シミュレーションRPG狂騒曲サラリーマンが剣士で王子様?

独身奇族

プロローグ

第1話『ボッタクリには、百戦錬磨?』

 ここは、新宿歌舞伎町のど真ん中。すでに真夜中の午前零時を過ぎているが、どこにこれほどの人数がいたのかと思うほど、大通りを埋める人波が途切れることはない。


 ケバケバしいネオンサインの灯りが、都会の夜から暗闇を奪い去っていた。男も女も不夜城と化した歌舞伎町を、まるでゾンビのようにゾロゾロと練り歩く。


「ねえ、そこのカッコイイお兄さん。暇ある? 今ならー、九十分飲み放題でー、ハッスルタイム有り有りのー。すっごくー、良い店あるんだよー」


 ペアを組む若い女の子達が、鼻から抜ける奇妙なイントネーションで行き交う男達に媚を売りながら声を掛けていた。


 しなやかな肢体にピッタリと貼り付くキャバクラ嬢ドレスに身を包んだ彼女たちが、お店の割引券付きチラシを手渡している。


 本当に日本人なのか? と思うほど金髪に近いウィッグ。お目目パッチリ付けまつ毛。指先には、ネイルアートといったド派手メイクの彼女達。


 衣装は、ウェストでキュッと絞られたデザインのワンピース。膝上二十センチのショートドレスから伸びる美脚を武器に、今夜カモに出来そうな客を物色する。


 不景気が続く日本経済の最中、店の売り上げを上げるためにキャバクラ嬢達も店のボーイや黒服に混じって、呼び込みに狩り出される場合が多いのだ。


 ゴールデンウィーク真っ只中のせいか、歓楽街を取り締まる新宿警察署の規制は厳しい。主要な交差点で待機するパトカーの赤ランプが、狂ったように回転する。


 だが、いかがわしい店の強引な客引き達は、公僕など気にも留めない。尽きる事無く違法な勤労意欲を発揮して、せっせと通行人にキャッチの声をかける。


 騒然とした大通りから、一本奥へ入った狭い路地の交差点。薄暗い路地の角に風営法スレスレのピンサロやキャバクラ店の黒服連中がたむろしている。


 そんな所へ赤ら顔をした三人の男が、足取りも怪しくフラフラとやって来た。チビ・デブ・ハゲの三拍子揃った中年親父を、まだ二十代の青年二人が両脇から支えている。


 さっそく、交差点で獲物を物色していた客引きの一人が三人に声をかける。年はまだ若い。黒服姿で店のチラシを見せるが、どう見ても二十歳前の少年だった。


「社長! どうです? 飲み放題。良い娘を付けますから。四十五分、五千円ポッキリ。大丈夫、すぐそこですから。さぁ、オイラがご案内しますよ」


(いったい、何が大丈夫なんだ? しかも、オイラって……)


 背広姿で中年親父に肩を貸す藤堂とうどう 剣一けんいちは何とか客を引っ張ろうとする黒服姿の少年を半ば朦朧とした意識で眺めていた。


 まったくの偶然だが少年が声を掛けた、泥水状態で二人の青年に抱えられている中年親父は確かに社長だった。


 彼らが勤務する三流商事会社の命運を握る、大事な取引先の代表取締役である。大口の契約を何とか無事に締結し、今夜はその打ち上げに歌舞伎町へ繰り出したのだ。


 だが、どうやら商事会社の役員たちは、酒好きな契約相手の社長のお守りを担当者の若い二人に押し付けて、さっさと姿を消してしまったようだ。


「あん? 君はどこの店の黒服だ? ワシはこう見えても水商売にはうるさくてな。キャッチが紹介する店なんて、若い娘が在籍していた例がない。ヒック」


「勘弁して下さいよ、社長。最近のキャッチって言うのは、ホラあそこ見て下さい。あんな風に女の子が、声を掛けて来るのが一番ヤバイんですよ」


 通りの向こうで、ミニスカでド派手メイクの二人に両脇を挟まれ、鼻の下を伸ばしているサラリーマンの二人連れが見える。


「なるほど。じゃが、ワシは若い娘がいる店しか行かんぞ? わははは」

「任せてください社長。とびっきり若くてピッチピチですよ」


(今時の客引きが、そのキャッチフレーズはどうかと思うが……)


 中年親父の身勝手な叫びと若い客引きの時代遅れなトーク。そんな不毛な会話に、藤堂は頭に浮かんだセリフを二人に突っ込む気力もなく、愛想笑いを浮かべる。


「そうか。藤堂君、じゃあもう一軒行くか。わははは」

「はぁ、そうですね」


「社長、もう本当に勘弁して下さい。僕、これ以上アルコールが入ると責任持てないっすよ」


 中年親父をもう一方で支える藤堂の部下、酒田さかた 鉄平てっぺいが泣き言を口にする。巨漢のサラリーマンが、弱音を吐く姿はどこかユーモラスだ。


 身長こそ百八十センチの藤堂より頭一つ低いが、彼の横幅は上司の倍ほども広い。厚みのある格闘系の肉体を収める背広やカッターシャツも特注品だ。


(ったく、鉄平の奴。図体だけはデカイくせに、この場の空気も読めないのか。まあ、三軒ハシゴした後で、社長の武勇伝もこれで三回目じゃ、コイツが切れるのも無理ないか)


 弱音を吐く部下に思わずしかめ面になった藤堂だが、いい加減この親父から解放されたいと思っているのは彼も同じだった。


「何だ、君はだらしがないな。いいか? ワシが若い頃は、月曜日の夜から酒場へ繰り出したもんだぞ。で、そのまま次の日は会社へ直行だった。わははは」


 内心では接待相手に直訴した部下の勇気に拍手を送りたい所だが、上司としては能天気な部下をガツンと諌めなくてはならない。サラリーマン稼業の辛いところだ。


「鉄平、社長がもう一軒と仰っているんだ。つべこべ言わずにお供するぞ!」

「先輩ー」


 アルコールに弱い酒田が、泣きそうな表情で藤堂を見つめる。そんなことにはお構い無しに、中年親父と仕事熱心な黒服が通りに響くような大きな声を張り上げた。


「ようし皆の衆。レッツ、ラ、ゴーだ! わははは。ヒック」

「では、三名様。ご案内しまーす! オイラに付いて来て下さーい」


(だから、オイラはやめろって)


 内心では、とっとと早く帰りたい気分でいっぱいの二人が、揃って若い黒服にツッコミを入れる。


――■――□――■――


 新宿歌舞伎町のとある場所に建つビルの八階。若い客引きに案内されて、エレベーターから通路へ出た三人が、正面のドアに掲げられた店の看板に目をやる。


ガールズバー『ぎんぎらガールズ』


 黒服が扉を開けたので、三人がドアの外から中を覗き込む。思った以上に店内は明るい照明で満たされていた。どこかホッとしたように、社長が足を踏み入れる。


「いらっしゃいませー」


 店はそれほど広くはなかった。熟女ママと二人のカウンターレディ(残念ながら、若い娘とは描写できない)が声を揃えて藤堂たちに声をかける。


 店の中は閑散としており、先客が一人カウンターで酒を飲んでいるだけだった。チラッと鋭い視線を三人に走らせた後、興味なさそうにママとの会話を続ける。


 カウンターレディとは名ばかりの女達が営業スマイルを浮かべて彼らを案内する。三人掛けのソファーと白いテーブルで設えられたボックス席だ


「ハイ。冷たい、おしぼりをどうぞ。お煙草は、お吸いになられますか?」

「お酒はどうなさいます? 飲み放題なら、おビール? お酒? それとも焼酎?」


 手馴れた様子でコップや灰皿をボックス席にテキパキと並べていく。小さめのテーブルは、あっという間にアルコールの瓶やチャームの籠盛りで一杯になった。


「乾杯ー」


 五つのグラスが涼しげな音を店内に響かせる。穏やかに流れるBGMは、先ほど三次会で入った戦場のような騒音を垂れ流すキャバクラとは大違いだった。


 客引きに案内された店とあって、最初は警戒気味だった三人も、いつしかアルコールと疲労と睡魔で緊張感もほぐれていった。


 店内に響き渡る彼女達の嬌声が、ぼんやりと耳の奥を通り過ぎる。青と白を基調にした膝上の丈が極端に短いデザインの制服が、シャンデリアからの照明に映える。


「社長ってお酒とっても、お強いんですねー」

「駄目ー! コップを置いちゃ。今度は、私がお注ぎする番ですよー」 


 中年親父が三人掛けのソファーの真ん中に陣取り、両脇に二人の女性をはべらせている。酔っ払って顔を真っ赤にした社長が、高笑いしながらグラスを傾ける。


 この店に来るまでは、むさ苦しいスーツ姿の藤堂と酒田に支えられて泥酔状態だった社長も、どうやらちゃっかりと体調を回復させたようだ。


「何だ、君らは? ワシは、若い娘しか相手にせんと言っとるだろー。わははは」

「もう、そんな意地悪ばっかり。私、社長よりずっと若いんですよ」


 そう言いながら右側の女がおもむろに脚を組み替える。六十五センチの大胆スリットから覗かせるフトモモには、流行のタトゥーがプリントされた黒いストッキング。


 社長の目がそこへ釘付けになる。イヤラシイ視線を外そうともせず、ガン見のまま冷酒のグラスをグイッと仰ぐ中年親父のスケベ心がある意味羨ましい。


「おお、そりゃそうだ。確かに若いな、わははは」

「ずるーい。私だってー若いんだから!」


 対抗意識を燃やしたのか、もう一人が社長の腕を取る。ハート型に開いたデザインのドレスからこぼれる大きく膨らんだ胸が、中年親父の肘の辺りを柔らかく刺激する。


 男心をくすぐる、見えそうで見えない黒く透けたレースの生地が、豊満な胸の谷間をこれでもかと強調して社長の視線を奪い返す。


「おおっ! そうか、そうか。わははは」

「でしょ? でしょ? うふふ」


(おいおい、冗談じゃないぜ。社長と比べたら、店のママだって若いって事になるだろ。大体どう見てもこの女達、俺より年上じゃないか?)


 チラッとカウンターに視線を移すと、ママが先客に耳打ちしている所だった。一人で酒を飲んでいた目付きの悪い男は、慌てたようにこちらから目を逸らす。


(何だ? ……ひょっとして、やっぱりアレか?)


 嫌な予感を憶えながら、両手に花の状態で高笑いする社長に視線を戻す。テーブルの向こうで、嬉しそうに酒を飲み干すオヤジを見つめながら藤堂がふと考える。


(ガールズバーが聞いて呆れる。十二時過ぎからボックス席で営業なんかしやがって。どう見てもキャバクラ、いやセクシーパブだろ。風営法なら完全にアウトだな)


 そんな事を思案していると、隣に座った部下が小声で呼びかけてきた。三人掛けのソファーを二人分占めるほど体格のよい酒田が、今夜はやけに小さく見える。


「先輩、もう帰りましょうよ。僕、どうもお酒は苦手っす……。飲みすぎると、いつの間にか記憶が飛んじゃって。もうメーターが振り切れそうで恐いっす」


 ウチワ程もある大きな手を口に当てて藤堂に顔を寄せる。泣きそうな顔をした巨漢がボソボソと喋る様子は、傍から見てもあまり気持ちが良いものではない。


「この三重苦チビ・デブ・ハゲ親父を一人置いて帰れる訳ないだろ!」


 相変わらずテーブルの向こうで舞い上がる中年親父に聞こえないように、藤堂も声を潜めて図体だけはデカイ気弱な部下に囁く。


「コラ! そこの二人。男同士でヒソヒソ話はやめんか。わははは」

「キャー、やだ。ひょっとして貴方達、出来ているんじゃないの。うふふ」


 店内に流れる優雅なBGMが、ふんぞり返る社長と女のセリフに相まって凄まじい不協和音を奏でる。


「はぁー」


 仲良く横に並んでソファーに腰掛けるスーツ姿の若者二人は、げんなりした様子で揃ってため息をついた。


「よし、分かった。えーっと、酒田君だったか? とりあえず飲め! 【酒】の一文字が入った、そんな立派な苗字なんだ。飲めない訳があるまい? わははは」


「ハーイ。グラスをどうぞ」

「お注ぎしまーす」


 女達が待っていましたとばかりに差し出す大きなコップとビール瓶。仕方なく受け取って傾ける酒田のグラスに、ゴボゴボと泡を立てて金色の液体が満たされる。


 大柄な身体を小さく丸め、先ほどまで異常に白かった容貌を土気色に変えながら、それでも理不尽な社長に直訴を繰り返す。


「さっきの店でも言いましたけど、僕はお酒が苦手なんっすよ、社長!」

「貴様、ワシの酒が飲めんと申すか? わははは、無礼打ちじゃそこへ直れ」


「キャー。素敵ー」

「社長! 早く、無礼打っちゃってー」


 見えない真剣を振り上げてバッサリと切る真似をする社長に、異常な程のハイテンションで囃し立てる女達。


 呆れ返る藤堂はグラス片手に救いを求める部下に、仕方がなく社長にとりなそうと立ち上がる。


「すいません。コイツ本当に下戸なんですよ。自分が代わりに頂きますから、どうか勘弁してやって下さい」


 そう言いながら、自分のグラスに残った生温いビールをグッと飲み干す。左手で首元のネクタイを少し緩めてから、空になったグラスを中年親父に向かって差し出した。


「いや。勘弁ならぬぞ、藤堂君。それでは君の部下が成長しないではないか。酒田君もいい大人じゃろ? ここは一つ、自分で責任を取ってもらおう。わははは」


「うふふ。酒田くーん、社長命令が下っちゃったよー。早くー」

「そうそう。ホラ! そのビールを飲み干しちゃって。ハイ、一気、一気、一気」


「おい、やめろって。コイツは本当に……」

「いえ。僕、飲みます! これ以上、先輩に迷惑を掛けられないっす」


「よく言った! 後のことは気にするな。ワシが責任を持つからな。わははは」

「分かりました。男、酒田鉄平。一気、逝かせて頂きます」


 はしゃぐ女達の一気コールの中、酒田がグラスビールを無理矢理に口へ流し込む。うんっぐ、うんっぐと喉を鳴らし、まるで毒杯を仰ぐ様にして飲み干した。


「あ、それ! 酒田君の、もっといいトコ見てみたい!」

「大きく三つ。小さく三つ。おまけに三つ。ソーレソレ。一気、一気、一気……」


 大きな手がグラスをテーブルに置く前に、今度は何と、日本酒が注がれた。水商売の女達が、手拍子を打って飲めない酒田を再び煽り立てる。


(あーあ。地獄モード突入かよ。それにしても、その一気の掛け声。もう一昔以上も前のコールだろ? あんた達、いったい何歳なんだ?)


 藤堂が年齢不詳の女達に心の中でツッコミを炸裂させる。隣では、なみなみと注がれた冷酒に、巨漢がエヘヘと不気味な笑いを浮かべている。


 ヤケクソになった酒田は、腰に手を当て無色透明な液体を飲み干しに掛かった。ビールと比べアルコール度数が半端ない日本酒が、大男の胃袋に納まっていく。


「おいおい。鉄平、もういいから。その辺でやめておけ。お前、それ以上飲んだらヤバイって!」


「ヒック。なぁに言ってるんすか、先輩。しゃ、社長がしぇっかく責任持つ、って言ってくれてるんっすよ。こ、こ。ここで飲まなきゃ男が廃る!」


「おおそうじゃ。今度はワシが注いでやろう」

「あざーっす」


 トクトクトクとお銚子の口元からこぼれる音を聞きながら、完全に出来上がった酒田が、学生時代のノリでグラスを傾ける。土気色だった顔色が赤黒く変わっていく。


「社長、ソロソロどうです? コイツが粗相をしでかす前に、お開きってことで」

「いいから。せっかく君の部下もエンジンが掛かってきた処じゃないか。わははは」


 ばつが悪そうに立ち上がりかけた腰をもう一度ソファーに降ろし、「もう、どうなっても知らないぞ」と呟きながら首を振る。


「ソーレソレ。一気、一気、一気……」

「キャー素敵! もうちょっとよ、がんばってー」


「うんっぐ、うんっぐ……。プハァー。どうれす! しゃ、社長。ぼ、僕らってやる時は、ヒック。やるんすよ」


 大騒ぎして拍手する女達には片手を上げて応え、社長には誇らしげに胸を張ってドヤ顔を見せる。ユラユラと揺れる巨体は、強靭な足腰でひっくり返る事はない。


「おお! 見事。さすがワシが見込んだだけの事はある。藤堂君、出来る部下を持って君も幸せだな、わははは。ウカウカしていると、君も追い越されるんじゃないかね?」


――ピッ、ピクッ!――


 その一言を聞いた酒田のこめかみが、小さく痙攣し始める。ようやく地獄モードから開放されて、ソファーにどっかと腰を降ろした大男が社長に向かって吼えた。


「ぬわにぃ? てめぇ! 今、なんて言った?」

「馬鹿、鉄平! 黙っていろ」


 中年親父の余計な一言にカチンと来た酒田が、ヌッと立ち上がる。テーブル越しに社長を見下ろす巨漢を慌てて藤堂が押さえにかかる。


「くぉらぁ! チビハゲ親父。オレ様が先輩を追い越すだ? 有り得ねえだろ、そんな事。ヒック」


「お、お、お。そ、そうか。そうだな、ワシが悪かった」

「謝って済む問題か、ボケェ! てめえは、これで顔を洗って出直して来い」


 完全に目が据わってしまった酒田が、そう言いながらテーブル上のビール瓶を二本、ヒョイヒョイと両手で掴む。


 次の瞬間、対面のソファーに座る社長の頭上で瓶が傾けられた。栓を抜いたばかりのビールが二本の滝となって、ダバダバと社長のハゲ頭をびしょ濡れにする。


「キャー。もう、何するのよ! 馬鹿じゃないの?」

「うっそー! す、すぐにおしぼりお持ちしますから」


 デカイ図体の割には大人しそうだった酒田の豹変振りに、女達が絶叫する。大騒ぎで対応に走り回り、テーブルや床は白い布巾とおしぼりが山積みされた。


 だが、被害者のハゲ親父はことさら激昂することもなく、自分の首に巻いた高級ブランドのネクタイで、平然と顔にかかったビールの泡を拭いている。


「藤堂君。じゃあ、今日はこの辺でお開きにするか?」

「は、はい。申し訳ありません」


 女達に手渡されたおしぼりで頭や肩を拭きながら、気のいい笑みで切り出した社長に藤堂が深く頭を下げる。


「わははは。今夜は無礼講じゃからな。ワシも調子に乗りすぎた、済まんかったな」

「ありがとうございます。こら、鉄平! お前も謝れ。馬鹿!」


(さすが一国一城の主。言ってくれるぜ、この親父。確か二代目のボンボンじゃなく、自分で興した会社の社長だったな。評判どおり懐が広いぜ)


 バッドトリップ状態になった部下の頭を無理やり押し下げながら、藤堂がチビ・デブ・ハゲのトリプル残念親父を改めて見直した。


「ママ! お勘定」


「あ、社長! ここは、俺に払わせて下さい。大事な取引先をこんな目に合わせておいて奢って頂いたりしたら、会社の上司に殺されます。どうか助けると思って」


 さすがにここだけは引けない場面。ハンガーに掛けてあった上着から財布を取り出そうとする社長を藤堂が本気で押し止める。思わず両手で拝むポーズになった。


「そうか。悪いね、じゃあ次回はワシが奢るからな。わははは。あ、酒田君。その時は、当然君も付き合うんだぞ、いいな?」


「でも、社長。コイツは……」


「何だ、藤堂君? 心配するな。次はノンアルコールビールで乾杯じゃ。一気飲みだったら、まだまだワシは君らに負けんぞ。わははは」


 粋な計らいの言葉を聞いてもう一度最敬礼する藤堂に、カウンターの向こうからママが嫌らしい笑みを浮かべながら小さな紙片を差し出した。


「ん?」


 受け取った飲み代の紙をチラ見してから、スーツの内ポケットから自分の財布を取り出す。


「鉄平、先に行ってタクシーを捕まえろ。そのまま社長の家までお送りするんだ」

「分かったっす」


 ようやく悪酔いが醒めてしおらしくなった酒田が、社長の後から店の外へ姿を消す。女二人もエレベーターの前まで、社長の見送りに店の扉を出て行った。


 邪魔者が居なくなった事を確認し、藤堂がカウンターの方へと振り返る。不敵な表情で女主人を見つめながら問い質す。


「さて、ママさん? この飲み代の金額だが、説明してもらおうか? 確か呼び込みの兄ちゃんは、四十五分、五千円ポッキリだから大丈夫だと言った筈だぜ?」


 二本の指先に挟まれているのは、女主人から受け取った緑色の紙片。そこには今夜の飲み代の金額が、下手クソな字で何と四十五万円と走り書きされていた。


「サービス料込みだよ。それにあたしゃ、そんな呼び込みなんて見た事もないね。納得いかないって言うのなら、店までその黒服を連れて来てもらおうじゃないか?」


「黒服? 誰がそんな事を言った? 見てもいないくせに、あんたアイツがよく黒服だって分かったな。俺は今『呼び込みの兄ちゃん』としか言わなかった筈だぜ?」


「う、うるさいね。飲み代を踏み倒そうとしたって、そうはいかないよ。こっちだって商売なんだ。払うものは、キッチリと払ってもらうからね!」


自分の失言に気づき、苦虫を噛み潰したような顔になったママが開き直る。年季の入った熟女は一筋縄ではいかなさそうだ。


「おい、兄ちゃん。ガタガタ言わずに払っときなよ。カード有るんだろ? 無けりゃ俺が、いいとこ紹介してやるぜ」


 一人カウンターで飲んでいた先客が、ママの援護に回る。社長と似たり寄ったりの低い背丈で、藤堂の肩辺りまでしかない。その外見はいわゆる、とっつあん坊やだ。


「このビルの下の階に、二十四時間やっている便利なローン会社があるからよ。切り良く百万ぐらい借りたら、河岸を変えて別の店で遊んでいけるぜ。クックック。」


 一般人の客を装って入るが、どうやらこいつもグルのようだ。わざとらしく恫喝して、腕をまくるシャツの隙間から刺青が見える。


「へえーそうかい。でもいいよ。ちょうど持ち合わせが有るから。じゃあ、コレで。ごちそうさんっと」


 人差し指と中指で挟んでいた紙片が次の瞬間、まるでマジックのネタのように二枚の一万円札に変わる。


 曲げた指をピンッと弾くと紙幣が二枚、カウンターに置かれたブランデーグラスの底へ綺麗に挟まった。


「店に入ってから、ちょうど四十五分。一人五千円だ。年齢はともかくあの女達の接客態度や言葉使いは、まぁ良かったからな。釣りはいらねえから、取っておけ」


 そう言い捨てると、クルリと背を向けて樫の木のドアへ向かおうとする。


「何だって! 逃がしゃしないよ。うちがどういう店か、分かってないのかい?」

「どういうって、ただのボッタクリだろ?」


「キィー! 頭にくる言い草だね、本当に」


「おい、てめえ。姐さんを怒らせないほうが身の為だぞ。病院のベッドで後悔してからじゃ遅いんだぜ?」


「あん? もう怒っているみたいだけど、そのババア」

「許さない。絶対許さないからね。その生意気な顔を地べたに這わせてやるよ!」


 厚化粧をブルブルと震わせた熟女が、怒りで顔を真っ赤に染める。


「兄ちゃん、粋がるのも大概にしとけよ。ひょっとしてこの店に俺だけしか居ねえと思って突っ張ってるんなら、大きな間違いだぜ」


 とっつあん坊やのヤクザが、カウンターのストゥールから腰を浮かせ、本性をむき出しに迫る。だが、藤堂はどこ吹く風といった涼しい顔で受け流す。


「別に勘違いしちゃいないさ。そのババァが、太い足でボタンを押したのは分かっている。どうせ、どこかで待機している組員を呼ぶ出すブザーなんだろ?」


「てめぇー。いい度胸しているじゃねえか、舐めた風な口を聞きやがって。おう、バックに誰か付いてんのか? ひょっとして関西の筋モンか?」


 チンピラ特有の足りない頭で、どこまでも深読みしすぎるとっつぁん坊やの台詞に、藤堂が呆れ返って言い返す。


「頭悪いな、お前。ババアと喋る振りをしながら、ずっとこっちの様子を伺っていただろ? さっきの俺達のドタバタ騒ぎが、どこか他の組の者の芝居に見えたか?」


「うるせえ、うるせえ! どっちみち只で帰す訳にはいかねえ。金を払って五体満足で帰るか、痛い目をしてから金を払って帰るか。好きな方を選びやがれ」


「絶対に逃がしゃしないよ。あたしをババア呼ばわりした事。死ぬほど後悔させてやるからね、覚悟をし!」


 ドスの効いたママの脅し文句と同時に、ガチャリとドアノブが回り、樫の木製の扉が開く。強面の若い衆が四人顔を覗かせる。見るからに、その道の職業人だ。


 肩をいからせて男達が、ズカズカと店の中に入ってきた。スーツ姿で飄々とした態度を続けているサラリーマンを取り囲み、斜に構えた独特の視線で睨みつける。


「どうする、兄ちゃん? ビビッて声も出ないか? 何なら、さっき一緒にいた図体だけで見掛け倒しのガキが戻って来るまで、待ってやろうか。あんっ?」


 妙に迫力のあるサラリーマンに内心気後れ気味だったとっつぁん坊やが、増援部隊の到着で気を取り直し、いっぱしのヤクザ面に戻って啖呵を切る。


 だが、藤堂はそんな恫喝を一顧だにせず、チンピラの包囲網の真ん中で身構えることもしない。


「本当に馬鹿なんだな、お前。さっき俺が勘定の金額を見てから、二人を先に帰したのを忘れたのか? 手前らみたいな雑魚は、俺一人で十分って事だ」


「いい加減ウザイんだよ、その減らず口。お前たち。ちょっと痛めつけておやり。そいつ、あたしの事を散々馬鹿にしたんだ。手加減しなくてもいいからね!」


 完全に切れたママの喚き声に、チンピラ四人の中でまだ少年といっていいほど若い男が、最初に藤堂へと突っかかる。


「ウリャー」


 拳を握り締め、大きく振りかぶってくる相手に臆することもなく、藤堂がヒョイと体を入れ替える。俊敏な足裁きに少年は一瞬、捕まえる敵を見失う。


「っととと。どこへ行った? ウガッ!?」


 藤堂に身を避けられてつんのめった少年が振り返った瞬間、首筋に鋭い手刀の一撃を喰らい、ずるずると店内の絨毯の上に崩れ落ちる。


「今夜は三重苦の社長が、男前を魅せてくれたんだ。せっかくいい気分だったのによ。社会の寄生虫どもが、日本を支えるサラリーマンを舐めるんじゃねえ!」


 ほろ酔い気分でヤクザを罵倒する藤堂がジリッと間合いを詰めた時、再び店のドアが勢い良く開いた。だが、そこには敵の増援ではなく、お気楽な部下が立っていた。


「先輩ー。遅いから迎えに来ました……。って、あれ? どうしたんすか?」

「あちゃー。社長を家まで送って行けって言っただろ?」


「大丈夫っす。あの人、『今日はもういいから、藤堂君と一緒に帰りたまえ。わははは』って。僕達のタクシー代まで貰っちゃったっす」


 どこまでも能天気な部下が、笑い声まで接待相手の口調を真似してみせる。嬉しそうに一万円札を両手で広げて得意顔だ。


「ところで、その人具合でも悪いんすか? オーイ、こんな時間に店の床で寝ていると風邪引くっすよ?」


 藤堂に気絶させられた若いチンピラに、まだ完全に酒が抜け切れていない巨漢が優しく声を掛ける。それを見たママが、駆けつけた残りの三人に目配せを送った。


 チンピラ達が一斉に酒田に飛び掛る。二人掛かりで丸太のような両腕をそれぞれ押さえつけ、残りの一人が太い首筋にナイフをあてがう。


「動くな! 動くと、このデカブツの首をバッサリとやっちまうぞ!」

「うん? 何かのイベントっすか? ハッスルタイムじゃないような……」


「兄ちゃん、あんた武道の心得でもあるようだね? でもね、そんなの実戦じゃ役に立たないよ。ヤクザは手段を選ばないんだ。覚えておきなよ、おほほほ」


 勝ち誇ったように、ババアが口元に手を当てて笑った。それを聞いた藤堂が面倒くさそうな口調で叫んだ。


「やめろ! 酒田に手を出すな」

「いーや、やめないね。あたしを馬鹿にした報いだよ。死ぬまで後悔させてやる」

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