貴方の為の物語

中田浩

第1話

人型の無貌達が蠢き跋扈する世界。


私を取り巻く世界を表現するならばこのようにおどろおどろしくなってしまう。何を馬鹿な、と鼻で笑われてしまうかもしれないが、私にとっては大袈裟でも大仰でもなく、寧ろ胸にすとんと落ちるほどの的確な表現だ。私はそんな、異形が犇めく世界に私は一人取り残されていたのだ。見た目は私と同じ普通の人間でありながら、『彼ら』は私にとっては同じ種類の生物ではなかった。


例えるならそれは人間の振りをした理解し難い謎の生命体。今思えばとんでもなく失礼な話だが、私は彼らに対してそんな認識を貫いていた。このような態度で友好関係など築けるはずもない。私は彼らを警戒しきっていたし、そもそもそんな事を考えようとすら思わなかった。


私は正常であり彼らは異常である、というのが嘗ての私の数少ない自負だった。私が正しく彼らが間違っている、という考えは彼らを上から見下ろした傲慢な意見だが、親しい友人などいなかった私にそんな事を指摘してくれる人など誰もいない。肥大した自尊心が凝り固まった偏屈な人間を確固とするのに大した時間は必要なかった。勿論私はクラスで孤立した。間違いなく自業自得である。


自業自得、自業自得、因果応報、身から出た錆。似たような意味の言葉が溢れているのはかつての世界に愚かな人間が多かったからに違いない。昔の私もこの世界には愚か者が多すぎる、などと周囲を睥睨していたが、今思えばとんでもないブーメランだ。ただ一つ言い訳をさせてもらうなら、そんな態度を取り続けていた理由には寂しさを下らない自尊心で満たそうとしていた側面もあったことを付け加えておきたい。


つまり、『私のような高尚な人間に下々のニンゲンとの付き合いなど不要である』と孤独な自分を慰めていたのだ。そもそも私の頑なな態度が孤立の原因なのだが、その孤立を受け入れ難いとも思っていたのだ。矛盾しているようだが、寂しくて仕方がなかったのだ、当時の私は。


当時の私にそれを指摘すると躍起になって反論するだろうが、多少余裕が出来るようになった今ならば分かる。私は彼らを羨んでいたのだ。授業を受けて部活をして、休みも日には友人を連れ立って街に繰り出したり。そんなごく普通の学生生活を送れる彼らが妬ましくて堪らなかった。


私だってそんなことがしたかった。騒がしい面々に向けた煩わしさに微かな憧れが入り混じっていたことを今となっては否定できない。けらけら笑う彼らの輪の中に一度たりとも自分の姿を幻視したことがないといえば、それは嘘になってしまう。


外面だけでも取り繕って取り合えず長いものに巻かれておけば、私の学校生活はまた違ったものになっていたかもしれない。幸いな事にクラスメイト達は気の良い連中が揃っていて、適当に話しかければすぐその輪の中に入ることが出来たと思う。だが私はそれをしなかった。


自分とは異なる未知の塊である彼らと孤独を天秤に架けた結果恐怖が勝ってしまったのか。自分の融通のなさで妥協することができなかったのか。言い訳の文句はいくらでも出てくるが、結局私が指を加えて見ているだけだったという結果は変わりない。それどころか数少ない差し伸べられた救いの手すら払いのけていたのだから、全て私が悪いとしか言いようがない。


 我ながら頭の固い人間だと思うが、そこで自分を曲げてしまうと私の存在そのものが歪められてしまうような、そんな恐怖があったのだ。私の被害妄想だと言えばそれでお終いだが、当時の私にとってその恐怖は紛れもない本物だった。一度植え付けられたものを取り除くのは想像以上に難儀なことで、ただ孤立を深めていくばかりの負のスパイラルに陥っていた。


絶対的に公平な第三者が見ればに同情したかもしれないが、私に被害者ぶるつもりはないし、そもそもその同情は大きな間違いだと断言できる。


孤立を招いたのは自分のせい。孤立を深めていったのも自分のせい。打開策がなかったとはいえなにもしなかったのは私の怠慢で、差しのべられた手を撥ね退けた事を考えれば寧ろ私は加害者側の人間だ。


断じて他人の責任などではない。道筋を辿る過程でやり直す機会は幾度も与えられたはずだ。それらを一切合財無視してきたのは自分自身の選択に他ならない。


感情の熱を閉じ込めて、冷たい金属に能面のような彫刻を施す。その方法が最善なのだと、愚かな事に当時の私はそう信じ切っていた。

人間らしい感情を心の奥に封じて一人きりの殻に閉じこもる。


そんな日々の繰り返しに小さな変化が起こったのは今から半年ほど前、寒気を纏った秋空が冷たい風を運んでいた時のこと。


目を閉じなくてもその時のことは今でも容易に想起できる。瞼の裏には当時の情景が焼きついていて離れない。喫茶店、コーヒー、喫茶店のマスター。個々がジグゾーパズルのように組み合わさって一つの情景を作りだす。コーヒーの香りまで再現されていると錯覚してしまいそうになるほど精緻に再現された思い出。


それは物語にありがちな劇的な、或いは悲劇的な出来事だったというわけではない。どこにでもある日々の生活を形作る数多の一つに過ぎない。きっと誰であれ経験するであろう一つの出会い。人によっては躊躇いなく切り捨ててしまうような記憶は、今の私を形作る分岐点だった。


凡庸な出来事に凡庸な出会い。おそらくそれは他人から見ればなんてことはない、特に注視するべき出来事ではないだろう。けれども私にとってそれは掛け替えのない特別だったことは間違いない。


―――不明確だった映像は次第に鮮明に。味気ないモノクロには色彩豊かな華やかさが加えられて。追体験するように思いを馳せる。

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