第29話創作の原点

 弱音を吐けばそれまでだ。敗北の文字が背中に張りついてとれない気がする。

 だが、どうもネタになりそうなので書いてみる。客観も主観もまじえて、正直に。


 普段の生活に支障はない。これはわたくしが隠居なみの閉鎖的生活を送っているため、他に無理をする理由もないためだ。

 しかし実際は。

 頭が重たい。自分の見ている世界が空虚に思えて、苦しい。ノートのはしに落書きをしているときが唯一、幸せと思える。こんな体たらくで創作などしようもない。

 もともと文を書くのは苦手で、一心不乱に絵を描いているときが一番の幸せだった。

 小学校に上がりもしない頃から、せっせと花やら、お人形やら、女の子の顔を延々と描きつけ、自由ノートは週に一回買ってもらう。


 そうだ。こんなことがあった。小学生になった頃、わたくしに絵をもらいに来る娘がいた。その子はわたくしより裕福な家に住んでいたのだけれど、思うようになるお金はなかったらしい。わたくしが描いた絵を与えると、自分の席に戻って、消しゴムで消すのだ。そしてその上から自分の絵を描くのだろう。そんなことが毎日のようにあった。

 わたくしは自分が描きたい性質なので、その娘も描きたいのだろう、と思っていた。しかし描く紙がおそらくない。自由にならないので、わたくしに「紙」を「もらいに」来ているのだと思われた。

 毎日毎日、わたくしは飽きずに絵を描き、その娘に与え、ときに、間違えたふりをして二枚くらい重ねてノートを破いてあげた。

 そのときの自分の行為を偽善だとは思わない。わたくしは自分の絵には執着がなく、描くことそのものが目的であり、幸福であったので、与えた先にどんな結末が待っていようと、それは憐れむべきことではあっても決して嘆いたり怒ったりするようなことではなかった。

 するとだ。描いている絵に変化が起きるようになった。描く前に、絵が見えるようになったのだ。描くべき線が見える。描くべき人物のほほえみが見える。そう、仏師が彫るべき仏の姿を素材の中に見るように。わたくしには描くべきものが見えるようになった。

 その頃から、美術の成績が上がり始め、賞にも上がったりするようになった。中学生からは美術の成績はトップで当たり前になり、周囲が「将来漫画家になれ」と言ってよこすようになっていた。絵を描くことは歓びだった。たった一人、現国の先生だけが、わたくしに、

「好きなことは仕事にしない方が良い」「おまえは作家になれ」と言ってきた。なぜだかわからない。

 しかしそれにより、わたくしの絵への道は一時閉ざされた。自分に絵を描くことを禁じたのである。苦痛だった。

 今日、久々に心が騒ぎだしたので、気持ちを鎮めるべくメモ帳に絵を描いた。ほんの落書きだが、気持ちが安らいだ。かわいい絵だとすら思えた。心のままに、言葉を発する前におぼえたわたくしの絵。幼くとも、拙くとも許された時代の名残。

 こんなふうに文字をつづれたらいいのにと思いながら、ここは締めようと思う。願わくば安らぎに満ちた創作の道を歩まんことを。ここに、記す。2016年11月25日(金曜日)

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