俺と、ヒューマノイドと、ゾンビと。
淡月カズト
第1話 人間らしく無い俺と、人間らしい君と。
人間らしく無いね。
誰かが俺に向かって放った言葉。誰が言ったのかなんて覚えていないけど、その言葉だけは俺の心に突き刺さっていて未だに取れていない。
夢なんて無い。理想なんて無い。友達もいない。趣味も無い。
あ、趣味は少しあったかもしれない。
ネットサーフィン。
ネットには、色んな事が書いてある。現実の人間が教えてくれないたくさんの知識。自分が得たい知識を得たいだけ取れる。
そうしているうちにネットしか居場所がなくなって、現実に、人間に興味が無くなってしまった。
なんて、ペラペラと無駄な情報を語っても今の状況は何も変わらない。
越えられそうにもない高い壁に背中で寄りかかっている。その壁は高く高く、とても俺みたいな無力なやつには越えられそうに無い。手に鉄パイプ、血と油でベトベトに汚れていて実に不快。手で持つ部分以外は絶対に触らないように心がけてる。俺はこいつを汚しながら戦ってきた、生き抜いてきた。
ポケットに大事に入れてある端末を、血などで汚さないように指先の神経を集中させて慎重に取り出す。電源ボタンを押して画面が現れると、すぐさまブックマークしてある国内最大手ニュースサイトのトップページを開く。
『緊急ニュース:騒動から一週間、市内の行方不明者数は三〇〇〇人超』
また緊急ニュースだ。何にでも緊急と頭につけるもんだから、その文字に対して何も感覚を持たなくなっていた。
ニュースに書いてある「騒動」が起きてから、一週間でこの街に住んでいた三〇〇〇人以上の人間が行方不明になったらしい。三〇〇〇人ってどれくらいの人間だ、でも俺の周りから一人消えようが一〇〇〇〇人消えようが大差なんて無い。
あと、ニュースでは行方不明としているけど行方なんて知れている。
下にスクロールしてニュースの続きを読む。
『現在、市内中心部ではウイルスに感染した生命体の大群が確認されています。この生命体に噛まれると感染する危険性がありますので、遭遇した際は必ず逃げてください』
必ず逃げてください、だって。簡単に言うね。
ウイルスに感染した生命体、ゾンビって素直に書けばいいのに。
人間だった市民が、ゾンビとしてそこら中をウロウロしている。行方なんて知れていると言ったのはそういう事。
まるで漫画の世界、ネットの世界。「もしゾンビが目の前に現れたら」みたいなスレッドを何度か見たことがあってバカな話が繰り広げられて。それくらい非現実的な話が目の前で繰り広げられている。
そのスレッドでも語られていたとおり、歩行速度は低いから逃げるのは楽勝。でも「数の暴力」という言葉があるとおり、ゾンビに囲まれた場合は何とかして突破するしかない。
ネットで培った情報を頼りに、俺は一人で戦っていた。スレッドに書いてあったとおり、閉店中のホームセンターに行って武器を調達した。雨水を飲める水にする方法も実践してみた、それなりに水に変化していて旨かった。まさかこんなところで知識が役に立つなんて思ってもいなかったさ。
「おい、また何かしてるな」
前方から濁声が聞こえてきた。見た目からして重そうなスコップを地面に引きずって嫌な音を立てている。そんなスコップを扱ってることから分かる通り、恵まれた巨体の髭を多めに携えた汚らしいおっさんが俺の目の前に立ちふさがる。
「何してんだ?」
「情報収集……」
「そうかい、おっさんには分からんな」
どしん、とその重い身体を地面に下す。この巨体にも汚らしさにも数日で慣れたから特には気にしない。
「とうとうお前さんと二人だけか」
「……」
返事をしないで端末をずっと弄る。
「確かお前さんと初めて会ったのは、駅前のデパートで避難していたときだ。避難に遅れた俺たちは何とか食料を漁って生き残っていた」
「……」
「何度も迫りくるゾンビに仲間はどんどんやられていった。最初は二〇人は居た気がするが……また一人、また一人噛まれていって、とうとうお前さんと二人だけになっちまった」
「……」
「俺はずっと独身で親ももう死んじまったから思い残すことはねぇけどよ……お前さんは違うだろ?」
「……別に」
「そっか……家出したんだったな。それでも親がちゃんといるじゃねぇか。帰る場所がちゃんとあるじゃねぇか」
「……」
「絶対生き残れよ、おっさんも頑張るからよ」
「……」
足が疲れたので、そのまま壁に背中をつけて地面に座る。ここら辺は砂利地帯なのか、傷んだ身体にチクチク攻撃してくる。主にケツが。
鉄パイプを床に放り投げてから、首をゆっくり縦に動かして空を見る。
端末には昼過ぎの時間が表示されていたはず。今日は雲が多くて太陽は見えないな。
太陽の光でゾンビが死ぬかと思って、作戦を立てて待ち構えた事もあったが、何も異変が無かったので失敗に終わった事を思い出した。
もうちょっとしたらまた歩いてみよう。ここは行き止まりだから、囲まれる可能性がある。
『うぁぁ……』
……。
聞き覚えのある不快な唸り声。
「またか……さっき巻いたばっかって言うのによ……」
おっさんが立ち上がる。尻についた砂利をパパっと手で払うとスコップを担いで俺を見る。
「行くぞ」
「……」
端末をポケットにしまうと鉄パイプを持っておっさんの後に続く。真っすぐ進んでT字路の角まで行くと右側からゾンビがオロオロとこちらに向かってきているのが分かった。見ただけで五〇体は越えているかもしれない。
「多いな、ちくしょうが」
俺はその言葉に耳も貸さず、ゾンビのいる正面では無く左側をじっと見る。
「あっちは駅前だから、あれ異常にうろついてるから危険だろうな」
その言葉を聞くと、俺は振り返って来た道を見る。
「お前さんも分かるとおり、あっちは行き止まりだ。ここで引き下がったらもっと追いつめられる羽目にならぁ」
「分かってる……」
「お前さん、覚悟は良いか……?」
おっさんはスコップを持ち直して突撃の構えを取る。俺もそれにつられて鉄パイプを構える。鉄パイプの正しい構え方まではネットの情報に乗ってなかったので、槍の構え方を参考にしている。
「あぁ」
「おらぁああああ!!!」
おっさんが大声をあげながら先にゾンビたちに突っ込む。その声に反応してゾンビが一斉にこちらを見る。スコップを地面と平行に振り回して一気にゾンビを薙ぎ払う。俺も後ろに続いて近づいてくるゾンビを堅実に叩いていく。しかし、ゾンビであるが故、耐久は高く何度でも起き上がってくる。だから生き残るにはタイミングを見計らって突破するしかない。
「くっそ! 数が多すぎんだよ!」
振り払いながらおっさんが文句を大声で叫ぶ。このままじゃ埒が明かないし一旦下がってみるか……。
あれ。
おっさんはスコップを振り回すのをやめて、ギリギリまでゾンビを轢きつけている。
「お前さん、俺が引き付ける間に行け!」
「……」
まるで覚悟を決めたような太い声。対して、俺はぼーっと突っ立っていた。おっさんがこのゾンビ群を突破して抜け道を作ってくれれば、それでいいのだから。無理な戦闘は禁物、とネットにも書いてあった。
「ああああああ!!!」
固まっていたゾンビがおっさんの方についていく。それによって俺の周りのゾンビの密度が薄くなる。タイミングを見計らって俺はゾンビの間を縫うように走り抜ける。
「ぐあああああああ!!!!」
おっさんの悲鳴のような太ましい声が聞こえてくる。けれども、その声の方向には振り向かない。そんな時間無いから。
「ぁぁぁぁぁ……」
だんだんその声がゾンビのうなり声にかき消されていく。でも俺はその頃にはとっくにゾンビの群れからは脱出していた。
「……」
何の感情も持たないまま、俺は逃げた。
おっさんもいなくなってとうとう一人、ここからどうしようか。
まだ疲れが取れてないからちょっと休みたい。ゆっくり腰を下ろして、その場に座り込む。
もう今は一人だから好きなときに休憩出来るな……。ある意味楽になったな。
うぁぁぁ……。
背後から同じような唸り声が聞こえた気がした。後ろの方か……後ろは三階建ての建物、看板から分かるとおりゲームセンターだ。端末で地図アプリを開くと、その情報が正しいことを確認。
ここにゾンビがいるのか、しばしゲームセンターを全体的に観察していた。
ガタン。
突如、三階部分の窓がゆっくりと開いた。
俺は一つ思った。ゾンビは基本的に動作が遅い。歩くのも遅い。運動神経の無い俺が早足で圧勝するくらい遅い。だから窓を開けるのにも時間がかかっている。ただし、重力は人と同じ。五〇キロの人間が落ちようが、五〇キロのゾンビが落ちようが着地する時間は一緒。
つまり。
人と同じ速度で落ちてくるんだなって。
「……っ!」
咄嗟に前方へ倒れこむように転がって落下してきたゾンビから逃げた。そのゾンビは着地時の反動ダメージなんてあるわけが無く、こちらの方をゆっくり向いた。
こんなスタイリッシュに落ちてくるゾンビが居てたまるか……っ。
まだだ。
流れるように。
一匹だけじゃない。上からどんどん落下してくる。
逃げないと、倒れてる場合じゃない。
一人で戦わないといけないから、何とかしないといけないから。
ドサッ。
目の前が途端に暗くなった。
黒に染まった暗闇では無く、どちらかと言うと白。
白い柔らかめの物体、としか表現できないが、とにかく何かが俺の顔を覆っている事には間違いない。一体何が起こってるんだ、すぐに逃げないといけないのに。
「ライリア!」
白の暗闇の中、どこからか成人男性らしき声が聞こえた。
その声の後から、いくつもの足音が聞こえて、音が消えたと思ったらゾンビがなぎ倒されていく音が聞こえてきた。
うっしゃあああ!
おらああああ!
その音を消しかける勢いの男の迫力ある声もたびたび聞こえる。まさかおっさんが生き残っていたかと思ったが、あの濁声とは確実に違った。
一体俺の周りで何が起きてると言うんだ。
「んぐぅぅ……」
完全に顔が埋まっていて喋ることすら出来ない。呼吸もままならない。手足をジタバタさせて脱出しようとするが、上からマウントをがっちり捕らえてるのか無駄な抵抗になってしまっている。ジタバタさせている内になぎ倒されていく音も少なくなっていく。
「もういいぞ、ライリア」
男性の声をきっかけにやっとマウント状態から解放された。
「ぷはぁ……っ」
あやうくゾンビに襲われなくとも死ぬところだった。息を整えながらおそるおそる白い暗闇の正体を見上げる。
「女の子……?」
無表情なまま俺に馬乗りしている少女。ゆっくりとその口が開く。
「お怪我はありませんでしたか」
「あ、あぁ……いや、それより……!」
その少女の肩や足を見て息が止まりかけた。
いくつもの噛まれた跡、ゾンビたちの汚い液体などは付着しているものの不自然にも血は出ていない。
感染してしまったのか……? この少女もゾンビになるのか……?
「ご心配ありがとうございます。しかし問題ございません。ライリアは人間はありませんの
で噛まれてもウイルスに感染することは一切ございません」
……人間ではない。
じゃあ何だと言うんだ。人間でも無い、ゾンビでも無い、ならば……。
俺は少女を見つめた。じっくりと、観察。
違う。
瞳が、違う。観察してから一回もまばたきを行っていない。
「ライリアはヒューマノイドだ。心配するな」
ヒューマノイド……?
聞いた事はあるけども、こんな場所になんで……。
金髪青年の顔が俺の視界に入って来た。その手には気味の悪い液体で汚れたゴルフクラブがあった。クラブの先端を見ると、おそらくそれはドライバー、ティーショットの時に使うやつってネットに書いてあった……って今はそんな詳しい情報どうでもいい。大事なのはそんな道具を持ちながら俺を見下ろしているということ。
金髪から目線を外してもう一度ライリアと呼ばれるヒューマノイドの姿を見る。
先ほどの柔らかい感触を思い出しながら、ライリアのプラグスーツ越しにも分かる豊満な胸を見た。思考と感覚を照らし合わせた。
ライリアの胸。俺は顔を赤らめた。
「と、とにかくどけろ!」
「申し訳ございません、早急に立ち上がって貴方の身体から離れます」
早急に、と言った割にはゆっくりと立ち上がっていた。とにかく上からの圧迫から解放されて、ようやく身体が自由になった。
胸に押し潰されて窒息なんて死に方は後世にまで伝わってしまいそうだから絶対に嫌だ。
……大きかったな、胸。
って、今はそういうことを考える時間じゃない。余計な事は考えるな。ましてやヒューマノイドの胸だぞ、ただの柔らかい物質を詰めたモノに過ぎない。
そうだ、よく考えろ。
そうだ……。
「そうだ、こいつはただのヒューマノイド……女じゃない!」
「おいおい。命の恩人にその口の聞き方はどうなんだ」
金髪が不満と呆れを表情に出しながらそう言った。
「もしライリアが馬乗りになって全身をかばってくれてなかったら、今頃お前はゾンビになってた。その事を分かってるのか?」
「あぁ……」
やっと状況を理解出来た。周りを見ると先ほどまで大量に居たはずのゾンビたちが一匹残らず消えていた。
「アンタたちが、やったのか……全部」
「おうよ!」
大男が金属バットを構えながらドヤ顔で答えてきた。
「ゴウ、攻撃するときに大声出す癖やめろってこの前言ったよな? それでゾンビが寄ってきたらいつまでも戦うことになるぞ」
「ふんっ、ならいつまでも戦うまでだ! ミチルはビビってるんだな?」
「バカ、そういうことじゃねぇよ」
「ていうかよ、ゾンビ自体久しぶりに見たんだから少しくらい暴れたっていいだろ?」
「戦う事に喜び感じてるんじゃねぇよ」
「喜んでなんかないさ、俺は決死の思いでバットを握ってるわけだ、ははははは」
ゾンビを殲滅させた直後とは思えない軽快な会話をただ見つめている事しか出来なかった。
金髪の青年はそのままライリアに近づいて頭を撫でる。
「お疲れさま、よくやったな」
「これほどの事、ライリアには朝飯前という感覚でございます」
「お前、飯食べなくても生きていけるだろ」
「そうでしたね」
撫でられている鮮やかな茶髪、外見、動き。そして発する言葉。
まるで人間みたいだ。違和感のある部分と言えば、目の動きと無表情である事。
端末越しにしか見たことがなかったヒューマノイド。それを初めて目の前にした俺は軽い興奮を覚えていた。ヒューマノイドは人間をモチーフに厳選された素材で精密に造られているので、外見的にも内面的にも人間と変わりないというニュースで見たけれど、ここまでハイクオリティなんて思っていなかった。
「ゴウ、ミチル~」
違う方向から声が響いてきた。
声の方向に振り向くと、息を荒げながらこちらに走ってくる女の姿が見えた。先ほどのヒューマノイドの身体を見てしまったせいか、とても貧相な身体というイメージを抱きながら俺は彼女を見ていた。
「あんまり大きな声あげるなって言ってるだろ」
「はぁはぁ……でもっ、ゴウは大声あげながら戦ってたよー?」
「悪い方を見習うんじゃねぇよ。あと、また生存者を見つけた」
金髪青年が肩こりをほぐしながら走って来た女に報告した。生存者というのはきっと俺の事を指している。
「紹介が遅れた。俺はミチル、こっちのデカいのがゴウ、今来た女がミレイだ」
「よろしくなっ! 一緒にゾンビぶっ倒していこうぜ!」
「変な事言わないのー。物騒でごめんね、あたしはミレイって言うの。よろしくねー」
あまりにも大雑把な紹介をされたせいか、俺の興味はまだライリアから離れていなかった。
「で、忘れちゃいけないのがライリア」
「初めまして、ライリアと申します。ソウラ様の元でお仕えしております」
挨拶を言い終えると深く頭を下げて、手本のような角度のお辞儀をしていた。曲がっている部分に分度器をあてたら九〇度ぴったりなんじゃないか、と思わせられるくらい姿勢が美しかった。
「さて、お前の名前はなんだ」
「……レオ」
「レオか、よろしくな。お前は一人で行動してたのか?」
「さっきまでデカいおっさんがいた。スコップを持った奴」
「ほう……で、おっさんはどこに?」
「死んだ。ゾンビにやられて」
「……え?」
「だから、死んだって」
「……ずっと二人でいたのか?」
「いや……最初は二〇人くらいで動いてた気がするけど、気づいたらみんな死んでた」
「……それでお前は何とか生き残ったってわけか?」
「まぁ……そうだな」
「……はぁ。分かった」
俺は淡々と状況を説明しただけなのに、なんでため息をつかれたのか分からない。
「とにかく俺らがいれば安心だ」
まるでレスキュー隊のような口ぶりだ。実際助けてもらったのだから嘘では無いのだけれど。
「詳しい話は安全な場所に帰ってからにしよう。ついてきてくれ」
「え、あぁ……」
「どうした?」
「いや……なんでも」
ふと手に温かい感触があった。
「え……」
「行きましょう、ライリアの手を握ってください」
「う、うん……」
戸惑いながらもライリアと手を繋いだ。思えば、生まれてから異性と手を握った事があるだろうか……いや、ライリアは人間ではないから厳密には異性には当てはまらない。
でも、温かいんだな。
繋いだ手を見つめると、指の関節の一つ一つが精密に動いている。
すごいな、と心の中で呟いて、吹き上がってくる高揚を抑えた。
「じゃあ帰宅だーーー!」
「うるせぇゴウ!!」
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