第十話「はじめての冒険!」
初夏の陽射しを浴びて、草木が一斉に背を伸ばす。
それは、さながら光を求める、いくつもの手のようにも見えた。
木漏れ日を浴びて歌う小鳥たち。
そして、時折、頬をなでてゆく柔らかな風。
この時期の山歩きは、とても気持ちが良いものだ。
……これが、遊びならば。
「いてて、いててて……」
草木をかき分け、シェイルが姿を現す。
子犬のルナルナを探して村を出たシェイルだが、村からの道の上にルナルナの姿はなかった。
そのため道を外れ、山の中を探してみることにしたのだった。
「『あたしに任せて!』なんて言ったけど、これは、なかなか大変だわ……」
独り言を口にしながら、シェイルは足を進めてゆく。
成犬ならば自分で帰って来るかもしれないが、ルナルナはまだ子犬だ。
ちゃんと帰って来るという保障はない。
山には狩人の仕掛けた狩猟用の罠もある。
更には、魔物たちの住処でもあるのだ。
もし山に迷い込んでいたのなら、一刻も早く見つけ出さなければならない。
「迷子の迷子のルナルナやーい!」
シェイルの声が、辺りに響き渡った。
そのとき、ふと水の流れる音が聞こえてきた。
「川の音……?」
音のする方向へ歩を進め、草木をかき分けると、不意に開けた場所に出た。
「わぁ!」
それは、涼しげな音を立てて流れる小川であった。
流れる水面は、陽射しを浴びて様々な輝きを放つ。
その水はとても澄んでいて、泳ぐ魚の姿も見えた。
「こんなとこ、あったんだ! 帰ったら、ナーイにも教えてあげよーっ!」
新たな発見に、心が踊った。
――そのとき!
「キャウン!」
響き渡る子犬の悲鳴。
慌てて目を向けると、向こう岸の木の間に、ルナルナの姿が見えた。
ルナルナは、生け捕り用の罠に捕らえられ、宙吊りの状態で、情けない鳴き声を上げている。
幸いにして怪我はしていないようだ。
シェイルは、ほっと胸をなでおろした。
「待ってて! 今、助けてあげるからー!」
そう声を掛け小川に近付くが、近くで見ると水深は意外とあり、流れも早い。
「うーん、どこか渡れそうなところは……」
視線を巡らせると、少し下流に行ったところに、川の中から岩が顔を出し、渡り石のようになっている箇所が見えた。
その岩を渡れば向こう岸に辿り着けそうである。
「今、行くからねっ!」
シェイルは、渡り石に向かって走り出す。
だが、不意にルナルナ以外の気配を感じ、シェイルは振り返った。
「あっ! あれは、ゴブリン!」
そこには、二体の赤肌の鬼、ゴブリンがルナルナを見上げていた。
ルナルナは低いうなり声を上げるが、ゴブリンたちは気にする様子もなく、小躍りをして喜びを表している。
「こらーっ! ルナルナに何する気だーっ!」
叫ぶシェイル無視して、一体のゴブリンが身軽に木登りを始めた。
その口には、短剣ダガーをくわえている。
おそらく、木に結んである縄を切るつもりなのだろう。
そして、網ごとルナルナを連れ去る。
その後は……
あの口元から溢れ出すヨダレを見れば、容易に想像がつく。
「そ、そんなこと、させないんだからっ!」
シェイルは身震いし、再び走り出す。
「すぐにそこに行くから、大人しく待ってなさいっ!」
しかし、その言葉に反応するように、ゴブリンの作業速度が上がった。
「あ、このっ!」
木に登ったゴブリンは、枝に結ばれている縄に短剣の刃を当てた。
縄は、意外なほどあっさりと切れる。
支えを一つ失った網は斜めに傾くが、ルナルナは網に絡まっているらしく、幸か不幸か下に落ちることはなかった。
ゴブリンは、身軽に隣りの木に飛び移る。
そして、同様に短剣で縄を切ってゆく。
「あの動き……手慣れてる!」
シェイルはチラリと振り返り、歯噛みしながら言った。
「そーいえば、時々罠が外されて獲物が持ち去られるって聞いたけど……」
コイツたちの仕業かもしれない――
そう思いながら、シェイルは更に走るスピードを上げた。
そして、渡り石まで辿り着くと、
「よっ! ほっ! はっ!」
スピードを殺さずに岩の上を渡り始めた。
「たーっ!」
見事、向こう岸に着地を決めたシェイルは、着地の余韻もそこそこに、ルナルナの方へと目を向けた。
その瞳に、網ごとルナルナを担いで逃げてゆくゴブリンの背中が映る。
「ちょ……このっ! 待てって言ってるでしょーっ!!」
ゴブリンを追って、シェイルは再び走り出す。
「絶対に逃がさないんだからっ!!」
全速力で走るシェイル。
その足はなかなか速く、ゴブリンとの差がみるみる縮まってゆく。
――が、その足は不意に動きを止めた。
そして、慌てて茂みの中に身を隠す。
ゴブリンが向かった先、それは切り立った崖にある洞窟だった。
黒く深い闇が、ぽっかりと口を開けているような入り口の前に、おそらく見張りをしているのであろう、ゴブリンが二体立っていた。
「あそこが巣なのね……」
シェイルは、茂みからひょっこりと頭を出す。
あのまま追い掛けていたら、ゴブリン四体を相手に大立ち回らなければならなかったろう。
(悔しいけど……今のあたしには、四体いっぺんに相手する力はない……)
シェイルは、拳を強く握り締めた。
「ギギッ?」
「ギ~♪」
ルナルナを担いだゴブリンは、見張りのゴブリンと二、三、短い言葉を交わす。
やがて、見張りの一体と、ルナルナを担いだ二体のゴブリンは、洞窟の中へ姿を消した。
入り口には、見張りのゴブリンが一体だけとなる。
(これはチャ~ンス!)
シェイルの目がキラリと光った。
普段、剣士であり冒険者であった父から、稽古をつけてもらっている。
一体だけというのなら、ゴブリン相手に遅れを取ることはないだろう。
だが同時に、脳裏に疑惑が浮かぶ。
ゴブリンに気付かれずに近付き、そして、一撃で勝負を決められるのか。
そのどちらが欠けても、仲間を呼ばれてしまう可能性がある。
そうすれば、ルナルナの救出は更に困難となるだろう。
「くっ……どうしたらいいの?」
シェイルはゴブリンを睨んだまま、首から下げた精霊石を無意識に握り締めた。
―――
物陰に隠れ、館の様子をうかがう二人。
アドニスとディアドラ。
「入り口に、見張りが一人がいるわね」
「ああ……」
ディアドラの言葉に、アドニスは短く答える。
その間も、二人は見張りから目をそらさない。
「どうするの? 見つかったら仲間を呼ばれるかもしれないわよ」
ディアドラは、心配そうにささやく。
「最悪、人質を傷付けられる可能性も……」
「あるだろうな」
「でも、気付かれずに近付くのは厳しそうね」
二人が潜伏している場所から、見張りの位置までは距離がある。
そして、その間には身を隠すような場所はない。
いくらアドニスでも、相手に気付かれる前に葬ることは不可能だろう。
「私の精霊魔法じゃ、相手を一撃で倒すほどの力はまだないし……」
ディアドラは眉間にシワを寄せ、強く握った拳を唇に当てた。
「こんなときに、古代魔法が使えたら……」
古代魔法には、瞬時に眠りをもたらす霧を発生させる〈
初級の魔法ではあるが、古代魔法を習得していないディアドラには当然ながら使うことができない。
(私は、アドニスのためにも、もっと強くならなきゃ!)
そう、心に誓うディアドラだった。
「……ディアドラ」
そのとき、不意にアドニスが振り返る。
急接近する顔に、ディアドラの胸は強く脈打った。
「な……なに?」
真っ直ぐ見つめてくる瞳に、思わず声が上擦る。
「この状況に緊張しているのか? 顔が赤いぞ」
しかしアドニスは、そんなディアドラの気持ちには気付いていないようだ。
「や……こ、これは違う! そ、それより、この状況をどうするの?」
その言葉に、アドニスは微笑む。
「大丈夫だ! ディアドラ、力を貸してくれ!」
―――
「――ですよね、アドニス先生~~!」
シェイルは拳を握り締め、空を見上げた。
「この状況、アドニス物語のワンシーンと一緒!」
その腕には、感動のあまり鳥肌が立っている。
「よーし、頑張るぞっ!」
ガサッ!!
シェイルの体が草木に触れ、大きな物音が響く。
「ギッ!?」
その音を、見張りのゴブリンは聞き逃さなかった。
物音がした草木の方をじっと見つめる。
(あたしも、アドニスのように……)
ガサガサッ!!
「ギギッ?」
興奮したシェイルの立てる音。
茂みからの物音に、ゴブリンは興味を惹かれたようだ。
手にしていた棍棒を握り直すと、首をかしげながら一歩一歩と近付いてゆく。
そして、その茂みの前で足を止めると――
「ギッ!!」
棍棒で茂みをなぎ払った。
引き裂かれた草木が宙を舞う。
だが、そこには何の姿もない。
「ギッ? ギッ?」
なおも茂みを掻き分けるが、やはり何も見つけることはできなかった。
「ふ~!」
洞窟の内壁に寄りかかったシェイルは、額の汗を拭った。
ひんやりとした岩壁が気持ち良い。
「まさか、こうも上手くいくなんてね……」
シェイルが使った力、そしてアドニスがディアドラに頼んだ力。
それは〈
主に連絡や情報収集の手段に使われる初級魔法だが、二人はこれを陽動に使ったのだ。
草木を動かす物音を、自分から遠く離れた場所で発生させる。
そして、その音に気を取られている隙にシェイルは洞窟に潜入、アドニスは見張りを一刀の元に切り捨てたのだった。
「大成功~! さすが勇者アドニスよね~!」
見張りのゴブリンから見えない位置に姿を置いたシェイルは、ふふふと小さく笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます