壊れた少女
浅倉 茉白
夕日
朝目覚めると教室にいた気がする。男女計三十名くらいがやけに行儀よく着席してる。でも、アタシが気になるのはそのうち二人だけ。右隣の空想男子Aくんと、その右隣の空想女子Aさん。Aくんはアタシがコイをしているヒトで、Aさんはアタシのシンユウ。その二人がいれば、充分だった。
何が? 学校生活が。あるいは、ジンセイが。二人から教わったものはきっと全てじゃないけど、アタシにとっては全てだったのかもしれない。
授業を受けたかもわからない早さでチャイムが鳴る。アタシはAくんの前をサッと通り越し、Aさんに「一緒に帰ろ」って言う。Aさんは「うん」って笑顔で頷く。
AさんはアタシがAくんを好きなことを知っている。だから帰り道ではこんな話になる。
「え〜〜、まだ話しかけてもないの?」
「だって、そんな間もないまま、学校終わっちゃうし」
「そんなの言い訳だよ、明日は話しかけようよ〜〜」
Aさんはずっと笑顔で、アタシの背中を押してくれる。
やがて、桟橋に辿り着き、アタシはAさんに手を振る。この桟橋から見える、丸い夕日が海へと沈んでいく景色は美しく、でもなぜか切ない。
アァ、明日は話しかけることができるかな。
朝目覚めると教室にいた気がする。男女計三十名くらいがやけに行儀よく着席してる。でも、アタシが気になるのはそのうち二人だけ。右隣の空想男子Aくんと、その右隣の空想女子Aさん。Aくんはアタシがコイをしているヒトで、Aさんはアタシのシンユウ。その二人がいれば、充分だった。
何が? 本当に、何だっただろう。アタシが知る世界は狭い。でも、そこから知れることは広く深いものだったかもしれない。
「あ、あの」
「ん」
「す、す」
「ちょまっ」
休み時間に、アタシが意を決して席を立ち、座るAくんに話しかけようとしたら、それを見ていたAさんが猛ダッシュでアタシの口を塞ぎ、廊下へと連れ出した。
「ねぇ、今、すきって言おうとしたでしょ」
「うん」
「最初の挨拶がそれはまずいよ、いきなりすぎるよ」
「え、そうなの」
「そうなの、最初はおはようございますとかこんにちはでいいの」
「そうなんだ」
Aさんがアタシを笑顔で指導してくれる。Aさんは、何だか自分と同い年なはずなのに、先輩という感じがする。長い黒髪が綺麗で、前髪は半分に分かれてて、目はキリッとしてるけど、常に笑いジワができてる。
「さぁ、もう一度行ってきな」
「うん、がんばるね」
アタシは一人で教室へ駆け込んだ。
「だめだった〜〜」
「あらら」
「だってAくん、あまりに無表情で、『ん』しか言ってくれないんだもん」
「いったいどんな会話したの」
「まず、『おはよう』って言って、次に『こんにちは』って……」
「そりゃダミだ」
「ええ、言われた通りにしたのに!」
「言われた通りすぎるのよ」
アタシは頬を膨らませたまま、Aさんに手を振った。こんなときに桟橋から見える丸い夕日もやはり美しく、でも、ちょっと目を背けたくなった。
朝目覚めると教室にいた気がする。男女計三十名くらいがやけに行儀よく着席してる。
「おい」
でも、アタシが気になるのはそのうち二人だけ。右隣の空想男子Aくんと、その右隣の空想女子Aさん。
「おい」
Aくんはアタシがコイをしているヒトで、Aさんはアタシのシンユウ。その二人がいれば、充分だった。
「おい、聞こえてんのか、おい」
「はい!?」
Aくんに話しかけられた。相変わらず無表情だけど、整った太い眉毛が凛々しくて、細めだけどしっかり開いた目が眩しい。爽やかな短髪がどストライク。
「な、なんですか、おはようございます、こんにちは」
「『お前、よくわかんないけど面白いやつだな』って言われちゃった!」
アタシは帰り道、Aさんに早速今日あった出来事を報告した。
「その隣にあたしもいたからね、知ってるよ、良かったね」
Aさんが笑って祝福してくれる。
「でも、よく考えたら『面白い』って褒め言葉なのかな? 何となく喜んじゃったけど、いいのかな?」
「まぁ、『ん』しか言われないよりはいいんじゃない」
ごもっともだ。アタシはきっと、一歩前進した。そしてこれはたぶん、Aさんのおかげ。前日にたどたどしいながら、話しかけることができたから、今日があるんだと思う。
「次はどうしたらいいかな」
図々しくも、Aさんに改めて尋ねてみた。
「一緒に帰ろって、誘ったら?」
「え、でも、Aくんってこっちの道じゃ」
「そんなことどうでもいいのよ」
明日はもっといい日になるといいな、って夕日に思った。
「いいよ」
「そのいいよってどっちの?」
「帰ってやってもいいよって言ってんだよ」
やった。なぜにこんなにトントン拍子に事が運ぶのか。そんなことはどうでもよかった。ただアタシは、飛び跳ねた。好きな相手と一緒に帰ることができる。こんなに嬉しいことはないだろう。
もちろん、アタシはAさんのことが好きだ。でも、Aくんに対する好きはそれとは違う。それよりもっと、本能的で、直接的で、愚か。意味なんかなく、どこまでも輝くダイヤモンドのようで、きっと壊れやすい。だから丁寧に丁寧に持ち運んで、相手へ伝えないと。
「アァ、すきって言わないでよかった」
「ん?」
そして帰り道。Aくんと、当然ながら手を繋ぐことはなく、離れすぎることはなく、微妙な距離感で歩く。胸のあたりに変な感覚がある。
「あのさ」
「な、なんですか」
「Aっていいやつだよな」
「は、へっ」
「もしかしたらAのこと好きかもしれない」
突然の、まさかの、告白。何を隠そう、アタシの名前は、実験少女A。
「手を、握ってもいいですか」
「ん」
桟橋の前で、遠い夕日を眺める。海に沈みゆくはずの丸い夕日は、今、凄まじく遅いスピードで、動く。ギュッと固く握り締めた手のひらのように、その夕日は、目玉焼きになる。
「泣いてるのか」
泣いてる? 自分ではわからない。だんだん景色が波打っていくことはわかる。その中のひときわ眩しい、ぼやけた赤黄色い光に、どうか、沈まないで。そう願っていたとき、頬に何か感触がある。
「ほら、これで拭け、じゃあな」
固く握り締めた手のひらは、いつの間にか解け、Aくんはアタシに青いハンカチを差し出した。アタシはそのハンカチを力強く握った。胸には痛みだけ残った。
朝目覚めると教室にいた気がする。男女計三十名くらいがやけに行儀よく着席してる。でも、アタシが気になるのはそのうち二人だけ。右隣の空想男子Aくんと、その右隣の空想女子Aさん。Aくんはアタシがコイをしているヒトで、Aさんはアタシのシンユウ。その二人がいれば、充分だった。
何が? これからわかること。
「おれ、Aと付き合うから」
「うん」
「ごめんね」
「何でAさんが謝るの」
「だって」
Aさんはいつも笑顔だった。Aくんはいつも無表情だった。そして、Aさんはいつもアタシを支えてくれた。それは陰でも。
Aくんに、アタシと話をするよう、説得してくれたのはAさんなんだって。当然、アタシと一緒に帰るよう、説得してくれたのもAさん。その間にAくんはAさんにコイをして、AさんもAくんにコイしたんだって。
アタシは初めて一人で帰り道を歩いた。
アタシは初めて、夕日が沈んだ後の世界を知った。ここは真っ暗闇。真っ暗が世界を埋め尽くす。どこが桟橋で、どこが海なのか見当がつかない。そのまま、歩き出す。一歩、二歩。一歩、二歩。やがて、アタシの足が、水面に触れた。
引きずり込まれていく。海って、こんなに広く、深かったんだ。紺のスカートがブワーっと広がって。これまでのことを漠然と思い出す。
ずっと、張り付いた笑顔だったようなAさん。偽物のかっこよさだったようなAくん。実は、小学生が描いたんじゃないかと思うような丸い夕日。どこへも続いていなかった桟橋。そうか、これはユメなんだ。
アタシは、Aさんを恨みますか? Aくんを、呪いますか? わからない。ただ、痛んだ胸がオーバーヒートしてゆく。
「おはようございます、こんにちは、こんばんは」
ここはどこだ。
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