2 迷子の人形は話を聞かない
山の神を祀る神殿。その門番と、塀と建物の間にある庭のような部分を巡回することが、その日の任務だった。
当時の俺が所属していた幼年兵団はランダス王国軍の下部組織で、簡単に言えば軍人養成学校だ。幼年兵たちは座学や戦闘訓練と並行して、実践任務と称した王国軍の下働きもしている。雀の涙程度だが給料が出るので、楽して稼げる任務に当たりたいと大抵の奴は考えていて、そのおかげで神殿警備の任務は人気の一つだった。なぜなら神殿には日に十数人しか訪問者など来ない。門に立って時々形式的に身元確認を行うか、異常などあるはずもない場所を見回るだけで、小遣いを貰えるのだから当たり前だ。
俺もその例に漏れず暇を持て余しながら、ささくれ立った心を紛らわせるためだけに、すぐに見飽きる殺風景な庭を見回した。豊穣をもたらす神を讃えているくせに、花の一つも植えていない。あるのは等間隔に植えられた木と、塀に沿った生垣だけ。だがその何も無さがその時はちょうど良かった。思考を停止して、不愉快な出来事を紛らわせようと努めていたのだから。
神殿の裏手まで来た時だった。それまで誰にも会わなかったというのに、そこに来て幼い女の子が一人佇んでいるのを発見してしまった。おおかた子連れの参拝客でもいて、目を離した隙に迷子になったのだろうと思った。稀にそういうことがあったからな。一応その付近は一般人の立ち入りが禁止されている区域だったので、早いところ親元に帰そうと俺は近付いた。
俺の足音に反応した子供は、その場でゆっくりと俺の方を向いた。歳は4、5歳ぐらいかと身長であたりをつけて、威圧しないようにしゃがんでから声を掛けた。
「こんにちは。君は迷子か? お母さんかお父さんはどこにいる?」
「…………」
返事は無かった。見知らぬ大人――自分の感覚ではまだ子供だが――に話し掛けられて、怖がっているのかもしれない。そう思って、様子を見ることに決めた。
まじまじと見て、最初の感想は「良く出来た人形だな」だった。風に流れる亜麻色の長い髪だけが、その子の唯一動いている部分だった。大きな紫水晶の瞳は俺を見ているが無感動で、薔薇色の唇も固く閉ざしたまま。可憐な顔立ちは将来が楽しみと言うより、創り物感を助長していた。瀟洒な衣服に包まれた肌の色など、これ以上白くなったら透けるのではないかと思ったほどで、頬に僅かばかりの朱が差していることすら「人間によく似せたな」としか感じなかった。つまり、それぐらい浮世離れした子だった。
そんなことをぼーっと考えていたせいで、微かに空気を震わせて発せられた声を一度聞き逃すところだった。
「あお、ちがう。なんのいろ」
「は……? すまない、もう一度言ってくれ」
まあ結局聞き直したのだが。俺の質問に答えていない上に、何の脈絡も無く言われた言葉を、全く理解できなかった。
「あお、ちがう。なんのいろ」
聞き間違いではなかったらしい。棒読みで繰り返された文章が質問だということすら、気づくまで時間がかかった。それでも意味は測りかねて、今度は俺が黙り込んだ。
と、不意にその子は手を伸ばし、俺の髪をむんずと掴んできた。幼くて加減が分からないせいか、結構遠慮無しに引っ張られた。
「いっ……! こら、放せ――」
「あお。……あお?」
痛みに顔を引き攣らせて、叱ってやろうかと思ったと同時に、ようやく「あお」が何なのかに思い至った。彼女が首を傾げて見ているのは、俺の髪。もしかしたら、視線が合うのも目の色のせいだったのかもしれない。
光の加減で黒にも見える濃紺色。それが特別珍しい色かと言われれば、そうでもない。青い髪と目なんて、この国どころか世界中にいる。更に「なんのいろ」と聞かれたならば、俺にはすでに決まった答えがあった。
「レーベンリンドウの色だ。分かったなら放してくれ」
神殿前の道の脇にも生えていた、雑草とも言う野花を思い出しながら言った。リンドウの一種で、レーベン山で多く見られることからそんな名前がついたらしい。深い青色の花弁は全体的に小振りで、庭でも敷石の隙間でもどこからでも逞しく生えてくる。秋も深まる時期が見頃だが、まあ俺は、国のあちこちに青い絨毯が広がる光景はもはや見慣れて何も思わない。そういえば花言葉は「秘めたる想い」だとか。
なぜそんなことまで知っているかと言えば、幼少の頃から散々からかうネタにされたからだ。男を花に喩えた挙句に笑うなど今でも腹立たしい。この時も、自分で言いながら若干苛ついたぐらいだ。
「しらない。ちがう」
「知らないなら後で見ればいい。外にたくさん咲いている、青い花だ」
「しらない。あおはそらと、おようふく。はなは、あおとちがう。かみも」
「はいはい。分かったから、そろそろお家の人の所へ戻ろう」
なかなか放そうとしない手を慎重に引き剥がしながら適当に答えた。何が「ちがう」のかも、花や髪は「あお」ではないと主張する意図も、子供の戯言と聞き流していた。
「ほら、早く行くぞ」
「……あお?」
(まったく、何が気になるのか)
とにかくその子を捜しているだろう人のもとへ、さっさと連れて行こうとした。まだ何事か呟いているのには溜息が出た。話の通じる歳ではないと無視し続けたのは、今思うと本当に申し訳ないどころか、万死に値する不敬だ。
「ライラ様!? なぜこのような所に……! 早く中へお戻りください!」
何せその子供こそ、世界にたった一人の「神に選ばれし巫女」だったのだ。
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