探偵、桜井明日香
わたなべ
第1話
「今日も良い天気だ。」
ここ数日、晴れの日が続いている。
駅から出て歩きながら、僕は思わず呟いた。
5月のゴールデンウィークの連休も終わり、町は通常運転といったところか。
まあ、探偵業には、ゴールデンウィークなど全然関係ないのだが。
と言うのも、僕のゴールデンウィークは、仕事ざんまいだった。
ざんまいとはいっても、前半は犬探しの依頼。
後半は猫探しと、残念ながらどちらも事件と呼べるような物ではない……
などと言ったら、飼い主に怒られてしまうだろう。
後半の猫探しの方は、依頼主が
あらかじめ一つ断っておくが、依頼主がお金持ちかそうじゃないかで、仕事の手を抜くことなど断じてない。
ただ、事件に対するモチベーションが多少高くなるだけだ。
うん?
そんなの同じことじゃないかって?
いや、そんなことはない。
普通の依頼は一生懸命やるし、お金持ちの依頼はより一生懸命やるのだ。
そんなの誰だってそういう思いは、少なからずあるだろう。
ちょっと無駄話が長くなってしまったが、僕の名前は
年齢は25歳。
職業は探偵助手である。
助手とはいっても、推理をするのはほとんど明日香さんであって、僕は居ても居なくてもあんまり変わらないんじゃないかとさえ思う。
これは決して、謙遜で言っているのではなく、れっきとした事実である。
僕は特別、推理が得意というわけでもなく、かといって腕っぷしが強いというわけでもない。
明日香さんは、こんな僕をどうして助手にしてくれたのだろうか?
僕が助手になってもう2年ぐらい経つが、いまだに謎である。
こんな僕が助手になった理由は、過去にとある事件に巻き込まれたところを、明日香さんに助けられたことがきっかけである。
どんな事件だったかは、またの機会があれば話すとして、僕は明日香さんに好意を持っていたこともあり、喜んで助手になることを快諾した。
えっ?
さっきから明日香さん明日香さんって、いったい誰のことかって?
明日香さんとは、
明日香さんは年齢不詳……
とはいっても、30代前半のお兄さんと21歳の妹がいるということなので、20代だとは思う。
見た目は若く見えるが、多分25歳の僕よりは少し上かなとは思うが、30までは多分いってないとは思う。
以前それとなく聞いてみたものの、「一つくらい謎があった方が良いでしょう。」と言って教えてくれないのだ。
妹の
女性にあまりしつこく年齢を聞くのも失礼かと思い、最近は聞くのはやめてしまった。
さて、駅から歩いて約10分、明日香探偵事務所のビルが見えてきた。
この白い3階建てのビルが、僕の職場である。
築20年近いということだが、手入れも行き届いていて、それほど古さを感じさせない。
このビルは、不動産業を営む明日香さんのお父さんの所有するビルである。
明日香さんとしては、なるべくお父さんの世話にはなりたくないみたいなのだが、いかんせんお金があまりない。
そういうわけで、ほとんどただ同然の家賃で使わせてもらっている。
ビルの1階は3台ほど停められる駐車場で、明日香さんの白い軽自動車が1台停まっている。
2階が探偵事務所で、3階が明日香さんの住んでいる部屋である。
ちなみに、僕は3階には一度も上がったことはない。
明日香さんに、絶対に入るなと、きつく言われている。
いつかは恋人同士になって、入りたいものだ。
それでは階段を上がって(エレベーターは無いので)、職場へ行こう。
職場といっても、調査依頼があれば、ここに居ることはほとんどないのだが。
依頼のない時は、特にすることもなく、ここで17時まで時間を潰すだけである。
退屈だが、明日香さんと一緒に居られるだけで僕は幸せだ。
明日香さんは、どう思っているかわからないが……
午前7時50分、僕は事務所の中に入った。
事務所の中は意外に狭く(意外と言っても、他の探偵事務所のことは知らないが)、部屋の奥に明日香さんと僕の机が向かい合わせに並び、手前には来客用のテーブルとソファー、それと小さなテレビが置いてある。
壁際に並べられた本棚には、事件の資料やいろいろな本が並んでいる。
こんな本、何に使うんだろうという本もあるが、意外とそういう本が事件解決のヒントになったりすることも、あったりなかったりする。
「明宏君、おはよう。」
8時になると同時に、一人の女性が入ってきた。
「明日香さん、おはようございます。」
今、入ってきた美しい女性が、僕の雇い主であり憧れの人である桜井明日香さんだ。
明日香さんはとても色白で(今は長袖に長ズボンで、よく分からないが)、女性にしては身長も高い。
妹の明日菜ちゃんが174センチとプロフィールに書いてあったが、それよりは少しだけ低いようだ。
本人は168ぐらいと言い張っているが、どう見ても僕よりも高い気がするのだが、そこは僕の目の錯覚ということにしている。
年齢の事もそうだけど、女心って難しい。
ちなみに僕は169センチだが、170センチだと言い張っている。
170センチあるように見えなければ、それはきっと皆さんの目の錯覚に違いない。
「そういえば明日香さん、昨日テレビのクイズ番組に、明日菜ちゃんが出てましたね。見ましたか?」
「見てないわね。出てるの知らなかったし。」
「そうなんですか?」
「明日菜が教えてくれたら見なくはないけど、わざわざ自分では調べないわ。」
明日香さんの妹の明日菜ちゃんは、アスナという芸名で1年ぐらい前からモデルをやっている。
「どうせ、また変なことを言って笑われてたんでしょう?」
「まあ、そんなところですね。」
明日菜ちゃんは、今年の正月にテレビのクイズ番組に出て面白い答を連発して、その見た目のかわいさもあって一躍人気者となった。
明日菜ちゃんは明日香さんをとても慕っていて、この探偵事務所にも時々やって来る。
「明日菜のことはどうでもいいから、犬と猫の件、報告書をまとめといてね。」
「はい。」
僕は自分の席に座ると、報告書を書き始めた。
はいとは言ったものの、犬と猫か……
もっと大きな事件の報告書を書きたいものだ。
昨年末の誘拐事件は、報告書の書きがいがあったなぁ。
もちろん、事件の大小など関係ないのは分かっている。
そんなことを考えながら報告書を書き終えた。
その後は、特にすることもなく時間が過ぎていった。
そして、そろそろ12時という頃、一人の20代前半ぐらいのかわいらしい女性が、明日香探偵事務所を訪れた。
「すみません。こちらは探偵さんの事務所でしょうか?」
その女性は、不安そうな表情で聞いてきた。
「はい、そうですよ。僕は探偵助手の坂井です。何かご依頼でしょうか?」
まあ、依頼がなければこんな所には来ないだろうが。
「ええ。」
女性はそう言うと、小さく頷いた。
「どうぞお入りください。」
僕がそう言うと、
「失礼します。」と、頭を下げて女性が入ってきた。
「インスタントのコーヒーですが、よろしければ飲んでください。」と、僕は女性の前にコーヒーカップを置いた。
「ありがとうございます。」
「お待たせしました。私が探偵の桜井明日香です。今日はどういったご依頼でしょうか?」
明日香さんは名前を名乗ると、自分の名刺を一枚差し出した。
ちなみに、僕は名刺を持っていない。
明日香さん曰く、「明宏君には名刺なんて、100年早いわよ。」と、言われてしまった。
125歳まで、がんばらねば。
女性は名刺を受け取ると話し始めた。
「私は、
「それは珍しいですね。幸福の福以外の福村なんてあるんですね。」
明日香さんは、珍しい名字に興味を持ったみたいだ。
「はい。日本全国でも、少ない名字ですね。」
「珍しい名字と言えば、私の知り合いに……」
「明日香さん、そんなことよりも依頼の方を……」
話がそれていきそうだったので、たまらず僕は口を挟んだ。
「これは失礼しました。その前に、譜久村さんの年齢とご職業を教えていただいてもよろしいでしょうか?言えなければ、無理には聞きませんけど。」
「21歳です。実は私、SAKURAというバンドでギターをやっています。」
僕は手帳にメモをとった。
後で報告書に書く為だ。
「えっ!SAKURAって、あのメンバー全員が仮面で顔を隠しているバンドですか?」
僕は思わず大声を上げてしまった。
SAKURAというバンドは、メンバー全員が仮面で顔を隠している、謎の3人組の女性バンドだ。
「はい、そうです。」
「も、もしかして、ギターのAOIって……」
「はい、私です。ちなみにバンドの名前は、メンバー全員の好きな花から取ったものです。」
「やっぱり!いやぁ、あの仮面の下は、こんなにかわいい方だったんですね!」
特別ファンだったわけではないが、僕はどんどん興奮してきた。
「ありがとうございます。どうか、私がAOIだというのは内密にお願いします。」
「もちろんです。守秘義務がありますから。でも、どうしてこんなにかわいいのに、仮面で隠しているんですか?」
絶対に隠さない方が人気が出ると思うが。
「最初は話題作りの為で、すぐに取るつもりだったんですけど、話題になりすぎてしまって。それで取るきっかけを無くしてしまったんです。」
「もったいないなぁ。こんなにかわいいのに。」
僕は心の底からがっかりしてしまった。
「明宏君……そんなことよりも依頼の話でしょう?」
「えっ?依頼?あっ、そうでした。」
僕としたことが、ついつい仕事を忘れてハシャギすぎてしまった。
あれ?
気のせいか、明日香さんの機嫌が悪くなったような?
僕が仕事を忘れてるからかな?
「良かったわね、若くてかわいい依頼人で。どうせ、私なんか……」
明日香さんがぼそっと呟いた。
その言葉は、僕の耳には入らなかった。
「実は、私には母親が違う弟がいるんです。今日ここに来たのは、その弟が行方不明になったんです。」
「弟さんが行方不明に?」
明日香さんと僕は、口を揃えて驚いた。
あおいさんには失礼だが、久しぶりの大きな事件の予感がして、僕は少しテンションが上がった。
「はい。」
「弟さんのお名前と年齢は?」と、明日香さんが聞いた。
「名前は、
あおいさんは僕たちに、写真を見せてくれた。
あおいさんと一緒に、笑顔で写る一人の赤いシャツの男性。
いかにも今時の高校生といった感じだ。
「高校生ですか。それでいつから行方不明に?1~2ヶ月前とかでしょうか?」
明日香さんが写真を見ながら聞いた。
「いえ、違います。」
「まさか、1年とかですか?」
「昨日です。」
「えっ?昨日ですか?」
明日香さんと僕は、意外な答に顔を見合わせた。
「その写真は、一昨日の土曜日の夜に撮った物です。」
「あおいさん。弟さんがご心配なのは分かりますが、学校に行ってるんじゃないですか?」
「学校に電話をしてみたのですが、休んでいるそうです。」
「そうですか。ですが、たった一日だけで行方不明というのは……」
明日香さんが言うのはもっともだ。
以前にも、妻が居なくなったと男性がやって来たことがあったが、友人宅に一泊していただけだったことがあった。
「やっぱりそうですよね。警察にも同じことを言われました。」
あおいさんは、そう言われることを承知していたみたいだ。
「警察にもご相談されたんですか?」
「はい。ここに来る前に、警察署に行ってからここに来ました。」
「ちなみに、どうして
「刑事さんから、こちらを紹介されたんです。」
刑事から?
まさか!
明日香さんと僕は、また顔を見合わせた。
「その刑事さんの名前って分かりますか?」
明日香さんが問いかける。
「えーっと……確か、
やっぱり。
「鞘っていう字は、刀の……」
「ああ、大丈夫です。知ってますから。そうですか、鞘師警部からの紹介なんですね。」
鞘師警部は、明日香さんのお父さんの大学の1年後輩の息子さんで、明日香さんや僕にも良くしてくれる。
ちなみに、先ほど明日香さんが言いかけた珍しい名字の知り合いとは、鞘師警部のことだろう。
珍しい名字の譜久村さんから珍しいと言われるのだから、鞘師という名字はよっぽど珍しいのだろう。
「はい。とっても優しい刑事さんでした。その刑事さんが、こちらの明日香さんという探偵さんなら、きっと力になってくれるはずだと。」
「そうですか。鞘師警部からの紹介なら、断れないですね。」
「それじゃあ、引き受けていただけるんでしょうか?」
「もちろん、お引き受けします。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
あおいさんは嬉しそうに深々と頭を下げると、明日香さんと握手をした。
「もうお昼ですね。あおいさん、お昼はまだですよね?」
明日香さんは、時計を見ながら言った。
「お昼ご飯ですか?まだですけど。」
「ここには車で来られましたか?」
「はい。」
「それじゃあ車はここに置いておいて、喫茶店で食事でもしながら詳しい話を聞かせてください。明宏君、私の車をお願い。」
「はい。分かりました。」
僕は明日香さんの軽自動車のカギを手に取ると、事務所を出た。
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