第2話

 ベン・アドラはその夜考え込んでいた。あの幼馴染ガラ・ステラ、優秀だけど不思議で何も考えていなそうなガラが始めて興味や決意を口にしたからだ。

『スペース・クラウンになるにはどうしたらいいの?』

 ガラにそう聞かれた時に、ベンは面食らって『なんでいきなり・・・?』 と訊ね返してしまった。

『今朝のニュースで、スペース・クラウンが老朽化して廃棄処分になるってあったみたいよ。』ガラが答えた。

『セリーシャが言ってたね・・・クラウン社なのか。衛星巨神資格審査というの がある、というのは僕も訊いた事があるな。』

『どういう審査なの?』 ガラは興味津々だ。

『知力と体力を見る審査らしい。宇宙をぐるぐる回るからね。過酷なんだろう。』

『へえ。』

『でもなんでいきなりそんなスペース・クラウンに興味持ったんだい?。』

 そういうとガラは悪戯っぽく笑って何も答えない。ふと、ベンは閃いた。

『クラウン・・・道化師・・・もしかして夢のせいか?』

『・・・・どうでしょうね。』

『ガラ。もしやあれを目指すつもりか?君はすごいロボット博士になれるかもしれないんだぞ。あんな夢のために、自分の才能を投げ打つなんて・・・。』

『ベンも、ロウジェベール教授と同じ事言うのね。』

『う・・』ベンは口をつぐんだ。ロウジェベール教授には引き止めるには十分な動機があるが、ベンの場合は単なる学友であり、引き止める動機は・・・。

『私は知りたいの。』ガラは言った。『きっとあそこには何かある。この世の諸々よりも知らなくちゃいけない事が、ある気がするの。』

 ガラの強い決意に対して何もいえなかったベンは自分の不甲斐なさをひどく嫌悪 していた。

(僕は嫌なんだ。僕はあの子と今後会えなくなるのは・・・。) ベンは歯を食いしばりながら自問自答する。 (親友として応援してやりたいのに、どうか失敗するように、と願ってしまう自分が、ああ、嫌いだ。自分が嫌いだ・・・。)



 ガラはいつも通り検診をすませて通学路を歩くとベンはいなかった。その代わり途中でセリーシャが合流してきた。

「おはよう天才ちゃん。」

 セリーシャがあからさまに親しげに話しかけるとガラが「おはよう!」と笑顔で答えるので少し眼を丸くした。

「ボーイフレンドはどうしたの?」

「わからない。」ガラは答えた。

「あらそう。」セリーシャはフンと鼻息を出し、しばらく黙った後、また訊ねた。 「アンタ日ごろ何考えて生きてるの?」

「何考えて?うーん。空が綺麗だなーとか、あのロボットが可愛いなーとか。」

「ロボットに、可愛いとか、あるんだ。」セリーシャは吐き捨てるようにいう。

「セリーシャはそうは思わないの?」

「あたりまえでしょ。ネコはかわいいけど。」

「ネコ好きなんだ。」

「う、ああ、うん。」セリーシャは口を滑らしたかのように口を押さえて気まずく なってしまった。

「セリーシャって自分の事ネコっぽいと思った事ある?」

「はん?」唐突な質問にセリーシャは逆に驚いてしまった。「考えた事ない。」

「私はロボットが好きなんだけど、私だってロボットのようなもの。だからネコが好きなセリーシャはネコっぽいのかなって。」

「・・・。」セリーシャはその言葉を言ったガラのすこし物寂しげな顔を見て何も返事が返せなかった。ガラは慌てて打ち消した。

「あ、ごめんね。」

「え?」セリーシャは言った。「あんたが自分が特別なのが悩みだからって、こっちは嬉しくもなんともないよ。」そういってセリーシャはガラから足早に去っていっ た。憎まれ口なのにどうして私に話しかけようとするのだろう、とガラは不思議に思っていた。



 ベン・アドラはその後も見かけなかった。ガラは一人で図書館に向かい、衛星巨神資格審査について調べていた。

 衛星巨神はロウジェベール教授の言うように、人間の精神と一体となった通信衛星の開発から生まれた。二百年前にその設計思想を述べたエドマン・ステラ博士は奇人であると囃し立てられたが、しかし、そのうち彼のその他の科学的実績が知られる内に、多くの人が彼についていくようになった。人々が衛生巨神の何に興味を持ったのかというと、まず一つは純粋な機械とは異なる性質、そしてもう一つはシンボリックな存在で商売になるという点であり、こうして資本者との結びつきを経て多くの賛同者を得始めた後、各社が何らかの目的で衛星巨神を打ち上げるのが風習となり始めるに至った。

 こうしてエドマン・ステラは偉大な科学者として名を残し、その論文は現代に至るまで古典となっている。ガラ・ステラの姓名は彼を記念して付けられたものであるが、もしかして、彼がお父さんなのかな、彼が太陽で待っているのかな、とガラは気になって、エドマン・ステラの伝記を急いで探し、引っ張りだそうとして他の伝記が飛び出そうとするのを抑えて何とか手に入れて、中身も見ないうちに受付に向かって借用願いを出した。そして本を開き、 エドマン・ステラの最期から見てみたが、残念ながら彼は太陽に向かい行方不明になったわけでもなく、ごく普通に病に倒れて病院に引き取られて亡くなっていた。なぁんだ。太陽にいるわけじゃないのか。

 しかし考えてみれば、ガラ・ステラは精子も卵子も介さない人造細胞によるクローンの第一号であり、その設計には多くの頭脳が使われた筈である。ガラ自身の設計者の父たちが、あの夢の中の父と同じ筈であるはずがない、だからエドマンが父親とは言えないだろう。とはいえ、エドマン・ステラの論文はガラの出生においてそれなりに重要な存在かもしれないし、この本はあとでゆっくり読もう、とガラが思ったその時、ガラの肩が小突かれた。

「よ。」

ベン・アドラであった。「調べているのか。衛星巨神の事を。」

「あ、そうよ。」ガラは椅子に座りながらベンを見上げていった。「ところで今朝は会わなかったけれどどうしたの?」

「ちょっと気分が悪くて、出るのが遅れてしまってね。」

「あら大丈夫?」

「うん、あ、邪魔してごめんね。」

「いいよ。もう終わったしあとはこの本を持ち帰って読むだけだから。」

「そう。」

「帰ろ。」

「うん。」







「あのさあ。」二人が沈黙したままずっとあるいていた中、唐突にベンが口を開いた。「本気なのかい?衛星巨神のこと。」

「え?」ガラはベンを向いて言った。「勿論よ。」

「人間として帰れなくなるかもしれないんだぞ。」ベンは強く言った。「それでもいいのか?」

「私はクローン人間で帰る家なんてないよ。」

「・・・」ベンは表情が固まる。

「ベン。」何かを察したガラはベンをまっすぐ見た。「私がもしも星になったとしても、ベンの事は絶対に忘れないから。」

「そんな・・・・。」ベンは勝手に涙が毀れてしまうのを必死に拭った。

「ごめんね。」

「たかが夢なのに・・・。たかが夢でどうして!」

「ベンには絶対理解できないと思うけど、」ガラは言った。「私は放ってはいけない事だと思っているの。」

「もしもただの気の迷いだったら・・・間違いだったら?」

「私は何度もその事について考えたよ。」

「・・・・。」

「私は決心したの。」

「・・・・。」ベンは何もいえなかった。いつのまにか二人とも足を止めていて、それに気付いたお互いは気まずそうにゆっくりあるき始めた。



 その日からベンとガラは、登下校中に共に歩く事はあってもあまり喋らなくなってしまった。沈黙のまま道を歩く二人に悪戯っぽくセリーシャが挨拶してきた。指を煌めく星のようにキラキラと振って挨拶するものだからベンは苛苛していた。ガラはセリーシャが今は口で言うほどガラに対して嫌な気持ちを抱いていないな、と思っていた。というのも、昼休み頃にセリーシャが快活にガラに話しかけて来たからである。

「よっ!」セリーシャが挨拶してきた。

「あら、セリーシャ。」

「天才ちゃんー。」セリーシャは妙に馴れ馴れしく話しかけた。「最近ボーイフレンドとどうしたのー?」

「ああ、うん。」ガラは慌てて答えた。「特に何でもない。」

「ふーん?」セリーシャは見定めるような悪い笑顔をした。

「セリーシャって、どうして衛星巨神になりたいの?」ガラは話を逸らした。

「どうしてって、そりゃ、素晴らしい事じゃない。知力と体力が認められ」それを語る時のセリーシャの目の輝きにガラは少し慄いていた。「大きな神様になって地球を見下ろすなんてなんて楽しい人生なの!」

「大きな神様となって地球を見下ろす?コックピットからなのに?」

「何も知らないのねえ。」セリーシャはくすすと笑った。「ニンジャ社の衛星巨神だけは例外的にそういうコックピット式なんだけど、大抵の衛星巨神はパイロットの肉体がそのまま星になるの。肉体が機械と組み合わされて、宇宙の上でパラッシュートみたいに広がる。そうすることで神経とリンクして、機械よりもより創造的な判断を下す通信衛星を実現させる。ある意味世界の先を定める、神様のような役割よ!」

「搭乗者自身が機械と組み合わさって巨大化・・・。」ガラは考え込む。

「そうやって地球を見下ろしていくの、気持ちよさそうじゃない?」

「そうね、それで審査が必要なのね。」

「その通り。いわば人間自身が導線になるわけだから、それに耐えられない弱い人とか頭の悪い人とかがパイロットとして工事されたら大変よ。」セリーシャはガラの華奢な身体をチラリと見る。

「ふうん。」ガラは特にまた考え込む。

「ま、あなたには関係ない話ね。」セリーシャがそう言うので、ガラは特に打ち明ける事もなく次の授業へと向かう。


 このようにしてガラとセリーシャは次第に距離感を縮め、ベンとガラは話さなくなってしまった。登校中、ベンとガラは一応出会う。しかし沈黙のまま前を進み、 やがてセリーシャと会い、ガラはセリーシャと話していく。その度にベンは孤立を強く感じるのであった。


 (セリーシャはガラが衛星巨神資格審査を受けるのを警戒し、しかし、受けなさそうな様を見て安心してあのように仲良くしているようだが、) ベンは喋る二人を見ながら考える。 (ガラが実は乗り気である事を知っているのだろうか。 もし知らなかったら) 自分がセリーシャに言って、そうすればまたセリーシャはガラから離れ (いやいやいや、そしたら両者の孤立を深める最悪な結果になる。) ベンは打算的な男であった。彼は人文学的な方に多少興味がありダルムッシオという作家について学校で研究していたが、将来の仕事について何も見当たらずにモラトリアムを過ごす為だけにその学科を選んでいた。そのような引っこみ事案な性格だったので、面倒ごとは何より避けたかったのである。

 (僕とガラではあまりに志の質が違いすぎる。)ベンはガラの決意を思い返す度に思うのである。(僕ごときのエゴでガラを引き止めるなんて、できない。)




 翌週。



 ガラはクローン人間として必要な朝の検診を終えた後、家を出て、道中でベンを見かけた。ベンはガラを一瞥したがすぐに前を見て歩いてしまう。ガラはそんなベンを見て軽く聞こえない程度に鼻でため息をつく。空は幸い太陽の見えない曇り空で、ガラはその曇りを見ながら太陽について思いを馳せる。そうだ、もともと私は太陽について思いを馳せていたのだ。どこからその性質を与えられたのか分からない。なぜなら私の身体は人造細胞だから。空には相変わらず冠型の飛行船がこだましながら ニュースを伝える。

「・・・おはようございます・・・今日は一日中曇りでしょう・・・雨の心配はありませんが・・・備えておくと良いでしょう・・・」

 あれも衛星巨神クイーン(女王)から放送されているんだろうな、とガラは思っ た。探査衛星のクラウン(道化)は何をするのだろう。

「よっ」セリーシャが話しかけて来た。

「おはよう!」ガラはすっかり親しみの挨拶を自然に返す。

「今日はロウジェベール爺の授業だわね。」

「教授の事をそんな爺、だなんて。」

「だって爺じゃない。」

「立派に歳を取られたお方ですよ。」

「ガラはロウジェベール爺の事よほど尊敬してるんだね。」

「そりゃそうじゃない。あんなに一つの事にこだわってやる人、好きよ。」

「ははは。」

 しかしガラは再び教授と会う事について、気が重かった。衛星巨神の決意のことを、どう伝えよう?




「・・・テフリアン構造は以上、こんな面白い、大胆なアイデアで出来上がってる のでありますね。」ロウジェベールはそう言いながら時計を見る。「おお、授業の終 わりの時間だ。皆さん、解散!」

 生徒達がわらわらと席を立って教室を出て行くが、ロウジェベールがガラに目配 せしていたので、用件を察したガラはセリーシャに「後でね!先行ってて。」と言った。セリーシャはガラをしばらく見つめながら静かに去っていった。ロウジェベールは教室の扉を開けて中に入って、と言いたげに目配せする。ガラは扉に入る。

 二人が教官部屋に入った事を確認したセリーシャは、いったい何の話をするのか気になってしまい、こっそりその扉に近づいて聞き耳を立てる。

「・・・それで、ガラくん、結論は出たかね。」

「研究室に入るかどうか。」

「そうだ。」

「はい、それなんですが。」

「うん。」

 ロウジェベールの返事が嬉しそうだな、とセリーシャは思う。そんな話をしていたんだな。キー、天才ちゃんは恵まれてる。

「実はその。」

ガラの声が聞こえた。

「私、クラウンの衛星巨神資格審査を受けようと思うんです。」

 セリーシャは頭の中が真っ白になった。

「・・・・え?」

 ロウジェベールがセリーシャの気持ちと呼応するかのように失望の声を発した。

「ごめんなさい。わたし、色々と考えたんですけれど、どうしてもこの道に進まなきゃいけない、と思った事があって・・・。」

「・・・・そうか。」ロウジェベールはため息をつく。「深くは聞かん。君がその、決心をしたというのなら、それでいいと思う。栄誉だとか神になりたいとかそういう汚い理由じゃなくてね・・・」セリーシャはそれを聞いて(何が悪いの!?)と逆上しかけるのを思わず抑えた。「・・・ でも惜しいなあ。君の力を持ってすればどんなにすごいものができたか・・・」

「私は機械と会話する力はあっても」ガラの声。「新しく作る力は無いのだと思います。」

「・・・そう思うのなら、そうかもしれないね。」ロウジェベールはボソリと言った。「僕の手足になってくれ、と言うつもりは全くない。」

 うそつけ!言葉に表れているじゃないか!弱気な爺め!と思いつつ、しかし、ガラの衛生巨神の決心を聞いた衝撃で平静を保てず、聞き耳を立てることに限界を感じたセリーシャはふらふらと教室を出て行った。いや、あんなひ弱なクローン一号で身体が安定しているかもわからず毎朝検診しているらしい奴が、あのような過酷な任務において簡単にいけるはずが無いじゃないかと必死に自分に言い聞かせるが、錯乱はなかなか収まらない。私が・・・私こそが・・・嫌・・・まさか・・・考えてはいけない・・・ とにかく・・・自分の方が勉強もできている・・・落ち着いて事を進めよう・・・ それがいい・・・。




 ロウジェベールを落ち込ませた事にガラは落ち込み、顔を下に傾けながら廊下を歩く。途中セリーシャとすれ違い、セリーシャから「おや、大丈夫?」とやけに明るく話しかけられる。「ごめん、ありがとう。 大丈夫・・・」と答えながら、ガラは暫く意識を無にして、ロウジェベールの失意を外に流そう、としばらくじっとする。「ガラ?」とセリーシャが不安げに話しかけた頃にはガラは明るい顔で「さ、昼食食べましょう。」と言う。セリーシャは、動揺がガラに向かってはみ出そうではみ出そうなのを恐れながら、明るくなったガラの後をついていく。しばらくどう接していこうか、セリーシャはガラの綺麗な銀髪を見ながらぶつぶつ考える。

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