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鴻城の屋敷には、すでにアキとナツの家族が到着していた。階段の下にある同じ場所に車をとめて、ハルと恭介は屋敷のほうへと向かう。
中庭に近づいたところで、何か言い争うような声が聞こえてきた。空中に釘でも打ちこむような、あまりこの場所にはそぐわない音声である。ハルと恭介はちょっと顔を見あわせてから、そのまま道を進んでいった。
その場所で声を荒げていたのは、アキの父親である水奈瀬慎之介だった。とはいえ正確には、それは一方的にしゃべりたてているのであって、言い争っているわけではない。
「何故、うちの娘がそんな危険なことをしなくちゃなんらんのだ?」
と、慎之介は言った。りゅうとした身なりで、いかにも頼りがいのありそうな風貌をしている。その物腰には、強風の前で身じろぎもしない鷹とか鷲に似た何かがあった。
底響きのするその声が向けられているのは、ウティマだった。世界そのものを怒鳴りつけるというのもたいしたものだったが、アキの父親にそれを気にした様子はまったくない。
「世界の行く末もけっこうだが、そんなものはどこか他所でやってくれ。少なくとも、うちの娘とは関係がない」
言われて、ウティマは閉口気味に沈黙している。彼女にも、馬の耳に聞かせるような言葉は持っていなかった。
「何度も言うておるが、そういうわけにはいかぬのじゃ」
ため息をつくように、ウティマは言った。
「――なら、せめて私を行かせてくれ」慎之介に引きさがる気配はまったくなかった。「そいつとは私が話をつけてくる」
「じゃから魔法使いでないお主には、それは無理な話じゃと言うておろう」
魔法のことについては、すでに水奈瀬慎之介には説明されてあった。何しろ彼は、出張先の海外からウティマに連れられて一瞬で自宅に移動する、という体験をしているのである。そのことについて、理解できていないはずはない。宇宙から地球を眺めて、それが平面だと思う人間がいないように。
にもかかわらず、この男は一貫してその主張を変えようとはしなかった。
「アキはまだ中学生なんだぞ。そういうことは、もっと責任ある立場の人間が対処すべきだ」
「――まあまあ、水奈瀬さん」
と、横から口を挟んだのは、ナツの父親である久良野樹だった。学者風の、いかにも穏やかな目をしている。慎之介とは好対照というところだった。
「僕らには信じられないような話ですけど、これは子供たちにしかできない役目なんですから」
「ですが、久良野さん。みんなまだ子供なんですよ」
「可愛い子には旅をさせろ、と言いますし」
「それとこれとは話が別です――」
ウティマの前で、二人は不毛な議論を続けていた。少し離れたところでは、母親たちが井戸端会議に興じている。平和なのか殺伐としているのか、よくわからない光景だった。
「俺は参加しなくてもいいよな?」
恭介はウティマのほうを見ながら、軽く冗談めかせて言った。ハルはちょっと肩をすくめるだけである。
その場には、アキとナツの家族がいた。本人や両親はもとより、アキの弟や、ナツの家で暮らす少女の姿もある。当然だが、サクヤも。ほかには、室寺と朝美、来理と神坂もそこにはいた。
二人は来理もいる母親たちのほうへと向かった。地雷原を避けるみたいに、ウティマたちは遠まきにしておく。もちろん、答えはもう出ているのだ。今さら何を話しあったところで、それを変えることなどできはしない。
全員と簡単な挨拶を交わしたあと、恭介は来理と少し話をした。ハルのほうは、アキやナツといっしょになる。フユは少し遅れているようだった。
「……何だか、いよいよだね」
アキはどちらかというと、ぼんやりとした声で言った。緊張していいのかどうかもよくわからない、というのが正直なところではある。
「まあ、どうなるかはやってみないとわからないからな」
概ね似たような口調で、ナツも言った。もう見えなくなった、紙ひこうきの行方を想像するみたいに。
「――けど、ぼくたちはここにいる」ハルはそっと、自分に向かってつぶやくように言った。「いくつも季節を越えて。それだけは、確かなことだよ」
ハルの言葉を聞いて、ナツはふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、アニメの主人公が言ってたよ」
「……?」
「あの星がどんなに遠くにあるにしても、その光はここまで届いた。とてもとても長い時間と距離を旅して、それでもその小さな光の一粒は、僕たちのところにまで届いた、って――」
三人とも何となく、空を見あげた。青空に隠されて見ることのできない、けれど確かにそこにあるはずの遠い光を探して。
やがてフユと、彼女の母親である志条夕葵もやって来た。その頃には議論の火もほとんど消え、多少くすぶる程度になっている。慎之介にしたところで、結局はこれが魔法の問題なのだと理解するしかなかったのである。
必要な人間がすべてそろったところで、室寺が少し話をした。かなりの大所帯になってしまったが、これから世界の運命が決められることに変わりはない。
「――俺は魔法委員会の室寺という者です。今回のことには、不満や不服のあるかたもおられるでしょうが、残念ながら俺たちにはほかに方法がないのが現状です」
慎之介が何か言おうとしたが、隣で幸美がそれを制している。基本的に、水奈瀬家では女性のほうが強いようだった。室寺は咳払いを一つしてから、あらためてその場にいる全員を見渡して言った。
「牧葉清織が何を望んでいるのか、はっきりしたことはわかっていません。やつの言う世界の死がどんなものなのかは。けれど完全世界と不完全世界のどちらが選ばれるかは、公平に決められる必要がある。それができるのは、子供たちだけだ。完全魔法を持った、子供たちだけ。だから俺たちの運命は、この子たちに任せるしかない……いや、違うな。この子たちの存在が、運命そのものなんだ。俺たちはただ、その結末をここで待つことしかできない――」
室寺はそう言うと、ハルたち四人とサクヤを呼びよせた。何かの代表として訓示でも受けるみたいに、五人はそこに並ぶ。
「あとは、お前たち次第だ」
五人は顔を見あわせて、それからハルがみんなのほうを向いて口を開いた。
「――ぼくたちは、この不完全世界を守りたいんです。この世界であった、すべてのことを」
世界の在りかたを決定するサイコロは、もうすぐ振られようとしていた。
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