七. セントラルパークの休日。

 セントラルパークの休日(1)

「これで気はすんだんでしょうね?」

 スケート靴へと履き替えた陽向さんは、不機嫌そうな声でそう言った。考えてみれば、アメリカでの貴重な時間をかなりアシュリーに費やしてしまった。


 陽向さんがベンチから立ち上がると、隣に置かれた誰かの荷物からスマホの着信音が聞こえた。

『はいはーい』

 すぐにウエストサイドストーリーのお姉さんが走ってきた。彼女はスマホを取りだし画面を確認すると、少し離れた場所で柔軟をしていたパートナーに向かって大きく手を振った。

『ガールフレンドからラブコールよ~!』

 近くにいた生徒たちがその声にわっと笑った。みんなの注目の中、パートナーの彼は彼女からスマホを受け取った。


 僕の視線に、お姉さんはこちらを振り向いてにこりと笑った。そしてパートナーを指して言った。

『地元に彼女を置いて来ちゃってるのよ。それでたびたび連絡が来るの』

「『ああ。地元に彼女が……』」


 って!?

 それはどういうことだ? 二人はつき合ってないってこと?

 じゃああの二人の間にある空気は、いったい? 本当にただの演技だった……っていうのか?


「さ、早く練習しましょ!」

 僕の困惑をよそに、陽向さんは僕をリンクへと急かした。


 演技なんだ……。

 二人の間の空気を作り出すには、演技が必要なんだ……。

 恋人同士なら恋人同士、誰かを好きなら誰かを好きという「役」になりきらなくちゃ、だめ……ってことなんだろうか……?


 戸惑い続ける僕。

 そして、帰国が迫る焦りからか妙に力の入った陽向さん。

 そんな二人のダンスを見て、その日とうとうオスカー先生が言った。


『日本の子に、こういうダンスは難しいのかもしれないね。こちらの社会ではね、僕たちは小さな頃からリトルジェントルマンとリトルレディーとして扱われて育つんだ。文化が違うんだよ。それを理解してもらわないと』


 笑顔で、口調も優しいけれど、じわりと効く言葉だった。

 陽向さんも僕の隣で黙って立ちすくんでいる。


 と思ったら、一瞬の沈黙ののち彼女は僕に向かってにっこり笑った。

「ですって。何言われてるか、制覇君分かった?」

 いつもは先生の言葉を訳してくれる彼女が、なぜかこの日はただそれだけを言った。

「アシュリーと二人で練習できるくらいだもの。英語にもずいぶん慣れたんでしょうねぇ」

 そう言ってやり直しへと向かう陽向さん。その背中からは、闘志のようなものがにじみ出ていた。


 なんて前向きな!

 そうだよ。日本人には無理みたいな言い方されて、そのまま帰るわけにはいかない。


 こうなったら僕もいい二人に見えるように少しでも……がんばろう……。

 うん。

 ちょっと恥ずかしいけど……。


 彼女が僕の前で胸を張って立つ。僕も彼女に慕われるような自分を思い描いて彼女の手を取る。堂々と。

 二人で進行方向を見て、ホールドを組む。

 カッコはついてると思う。でもこんなに意気込んでいては、フォックストロットとして変じゃないだろうか。これじゃまるでタンゴか、パソドーブレだ。

 しかしそんな心配はいらなかった。さすが陽向さんだ。滑り出すと、さっきまでの全力投球の様な姿はどこかへ消え、彼女はClose to youの優しい雰囲気に合わせて、とても品よく柔らかく僕のリードに従って見事な滑りを見せた。


 これは……!

 これは、なかなかいいんじゃないかな。Close to youの雰囲気ってほんと、こんな感じだよ。


 しかし先生からの言葉は、

『どうしたの? 陽向。僕は自分を抑えて滑れとは言ってないよ?』

 だった。



 休憩が来ると、陽向さんは不機嫌そうにリンクを上がった。

「何が自分を抑えるなよ。私のことレディーらしくないって言ったの、先生じゃないっ」

 僕の前を歩く彼女はつかつかとベンチに行き、ペットボトルを持ち上げ腹立たしそうに蓋をひねった。


「制覇君。明日はオフだけど、自主練に来ましょ」

「オフ?」

「そうよ。姫島先生には、知らない土地に行くんだからたくさんのこと経験してらっしゃいって言われたけど、そうはいかないわ。遊んでなんていられるもんですか」


 オスカー先生はいったいどこまでのことを求めているんだろう。

 さっきなんて――僕を慕っているとまではいかなくても――かなりいい感じが出せていたと思うのに。


「せっかくブロードウェイも近いんだから、観に行けたらって思ってたんだけど……」

「ブロードウェイ!?」

 あの二人の演技の元になった作品。

 ぜひそれを見てみたい!


「行きましょうよ! ブロードウェイ!」

「えっ?」

「あの二人の演じているウエストサイドストーリー、やってるんですよね!?」

 陽向さんはしばらく練習か観劇かの間で苦悩していたけれど、最後には「そうね。勉強も大切よね」と意気込んで言った。


 帰ってから急いでチケットについて二人で調べ、予約をした。当たり前だけど情報は英語だらけ。安易に出かけようなどと言ってしまったけれど、ここはアメリカなのだということを再認識させられた。

 ステイ先のおじさんに行き方を念入りに教えてもらい、メモを取りスマホの地図と何度も見比べ、念のため日本語で書いてあるサイトでブロードウェイ周辺の治安についても調べた。昼間に出かけるのであればまず大丈夫と書いてあったけれど、行き先はアメリカの大都会ニューヨーク。陽向さんと一緒に出掛けるのに、緊張しないわけがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る