第122話三月の風邪っぴき

 三月末日。

 わたくしはかなり疲弊していた。

 母が風邪をひいたと言って、家族のいる前で口を開けて咳をするので、つい

「大丈夫なの?」

 と尋ねたらば、母はのんきに

「うん、人にうつせば治るっていうし」

「熱も頭痛もないのよー。咳は出るけど」

 のたまった。


 ふざけた回答である。

 わたくしは、即座に彼女に言った。

「マスクをして! 早く寝る! TVを遅くまで観ていない!」

 と命令形。

(親が、わたくしに対して命令形で育てたので、こういうときに対処の仕方が似てくる)

 風邪をひいたといっても、仕事は休めない。母の性質上、それはわかる。

 女性が頑張っちゃう世代なのだ。だから悪化でもしないかぎり、シフトに変化はおとずれない。因果よのう。


 ともあれ、これでも心配していた。

 仕事中に倒れたらどうする。利用者さんにうつして迷惑をかけたらどうする。職場の環境が悪化したらどうする、みんな母のせいにされるじゃないか。

 と。

 それでも、母は歯を磨いたらまず寝室のエアコンを入れて、TVをつける。そして目が自然に閉じるまで観っぱなしになる。

 部屋からTV音が聞こえてくるので、乗り込んでいくと

「はい。すみません」

 と、TVは消すが、しかし人に風邪をうつしたいらしい。

 休みに入ると、親戚の家の子(孫)にあってきて、

「だいぶ風邪がよくなったって。熱も下がったって」

 と噂をするが、母が行ったのではまた悪化したのではと心配になる。

 心配だから怒鳴るのである。

「もう、いい加減にして! 帰ってきたらうがい、手洗いして!」

 と何度も言うが、何度も忘れる母なのである。


 結局ウツサレタ祖母とわたくしが、マスクをして手洗い、うがいにいそしむこととなった。

 なんだよ、ちくしょう! と思ったが、言いたいことは言っているので恨みはない。

 次の日には「言いすぎちゃったかなあ」とすまなく思うし、その次の日には、ひとつも変わらぬ母の様子に安心をし、「おかあさんていいな」を実感する。

 しかし、そばへ行くと顔の前で口を開けて咳をされるのでムカッとくる。

 そんな日常であった。

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