇腹をしつこく往復する舌や指を感じながら、私は身を固くして、何も言わずに、息だけを吐きだしていた。言いたいこと、は、たくさんあったんだけど、私の言いたいことは全部言っちゃいけないことだったから、何も言えなかった。

 ゴムをつけたあの人が入ってきたときはさすがに痛くて、顔を顰めて、ああ、あの子もこんなふうに痛かったのかなって思ったら、それだけでなんだか泣きそうになって、慌てて息を飲みこんだ。それがなんだか喘ぎ声みたいになって、あの人は興奮して、私の傷口を抉るみたいに腰を動かして、あっという間に終わった。あんまり慣れてなかったのかもしれない。人のこと言えないけど。

 終わってしまうと私はすごく疲れていて、一仕事終えたような気分で、のろのろ服を着て、話しかけられても全部適当に返事して、アパートを出た。足の間が痛くて、足元がふわふわしてて、肺のあたりがぐるぐるして、身体の不調がセックスのせいなのか心の問題なのかわからなくて、でも考えたくなくて、気持ちが悪いまま家に帰って、お風呂に入った。自分の裸を見て、これに誰かが触れたんだと思うと、すごく変な気持ちになったけど、あんまり考えないようにいつもより乱暴に身体を洗った。

 お風呂から出ると、あの子からメッセージが届いてた。日時と場所が、提案じゃなく決定事項の報告って感じで書いてあって、画像がついてた。見ると、それは私が忘れていった、あの子とお揃いのシュシュだった。


 私たちはずーっと泣いている。この先のことが怖くて、今がつらくて、どうしようもなくて、ずーっと、二人で、めそめそ、泣いている。泣きながら顔をあげると、向こうも顔をあげて、私たちは二人で泣きながら見つめ合う。

 この子は、わかってる。

 それが私にはわかる。私たちはわかってる。ずっとずっと、わかっていた。見ないふりをして、言わないようにしてても、わかっていた。

 ずっとずっと言えなかった言葉の周りに積もったいろんな邪魔なものが、涙と一緒に、ぼろぼろと落ちて、どこかに行ってしまう。一緒にいると苦しくて、踏み出したら戻れなくなるのが怖くて、でも、もうわかっている。言っても言わなくても、同じことだ。私たちはもう、戻れない。離れられない。言えなかったその言葉が、私たちの全部で、口に出さないぐらいでは、それはもうなくならない。

 だから、もう、言わなくちゃ。そう思って、手を伸ばすと、同時にこっちに手が伸びてくる。引き寄せられるみたいに手が合わさる。涙で濡れた、熱い手のひら。触れ合っているだけで痺れて、全身が震える。でも、離したくない。指先を絡めて、絶対に離れないようにしっかりと絡めて、私たちは見つめ合う。お互いの目に、自分そっくりの、でも全然違う、私たちが映っている。目に映っているんじゃなくて、自分の内側にあるものが、目に浮き出してるのかもしれないなんて、馬鹿なことを思う。でも、私の心ではそっちのほうが本当だった。

 散々涙を流したおかげで、言えなかった言葉が、私たちの前歯の内側までやってきて、震えている。かちかちと歯が鳴って、でも、そこから出てこない。あんまり長いこと閉じ込めていたせいで、うまく声にならない。ちゃんと声にするまでは、まだ時間がかかりそうだ。

 でもそんなには待てないので、私たちは唇を重ねて、それを声の代わりにする。

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