6
公園での佐乃世来理の救出が成功した翌日、ホテルのロビーでは室寺と朝美が向かいあって座っていた。二人はそのホテルに宿泊している。
時刻は十時を少し過ぎたところだが、ロビーの人影はまばらだった。カウンターでは、スタッフが黙々と業務をこなしている。どこかから、控えめなクラシック音楽が聞こえていた。時間の流れはひどくゆったりとしている。
室寺は少し疲れた感じであくびをして、クッションの効いたイスに深々と身を沈めていた。
「体のほうは大丈夫なんですか?」
と、朝美は訊いた。あれから今までずっと、室寺は眠り続けていたらしい。
「まあな」室寺は軽く手を開いたり閉じたりしながら言った。「絶不調というほどじゃない」
「絶好調でもない、と?」
「そうとも言える」
「……素直に、疲れてるって言ったらどうなんです?」
「代わりにお前が言ってくれりゃいい」
まだ少し眠たそうに、室寺は言った。疲労のわりに、へこたれた様子は微塵も見られない。朝美は自分でもよくわからない種類のため息をついた。
実際のところ、室寺の消耗は相当のものであるはずだった。あれだけ長時間、強力な魔法を使い続けて、何の影響も残らないはずはない。最後の戦闘のあとでは、まともに歩くことすらままならない状態だったのである。
「――それより、いったい何の用なんだ? 説教される覚えはないんだが」
「説教なんてしてませんよ」
朝美はむっとした顔をした。
「なら、よかった」
と室寺はからかうように笑う。この男の口はいつまでたっても減りそうにない。朝美は咳払いをしてから、気を取りなおすようにして言った。
「――例の偵察機についてのことです」
朝美の言う偵察機というのは、いわゆるドローンのことだった。もちろんそれは、朝美の〈転移情報〉によって性能が強化されている。
その偵察機を、二人は例の秘密屋敷の近くに散開させてあった。あの子供たち二人が留守にしている、そのあいだを狙って、である。罠を張るのは、猟師だけではない。
「そいつに何か映っていたのか?」
室寺はようやく興味をそそられたように、身を乗りだした。
「ええ、そうなんですが。ちょっと私には、どう考えていいのかわからなくて――」
朝美の言葉は、何故か歯切れが悪い。元々、この偵察任務にはそれほどの期待はしていなかった。ある意味では、通常手段での探索が不可能なことを確認するためのものだったのである。
「とにかく、何があったのか見せてもらおう」
室寺が言うと、朝美はテーブルに置いてあったノートパソコンを操作して、画面が見えるように向きを変えた。
液晶画面にはちょうど、偵察機からの映像らしいものが再生されている。上空、十数メートルといったところから、何の変哲もない住宅地が映しだされていた。
「問題は、その人物です」
と、朝美は注意をうながす。
なるほど、画面の端から一人の青年らしい人物が現れていた。彼は丹念に塀の具合を調べている。やがて彼が手で何かを引き剥がすような動作をすると、画面には一瞬ノイズが走り、それまで影も形もなかったはずの道がそこには現れていた。手品師が、帽子から鳩か兎でも取りだすみたいに。
「こいつは……」
と室寺がつぶやくと、「見て欲しいのは、そのあとなんです」と朝美は言った。
言われたとおりに室寺が映像の続きを見ていると、青年は不意に持っていた本を開いて立ちどまった。そうして、まるで何かに気づいたように背後の空を見あげる。
画面越しに目があった瞬間――
偵察機の映像は、時間切れだとでもいうように暗転した。おそらく、信号そのものが途絶したのだろう。
「やつは何をしたんだ、いったい?」
映像を少し戻しながら、室寺は不可解そうに首をひねった。青年が偵察機に気づいたらしい、というのはわかる。だがそのあと、彼が特別に何かをしたようには見えなかった。
「そこのところが私にもよくわからないんです。それを撮影していたはずの偵察機は見つかっていません。残骸も発見できませんでした」
室寺は無言で、画面に映った青年を見つめる。それほど画質はよくなかったが、何とかその顔を判別することは可能だった。
「こいつはもしかして、神坂の言う牧葉清織とかいうやつなのか?」
「おそらくは――」
「とすると、あれは本当のことだったってわけか」
室寺は再び、どっかりとイスに体を投げだしながら言った。
「……こいつが鴻城希槻を倒すかもしれない、とかっていうのは」
「この映像だけでは何とも言えませんが、何らかの動きがあったことは間違いないでしょう。佐乃世さんが言うには、〈悪魔試験〉も解除されたそうですから」
「信じられんな」
室寺は天を仰ぐように首を大きく曲げた。
けれどその口ぶりにはどこか、鴻城希槻が誰かに倒されることを望んでいないかのような、そんな響きが含まれていた。少なくとも室寺の個人的な領域では、何か複雑な心情が存在しているらしい。
朝美はちょっとためらうようにしてから、やはりそのことを訊いた。
「……前から気になっていたんですが、室寺さんは鴻城希槻と何か個人的なつながりでもあるんですか?」
彼女自身は室寺とのつきあいはそれほど長くはないので、この男の過去についての詳しい情報は持っていなかった。乾重史なら、あるいはその辺の事情について何か知っているのかもしれなかったが、もちろん彼から話を聞くわけにはいかない。
だから朝美としては、ここで直接訊いてみるしか手はなかった。
「――ある」
と、室寺はどういう感情も見せないまま、簡単に言った。
「俺の使っている魔術具をよこしたのは、鴻城希槻だ」
「それは――」朝美は一瞬、どういう顔をしていいのかわからなかった。「どうして、また?」
「俺を利用するためさ」
室寺は肩をすくめるように軽く手を動かした。が、そこには何となく、いつもの余裕が欠けているようでもある。
「敵対する委員会を、ですか?」
「その頃はまだ、結社の動きはおおっぴらじゃなかったし、委員会とも激しく対立していたわけじゃなかった。何より、結社そのもののことも、鴻城がそのリーダーだということもわかっちゃいなかったんだ。俺たちにはほかの仕事もあったからな」
「…………」
「何にせよその頃、結社と敵対する別の勢力がいたんだろう。俺はそいつらを潰すために、まんまと利用されたわけさ。そうとも知らずにな。実際、やつから受けとった魔術具の性能は優秀だった。俺自身の魔法との相性もよかったしな。俺は自分の力に得意になっていた」
「でも、そんな簡単な話じゃないとわかった?」
「ああ――六年前の話だ」
と、室寺はうなずく。
「――その頃、俺は新真幸雅という先輩の執行者と組んで仕事をしていた」
室寺はごく静かな声で語りはじめた。
「確か、〈虚構機関〉とかいう魔法の持ち主だった人ですよね?」
と朝美は委員会で聞かされた話を思い出しながら言った。
新真幸雅の〈虚構機関〉は、〝空間に穴を開けて別の位相へと移動する〟という魔法だった。別の世界へワープする魔法といってもいいが、正確には存在次元が微妙にずれるだけで、世界そのものが変わるわけではない。建物の上下を移動するのと同じように、階層が変化するといったほうが正しかった。
「そうだ――自信家で、頭のモーターが人と違うらしく、思考の回転速度がおそろしく速かった。発想もどこか常人離れしていた。あの人の前では、囚人のジレンマなんぞも存在しなかっただろうな」
懐かしむというよりはどこか憎たらしそうに、室寺は言った。
「確か、六年前の爆発事故で行方不明になっているとか……」
と朝美が言うと、室寺は複雑な表情でうなずいてみせた。
――室寺の話によれば、その時の事態の経過は次のようなものだったらしい。
二人はその頃、魔法によるコピー品の製造についての捜査を行っていた。
何しろ魔法による複製なので、ただの贋作とはものが違っている。立派に本物として通用するし、実質的な差異も存在しない。美術品や宝石類、あらゆる希少品がコピー対象となるのだから、その影響力は看過できないものがあった。
調査を進めるうち、二人は取り引き現場を押さえ、〝
やがて逃亡した犯人についての情報が入ってきて、二人はそのあとを追った。その情報によれば、犯人はさらに上部の人間と接触する予定だという。うまくすれば、組織のより中枢に近い人物を捕縛できる可能性があった。
室寺は俄然やる気を出したが、新真は何故か浮かない顔をしていた。この男はすでに、ある程度のことには勘づいていたのだろう。それでも、尾行の任務には自分一人があたると宣言した。「何しろ、お前よりオレのほうが優秀なんでな」というのがその理由だった。
そして当日、新真は一人で例のデパートへと向かった。
だが結果として、この件で新真幸雅は行方不明になり、犯人も捕まえることはできなかった。デパートのフロア一つをまるまる吹きとばした爆発事故は、多数の死傷者と被害を出したにもかかわらず、原因不明の事故として処理された。様々な憶説が流れたが、真相は藪の中である。
今では、室寺にもそれが敵の罠だったのだろうとは推測できている。
新真幸雅はそれを知っていたからこそ、室寺を連れずに単独で乗りこんだのだった。一方で、この男はそのことに十分な自信も持っていたのだろう。
だがそんな新真にも、ここまでの事態は想像できていなかった。彼の頭ではどこか無意識に、そんなことをするはずはない、という思考が働いていたのである。大勢の人間を無差別に巻きこみ、一つのフロアを丸ごと破壊してしまう、などというようなことは。まともな囚人なら、どうするのが一番の利益になるのかを知っているものだ。
もちろんそれは、まともなら、の話ではあった。
結局のところ、新真幸雅は頭が良すぎたのである。それが、彼にとっての命とりになった。
――もちろん室寺は、それが空間を自由に移動できる彼を捕まえるための鴻城の計画だった、ということまでは知らない。半死半生のところをゾンビ化され、その魂が抜きとられるまで彼が保存されていた、などということも。
ただ、そこに何らかの裏があることだけは読みとっていた。行方不明になった新真が必要とされていたような、何らかの事情が。
「あの鴻城希槻が倒されるというなら」
と、室寺は黙秘か自白かを迷うような難しい顔で言った。
「そいつは、世界の仕組みそのものをどうにかできるほどの魔法使いなのかもしれん」
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