おおおく!

ちゃいな

第1話 大奥入り


おおおく!


 宮中から見える嵐山の紅葉もすっかり色を染め変えた文久ぶんきゅう元年がんねん十月一日、京都御所内はいつになく騒然としていました。

 いよいよ今月の二十日にはみかど妹君いもうとぎみ和宮様かずのみやさまが江戸の将軍家へ嫁がれるというので、その旅の支度で誰もが大忙しだったからです。

 旅に必要な諸道具や食料品の準備、駕籠かご輿こしの点検、着物の用意に馬の世話などでみんながあわただしく走り回っている中、私わたくしは邪魔を承知で能登命婦のとみょうぶ様の後を追いかけまわしていました。

能登のと様! 命婦みょうぶ様! どうかわたくしも一緒に連れて行ってくださいませ!」

つみ、いいかげんになさい。何度お願いされても駄目だとあれほど言って聞かせたでしょう。いくら後をついてきても和宮かずのみや様への付き添いは許しませんよ」

 能登のと様は私の方へ振り返ると、少しいらだった様子で言いました。

 それはそうでしょう。能登命婦のとみょうぶ様は和宮かずのみや様に従う女官の長、今もっとも忙しい立場の人だからです。わたくしも迷惑をかけているのは心苦かったのですが、こればかりはどうしても譲れませんでした。

「そこはなんとかお願いいたします! なんでも……、わたくしなんでもしますから!」

「何度言われてもいけません。そもそも、あなたが不器用すぎて何もできないから、和宮様付き女官の選定に漏れたのではありませんか」

「そ、そんなことありません!」

「ではつみ、あなた料理はできますか?」

「……いいえ」

「書の腕は? お祐筆ゆうひつを務められますか?」

「………できません」

「お裁縫や道具の修繕は?」

「…………できません」

「華道や茶道、歌舞かぶ音曲おんきょくは?」

「………………まったくできません」

 能登様はため息をひとつつきました。

「仕事のなにもできない者を江戸へ連れていくわけにはいきません。それはあなたが一番よくわかっているでしょう」

「わかってます。わかってますけど……それでも、わたくし和宮様と一緒に参りたいのです」

 能登様はもう一度ため息をついて、あきれたように尋ねられます。

「どうしてそんなについてきたいのですか。関東は鬼の住む野蛮な地、しかも今は鬼より怖い異人いじんが大勢闊歩かっぽしているというのですよ」

「だからこそでございます! 荒々しい東夷あずまえびすの国で和宮様を、あの美しくておやさしくて聡明そうめいで、みめうるわしくて奥ゆかしくて、可憐で素敵で端麗で華やかでかわいらしい和宮様を放っておくことなどできません!」

 勢いのままにまくしたてると、能登様はちょっと引かれていました。

「よ、よくそこまでみや様を褒められますね……」

「当然です、私和宮様が大好きですから。むしろまだまだ足りないくらいです! L・O・V・E・和宮さまっ! マイエンジェル和宮さまーーっ!」

「わかりました、わかりましたから和宮様コールをやめなさい! 万が一宮中きゅうちゅうに聞こえたらどうするのです!」

「むぐーーっ! むぐーーっ!」

 能登様があわてた様子で私の口を手でふさぎます。まだまだ和宮様への愛を言い足りない私はしばらく抵抗していましたが、だんだん息ができなくなってきたのでとりあえず落ち着くことにしました。

 私の口から手を外した能登様は、三度目のため息をついてこめかみを押さえます。

つみの和宮様への忠誠心は私もよく承知しています。これで何かできることがあれば江戸の大奥にもつれていけるのですが……」

「何でもやります! 私和宮様のためなら死ぬことだってできます!」

「しかし、忠義の心だけではどうにもなりませんよ……、いや」

 そのとき、能登様が何か思いあたったように考え込まれました。わずかな期待を抱いて、能登様のお顔を見つめます。

 しばらくすると能登様は顔を上げ、私の顔を見つめ返してきました。困ったように眉を下げ、片頬に手を当てて言います。

「一つだけ、あなたでもできる仕事がありますが……」

「本当でございますか!!!」

「ですが、これはとてもつらい仕事ですよ。あなたの忠義心が試されます。私としては無理強いしたくないのですが……」

「やります! ぜひやらせてください!」

「でも……」

「和宮様のお側にいられるならどんなことでもやります! やらせてくださいませ!」

 勢いよく返事をすると、能登様はためらいがちに小さくうなずかれました。

「そこまで言うのならば、いいでしょう。あなたも江戸へ下る女官の列に加えましょう」

「ありがとうございます!!! 全身全霊でお仕えいたしますわ!!!」

「人の話は最後までお聞きなさい! こほん……、ええとたしか、あなたはいま十四歳でしたね?」

「はい!」

「ならば和宮様付きの御小姓おこしょう(※御台所みだいどころの身辺のお世話をする従者のこと。七歳~十六歳くらいまでの少女が仕えた※)になれます。二十日には出立ですから、家に帰ったらすぐに準備なさい」

「わかりましたわ。いますぐ準備いたします! ああ忙しくなりますわ! それでは能登様、ありがとうございました!」

 こうなったらいてもたってもいられません。私はすぐに身を翻して、御所の廊下を走り出しました。

 今日はなんていい日なのでしょう。かねてからの願いが叶うなんて! 和宮様のお側近くに仕えられるなんて、まるで夢のようです。


「ああ、ちょっとお待ちなさい! まだ肝心の仕事の説明が……というか御所の廊下を走ってはいけません!」


 うしろから能登様の声が聞こえたような気がしましたが、幸せの絶頂にいる私の耳には届きませんでした。

 

 私は家に帰るとさっそく両親に、和宮様とともに江戸に行けることを伝えました。

 それを聞いた両親はじめ我がことのように喜んでくれましたが、次には一転してくもり顔になります。

 まず、お父様がくらい表情で私にいいました。

つみ、江戸は遠いぞ……」

「はい」

「父は大変心配している……」

 私も心得ていました。

 京を離れる、それも江戸までの旅ともなれば、道中何が起こるかわかりません。最悪の場合旅立ちの日が今生こんじょうの別れとなるかもしれないのです。両親が心配するのも当然でしょう。

 それでも私は和宮様についていきたいのです。両親を不安に思わせるのは申しわけないですが、和宮様への強い思いには代えられないのでした。

 せめて自分の気持ちが伝わるよう、顔を引きしめて返事をします。

「覚悟しております。向こうに着いたらもう二度と、京の地を踏めるとは思っておりません」

「いや、そうではなく」

「はい?」

 私が首をかしげると、お父様は深々とため息をつきました。

「我が家は貧乏すぎて、江戸に行くまでの旅に必要なお金はとてもないのだ」


 思わずひっくり返ります。

 一回転して着地し、あわてて姿勢を直しながら叫びました。


「旅の費用は全て幕府が用立てて下さいますから心配いりませんわ!!」

「おお、そうなのか! ならばもう、心配することは何もない。行ってまいれ行ってまいれ」

「江戸のお土産よろしくね~」

「そんなあっさりでいいんですの!? 一生のお別れになるかもしれないんですのよ!?」

 びっくりするほど気軽に私の江戸行きは許されてしまいました。釈然としませんでしたが、反対されて旅に行けなくなるよりはマシというものかもしれません。


 

 それからは目の廻るような忙しさでした。京都から持っていく衣類や調度品ちょうどひんを選んだり、駕籠かごの手配をしたり、江戸までの旅の無事を祈るため七寺七社しちじしちしゃもうでたりと休む暇もありません。

 もちろんそのほとんどは両親や私の家に仕える家来がやってくれたのですが、私自身も細々とやらねばならないことが多くあったのでした。さらに私は他の女官の方々と違って急に江戸行きが決まった分、準備の時間があまりに足らないのでした。

 旅の準備をしている最中、そういえば自分に大奥で任される仕事とはなんだろうと気にならないでもなかったのですが、それを知っている能登命婦様とは結局一度も会えないまま出立の日を迎えたのでした。


 文久ぶんきゅう元年十月二十日、私はついに和宮様とともに関東下向かんとうげこうの列に加わりました。お行列は総勢三万人を優に超えるという空前絶後の大行列で、さすが和宮様にふさわしいといえるものです。

 もっとも、これが江戸の将軍へ降嫁こうかするための旅路というのがなんとも気にくわないのですけれど……。

 出立前に遠目からちらとお見かけした和宮様のお顔もなんだか優れないようでした。以前ならばよく笑われるおやさしい方でしたのに、関東下向が決まってからというもの見る影もありません。私も胸が痛くなるのと同時、激しい怒りがわきあがるのでした。


『なにもかも江戸幕府が悪い! 和宮様の笑顔をかえせー!』


 だからこそ私は和宮様についていくのですし、少しでもお心が晴れるようがんばるのです。

 えいえいおー、と心ひそかに拳をあげ、私は自分の籠に乗り込んだのでした。




 江戸までの道のりは遠く、険しいものでした。じつに二十五日間をかけて、ようやく行列は江戸城大奥に到着したのです。着くころにはみんなくたくたになって、私も『もう二度とこんな旅はしたくない……』と心の底から思いました。


 とはいえゆっくり休むひまもなく、大奥に到着したその日の夕七ツ(※午後四時※)私は能登命婦様に呼びだされたのでした。

 大奥おおおくで対面した能登命婦様は、ひどく真面目な顔つきをしていました。

「あなたの大奥での仕事を説明します」

「あ、そういえばお聞きするのをすっかり忘れていましたわ」

 私の言葉に、能登様ががっくりと肩を落とします。

「ほんとう和宮様以外のことに興味ないんですねあなた、ふつう忘れませんよ……。気を取り直しまして、摘、あなたの仕事は和宮様に関わるとても重要な御役目です、心して聞きなさい」

「はい」

 居住まいを正して座り直し、能登様の言葉に耳を傾けます。

「あなたには和宮様に出される御膳ごぜん検分けんぶんを命じます」

「御膳の検分ですか?」

「つまり、お毒見役どくみやくです」

 お毒見役。

 その意味が流石にわからないわけではありません。

 ですが能登様の言葉にそれほど衝撃は受けませんでした。もとより厳しいお役目なのは覚悟していましたし、和宮様のためなら死んでもいいというのは嘘ではありません。

 むしろそれを命じる能登様のほうが心配そうな顔をしていました。

「つらい仕事でしょう? 誰もやりたがらないお役目です。やや遅きに失しましたが、今ならばまだ断ってもいいですよ。御所ごしょには私がとりなしてあげます」

「いえ、つつしんで引き受けさせていただきます」

 私はそう答えて頭を下げました。和宮様をお守りする、とてもやりがいのある仕事だと思ったからです。

 顔を上げると、能登様はつらそうに目を伏せられていました。

「そう……いえ、あなたならばそう言うと思っていました。和宮様のために、素晴らしい忠義の心を持っていますね。女官の鑑です」

「能登様、そんなに私の身体を心配してくださって、ありがとうございます」

「ええ、とてもあなたの身体を心配しています。まだ若いのに……」

「大丈夫です、摘はたとえ毒に当たって死んでも、それで和宮様を守れたならば本望です」

「いえ、あなたが毒に当たることは心配していません」

「あららっ?」


 私は思わずひっくり返りそうになりました。

 能登様が続けます。


「大奥で毒をもられる心配はしなくていいですよ。御台様みだいさま(※将軍の正室。ここでは和宮のこと※)に毒を盛るなど、そんな大それた真似をしでかすものなどいませんし、そもそもあなたが食べる前に二度の毒味を済ませています」

「で、でしたらなぜ先ほどつらい仕事とおっしゃられたのですか?」

 わけがわからず尋ねると、能登様は神妙な顔をしていいました。

「太るのです」

「はぁ?」

「太るのです。いいですかよくきなさい」

 能登様はまじめな顔で説明をはじめます。

御台様みだいさまの御膳ごぜんは常に同じ献立が十人前作られます。一つはお広敷役人ひろしきやくにんが、一つは中年寄ちゅうどしりょりが毒味をしてから御台様の前に運ばれます。この時点で八人前。そこから御台様が召し上がる一人前、お代わりの御膳にもう一人前を差し引いても、必ず六人前が残るのです。それらは食事の後、給仕した女官に下げ渡されるのです」

「な、なんでそんな無駄なことをしているのですか!?」

「慣例だからです」

 すました顔で能登様は言います。

「か、慣例なんですか」

「はい、慣例に文句を言ってもはじまりません。さて、下げ渡された六人前の食事ですが、これをきちんと六人で分けてもなかなか量が多い。しかも御台様のお食事ですからたいへん美味です。さらには仮にも御台様から下げ渡された料理ですから、あまり多く残せば料理を粗末にしたと罰を受けてしまいます。結果ついつい食べ過ぎてしまい、給仕役の女官はみんな体重が増えることになります」

「では私のお役目とは……」

 能登様が、にっこりいい笑顔で言いました。

「少しでも多く食べて、みんなのダイエットに協力なさい」

「いやでございますーーー!」

 思わず叫んでしまいました。能登様はなだめるような顔で、

「まあまあ、これも一応最後のお毒味という意味もありますし、大きく見れば和宮様のためにもなることです。がまんして励みなさい」

 と言われましたが、どう考えても言いつくろわれているだけです。

「能登様、やっぱりこの役目お断りしたいのですが」

「いまさらできません」

「さっきと言ってることが全然違いますわ!!」

「でも摘、あなたいまさら他の仕事はできないでしょう?」

「うぐっ、……それはそうでございますけれど」

 痛いところをつかれてしまっては、黙りこむしかありません。

「あきらめて御膳検分役にはげみなさい。和宮様からも他の女官たちからも感謝される、すばらしい仕事ですよ」

「なんだかうまく丸めこまれた気がしますわ……」

「話もすんだところで、大奥であなたの住むことになる部屋を教えましょう」

 能登様は私のグチなんかもう聞いてないのでした。大奥の見取り図を開いて、長局ながつぼね(※大奥に仕える奥女中たちが日常暮らす、社員寮のような場所※)の一つを指し示します。

「よく見なさい。長局ながつぼねは大奥の東北すみにあります。ここがあなたの部屋ですから、これからお廊下をこういって、この角を曲がって……ここです。わかりましたか?」

「はい……」

「よろしい。では疲れているでしょうから今日はもう下がって休みなさい。そうそう、この部屋は二人部屋ですから、相方の娘と仲良くなさい」

 能登様の言葉に私は再び衝撃をうけます。

「ええっ! 相部屋なんて聞いていませんわ!」

「女官の数が多いのですからしょうがないでしょう。長局ながつぼねはみんな相部屋ですよ。相方となるのはこの江戸城に元々暮らしていた奥女中おくじょちゅうです。へりくだることはありませんが、失礼のないようにね」

「そんな、江戸者えどものと相部屋なんてあんまりですわ! せめて同じ京都の女官と同室にしてください」

「だめです。お役目の同じ者で寝泊まりする決まりなのですから」

「いやでございますいやでございます~~」

「だぁーめ、我慢なさい、摘」

 


 そのあと、ひとしきり文句を言いましたがいまさら部屋を変えられるはずもなく。


 能登様からにこやかな笑顔で見送られ、私は自分の部屋へと向かったのでした。



                                 (つづく)

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