三つめの終わり
1
鴻城希槻の屋敷にある東屋では、佐乃世来理が〈福音再生〉によって魔術具の修復を行っている最中だった。
東屋の床には、あまり価値のない貨幣みたいに割れたガラスが散らばっている。手を切らないよう軍手をして、来理はその前に座っていた。作業ははじまったばかりで、まだそれほどの進捗は見られていない。
来理は拳ほどの大きさのガラスの塊を持って、それにあいそうな箇所を探していた。それらしいものを見つけて塊を近づけると、それは小刻みに振動しながら塊の端にくっついていく。ちょうど、手に持った磁石に鉄が引きつけられるように。
それが、彼女の魔法〈福音再生〉だった。この魔法を使えば、罅割れや切断といった損傷を完全な形でつなぎあわせることができる。ただしそれには、破損箇所がある程度接近している必要があった。また、欠落部分を強制的に再生することも可能だったが、それには余計な時間と労力が要求されることになった。風呂敷一枚をかぶせてしばらく待てばいい、というものではない。
接合された箇所を確認してから、来理は次の破片を探しにかかった。実際のところ、それはひどく手間のかかるジグソーパズルに似ていた。魔法を維持しながらの作業には集中力が必要だったし、触れあう程度まで接近しなければ、ピースがはまることはない。
そうして来理が根気よく作業を続けていると、ふと東屋の端に人影がさしている。来理が顔をあげてみると、そこにはよく見知った少女が一人で立っていた。
「こんにちは、来理さん」
と、少女――アキは頭をさげて挨拶した。いつもと同じ、花が咲くような明るさで。
学校が終わって、一度帰宅してからやって来たのだろう。アキはこの少女らしい、ごく身軽な格好でそこに立っていた。春の空気をちょっと身にまとってみた、という感じの服装である。
「わざわざよく来たわね、アキ。でも、いったい何をしに来たのかしら?」
来理はいったん作業を中断して、そちらのほうを向いた。午後もだいぶ時間がたって、どちらにせよ休憩に入ろうと思っていたところである。
「――実は、サクヤが来たいって言ったんです」
アキはちらっと、中庭のほうに目をやってから答えた。
視線の先、中庭に設置されたテーブルのところには、ウティマとサクヤの姿があった。二人ともイスに座って、何かを話している。
――来理のところを訪ねてきたサクヤは、そのままアキの家で厄介になることが決まっていた。来理がアキに、そう頼んだのである。これから鴻城の屋敷で寝泊りする彼女には、サクヤの世話はできなかったし、今のサクヤがこの屋敷に滞在するのは望ましいことではない、と判断したためだった。
提案は、双方ともに受けいれられた。サクヤにはそもそも拒否できるほどの権利がなかったし、決定された終わりまでの時間をどこでどう過ごそうが、同じことだとも思っている。
アキのほうでは、ちょっと奇妙な話だとは思いながらも了承した。ついこのあいだまで敵みたいな関係だった少女を自分の家で世話するというのも変な気はしたが、来理の願いではあったし、サクヤの境遇にはいくらか同情するところもあった。
長靴を履いた猫みたいにうまい言い訳は思いつかなかったので、アキは家族に対しては彼女のことを友達として紹介した。ちょっと事情があって家に泊めて欲しいのだ、と。幸いというべきか、父親は海外出張中で、説得するのは母親だけでよかった。そしてアキの母親である水奈瀬幸美は、この手の話にはひどく寛容である。
「いいわよ」
と、娘のほうが心配になるくらい、あっけなく承諾した。相手が宇宙人だとしても、娘の友達なら構わない、という感じである。
とはいえ、サクヤはそれを特にありがたがる様子もなく、水奈瀬家へとやって来ていた。感謝も気おくれもしていない。どちらかというとそれは、職場にやって来た労働者、という感じである。荷物といってもたいしたものはなく、ナップサックが一つあるきりだった。
幸美が気になってその中身を訊くと、サクヤは紐をほどいて中身を示している。
そこには、ニニの集めていた例の玩具がいっぱいに詰まっていた。サクヤはそれを全部、持って来ていたのである。何故そんなことをしたのかは、自分でもよくわからなかった。ただ、あの少年がいなくなった以上、誰かが代わりにその世話をしてやるべきのような、そんな気がしたのである。
何にせよそれは、居候が初対面の相手に見せるにはあまり都合のいい品とはいえなかった。眼球の欠落したやけにリアルな頭部やら、ぺしゃんこに潰れたらしい犬の人形で好感を抱かせるのは難しい。
けれど幸美は、
「ずいぶん素敵なコレクションね」
と、感心した。一つ一つ手に取ってしげしげと眺めている。古代の珍しい化石でも観察するみたいに。
「――うん、いいセンスね」
何の屈託もない笑顔で、幸美は言った。むしろサクヤのほうが、反応に困ってしまうくらいである。
そのあと、アキの部屋に行ってから、
「……あんたの母親って、ちょっと変わってるわね」
と、聞きようによっては途轍もなく失礼なことを、サクヤは言った。
けれど、アキはため息をついて同意している。
「実はわたしも、そんな気はしてた」
ともかくもそんなふうにして、サクヤはアキの家で生活するようになった。
「――サクヤは、彼女に何の用があるのかしら?」
中庭でウティマと話をするサクヤを見ながら、来理は言った。
けれどそう訊いておきながら、来理にはその用が何なのか、ほぼ想像がついていた。彼女がこの世界で望むことは、たった一つしか残っていないのだから。
「頼みにきたんです、サクヤは」
アキは試験で難しい問題が出てきたときみたいに、ちょっと困った顔をして言った。
「わたしたちといっしょに、向こう側に行きたいって」
そう――
ウティマにそのことを告げられたのは、つい先日のことだった。完全世界へおもむいて牧葉清織と対決するのは、子供たちの役目なのだと。それがこの世界の行く末を決めるうえで、もっとも公平なのだ、と。
正直なところ、アキにはその理屈にうまく納得することはできなかった。どうしてこの世界の未来を決定するのが、自分たちなのだろう。わたしたちはただの子供で、それほど賢いわけでも、偉いわけでもない。もっと適当な人が、いくらでもいるはずなのに。
けれど同時に、どこかでそのことが理解できていた。それはどちらのほうが強いとか、正しいとか、善良だとか、そんな話ではないのだ。それは本当にただ、サイコロを振るようなことでしかない――
「そう、サクヤが……」
と、来理は予想していたとおりの言葉を聞かされ、小さくため息をついた。いくら読みなおしても本の内容が変わらないみたいに、それは決まっていたことではあったけれど。
二人のいる場所から、ウティマとサクヤの会話を聞くことはできなかった。彼女の嘆願がどうなるかは、まだわからない。
「――ところで、これって本当に直るんですか?」
アキは見るも無残なガラスの破片を眺めながら訊いた。
「時間はかかるけれど、直るでしょうね」
と来理は畑に埋まった大きな蕪でも相手にするみたいに言う。
「でも、魂が入れられてたんですよね?」アキはあの時のウティマの話を思い出しながら言った。「それなのに、大丈夫なんですか?」
来理はちょっと目をつむってから、穏やかな声で返事をした。大切なもののことを、手で触って確認してきたみたいに。
「魂は決して、壊れることはないわ。例え忘れられたり、どこかに隠れたりしてしまうようなことがあったとしても――」
アキはもう一度粉々になったそれを眺めてみたが、本当にそれが元に戻るのかどうかはわからなかった。時計の針だけを見ても、夜か昼かわからないみたいに。
それから少しだけ間があって、中庭の草花が風に揺れた。アキはその風が運んできたものを拾いあげるみたいにして、不意に口を開いている。
「――でも、わたしたちが世界の運命を決めるだなんて、何だかすごく変な感じです」
アキは見知らぬ土地にでも旅をするときみたいな、そんな不安な声で言った。
けれど来理は、そんなアキに向かって優しく首を振っている。
「いいえ、あなたたちにはそれだけの資格があるわ。この不完全世界と魔法使いたちのことを誰よりも強く経験してきた、あなたたちになら……ね」
来理はそう言ってから、少しだけ悲しそうな顔で壊れた魔術具のほうに目をやった。
「それに結局のところ、これは魔法使いの問題でしかない。完全世界と、魔法のことを知っている人間たちの問題でしか。例えそれが月の裏側のような場所だったとしても、私たちにしかその問題をどうにかすることはできないのよ」
粉々になった魔術具は何の返事をすることもなく、ただじっと元に戻るときを待ち続けていた。
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