第一週目

シーン・1日目・朝食

 1日目・朝食

 

 もぞもぞ、と布団から這い出た。時計を見ると、今の時刻は朝六時。喫茶店をやっていたころの平均的な起床時間に目を覚ました。


「んー」


 両手を突き上げて体を伸ばす。若干冷たい朝の空気で冷えた体がぐきぐきとほぐれながら、心地よい程度の痛みをくれる。


「寒い……」


 布団は叩いて埃を落としても少しかび臭かったが、温かさの提供には十分だった。

 寝床を名残惜しく感じながら立ち上がる。


(えっと、できたら布団の数を確認して。干せるだけあれば干しておきましょう)


 洗濯物と洗いものとその他、いわゆる、インフラ関係の最終点検の順番を頭の中で組み立てながら、ラジオ体操をする。


 ラジオ体操をするのなど本当に久々であるが、『旦那様』が体を作るためにやっているということなのでわたしもそれにならうことにしたのだ。起きる時間が合うようなら二人で一緒にやってもいいかもしれない。


 そんな妄想をぼうっとしながら、いつの間にか、音楽の流れないラジオ体操のシーケンスは二周していた。


(意外と覚えているものですね)


 数年ぶりくらいの気がするが覚えていたようだ。――気が付かないだけで何個か抜かしているのかもしれないが。


(教えてもらうという名目で一緒にやるのもいいかな)


 不埒なことを考えつつ、タンクトップを脱いで薄青のシャツに着替える。喫茶店の制服として使っていたもので、まだ替えがある。


(――うし)


 少し気合が入る。朝食の準備をしよう。


 ・


 階段を降りる前に少し、『旦那様』の部屋を外からうかがったがまだ眠っているらしい。よく眠るのはいいことだと思うことにする。――えっと。


 説ちゃんの説明によれば、転移の時間は朝九時かららしい。それで『旦那様』は起きてこなくても八時には起こしてほしい、と言っていた。つまり、朝食の用意には十分な時間がある。――とはいえ。


(材料が心もとない)


 寝る前に倉庫にあったひよこ豆を水につけていたので戻っている分がある。甘みとしてはハチミツも砂糖もある。塩分は……。


――昨日作業しとけばよかったなぁ、と思いながら調整。


 生理食塩水より少し薄いくらいの濃度の塩水を作り、沸騰させる、一度、火を止めて干し貝柱を入れて戻るのを待つ。


 十五分で半分くらい戻るだろうかと適当に見積もり、その間に陳皮を煮出してハチミツを加えて飲み物を作る。少し冷ましている間に、大凡の時間が経過した貝柱を菜箸でつつくと端の方が少しほぐれる。


(んー、どうかなぁ)


 水で戻っているひよこ豆を一度だけ水を入れ替えて、すぐにその水をよく切る。水が切れたら、貝柱の戻り汁に入れて再度、火を入れる。強火で加熱して、くつくつと、小さな気泡が浮き上がってくるくらいの温度になったら火を弱く。

 よし、こっちはあと、煮ていくだけ。


(えっとー)


 机を見る。シンプルな木の天板。上の埃は調理開始の前に掃除したが溝まで取り切れているとは限らない。掃除機でも使えばいいのだろうが、さっきはそこまで気が回らなかった。


 調理が終わっている今の時点で埃を巻き上げるような掃除用具はえぬじーです。

――そういえば何の気なしに使ってましたが、水もガスもいけてましたね。


 まだ、特に中に何も入れていない冷蔵庫を開くと冷たい風が吹き出した。電気もばっちり供給されているようだ。


 説ちゃんの説明通りですね、うん、無限に使えるのかどうかは知りませんが。

 机については、現時点で対処のしようもないので、きつく絞った付近で何度もふき取り乾燥をまって、その辺にあった布をきれいにしてからテーブルクロスとして使う。


(んー、こんなとこですかね)


 とりあえず、満足。次に確認しないといけないのは食器である。調理器具はまぁ、洗えば使えるというレベルだったが、食器はまだ、確認していない。


 えー、スープボールとティーカップがあれば十分すぎるほど十分ですねぇ、あ、スプーンもいるか。適当に思って引き出しを開ける。


 母親が旅行中にアンティークショップで見かけたという、食器があるが、少々品が良すぎる。別に使えればいいと思わなくもないのだが……。


「おや?」


 思わず声が漏れる。少し懐かしい品物を見かけた。

 それはカエデの木でできたマグカップ。家の裏に積んであった木材から子供のころに作ったものだ。車で少し行ったところにある木工加工室――町営らしい――でろくろを使って仕上げたもので小学校の自由工作に提出して賞をもらった、と思う。そんなことを懐かしく思い出す。たしか、同じ木から作ったスプーンもあったはずだ。

 少し探して見つける。大きさ的にはスープも十分な量が入るだろう。


 ティーカップは、花の柄などが入っていない出来るだけシンプルな白のカップを出して用意する。料理の中身にそこまでこだわれなかったので、見た目と食器だけでもと思ったが。


――ふむ。まずい。

――調理してお茶を入れて、組み合わせを考えて、食卓を作って。


 普通にやって、作業として済ませてしまえばいいことだ。家族を持った主婦の方々なら普通にやっていることであるとわかっていても、あ、あぁ。やばい。


 心拍が上がる。テンションが上がる。あきらめて、逃げた人間が思っていいことではない、のに。


――楽しい。あぁ、もう、自覚をすると駄目だ。駄目になってしまうほどに、楽しい。楽しいし、満足感があるし。これで『旦那様』に高評価などを頂いてしまった日には……、あぁ、

――あぁぁあぁー。もう。


 叫んでしまいたい気持ちを飲み込むと、熱として肺に落ちる。


 認めよう、認めてしまおう。わたしは今、とても楽しくて、満ちていて。同時にすごく悔しい。京都のあの場所から、戦う前に逃げてしまったことが、戦ったところで負けるだろうと理性は言うが、だからと言って、戦う機会そのものはあったのだ。


 生きるためにではない。戦うために戦うことが出来た。


 ……。

 ……。

「すぅ」


 深呼吸を飲み込む。上がり過ぎたテンションを押さえる。

 何度か、呼吸を深くするとさすがに、少しは冷静な部分が出てくる。


「うっし」


 あとは簡単だ。落ち着いたら『旦那様』への日記にこのことも綴ろう。そして、どう思ってくれるのか聞くのもいいだろう。とりあえず、今は情報を収集し、生活基盤を整えるのが大前提だ。


 風呂釜が無事なこと、洗濯機が使えることを確認しているうちに、『旦那様』が起きてきた。階段を下りてくる音と、それに混じって小さな欠伸と髪を掻く気配がする。


 あと十五分寝ていてくれれば、合法的に起こしに行くことが出来たものを……。と思いながら笑顔で迎える。


「おはようございます、『旦那様』」

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