第2話 檻の中の亜人
ドクター・崎守万作は変人にして危険人物であると、エンジュは思った。
「――隔世遺伝、という言葉を聞いたことがあるかね」
あの日、崎守は腕組みをしてキャスター付きの椅子に座って、エンジュに言った。
「隔世遺伝って……、例えば一世代置きに顔や性格が似る、とかってやつですか。孫とおじいちゃんはよく似てる、みたいな」
「ああ。そう思ってくれて間違いない。確か君の父君はアリノヒフキ区の人類連合支部の支部長だったね。……鏑矢家、代々続いている名門だ。しかし、今までこんな話は聞いたことがなかった。支部長も、君の兄達の身体検査でも、『このような兆候』は見られなかったから間違いない。ちなみに君、母君は……?」
崎守は、檻の中で膝を抱え、落ち着かなく指先のささくれを毟っていたエンジュの顔を覗き込んできた。崎守の長い髪がぱさりと肩に流れ、丸眼鏡がぞっとするほど冷たく光る。
エンジュはびくりと肩を震わせて、
「母は、もういません。僕は……妾腹だった、と聞いています。正直、母のことは、あんまりよく知らないんです。天涯孤独で、繁華街の高級料亭で芸妓をしていたらしい事だけは、なんとなく聞かされたような気もしますが、何分、僕がうんと幼い頃に、流行り病で他界しましたもので……」
「ふむ、となると、やっぱり君のその血は母君由来か。鏑矢支部長からは、何も聞かされていないのかい?」
「……はい」
エンジュが目を伏せると、崎守はとうとう興奮を抑えきれなくなった様子で、鉄格子の隙間から細い腕を無理やり滑り込ませると、エンジュの顔を両手で掴み、無遠慮にぐいっと、自らの目の前に近寄せた。
崎守の顔が、息のかかる近さにある。その迫力に圧倒されてしまい、エンジュはしばし、硬直した。
「今の君の瞳は、ヘーゼルで、おまけに虹彩が縦に入っている。まるで猫だ。ああ、目を閉じないで! 恥ずかしがらなくていい。そしてこれも……失礼!」
そう言うと、崎守は彼の三角になった耳をふにっと触った。
「うん、まさに、耳も猫と同じようだ。触り心地よし。尻尾は生えていないんだっけ? しかし、爪は鋭く尖り、額からは一本、鬼よろしく白い角が生えている、と。それから――はい、口あけて」
「あがっ」
急に口の中に指を突っ込まれたので、エンジュは妙な声を出してしまった。
「犬歯も、だいぶ長いな。舌を噛まないように気をつけろよ」
「あ、あい……」
崎守はエンジュを解放し、すっくと立ち上がると、糸を引いた唾液を白衣の裾でごしごし拭いた。
エンジュは崎守を、おそろしく失礼な人間だと思ったが、崎守はそれっきりぶつぶつと独り言を呟くばかりで、すっかり自分の思考の中に閉じこもっていた。
だがこの時のエンジュには、崎守だけが頼りだったのだ。
檻の中のエンジュは、異形の姿をしていた。
人間の体に、猫のような耳と爪。それだけならふざけた仮装に見えなくもない。
だが耳も角も、しっかりと体から生えていて、いくら引っ張っても取れないどころか、強く握ると痛い。感覚があるのだ。
身体の『変化』は、ある日を境に突然起こった。
エンジュが、格闘技の実技演習で、屋外で対人格闘術の訓練をしている時に、空から何かが降ってきた。
「それ」はエンジュのすぐそばに落下し、「ゴシャ」という音を立てて砕けた。
驚いて振り返った拍子に、組んでいたクラスメイトのイドに投げ飛ばされ、エンジュはその砕けた何かの上に倒れこんでしまった。
「悪い、つい本気で投げた」
「大丈夫、受け身とったから」
エンジュは、背中にどろりとした感触を覚えた。咄嗟に背中を探ると、液体のようなものが指先に付着した。
「なんだ、鳥の糞か?」
イドが背中を観察する。
「え、やだな……」
「それにしちゃ、色が変だな……ん? これ、卵か。殻みたいなもんがくっついてるな。鳥が落としてったんだろ。馬鹿な鳥もいたもんだな」
「卵?」
「ああ、気にすんな、卵だ。確か鳥の卵って、色が派手なのもあるよな。多分、そういうやつだろ」
「え、でもそれって外殻だけの話じゃ……」
黄身が紫色の卵などあるのだろうか。
地面を確認すると、やはり何かの卵のようなものが潰れていた。うすい殻が砕け、中身がぐちゃぐちゃに飛び出している。
しかしその色は鶏卵とはかけ離れていた。まるで青や濃い紫に近い、絵の具の塊だ。
それがでろりと広がり、エンジュの背中や、背中に触ってしまった指先にくっついているのだった。その見た目のグロテスクさに反して、妙に甘ったるい匂いがするのが、何だか奇妙で恐ろしかった。
「気持ち悪いから、ちょっと洗ってくる」
「おう」
エンジュは水道まで駆けると上着を脱ぎ、水でざばざばと洗い始めた。
そこからぷっつりと、エンジュの意識は落ちた。
数分後に、エンジュは水道で倒れているところを水を飲みに来た生徒に発見された。
保健室に担ぎ込まれたエンジュは何かの発作でも起こしたような有様だった。
意識が無く、呼吸は浅く、異常な高熱と発汗がみられ、保健室の教員では手におえないということで、区内の大きな病院へ搬送しようかという話になったが、丁度生徒に打つ流行感冒対策ワクチンの打ち合わせに来ていた学校医の崎守が居合わせていた。彼はエンジュをすぐに自分の医院に運ばせるように指示した。
目覚めたエンジュは檻の中に入れられていた。
パニックになり暴れるも、それを阻止するための檻だったので、もちろん出られない。
「普通の鉄格子だったら簡単に捻じ曲げて出られるかもしれないけど、生憎その檻は特別製でね」
不適に微笑む崎守を見て、エンジュは更に怯えた。
「どうやら起きたみたいだね。あらためておはよう。喋れるかな? 人類連合予備学校アリノヒフキ分校普通科三年一組の鏑矢エンジュくん。僕は崎守イデア。医者だよ」
「なんで、僕の事知って……」
「そっか。君は自分が学校で倒れたことを覚えていないんだね? まあ仕方ない。君の身体はもう、『発現』してしまった」
「発現……?」
言葉の意味が分からなくて、エンジュは眉をひそめた。
鉄格子をぎゅっと握る。
「獣のように扱って申し訳ない。だけど、一度こうなったからには、君はもう目を逸らすことは出来ない。さあ見給え。これが君の、今の姿だ」
崎守は檻の前に、大きな鏡を転がしてきた。
鏡の中には、角と猫耳の生えたエンジュがいた。
おそるおそる、頬に触れる。
その手には凶器のように長くて尖った爪が生えていた。
鏡の中の半獣人も同時に動く。
エンジュは自分の猫耳を、無理やり引っ張った。
「取れない……取れない……!」
「こら、あんまり耳を引っ張るもんじゃない。ほんとうに千切れてしまっても知らないよ」
「ああ、こんなの夢だ……」
「夢じゃない。君は、『亜人』なんだよ」
「あじん……?」
「そう、君は普通の人間ではない。君も、亜人の存在くらいは知ってるだろう。魔族の血を引く人間のことさ。この世界にまだ壁が無かった頃、魔族も人間もあちこちで入り乱れて生活していた。ともすれば、混血が起こっても不思議は無かっただろうね」
「魔族と人間の染色体って、数同じなんですか……?」
「そういうことは置いておいて……君、変に冷静だな。――まあ、亜人の発生についてはまだ謎が多すぎて解明されてないのが実情なんだけど、とりあえずその話は抜きにして。ざっと亜人の説明をするよ。
亜人とは先も伝えた通り、人間でありながら魔族の血を引き、その遺伝子を発現した者のことを言う。人類連合では、君のような亜人のことを、『先天性亜人』と呼んでいる。亜人は皆一様に、ヒトとはかけ離れた容姿と身体能力を持っている。例えば筋肉の収縮量もヒトより優れているので、怪力が出せる。また、白血球や血小板の数も働きも人間よりはるかに優れているので、傷の治りも早い。
ここまでで何か質問あるかな?」
「僕はなんで、こんなことに……」
「そりゃ、魔族の遺伝子が表に出てしまったからだろう。先祖がえりみたいなものだな。どうやら君の場合は、生まれつきというわけでも無さそうだが。
……ちなみに、魔族の血を引きながら、その遺伝子を発現できなかった者は、見た目がほとんど人間と変わらない。しかし、一様に短命だと言われている。
魔族は、その血自体が人間の毒になる事も多い。だから、自家中毒とまではいかなくても、人間の免疫が魔族の遺伝子に拒絶反応を示した場合は亜人として成長せずに、夭折したり、あるいは死産することも多いそうだ。そう、亜人とは、生まれる事自体が少ない、矛盾した生き物なんだよ」
「……そういえば、僕も子供の頃はよく風邪をひいて、こじらせて、あまり家の外に出たことなかったような……」
おそらく、エンジュの母親が常日頃から病がちで、流行り病でぽっくり逝ってしまったのもそのせいだろう。
エンジュは、体を小さく丸めた。
「僕はこう見えても、亜人研究の第一人者でね。いまはとある事件での責を負わされて、仕方なく引退させられてる。けれどまあ、第一線からは退いてこうして小さな診療所を開業しているけど、それでも君の通うアリノヒフキ分校の学校医として組織に食い込んでいるってわけさ。そうそう、君の遺伝子が何故、今日になって突然発現したか、説明するのを忘れていたね。原因は、あの『卵』さ」
「たまご!」
「君の背中にべっとりくっついてた紫の。あれは魔族の瘴気の塊さ。実はあれがバラまかれたのは、この間が初めてではないし、あの学校だけで見つかっているわけではない。ここ数か月、人類領土で何度も起こっているのさ。
まだ調べてる途中だからはっきりした数は言えないが、僕が調べた範囲だけで五回は確実だ。しかも、政府はこの事実を隠匿している。
まったく、これはこれは由々しき問題だよ。本来なら公にして、大々的な注意喚起をするべきだったんだ。そのせいで、君みたいな事故があちこち起こっているんだからな」
「じゃ、じゃあ、その卵に触れた人は、みんな僕みたいに?」
「ならない。さっきも言ったろう? 元々、魔族の血を引いている人間の方が少ないんだ。あの瘴気は、先祖に魔族のいない人間にはほぼ無害だが、君は大当たりだったってことだ。
君の中で眠っていた魔族の血は強制的に目覚めさせられた。
ちなみに、僕はこの一連の騒動を『卵テロ』と呼んでいる。君は、運が悪かったんだよ」
「うう……くるるる……」
「まあ、そう唸るな。いま薬を打ってあげよう。僕の理論が正しければ、効くはずだから。効かなかったらごめん」
そう言うと、崎守はテーブルから大きな注射器を取り出した。
「薬……あるんですか?」
「うん、大急ぎで作ったんだ。覚えていないかもしれないけど、君は倒れた後、三日間眠っていたんだよ。だから、その間にね」
用意されていた注射針は、まるで象にでも使うような太いものだった。
「生憎、念呪入りの針はこれしか無くてね。もっと細いやつを、そのうち発注するよ。それまではこれで我慢してくれ」
人間用の針では、皮膚に弾かれて無理やり刺そうとしても折れてしまうのだそうだ。
エンジュは大人しく腕を差し出して、固く目を閉じた。
「注射は怖いかい?」
「自分に痛いことが起こってるという事実から目を逸らしたいだけです」
「見てた方が痛くないって説もあるよ」
「痛っ」
「うん、入った」
ほどなくして、エンジュは無事に華奢な人間の身体に戻った。
そこで、どっと疲労感が襲ってきた。
エンジュは檻の鍵を開けて貰えたが、しばらくは中でぐったりとしたままだった。
「ご家族には、僕から言っておいたから」
こんなことでは、ますます家の中で肩身が狭くなるなとエンジュは思った。
人間至上主義の父親は、化け物になった自分を、きっと今まで以上に認めないだろう。
「泣いてるのかい? もう一泊していく?」
「せめてベッドがいいです」
「ならそこから出ておいで。ごはんを食べよう。相当お腹も空いてるはずだ」
退院後、エンジュには飲み薬が処方された。
亜人の体の変化は、精神状態に依存することが大きいらしい。
情緒不安定になると、身体が脅威を与えるものに抵抗をしようとして、変化してしまうのだという。だから、薬とは体の変化を抑制するものではなく、精神安定剤のようなものだと崎守は説明した。
薬は毎日必ず服用すること。それから、少しでもまずいと思ったら迷いなく薬を飲むこと、体調の変化には詳細な記録をつけることを約束させられた。
「必ず週に一回は来てね。。三日に一度来てくれたって構わない。診療時間外でも構わないから」
「……はい」
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