月の宮の三姫

れなれな(水木レナ)

第1章最も輝く日

 クインキャッスルには見事な薔薇園と、灌木(かんぼく)で造られた迷宮があった。迷宮には四つ角に四つの台座とその上に備え付けられた三体の銅像があった。

 だが一体は台座だけしかない。

 一体、なんの像だったのだろうか……。

 その入り口付近から入って来たのは、小柄な東洋人と背の高い前かがみの青年。こちらはブルーアイズを左右に走らせ、油断なく周囲を見回している。

「なんか不気味ですね……不可解ですね、あの銅像なんか、人とも獣ともつきませんね」

 心細そうに、後からついてゆく。

「それがウリなんだろう? 交渉は」

「いまだ遅々としてすすみません。このお城、よっぽど秘密があるんですよきっと……」

 背の高い方が猫背で歩き、主人は胸を張って前をゆく……その東洋人のうきうきした表情は少年にも見える。

 実際、ミスターは飛び級、いわゆるスキップでオックスフォード大学を卒業している。

「ともかく契約を急げ。ここを新しいテーマパークにする」

 それはまるで、一番遊びたがっているのは自分だと言っているような言い方である。

「しかしこの台座はなんだ。銅像が引きずりおろされでもしたのか?」

 主人はニヤニヤしながら、まるで世紀の大発見でもしたようにあるはずのない銅像を見た。

「モデルは女性でしょうね」

 護衛の男は、雇い主であるミスターの肩越しに言った。その声にミスターが振り返った。

「ほう、根拠は?」

「ここを見てください」

 護衛の男は台座の上部を指さした。

「どこだ」

 ミスターは憮然とした表情だ。背の低い彼からは、護衛の男が指した部分は死角で見えない。

「これは失礼いたしました。ただいま御覧に入れます」

 護衛の男は主人を横抱きにして持ち上げた。

「見えましたかあ」

と、赤ちゃん抱き。

「うむ、貴様がうんとアホ面をしているのがよく見える」

「じゃなくてえ、台座を見てくださいよう」

 青年はぐるりと体勢を返し、ミスターに空を見せて差し上げる。

「プレートがついてる。青くさびててよく見えない」

「台座の上ですう」

「あ、なるほど女性だ」

 この台座一番の特徴的な部分が見えた。厚くしつらえられた十センチはあろうかという靴の、かかとだけが取り残されたままだ。

「でしょう。時代がかったヒール。どう見ても女性のものでしょう」

「じゃあ、銅像はどこへ行ったんだ」

「は?」

「いや、いい」

「はあ、それにしても奇怪ですよね、大人も子供も楽しめるクインキャッスル、をウリにするのに」

「この不可解さを楽しめるようでなくては、おまえもまだまだだ。ただ……本物は困る」

「はあ」

 実際主人よりも年はとっているわけだが、自慢にならない上、主人がもっとも嫌う話題なので刺激しないようにする。

「しかしまるで……こう、ホラーみたいですよね、ある種の……そのう、ほら」

 主人は立ち止まって、後ろの青年を振りかえって見た。

「あ! 後ろの像が動いた! 瞬いてこっちを見た!」

「やーめーてーくーだーさーい!」

 走り去るミスターに、おいてきぼりにされた青年が腰砕けになりそうになりながら、なんとか追いすがろうと手を伸ばす。その腕はがくりと地を噛んだ。

 青年は怪奇なものが大嫌いなのだ。初めて紹介されたとき、一回りも年下のこの少年に見事に脅かされて、以来ずっとからかわれっぱなしだ。


とやっていると、にわかに天気が怪しくなってきた。ごろごろと遠雷が聞こえる。かと思うと天に黒々とした穴があき、渦を巻いて風を飲みこんでいった。




「なんだってんだ」

「こちらが逆に教えてほしいくらいです……」

 二人は木の葉と一緒に風に巻き込まれて天の穴へと飲み込まれていった。悲鳴をあげることも、あらがうこともできずに……。

 それは一瞬のこと。気づくと、二人は元の場所にいた。

「あれって竜巻っていうんじゃないか」

「生きてるのが不思議……一体何だったんでしょう」

「ええい、役に立たない頭だな!」

「勘弁してくださいよ! 技かけるとか、止めてくださいね。しかたがないでしょう! 生まれて初めてなんです、竜巻に出会うなんて」

「じゃあオマエも竜巻と認めるんだな」

「え? でもそれは推測に過ぎないっていうか……」

「このオレが何かを勘違いしたとでもいうのか」

「メッソウモゴザイマセン」

(この人を怒らせると非常にまずい)

 二人はその不気味な庭園を抜け、帰るつもりだった。なにより自宅ほど精神安定上、安全なものはないと思われた。

 ミスターの自宅は二十四時間、隙も死角もなく監視カメラが取り付けてある。二重窓も二重扉も、秘密の地下道も用意してある。

 全部父親に造ってもらった。その家で唯一敵にすると手ごわいのは父しかいない。

「あれっ」

 門の前にベンツが待っているはずなのに、あいにくの天気のせいか視界が晴れない。

「こういう場合どうしたら……せめて持ってきた本が『ザ・交渉術』じゃなくて『恐竜にあっても生き延びる方法』だったら……」

 それでも無理だったかもしれない。霧が晴れてじっと見てみると、そこに広がっているのはごろごろした岩ばかりで、整地されたあとの野っぱらの方がよほど健康的だ。何より目に優しい。

「では、さっさと門から出ましょう」

 ところが門には看板がかかっており、内側からぐるっと回して見ると、

「愛なき者、すべからく死すべし」

と、あった。

「アイ」

「LOVE、ですか」

「ラテン語ならCSRITAS、だな」

「ADORATIO、かもしれませんよ」

 二人とも、厳然たる事実に気づいた。

 その看板に書かれていた文字は彼らの母国語ではなかった。

 細くうねって禍々しい呪いのような感覚を覚えた。古典に詳しい二人だから普通に読めたのだ。

「愛の定義はいろいろですからねえ」

 青年がボーっとしていると、背後から、しかもだいぶ距離のある方からかけ声がした。

「なにやってんだ、全速力でこっちへ来い!」

「え? 何? 雨?」

 ピカッと閃光が走る。青年が危機感を覚えて(やっと!)ミスターの方へと駆け込んだ。

 スーツ姿でスライディングというものはあまり見ない。だがそうしなければならない理由がまた彼らにはあった。

 違和感。

 ここでないとき、ここでない場所で、彼らは生まれた。だから、この城の秘密など知る由もない。

 だが、亡霊は揺らめきながらかつての姿を映し出す。ゆらりゆらりと列柱に遊ぶ姿はどこかゆかしい。いかにもありそうな、という意味で。

 門には雷の落ちたなごりで、黒焦げの鎖が湯気を立てて、門、それ自体を忌まわしいものにしていた。

 縦と横に黒焦げの十字が走っている。これではうかつに近寄れない。

「もともと楽でない方法で城を手に入れたらしい。悪魔との契約で」

「ああ! だから見たこともない生き物の銅像があったんですね」

「銅像? そんなもの、どこにある」

「えー、はあ、ありませんよねーそんなもの……本当に」

 青年はおかしいな、という顔でもと庭園だった場所を見渡す。何が何だかわからない。

 庭の構造的に、行き止まりになっている灌木の迷宮には、必ず像が建てられていた。もしくは泉の水で満ちていた。

「おかしい、って言ってもおかしいのはあの人もだ。もう、ここには正常な判断をくだせるのは僕しかいないのか……」

 とことん憂鬱な気分になって、水が絶えた噴水を眺めると、小動物が泳いだり食べたり、食べられたり、そういう命ある者たちの一挙手一投足が彼の胸に突き刺さった。

 青年はげっそりとして、組んだ両手を額に当てた。

「僕は……いや、わたくしは運命に間引かれたのだろうか。今見渡す限り、世界は荒れて、わたくしは異邦人」

「なにをひとりでぶつくさやっているのだ。暇してる時間があったら、手伝え」

 ミスターが持っているのは古ぼけたスコップだった。誰かいるのだろう。壁にたてかけてあった。

「フェンスの上を越えるのは無理だ。だがこういう障害物を乗り越えるのが得意なものが昔いてな。穴を掘るのだ。フェンスの下に」

「だれがそんなことを、最初にしようと思ったんですか?」

「オレのペットだ。ミックス犬」

「彼は天才です」

「一応、メスだったらしい」

「風変わりなお嬢さんで……」

 二人して穴を掘りながら、ふと、青年がミスターを見ると、その目線が何者かの一連の所作を見つめているのがわかって、ぎょっとした。

「ええっ、ちょ、ちょっと待ってください。今やる冗談じゃないでしょう!」

 そのとき大気が震えた。稲光が城の影という影をふり払い、真っ白にはじけた。

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