第Ⅰ章 燃える髪色の少女
第八話「シェイル・セルフィス」
「あたし、ぼーけんしゃに なるのーっ!」
幼い少女の心に、大きな影響を与えた一冊の本、『アドニス物語』。
冒険者だった父や母のように、自分も冒険の旅に出掛けたい。
そして、いつの日か白銀の勇者のような、人々に希望と平和をもたらす存在になりたい!
その熱い想いは、小さな胸にしっかりと刻み込まれた。
――それから十年の歳月が流れた。
少女の名は、シェイル・セルフィス。
父親譲りの燃えるような赤い髪を持つ彼女は、精霊使いである母親の血を強く受け継ぎ、簡単ながら精霊との交信をすることができるようになっていた。
勇者に憧れた少女の物語が、今ここに幕を開ける……
―――
アステイル大陸から、北に数百キロ先に浮かぶ絶海の孤島、リノイ。
その小さな島の中にある小さな村、ライナ。
その村の通りを、一人の少女が足取り軽く歩いていた。
肩甲骨まで伸ばされた茶髪は、眩しい太陽に照らされて、つややかに輝く。
橙色のワンピースに身を包み、その手には青いリボンで飾られた赤い小箱を持っていた。
「今日も、いいお天気ねー」
誰に言うともなく、つぶやいた彼女は、その足を二階建ての民家の前で止めた。
片手で少し髪を整えてから、その扉を軽く叩く。
「はーい」
中から響く声。
ややあって扉が開き、亜麻色の服に身を包んだ、綺麗な女性が姿を現した。
「あら、村長さんとこのナーイちゃん」
「こんにちは、マチルダおばさま」
ナーイと呼ばれた少女は、微笑みながらお辞儀をする。
「ナーイちゃんは、いつも礼儀正しいわねぇ……それに比べてうちの子は……」
マチルダは短くため息をつき、家の中に目を移す。
その視線の先には、二階への階段がある。
「もしかして……まだ寝てるんですか?」
「そうなのよ~。お日様も、とっくに昇っているというのに……」
あごに手を当て、困ったように小首を傾げるマチルダに、ナーイは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫です、おばさま。私が起こしてきますね」
―――
「きゃあああああっ!!」
小さな部屋の中に響き渡る悲鳴。
「ナーイ……そんな……!!」
「シェイル……」
「やめて、ナーイ!!」
「ちょっと……」
「ナーイ! 生肉くわえて、どこ行くのー!?」
「ちょっと待て――っ!!」
今度は、ナーイの怒声が響き渡った。
「ん……夢……?」
その声に、ベッドからゆっくりと起き上がる少女。
そして、ん~~っと、背伸びを一つ。
「ふわぁぁぁ……あ、おはよ、ナーイ」
「『おはよ』じゃないわよ、シェイル!」
シェイルは、むにゅむにゅと目をこすった。
「凄い夢見ちゃった」
「何だか、私が出てたみたいだけど……」
「うん! 六本腕のナーイが、生肉くわえて、コウモリみたいな翼で飛んでいっちゃうの!」
「か……勝手に、人をバケモノにしないで――っ!!」
「えへへ、ごめんねー」
必死に訴えるナーイだったが、シェイルは全く気にしてないようだ。
元気にベッドから飛び降りると、腰よりも長い赤色の髪がふわりと舞った。
「ねえ、ナーイ! 着替えるから向こう向いてて」
寝衣姿のシェイルは言う。
「……え? いつも、そんなの気にしないじゃない」
「いいから! あたしがいいって言うまで、こっち見ちゃダメだからねっ」
首を捻りながらも素直に言う事を聞くと、すぐさま寝衣を脱ぎ捨てる音が聞こえてきた。
(ちょっと前までは何も気にしなかったのに……)
数日前は、本人は遠慮深いと言い張る、成長を少し放棄している胸をさらけ出しながら着替えをしていた。
(やっと恥じらいを覚えたのかしら?)
親友のその成長は素直に嬉しいが、少しだけ寂しさも覚えるナーイであった。
「ふぅ……」
気を取り直し、ナーイは目を前に向ける。
その瞳に、壁いっぱいに広がる本棚と、ところ狭しと並ぶ沢山の本が映り込んだ。
その量の膨大たること。
思わず、しばしの間、それに見とれてしまう。
「いつ見ても……凄い本の量……」
「大陸からの商業船が来る度に買ってたら、こんな量になっちゃった」
そう言って、笑うシェイル。
「これ……全部ちゃんと読んだの?」
「うんっ!」
「凄い……」
ナーイの口から、感嘆のため息が漏れた。
「どの本も面白かったけど……でも、やっぱり、あたしの一番のお気に入りは……」
「冒険物の王道中の王道、『アドニス物語』でしょ」
わかってる、という風に口を挟むナーイ。
「うんっ! あの本を読んで、あたしも冒険者になりたいって思ったんだっ!」
「アドニスは、十五歳で冒険者になったんだっけ?」
「そう! それで、その功績が認められて、姫の騎士に大抜擢!」
アドニスを話すシェイルは本当に嬉しそうで、思わずナーイの顔にも笑みが浮かんだ。
「十五歳かぁ……今日からシェイルも十五歳だもんね」
「覚えててくれたの?」
「もちろん! シェイル、お誕生日おめでとう! これで私たち二人とも十五歳ね!」
「ありがとう、ナーイ……」
シェイルは背を向けたままの親友を見つめた。
その顔に、イタズラな笑みが浮かぶ。
「でもね……お尻向けたまま、お祝いの言葉って、どーなの?」
その言葉に、ナーイの顔が赤く染まる。
「な……なによ! シェイルが向こう見ててって言ったんじゃない!」
「あはは、ごめんごめん。冗談だって」
耳の後ろまで真っ赤に染めて反論するナーイに、シェイルは笑いながら謝った。
「まったくもう……」
いつもこうなんだから……と、言わんばかりのため息が漏れる。
「……ところで、シェイル。私は、いつまでこうしてればいいの?」
「あ、ごめんね、もうちょい……よっ……と」
声に合わせ、革がこすれるような音が聞こえた。
(服を着替えるだけなのに、どれだけ時間かかってるんだろ……)
「……お待たせ~、こっち向いていいよ」
ややあって、明るい声が響く。
「もう、遅い……」
振り返ったナーイは、思わず息を呑んだ。
ポーズを決めるシェイルが着ているのは、足首丈の長い薄桃色のチュニック。
それは、動きやすくするために、スカート部分に太ももまである長い切れ込みスリットが入っている。
そのチュニックの上から身に着けた、刺繍が施された藍色の
大きめな肩当てからは、鎧と同じ藍色の長いマントが伸びている。
ブーツは上部を外に折り曲げ、くしゅくしゅとしたショートブーツにし、腰には、これまた鎧と同じ色の帯を巻いていた。
「へへ~、昔、お母さんが冒険で使っていたやつ、誕生日のプレゼントでもらっちゃった!」
シェイルは得意げに、その場でクルッと回ってみせる。
「かっこいい! すっごくいいね! 本当に冒険者みたい!」
「うん、ありがとう――でもね……」
少し困ったような笑みを浮かべ、炎のような赤い髪をつまんだ。
「この髪が、冒険するときに、ちょっと邪魔になりそうかな~って……」
手を離すと、長いその髪は指から逃れるようにサラサラと落ちてゆく。
「せっかくここまで伸ばしたんだし……切りたくないんだけどね」
そう言って、ため息をつくシェイルにナーイは微笑んだ。
「そうだと思って……はい、私からの誕生日プレゼント!」
ナーイは、青いリボンで飾られた赤い小箱を差し出す。
「わぁ、ありがとう!」
その笑顔とプレゼントにつられ、シェイルの顔にも笑みが戻る。
「ねぇっ、開けてみていい?」
「もちろん!」
シェイルは、胸を躍らせながらリボンをほどき、箱のフタに手を掛けた。
ゆっくりとフタが開いてゆく。
「わぁ……」
今度は、シェイルが感嘆のため息を漏らす番だった。
そこには純白のベルベット生地で作られた、くしゅくしゅとした形の柔らかい輪があった。
「綺麗……!」
「ふふふ、この輪は伸び縮みするのよ」
そう言って輪を引っ張ってみせる。大きく伸びた輪は、手を離すとまた元の大きさに戻った。
「すごい、すごい! どうしたのこれ?」
「私が作ったのよ。半年前に買った、ユニコーンの尻尾を使ってね」
―――
――半年前、リノイ島に大陸からの商業船がやってきた。
所狭しと商人たちは自慢の商品を並べ、島民たちは物珍しげに取り囲む。
その集団の中に、例外なくシェイルとナーイの姿もあった。
「ねえ、ナーイ! これ見て!」
シェイルが、ふと足を止める。
「わぁ、なにこれ?」
それは、白い毛を幾重にも編み込んだ、幅広の組み紐ひもであった。
「ねえっ、これ、伸びるよっ!」
「うふふ、面白~い」
組み紐は、手で引っ張ると伸び、離すと勢い良く元の長さに戻る。
その弾力が面白く、二人は組み紐を引っ張って遊んでいた。
「おい、お嬢ちゃんたち!」
そのとき、不意に背後から掛けられる声。
「「ふぁ、ふぁいっ!!」」
驚きのあまり、二人の口から思わず間抜けな声が漏れた。
恐る恐る振り返ると、そこには草色の服に身を包んだ、二十代くらいの青年が立っていた。
「あ~、ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだけど」
「あの……あなたは……?」
「俺? 俺は、ここの露店商だ。いや、二人とも、なかなか目が高いなと思ってね」
「えっ……目が高い?」
「やっぱりこの組み紐、珍しいモノなの?」
「お嬢ちゃんたちは、ユニコーンって生き物を知ってるかい?」
ユニコーン、それは一角獣とも呼ばれる幻獣だ。
雪白色の馬の姿をしており、その額からは真珠色をした螺旋状の一本角が生えている。
その角には強力な癒しの力があり、そのため聖獣とも呼ばれていた。
角に込められた癒しの力は、ユニコーンから切り離されても効果を持ち、魔法の心得がない者でも使用することが可能だった。
ゆえに角は高額で取り引きされ、心無い狩人に命を狙われることもあった。
「遥か昔は、このリノイ島にもいたと言われているわ」
人差し指を立てて、ナーイが説明する。
「お……おう……正解だ」
面食らったような行商の青年に、ナーイは胸を張る。
「家にあった『精神力がゼロでも魔法が使えていいのだろうか』っていう古い文献に、ユニコーンのことが載ってたのよ」
そう言って、微笑むナーイ。
「――それで、この伸びる紐とユニコーンと、何の関係があるの?」
シェイルの言葉に、青年の瞳がキラリと光った。
「ああ。これはゴムウの組み紐という名前で、稀代の魔法使いノービル・ゴムウがユニコーンの尻尾を編んで作ったと言われているんだ」
「「えっ!?」」
「じゃ、じゃあ、この紐には癒しの力があるの?」
「あー……いや……残念ながら、それは……ない」
嬉しそうなシェイルに、青年は申し訳なさそうに言う。
「――でもな、どんなに伸ばしても、また元の長さに戻る再生の力を持っているんだ」
「おおおおおっ、すごいっ!」
「ちょ、ちょっと……シェイル、ちょっと」
無邪気にはしゃぐシェイルの袖を引き、ナーイは青年から距離を取る。
「あなた……まさか今の話を信じたんじゃないでしょうね!」
ナーイは小声ながらも、鋭い声を出した。
「えっ……だって、稀代の魔法使いがユニコーンの再生の力をって……」
「嘘に決まってるでしょ! ゴムウなんて魔法使いも、尻尾にそんな力があるなんて話も聞いたことないわ!」
「そ、そうなの? ……でも、嘘つくような人には見えないけど」
シェイルは、チラリと行商の青年を見る。
その視線に気付いた青年は、笑顔で手を振ってくれた。
思わず、引きつった笑みを返す二人。
そして、すかさず青年に背を向ける。
「ほら、あの怪しい笑顔!」
「え~?」
「もうっ、騙されないでよ! とにかく、私が断るから!」
そう告げると、ナーイは鼻息荒く青年の元に戻ってゆく。
シェイルも、その後に続いた。
「お嬢ちゃんたち、話は終わったかい?」
二人の会話の内容を知らない青年は、相変わらずの満面の笑みだ。
「この、ユニコーンの尻尾とやらですけど……」
ナーイは、青年を睨みながら口を開く。
「ああ、いい品だろ?」
「や……じゃなくて……!」
「あ~、値段かい? 値段は2000ゴールドだよ」
「た、高っ!」
思わず、驚きの声が出る。
2000ゴールドと言えば、荷馬が一頭買えてしまうほどの金額だ。
「わ、私たちのお財布の中身を、理解してないでしょ!」
「あ~、そっか~」
青年は、ポリポリと頭をかく。
「ん――じゃあ、1000……いや、500ゴールドでいいよ!」
「一気に下がった……」
「ますます、怪しいわね……」
じとーっとした目で見るナーイ。
その険しい顔に、青年の笑顔が引きつった。
「そ……そんな顔すんなって! 可愛い顔が台無しだぞ」
「そんな言葉に騙されるもんかー!」
シェイルが、ずいっと前に出る。
「い、いや、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりよー! ねぇ、ナーイ!」
振り返るシェイル。
ナーイの口がゆっくりと開く。
「か……」
「か?」
「か……可愛いって……ホントに……?」
「そうそう……って、うえええ!?」
頬を赤らめているナーイに、シェイルはアゴが外れそうなほど驚いた。
「あ、ああ、お嬢ちゃんたちくらい可愛い子は、大陸広しといえども、そうはいないよ」
「え~、そんな~」
「ちょ……ちょっと、ちょっと、ナーイ」
頬に手を当て体をくねらすナーイの袖を、今度はシェイルが引っ張る。
「ちょっとー、どういうつもりよ?」
「あら、シェイル。あの人、案外いい人ね」
「うええええ!?」
「お兄さーん、もう少し詳しく説明してー♪」
ナーイの明るい声が響き渡った。
それから程なくして……
上機嫌で通りを歩くナーイの手には、先ほどのユニコーンの尻尾とやらが、しっかりと握られていた……
―――
「――なんてことが、あったね~」
「よ、余計なことまで思い出さないで!」
ニヤニヤするシェイルに、ナーイの顔が真っ赤に染まる。
「あ、あれは……あの人だって生活があるわけだし……買ってあげないと可哀想じゃないの!」
「そのわりには、あそこから更に値切ってたけど~?」
「う、うるさいなぁ……とにかく、あのときの組み紐を使ったのよ!」
「そうなんだー!」
「作り方は簡単なのよ」
ナーイは、ユニコーンの尻尾が入った布を手に取る。
「ベルベットの布を中表の輪の形に縫って、その後に筒状に縫って……それで、表生地を外に引っ張り出す。その中にユニコーンの尻尾を通して……生地をくしゅくしゅと縮ませて結べば――出来上がり!」
「すごいすごい!」
「シェイルは髪が長いから、これでまとめたらいいかなと思って」
「うん、ありがと! さっそく使ってみるねっ!」
そう言って、自慢の長い髪を束ねて手に取った。
「あまり上の方じゃなくて、この辺に……と」
シェイルは、ちょうど腰の高さでその髪飾りを巻き付け、髪をとめる。
「ずいぶん、下につけたわね……」
赤くつややかな髪は途中まで真っ直ぐに伸び、腰に向かうにつれ一つにまとまってゆく。
そして、腰の高さにあるその髪飾りで束ねられ、その下は狐の尾のような形で下に垂れていた。
「えへへー、似合うかな?」
嬉しそうに頭を左右に向ける。
そのたびに、尻尾のような赤い髪が、左右に勢い良く動いた。
「うん、似合ってる!」
「ありがとう、ナーイ! ……あ、この髪飾りって名前あるの?」
しかし、ナーイは笑いながら首を横に振った。
「名前なんて、考えてなかったわ」
「そうなんだ、じゃあ――」
少しだけ考える素振りを見せたシェイルは、不意に人差し指を立てて突き出した。
「『シュシュ』って名前はどうかな?」
「シュシュ……?」
「うんっ! 前に本で見たんだけど、古代の言葉で『お気に入り』って意味なんだよっ!」
「シュシュ……うん、悪くない!」
「じゃあ、決まりっ!」
二人は、手を叩き合った。
「それじゃ、あたし、村のみんなに、この格好見せてくるねっ!」
「えっ……ちょ、ちょっと待って! 今日が何の日か忘れたわけじゃ……」
慌てて止めようとするナーイだったが、すでにシェイルは部屋から飛び出していた。
「もうっ! ちょっと待ってってばー!」
ナーイも、その後を追って部屋から飛び出してゆく。
不意に静けさが訪れた小さな部屋。
窓から入り込む優しい風が、ベッドの上に置かれた青いリボンをそっと揺らしていた。
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