第4話 不穏と不安と不平等


「捕まった男は、薬物中毒者だったんだってよ。仕事をクビにされて、薬を買う金が尽きて、それでレストランに押し入ったんだって。まったく、とんだ目に遭ったよな」


 学校でも、その話題で持ちきりだった。

 近所で起こった事件だとして、イドもエンジュもクラスメイトたちに根掘り葉掘り訊かれまくった。

 エンジュは、ジンカというウェイトレスのことが頭から離れなかった。

 殺されるかもしれないような思いをしていたはずなのに、まるで恐怖など感じていないように戦い、自分の二倍以上体の大きな男にあっさりと勝利して、つまらなそうな顔をしていた。

 あの後は、エンジュたちも警察官からの事情聴取を受けた。レストランの従業員たちは聴取に長い時間を要したらしく、エンジュたちが解放されてもまだ聴取が終わらなかった。終わるのを待っていようかとも思ったが、早くも駆けつけてきた報道陣に囲まれてしまったので、イドと共に逃げ帰ってきたのだった。だから結局、ジンカには接触できなかった。

 エンジュは、あの時どこかに一旦身を潜めてでもジンカに会いに行くべきだったと後悔していた。

 だが、いい。居場所は分かっているのだ。焦ることはない。

 彼女の髪は、老女のような灰色をしていた。

 以前、どこかで髪の色は魔術に深く関わりがあると聞いた。

 要するに、地毛の色が異質な人間ほど、魔法使いの素質のある者が多いという迷信なのだが、今は人種も入り乱れ、また個性が重んじられる風潮なので、例えどんな身分だろうが、髪を何色に染めても誰も何も言わない。

 考えすぎかもしれなかったが、レストランからは「迷惑をかけたお詫びに」と、無料券を貰っていた。

「いや~、あの時俺たちなにも出来なくてさ……」

 クラスメイト達に乞われるまま、状況を説明しているイドを後目に、エンジュは再びそのレストランに行くことを決意していた。




「……ということがありました」

 その日はドクター崎守の診察の日だったので、エンジュは学校から直接彼の医院に行き、先日行き会った事件について報告をした。

「強盗はそのウエイトレスの女の子がとっととやっつけてしまったので、僕たちが手出しをする間も無かったんですけど、もしも人質になってたのが別のウエイトレスで、誰もその強盗に太刀打ちできなかったとしたら、僕は……」

 エンジュは、自分の袖を掴んだ。

「獣になって、戦っていたかもしれません……」

「ふうむ。なるほど、興味深い話だ」

 崎守はエンジュにまあ落ち着いて、と呟き、

「君は初日以降、何回獣化した?」

「先生の前で試した二回だけです」

「そうか。『今なら出来そうな気がする』という理由で箪笥によじ登って備品を落して割ったり、受付のシャンデリアに飛びついて埃まみれで噎せて床に落ちたあの二回だけか」

「その節はすみませんでした……」

「面白かったから構わんよ。看護師たちはギャーギャー騒いでたけどな。身軽なのは、楽しいかい?」

 エンジュは気まずそうに、つ、と目を逸らす。

「何度も言うようだけど、手に入れたばかりの力は、危険を伴う。いまの君は若干、人間離れした身体能力を得て、ある種の万能感に舞い上がってるように見える。ただし、君は臆病だから、その力を他人に向けるという事は、まだ出来ないんじゃないかな」

「それは……その」

「君は、亜人の力を使って、戦いたいと思ったのかい?」

「まだ……よく分かりません。というかそもそも、獣の身体能力が、戦闘においてどれだけ役に立つかも、全然分かってないので、思いつきといえば思いつきなんですけど……」

「おっと、動揺してるね。瞳の色がどんどん変わって行っているよ」

「え」

「なるほど、瞳の色まではさすがに自分では気付けないか。今は僕しかいないから構わないけど、隠したいのなら日常ではこういう事も注意したまえよ」

「は、はい」

 とっさに目を両手で覆い隠したエンジュをみて、崎守はそういうことじゃないんだよなあ……と思ったが、精神が不安定になりがちな多感な年頃である少年に何を言っても効果がないだろうことは分かっていたので、追及はしなかった。

「それで、その強盗をのした強いウェイトレスの女の子ね……」

「はい。先生、前に亜人の特徴として、傷がすぐ治ったりって言ってたじゃないですか。だから、もしかしてと思って」

「確かに亜人は傷の修復が早いが、それだけでは、何とも言えない。

 例えば、肉体強化の魔法は魔法の中でもそんなに難しい方ではないから、魔法使いとしての職を得られるほど優秀じゃなくても会得している者がいたとして不思議ではないし、単に傷が治ったように見えたのは君の見間違いだったという可能性もある。あるいは、弾が掠めたのは服だけで、そもそも彼女が怪我をしていなかった、という可能性もある」

「それが、彼女が怪我をした、というのは事実なんです。服にも血がついていましたし、実は彼女の傷を押さえた時のハンカチがここにあって……」

「それをはやく言いたまえ」

 エンジュが鞄から、ハンカチを出すと、崎守がそれをひったくった。

「このハンカチ、すこし調べても良いかな?」

「ええ、どうぞ」

「ふっふっふっふ……」

 怪しい笑い声を口から漏らしている崎守をみて、エンジュはすこし怖くなったが、ふと崎守は冷静になり、

「それにしても、この辺も物騒になったもんだね」

 と、至極まともなことを言い出した。

「そうですね」

「いや、そうじゃないんだ」

「?」

「強盗の話じゃない。そんなの、まあ居合わせた君には悪いが、今あちこちで起こっているのは、こんな可愛い事件ばかりじゃないんだよ。警察も人類連合も一生懸命表ざたにならないように頑張っているが、それも時間の問題だろうな」

「どういうことですか?」

「ちょっと長くなるよ」

 そう断りを入れると、崎守は語り始めた。

「君は、先月コキリコ区で起こったテロのことは知っているかな? ほら、実行犯がバスで人の群れに突っこんだあれさ。何十人も人を跳ね飛ばして、車を何台も巻き込んで、散々やったろう」

 レストランで、新聞のおじさん達が話していた事件だった。

 確かその実行犯は、燃える馬に殺されたとかいう。

「先週も、似たような事件があったんだ」

 そう言うと崎守は、何枚かの写真をエンジュに見せた。

「うっ……」

 胴体のない人間。

 顔や手足を潰された人間。

 割れたガラスや、四肢の転がる部屋。

 それは、無残な死ばかりが写された事件の現場写真だった。

 エンジュは写真を手放したい気持ちをぐっと堪える。だが同時に、あまりにも凄惨すぎて、現実味がないとも思った。

「こちらはアリノヒフキ区に隣接してるデイド区で起こった。とりあえずはまあ……大量殺人事件と言っていいかな。規模は四階建て清掃業者の本社だったオフィスビルの中の人間が皆殺し。それも、被害者たちは皆、肉を千切られたり、まるで獣にでも食い荒らされたような有様だったらしい。

 その時間に出勤していなかったおかげで助かった人間を除いた全従業員を調べると、死体が一つ足りないことが分かった。いや、行方不明者というべきか。その男は今も生死不明で見つかっていない。

 重要参考人として手配してはいるけどね……その男の自宅を調べたら、庭から砕けた卵の殻と、瘴気の痕跡が見つかったそうだよ。雑草が生えまくってる中にぽつんとなにも生えていない場所があったからもしやと思って確認してみたらあったそうだ。瘴気がついた場所は大木だって枯れるし、しばらく草花も生えないからな」

「卵……」

「君が背中にくっつけたやつと同じみたいだよ。ビルの大量殺人は、亜人の犯行とみて間違いないかもしれないね。

 この件は、人類連合が警察から引き継いだ。警察には亜人がらみの事件をの捜査する権限は無いからね。まあ警察の捜査といっても、逃げた猛獣がいないか、動物園を片っ端から調査してたとかそういうのみたいだから、まあ見当違いだよね。それから、こっちも同じくデイド区で起こった幼女連続誘拐殺人事件」

 崎守が、別の写真をエンジュに手渡す。

「うぐ……」

「ひどいだろう、こっちも。この事件、最初はただの幼女連続誘拐かと思われたが、犯人から身代金の交渉は一切無かったんだな。犯行手口も不明。被害者の足取りも不明。警察の捜査もむなしく、やがて竹藪から死体がごろごろ発見されて殺人が発覚した、というわけさ。

 被害者の幼女たちは、脳を食われていた。

 この脳抜きについては、あまりにも残虐かつ猟奇的だったため、公表されていない。現在禁止されている生贄を使った古代呪術を施行する者の犯行ともとれたが、遺体の傷口に残された、犯人のものと思われる体液の正体は唾液だったらしい。

 もしも魔族、それも人食いが、人間領土に入ってきているとしたら、大問題だったけどね、もっと調べてみると、どうやらこの唾液の持ち主も、亜人だったんだよ」

 エンジュの背中に、ひやりとした汗が流れる。

 崎守は、エンジュの肩にぽんと手をのせた。

「――君は、運が悪かった。

 卵テロで、発現しなくても良い遺伝子が作用して、亜人になった。

 だけど君は、運が良かった。僕がすぐに診てあげられたからね。亜人になったばかりの人間というのは、理性を失い、それまで抑圧されていた意識が表層に爆発するんだ。長年他人に虐げられてきた者は、衝動的に人を殺すだろう。そして魔族の本能のまま、人間の肉を口にするだろう。

 これで最初の日、僕が君を檻に入れていた理由が分かったかな?」

「はい……」

「まあ、これらの件に関しては極端だけど、亜人が人間に牙を剥くとこうなる、って例さ。君も、亜人として誰かを相手に戦うつもりがあるとしたら、しばらく考えてみると良い。いざという時、力加減を誤らないように」

「は、はい……」

「あは。必要以上に怖がらせちゃったかな? ちょっと脅かしてやるくらいのつもりだったんだ。ごめんごめん。でも大丈夫だよ。君は」

「?」

「だって君の家は、アリノヒフキ区支部長がいて、お兄さん達はそれぞれが上等士官じゃないか。万が一にも君が暴走したら、一発で息の根を止めてくれるって」

「はは、ですよね……」

 笑いごとじゃないな、とエンジュは気を引き締めた。

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