拝啓、親愛なるあなたへ
親愛なるあなたにこの手紙を送ります。
どうか最後まで、読んでください。
この手紙を読んで、きっとあなたは笑うでしょう。
子どもの頃に見た夢だとおっしゃるでしょう。
否定は致しません。確かにあの塔での出来事は、夢物語のように思えてくるからです。
家に戻ってから塔へ行こうとしましたが、青空と花畑が広がる世界はどこにもなく、その度に使用人と首を傾げました。
父と母に塔の話をしても聞いたことがないと言われます。幻ではないかと疑いましたが、使用人もあの場所にいたのは事実です。
二人して同じ幻を見るには、偶然が重なりすぎていました。
あれから、三年。
わたしは十七歳になりました。
年を重ねても、こうして思い出に浸ります。
時に使用人と塔の話をし、男の子から届いた手紙を読んでいます。
彼とは数ヶ月前にお会いしました。三年ぶりの再会です。出会った頃よりずいぶんと背が伸びて、精悍な顔つきになっていました。
お父様と和解し、航海士を目指して勉強に励んでいるそうです。カラカラ姫が泳いだ海を渡ってみたいと話されました。
強くなりましたかと伺ってみたところ、チビの頃よりはとお答えになりました。そのときの笑顔には、あどけなさが残っていました。
これは使用人に秘密にしていますが、どうしようもなく不安になったとき、棚にしまった使いかけのハーブの石鹸の香りを嗅いでいます。
捨てなさいと言われた修復された椅子もあるんですよ。
これらを見て、あれは本当だったのだと確認していた時期もありました。過去にしがみつく女なんてみっともないとわかっております。
それでも、疲れてしまったとき、わたしはあの頃へと想いを馳せるのです。
花喰い娘と夢を喰う魔物の二人の物語を。
いつだったでしょう。魔物さんは、物語は娯楽だとおっしゃいました。人は悲劇を望む生き物だと。物語は他人事にしか過ぎないのだと。
確かに、物語は物語、架空のお話です。現実には起こりようのない絵空事なのでしょう。
けれど、わたしたちは登場人物に共感し、反感し、世界に触れ、心を揺さぶられます。いないはずの存在に、行ったことのない世界に想いを寄せる生き物でもあるのです。
わたしは、物語は糧だと思います。
不幸も幸福も積み重ねて蓄積されて、消化して力となる。時には支えにもなります。
まるで、食べ物のようですね。
こんなことを書けば、花喰い娘らしいとあなたはおっしゃるのでしょうか。
残念なことに、わたしはもう花は食べられません。りんごが好きなどこかのお嬢様です。
あの紅玉の指輪は今もわたしと共にあります。
普段から首にかけているんです。
時々、不思議がられる方もいますが、こう申しています。
「共に生きようと約束する人が現れた日が、この指輪をはめるときです」
理由はお話した物語の通り。
納得して頂けたでしょうか。
あぁ、ずいぶん長々と書いてしまいましたね。
ありがとう。
こんなとりとめのない、わたしのお話に付き合って頂けて。
この話を誰かにしたのは初めてです。
あなたに話せてよかった。
今度は、あなたのお話を聞かせてくれませんか。
あなたのこころと夢の物語を、楽しみに待っております。
親愛なるあなたへ
※ ※ ※
わたしが便箋にサインをしたとき、扉が叩かれました。
「はい」
扉が開き、見知った顔の男性が現れます。
ぴんと伸ばした姿勢で辞儀をしたのは、黒髪の使用人でした。相変わらず口うるさいですが、わたしが家に戻ってからは溜息をつかなくなりました。
今日は、わたしの十七歳の誕生日です。
父がわたしのお祝いにとはりきっているようですが、何をするのかは秘密なのだそうです。
使用人が呼びに来たということは、準備ができたのでしょう。
「パーティーか何かですか」
「それでしたら、お召し物を変えて頂きますよ」
「では、違うのですね」
どうやら使用人にも秘密にしているらしく、あれこれ質問をしてみても明確な答えは返ってきません。
「旦那様がお呼びですので、ご案内致します」
「ちょっと待ってください」
机に置かれた小さな木箱を開けます。花の模様が掘られた木箱には、細いチェーンで括られた紅玉の指輪がありました。
「またそれを」
使用人が指輪を見るたびに、眉を顰めるのは慣れています。
「よいでしょう。わたしが好きでしていることですから。お守りみたいなものですよ」
「存じております。お手伝いしますか」
「わたし一人でできます」
姿見の前に移動し、襟首に手を回します。首にかけられた指輪が揺れました。
あの日から、鏡に布をかけることはなくなりました。
三年前より髪が伸びたわたしが立っています。背は高くなり、身だしなみを覚えました。
母からは顔つきがしっかりしたと言われましたが、鏡の顔がどう変化したのかはわかりません。
「行きましょう」
部屋を出て、使用人に案内された場所は応接間でした。父が呼ぶ場所は、たいてい書斎か居間です。
使用人に視線を送りましたが、首を振られました。ともかくも、部屋に入れということなのでしょう。
扉を叩き、返事が聞こえたので入室します。
応接間には、男性が座っていました。
男性は立ち上がり、帽子を胸に当て頭を垂れました。
「お嬢様。今日はお誕生日、おめでとうございます」
最初に目に飛び込んできたのは、柔らかな銀髪でした。
「こんにちは、僕は宝石職人です。この度は、あなたのお父様からご依頼がありまして参りました」
小綺麗な服装は見覚えがありました。
「あなたのために、ひとつ何か作って欲しいと。今回はその相談に来たのです」
男性が上げた顔には、暗みがかった深い蒼色の瞳がありました。
一瞬、息を吐くことすら忘れそうになりました。
「あの、お嬢様……?」
わたしは笑みをつくり、首を振ります。
「いえ、なんでもありません。どうぞ、おかけになってください」
「そうですか。ありがとうございます」
ふと、宝石職人さんの視線がわたしの胸へといきました。きらきらと輝く紅玉の指輪に釘付けになっています。見つめていたかと思えば、吸い寄せられるように近づきました。
「触れてみても?」
「え? ど、どうぞ」
彼は指輪を手に取り、あちこち見回しました。
そして、不思議そうにわたしを見ます。
「これをどこで?」
「それは」
あの三年前の出来事が過ぎりました。
「塔で」
「塔で?」
頷いたわたしに、宝石職人さんは思案顔になります。
「……その、この指輪は僕の祖父が作ったものです」
ぽつりと聞こえたのは、指輪との奇妙な繋がりでした。
「どうやらこの指輪に不評が流れ、祖父は責任を感じて手元に戻したがっていたそうです。結局、祖父が生きているうちに見つかることはなかったのですが」
指輪にまつわる物語を思い出します。どこにでもあるような悲恋と人を不幸にすると言われた紅玉のお話。
「そうか、あなたが」
指輪から手を離した宝石職人さんは、笑っていました。
「その、塔というのは」
「すみません、それは」
「空と花畑の中にある、あの塔ですか」
思わず目を見張りました。
「変なことを言ってすみません」
彼は気まずそうに頭を掻きます。
「実は、数年前まで僕は病弱で、家に閉じこもりがちだったんです。毎日、眠る日々を送っていました。不思議なことにいつも同じ夢を見ていました。その夢は続いていて、眠るたびに変化がありました。まるで物語のページをめくるように、少しずつ。空と花畑の中に高くそびえ立つ塔があって、塔の中に女の子がいて」
こちらに向けられた視線は優しいものでした。
「あなたに似ていました」
「ご冗談を……」
込み上げる情動を隠すように俯き、震える声を抑えます。
「本当ですと言いたいところですが、証拠はありませんね」
「ハーブの石鹸」
「え」
わたしはドレスの裾を握りました。
「塔について、思いつくものはありませんか」
「椅子を直した。物を直すのに興味があったから」
「他に」
「塔の掃除もした」
「それから」
「女の子がいて、花を食べていて、紙袋を被っていたことには驚いた。夢の中の僕は、自分が誰だかわからなかったけれど、彼女はわかったんだ」
おそるおそる顔を上げ、わたしは尋ねました。
「それは、どういうことでしょう?」
はにかんだ顔は、子どものような一面を持ったあの方と重なりました。
「一目惚れってやつだ」
わたしは、彼に飛びついていました。
「ごめん。なんと言っていいのかわからない」
彼の腕がわたしを強く抱きしめます。
「そんなの、わたしもわからないです!」
頭が混乱していました。いくつもの記憶が通り過ぎていきます。懐かしくて切なくて嬉しくて楽しくて、あのときに感じた想いがぐるぐると体の中を駆け巡ったのです。
「そうだ。僕は君に聞きたいことがあったんだ」
静寂な色を湛えた蒼の瞳が、問いかけました。
「君のこころを教えて」
わたしは頷き、彼の腕から離れて距離を置きます。
ドレスの裾を上げて会釈をしました。
「わたしは、アイリス」
宝石職人さんはあのときと同じように、右腕を腹部に回して会釈を返しました。
「僕は、クレイヴ」
二人同時に顔上げます。
重なる言葉も一緒でした。
「初めまして!」
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