異世界イクメン

須方三城

ヤンキーが川を流れる第1話


 暖かな陽光が差し込み、窓辺で小鳥たちが歌う。そんな優しい空間で、老人は赤ん坊を抱いていた。

 小さな小さな、生まれて一年が過ぎたかどうかくらいの赤ん坊。

 老人のやたら逞しい豪腕のせいで、赤ん坊の小ささが一際強調されている。


「……今日は昨日より暖かいな。心地いい」


 地鳴りの様に低い声だが、その声にはどこか、優しさが含まれていた。


「あう」


 そんな老人の声に、赤ん坊は少しだけ頭を揺らして応える。


「サーガよ……お前は、どんな大人になりたいのだ?」

「だう?」

「……ふっ、まぁ、流石にまだわからんか」


 自嘲気味に、老人が笑った。

 老人はひとしきり笑い終えると、溜息混じりに赤ん坊へ優しく語りかける。


「お前が何を望むかはまだわからんが……後悔する選択だけはするなよ。後悔するのは、辛いぞ。サーガ」


 老人は、ずっと後悔していた。


 遅過ぎた、と。


 雑草だと思い踏み散らして来た物が、自分が愛すべき花と変わらぬ存在だった。

 その事実に気付くのが、余りにも遅かった。

 気付いた時には、もう引き返せなくなっていた。


 後悔するしか、無かった。

 過去を悔やみ、苦しみながら繰り返す事しか、出来なくなっていた。

 真っ当な方法でそのループから抜け出すのは、最早不可能だった。


「……いずれ、我輩は討たれる日が来るだろう。当然の報いだ」

「あう?」

「だが、案ずるな。お前の世話役の娘に、その時の事は任せてある」


 赤ん坊の頭を軽く撫でながら、老人はまた笑った。

 先程の自嘲混じりのそれとは違う、愛する者を祝福し、輝かしい未来へ送り出す様な微笑。


「探すのだ。我輩の様な間違いで父となってしまった者とは違う、我輩とは正反対の、『良き親』を」


 子は『生みの親』を選ぶ事はできない。

 だが、その後は違うはずだ。


「お前には我輩譲りの直感と運がある。探せるはずだ。見つけたら、離すなよ」

「あい」


 言葉を理解できているかどうか怪しいが、赤ん坊は確かにうなづいた。





 佐ケ野さがの浪男ロマンは、名前以外は割と普通の男子高校生である。……と自分では思っている。

 実際、見てくれだけなら平々凡々な一六歳男児。拳の皮がやたらに厚い事以外「休日の繁華街を一通り歩けば、一〇人くらいは似た様なのを見つけられるレベル」でありふれている。


 しかし、その特徴的ないわゆるキラキラネームが、彼の人格に多大な影響を及ぼしていた。


「っしゃあぁゴルァ!」


 賑やかな喧騒から隔離された、繁華街の路地裏。

 そんな薄暗い空間で、どこにでもいそうな男子高校生が、荒々しい雄叫びを上げてその頭を振り下ろした。

 振り下ろした先にあるのは、「今時マジかよ」と言いたくなる様な見事なリーゼントヘア。


 ゴチン、と言う鈍い音。


「は、がぁ」


 頭突きをかまされたリーゼントヘアの学ラン野郎が、膝から崩れ落ちた。


「ヒデちゃーんッ!?」


 リーゼントと同じ学ランを纏った少年たちが、余りに突然の出来事に悲鳴に近い声を上げる。


「おぉい! テメェいきなり現れてヒデちゃんに何しやがる!?」

「お、おい、待て……野郎のどこにでもありそうなブレザータイプの制服……トキメキ学園じゃねぇか?」

「トキ学生で、どこにでもいそうな面してて、出会い頭にいきなり頭突きをかましてくる様なトンデモ野郎……まさか……」

「あいつ、トキ学のロマンだ! 別名『トキ学の通り魔』!」

「誰が通り魔だコラ」


 倒れ伏したリーゼントを蹴っ飛ばして端に寄せ、普遍性の権化の様な少年……ロマンは学ラン集団を睨み付ける。


「な、なんだよ!? なんなんだよ!? 俺ら隠れて煙草ヤニフカしてただけじゃねぇか! 何でいきなりこんな……」

「未成年者喫煙は条例違反だろうが。シバいて何が悪ぃんだよ」

「シバくのは駄目くねーッ!? 普通に通報で良いくねーッ!?」

「………………あぁ、それは確かに。悪かったな。すまん」

「えぇぇ!? 何? もしかしてお前、脊髄反射でヒデちゃんド突いたの!?」

「やっぱ通り魔じゃん! 純然たる通り魔じゃん!」

「って言うか馬鹿なの!? ねぇ、馬鹿なの!?」

「うるせぇ! 今俺通報しようとしてんだろぉが! 人の電話中は静かにしろや! 昭和テイスト共が!」

「って、テメェ何チクろうとしてんだコラ!」

「ふざけんな! ここは俺らに残された最後の喫煙所オアシスだぞ!? ここにまでPTA主導の補導隊の手が伸びたら終いだぜ!」

「トキ学の通り魔が相手とは言え、こっちは三人もいんだ! ぶっ殺せぇぇえぇぇ!」

「あぁん? 上等だゴルァ! そっちが始めた戦争だぞオルァ!」

「いや、始めたのはテメェだろ!?」

「黙れ! ゴミクズは俺にシバかれて死ねェェェッ!」

「やっぱ通り魔だこいつ!」




 男らしく、カッコ良く、どこまでも真っ直ぐ突き進め。

 それが、浪男ロマンと言う名に込められた両親の願い。


 小学生の時にそれを知ったロマンは、愛する両親のために、男らしくカッコ良くどこまでも真っ直ぐに生き続けた。

 悪い事だと思う事はしない。悪い事をしてる奴はブッ飛ばす。売られた喧嘩は基本買う。一度やり始めたら最後まで貫き倒す。

 実に安直な『男らしさ』のイメージに従い、そうやって生きて来た。


 その結果、単細胞でちょっと真っ直ぐ過ぎる男子高校生が出来上がってしまった訳である。


 しかし、親の願いに子が応えたいと思うのはごく自然、つまりは普通の事だろう。実際、ロマンの両親は「ちょっと不器用が過ぎると言うか大雑把だけど、立派に男らしく育ってくれたからオールオッケー」と今のロマンの在り方に喜んでいる。


 俺は、普通の事を普通にやっているだけ。だったら普通じゃねぇか。

 それがロマンの主張である。


「……チッ、流石に三対一はキツかったか……」


 小川にかかった橋の上、錆だらけの欄干に肘を預け、ロマンは夕暮れの空を眺めていた。

 先程のヤニ学ラン軍団との喧嘩、どうにかロマンが勝ったが、相応にボロボロである。辛勝と言う奴だ。

 制服は乱れ放題だし、頬には裂傷、口の端には血が伝った後まで。着衣のせいで見えないが、疼き具合から腹や背中に打撲跡ができてるだろうな、とロマンは思う。


 喧嘩離れ世代な現代っ子とは言え、不良は不良。やはりそれを相手に三対一はキツい。戦いは数である。本当にギリギリだった。

 単純さ故に思い切りが良いので、ロマンは普通の現代高校生より容赦無く敵を殴れる……そのアドバンテージでどうにか勝てた感じだ。


「前にも思っけど……やっぱり、何か必殺技とか欲しいな。二・三人、ドーンッと吹っ飛ばせる様なの」


 半分沈んだ夕日で瞳を癒しながら、ロマンは大真面目にそんな馬鹿な事を考える。


「……少林寺拳法……」


 ふと、何年か前に流行ったサッカー映画の事を思い出した。


「いや、流石にありゃ映画だしなぁ……現実的じゃねぇか」


 ロマンも、流石にそこまで馬鹿では無い。


「…………現実的、か」


 ふと、自分の発した単語から、ある事を考えてしまう。


 ちゃんと現実的に考えて、俺、このままで良いのかな、と。

 別に現状、何かが悪いと思う訳では無いのだが、なんとなく、本当になんとなく、そんな事を考えてしまう。


 いわゆる「将来への漠然とした不安」と言う奴だ。子供から大人へ移ろい行く時期、特に高校生辺りの時期になると、誰もが突発的に悩まされる様になる。ある種、ありきたりな悩み事。

 なんとなく解決した気になっても、ふとした拍子に何度だって蘇る。非常に厄介な議題。


「……………………」


 シンプルに、短絡的に生きる人生。毎日毎日、目の前の事に全力で取り組む日々。

 聞こえは良いが、要するに目の前の事しか片付けられないと言う事。

 いつもいつも、目の前にある「やるべき事」をやるのに必死で、それ以上先の事を考えられない。

 そう言う風にずっと生きて来たから、人並み以上に苦手なのだ。先の事を考えると言うのは。


「ま、わからん事を考えても無駄か」


 普通の高校生なら延々と頭を抱えるであろう議題に対し、ロマンはあっさりと、そう結論付けた。

 いつもの事だ。

 将来の事なんて、悩んだって無駄。だって俺、予知なんてできねぇもん。

 それが、ロマンがこの悩みに対して用いる最適解。


 どうせ嫌でも時は流れる。将来は目の前にやって来る。なら、今まで通り目の前に来た時に片付ければ良い。

 もうそれで良いじゃん。なる様になるさ。実際今までなる様になってきただろう。と言う訳で、この思考はここで終了。

 半ば投げ出す様に、ロマンは思考を必殺技の方に戻…


「……にしても、この橋もボロくなったなぁ」


 不意に目が行ったのは、自身が体重を預けていた橋の欄干。

 随分と錆だらけだ。ガキの悪戯か、所々ボルトが紛失している箇所まである。


 この橋は、ロマンの父が生まれるよりも前からあると聞いている。

 ロマンは幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、この橋を渡って通っていた。

 何気無い日常の一部。特別な思い出は無くても、少しずつ染み込んだ思い入れのある場所。


 豆粒みたいなガキがこんな立派な高校生になるよりも、ずっとずっと長い時間、多くの人々の往来を支え続けた橋。

 そりゃあ、ボロボロにもなる。いい加減に建て替えるなり相応の整備をしろよ自治会。


「なんか、その内ボロっと崩れちまいそうだな」


 余りのボロボロ具合に、笑いながらそんなことをつぶやいてしまう。


「いや、そんな事よりも、だ。今は必殺技だな」


 と言う訳で、ロマンが思考を阿呆な方向へと戻しかけた、その時だった。


「ん? 何だ今の音?」


 なんか、すごく近い所で、日常生活ではそうそう聞かない重い音が響いた。

 何と言うか、金属が盛大に軋む音様な音だった。


 しかし、周囲を見渡しても特に何も……


「んおぉ?」


 バキャッ! と言う一際甲高い音と共に、ロマンの視界が傾く。

 そして、不意に下からの風が全身を仰ぎ、半無重力の様な感覚に包まれた。


「えっ」


 まるで、俺がもたれ掛かっていたクソボロい欄干の一部が、俺の体重に耐え兼ねて崩壊し、その欄干もろとも川に落ちている様な感じだな。

 そこまで考えて、ロマンは「あ、まさしくそれか」と察する。


「……って、嘘ぉぉぉぉおぉおおぉおぉぉおぉぉぉぉぉおおおおおッ!?」


 砕け散った錆だらけの鉄片。夕日で煌く水面。


 それが、ロマンが『この世界』で最後に見たモノだった。

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