3
学校の帰り、久良野奈津は駅の近くにある百貨店によってみることにした。市の中心部にある古いデパートは、それなりの人出で賑わっていた。春の季節は特殊な空気を製造する機械みたいに、あたりの雰囲気をいつもとは違ったものにしている。どこからか、桜と惜別を歌ったポップソングが聞こえた。
正面入口から入ってすぐ、ナツはフロアの中心にあるエスカレーターに向かった。
母親とは対照的な、シックな黒い眼鏡をかけた少年である。背は少し高めで、すらりとした手足をしていた。理知的な顔だちのわりに、どこかいたずらめいた、油断のならない雰囲気をしている。けれど、それも計算式としては正しいような、どこか不思議な印象を与えていた。心の中にある倉庫が人よりちょっと余裕を持って作られている、という感じでもある。
天国までにはいささか時間のかかりそうなエスカレーターに乗りながら、ナツはぼんやりとデパートの様子を眺めていた。この場所には多少の因縁めいたものがあって、そのことを考えていたのである。けれど今は、特別な運命が世界を支配しているわけではない。
六階のフロアには、雑貨屋や文房具店、おもちゃ売り場などが並んでいる。通路を歩いていたナツは、その途中でふと足をとめた。
意外な人物が、そこにいたからである。
ファンシーそうな小物の並んだ文房具屋に、その少女は立っていた。その光景は、あまりそぐわない感じがしている。雪の降る下で、五月祭の踊りでもおどるみたいに。
「――そんなところで、何をしてるんだ?」
ナツは近くまで行って、訊ねてみた。とはいえその相手との近くまでは、普段よりも半歩ほど下がった位置ではあったけれど。
声をかけられた少女――志条芙夕は、ゆっくりとナツのほうを向く。
透明で冷たい、名前のとおりの冬のような瞳をした少女だった。長い髪は、それが当然みたいにまっすぐのばされている。氷の結晶に似た細身の体は、どこか触れがたいもののような雰囲気をしている。けれど雪を象った髪留めは、彼女のそんな印象をずいぶんと和らげているようでもあった。
ナツとフユは、同じ中学校の生徒でもあった。学校から直接来たらしく、フユも制服姿のままという格好である。
「ああ、あなただったのね、久良野奈津――」
フユはそれが当然であるかのような、やや迷惑そうな口調で言った。そういう癖のようなものだったが、本心が含まれていないわけではない。
「残念ながら、な」
と、ナツはおどけた仕草で肩をすくめてみせた。この少年も、人とは少し違った性格をしている。
「俺はここでは、意外な人物に会う運命らしくてな」
「別に意外ということはないでしょ?」
フユはあくまで、無表情そうに言う。
「私がどこにいたって、私の自由なんだから」
「けど、一人で来たって感じじゃないな?」
言われて、フユは青葉にたまった朝露が零れるくらいのわずかさで、ため息をついた。どうやら、誰かとは違ってこの少年をごまかすことはできそうにない。
「……ええ、そうよ。友達といっしょ。たぶん、そう呼んで構わないと思うけど」
「その推定友達はどこにいるんだ?」
「二人とも部活の関係で遅くなるそうよ。私だけ、一足先にここに来たの」
少しうんざりした様子で、フユは言った。この少女がそんなふうに感情を露出させるのは、珍しいことではあったけれど。
「ずいぶん奇特な人間もいたもんだな。お前と友達だなんて」
ナツは素直に感心したように言う。そんなセリフが皮肉っぽく聞こえないところのある、不思議な少年だった。
「そうね――」
と、フユはやや自嘲気味にうなずいてみせる。
「天使の置き土産ってところかしら?」
かつて一人の少女が、孤独さえ届かない場所へと消えてしまった。フユが待ちあわせをしているのは、その少女の友人たちだった。時間的には、その時からまだ季節が四分の一だけ巡ったにすぎない。
例え雪が融けてしまったとしても、すべてが変わるわけではなかった。
「……それで、あなたのほうは何をしているのかしら?」
時間の流れを戻すようにして、フユは訊いた。
「俺がどこにいようと俺の勝手だ、と誰かに聞いたけどな」
「あなたのほうは一人みたいね」
指摘されて、ナツはとりあえず冗談はやめにして答えた。
「……俺はちょっと頼まれものをして、おもちゃ屋のほうに用事がある」
「頼まれものってことは、あの子に?」
現在、久良野家には一人の少女が仮寓中だった。運命の導くところによってナツと出会い、今ではもう六年生になっている。
「スターチャイルドってお気に入りのアニメの、プラモデルが欲しいって言われてな」
「プラモデル?」
あまり女の子らしくはない趣味だった。
「まあ、作るのは俺なんだけどな」
「……何なの、それ?」
ナツは軽く肩をすくめてみせた。そして淡々とした口調で言う。
「要するに、あいつはわがままを言いたいんだ。というより、俺たちに気を使わせないようにわがままな振りをしている、といったほうが近いかな? 貸し借りのあるほうが、関係の上手くいく場合もある、ってことだ。まあ、あいつの場合は元からの性格もある気はするけどな」
「…………」
フユはあらためて、この少年の性格を認識する気がしていた。寛闊というのか、細やかというのか、よくはわからなかったけれど。
とりあえずの話もすんで、二人は別れようとした。けれどそこで、ナツはふと思い出したように訊いている。
「――そういえば、今度の日曜はどうするんだ?」
「佐乃世さんのところでしょ?」フユはすぐに答えた。「たぶん、行くでしょうね」
「そりゃよかった、おかげで絵の続きが描ける」
「――確か、魔法の訓練をするための集まりだったはずだけれど?」
フユは呆れたように言った。
「アキのやつの特訓が終わればな」
言って、ナツはいじわるそうな顔でにやりとする。
「何であいつだけは、いつまでたっても初歩の訓練から上達しないんだろうな?」
「それが彼女の特質というものじゃないかしら」
誉めているのか貶しているのかよくわからないことを、フユは言った。実際、その点は自分でもいまいち判然とはしない。
それから今度は本当に別れると、ナツは予定通りにおもちゃ売り場へと向かった。フユは元のまま、文房具店で友達の到着を待ち続けている。
おもちゃ売り場にさしかかって、ナツが通路に面した棚の一つを横切っているときのことだった。コーナーのところから、子供が二人飛びだしてきている。
「おっと――」
ナツは一人目から危うく身をかわして、ついでに転びそうになったもう一人を支えてやった。小学校五年生くらいの、男女二人組である。
「危ないから、走るときはもうちょっと気をつけたほうがいいな」
丁寧に注意してやると、転びそうになった男の子のほうは深々と頭を下げた。ぶつかりそうになったのは、手前にいる女の子のほうではあったけれど。
「ごめんなさい。今度からは気をつけます」
ちょっと幼い感じはしたが、男の子は素直に謝っている。何となく、育ちのよさを感じさせる態度だった。
一方で、女の子のほうは特に反省するそぶりもなく、男の子にさっさと来るよう目で合図をしている。子供ながらに横暴さが板についていた。
「サクヤも謝ったほうがいいよ」
と、男の子は良識的にたしなめるが、女の子のほうは取りつく島もなかった。
「別にあたしは悪くないんだからね、ニニ。それより、早く行きましょ」
ニニと呼ばれた少年は、申し訳なさそうに悄然とうなだれている。ずいぶんと力関係がはっきりしているようだった。ナツはそれを見て、もういいよ、というふうに手で示してやる。男の子はもう一度だけ頭を下げて、女の子のあとを追った。
「…………」
どことなく似た雰囲気のある二人だったが、兄妹という感じではない。せいぜい仲のよい幼なじみ、というところだった。同じ惑星をまわる二つの衛星、というような。
けれど――
ナツはかすかな違和感を覚えていた。まるでその二人が、だまし絵か何かみたいに。本当はそう見えているだけで、本当はこの世界のどこにも存在などしていないのだ、というふうに。
それはたぶん、魔法によく似た感じでもあった。
「……いや」
と、ナツは小さくつぶやく。さすがにそれは、勘ぐりすぎというものだろう。そこにいるのはどう見ても、ごく普通の二人の子供でしかなかったのだから。
ナツは肩をすくめると、それっきり二人のことは忘れてしまった。黒板の落書きを、あっさりと消してしまうみたいに。そうして頼まれたプラモデルのあるコーナーへ、ゆっくりと歩いて向かった。
※
――だからもちろん、その二人があとでこんな会話をしていたなどとは、ナツには知るよしもないことだったのである。
二人は広いおもちゃ売り場の、別のコーナーのところに並んで立っていた。
「あれが、〝クラノナツ〟?」
と、サクヤは訊く。ほとんど桜色の髪をした少女で、それを片側でくくっていた。どことなく、品のよい山猫といった雰囲気をしている。たった今、一欠片の夢の痕跡もなく目覚めたばかりのような、輪郭のくっきりとした瞳をしていた。
「――そうだよ。こんなところで会うなんて、ちょっと意外だったけど」
ニニと呼ばれていた少年のほうは、棚に並んだ商品を眺めながら答えた。
彼のほうは少女と違っていかにもおっとりとした、多少鈍重そうな表情をしている。ほっそりとした体格と、天使を思わせる顔つきをしていた。その容貌には、年季の入った古い機械で製造されたかのような不思議な柔らかさと温かみがあった。
「いいの、あのまま放っておいて?」
サクヤは前を向いたまま、唇を尖らせるように言った。見ため通りに感情表現の豊かな少女である。
「大丈夫だよ。その気になれば、いつでも殺せる。あの人の魔法については、もうわかってるんだから」
少年は無機質な表情とは裏腹の、ひどく物騒なもの言いをした。
傍から見れば、それは玩具を探すのに夢中になっている二人組の子供にしか見えなかった。仲のよい、どこにでもいそうな二人組。だが奇妙なのは、その会話が近くにいてもまったく聞きとれない、ということだった。
まるで、その二人のまわりからだけ、空気が抜きとられてしまったみたいに――
「けど、意外なところで希槻さまの邪魔になるかもしれないわよ」
サクヤはあくまで、自説をひっこめようとしなかった。
「どうかなあ」
「それに、あのフユってのも何だか怪しいし」
「二人は同じ中学だし、別におかしくはないよ。どっちにしたって、それはボクらの仕事じゃない。放っておけばいいんだよ」
言われて、サクヤはうんざりした顔で首を振った。太平洋の真ん中にいても気づきそうな、わかりやすい表情である。目印としては便利かもしれなかった。
「あんたって、本当に面白みってものに欠けた性格してるわよね」
「そうかな」
別に罵倒される趣味があるのではないだろうが、ニニは平気でにこにこしている。どうやら、この二人は普段からそんな調子らしい。
「ボクにはよくわからないけど、でもサクヤはどっちかというと熱血漢て感じだよね」
「どうかしらね」
相手をするのも面倒そうに、サクヤは投げやりに答える。
「でも、そのほうが人間らしくていいよ」
そんなふうに言われて、サクヤは黙ってしまう。急に手の平に乗せられた、きれいな色の花びらの処遇に困るみたいに。
「……あ、これなんて可愛くないかな?」
不意にそう言って、ニニは天使みたいな無邪気さで玩具の一つを手に取った。
サクヤがのぞきこんでみると、そこには脳天を割られて血反吐をはきだしているような、熊か何か正体不明のおもちゃがあった。何に使うのかもよくわからなかったが、ひどく不気味なことだけは確かである。
「本気で言ってるの、それ……?」
いっそ悪夢でも見ているほうがましだとでも言いたそうな、サクヤの口調だった。
「うん、せっかくだから買っていこうかな。今日は何でも好きなものを買っていいって言われてるし」
サクヤはため息といっしょに、いくつかの言葉も力なく飲みくだした。たぶん、そのうち胃がうまく分解してくれるだろう。もしも自分の体に、そういう器官が備わっていればの話ではあったけれど。
「心配しなくても、ちゃんと仕事はするよ」
少女の表情をどう解釈したのか、ニニは励ますように言った。まるで、朝の挨拶でも交わすような気軽さで。
「執行者をやっつけるのなんて、本当にたいしたことじゃないんだから」
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