農民様、畑を耕して世界をお救いください。

小栗しおな

プロローグ 勇者様、魔王を倒して世界をお救いください

「勇者よ。お主の存在が人間を破滅へと導くであろう」

「なっ!?」


 醜悪な姿をした大男の言葉に、少年が驚愕の表情を浮かべた。

 大男の胸には美しい剣が突き立てられている。その剣の柄を握っているのが少年だ。

 この大男が力による世界征服を企んだ魔王。少年がこの世界に召喚された勇者である。


 そこから少し離れた場所には、見た目麗しい少女たちの姿がある。

 その手には、杖や槍が握られている。少年と共に戦い、少年を支えてきたのがこの少女たちだ。


 ここは魔王城の玉座の間。長い長い旅路の果てにたどり着いた場所。

 今まさに、勇者と魔王の戦いに終止符が打たれようとしていた。


 少年も少女たちも、その姿はぼろぼろだ。

 着ている服や鎧は、至る所がひしゃげ、焦げ付き、擦り切れている。

 それが魔王との戦いの激しさを物語っていた。


「僕は――」

「ゆめゆめ忘れるで……ない……ぞ」


 命が尽き、その場に崩れ落ちる魔王。

 魔王から流れ続ける血が床に広がり、少年の靴を赤く染める。


 少年は剣を引き抜くと、大きく振って刀身についた血を払い、鞘に収めて魔王の亡骸に背を向けた。

 少女たちの元へと向かう少年だが、その表情はすぐれない。

 だが、それを悟らせまいと、少年は顔を上げるとはにかんで見せた。


「これで終わり……だよね」


 緊張の糸が切れたのか、一人の少女がその場にへたり込んだ。

 先ほどの険しい表情から一転、安堵の表情を浮かべている。

 ついに魔王を倒したのだ。これで平和が訪れるのだ。

 その思いが胸の奥から込み上げて、涙へと変わっていく。


「ふぇぇん、よかったよぉ」

「ちょっと、なに勝手に抱きついてんのよ!? ずるいわよ」

「ふふっ」


 いきなり飛びついてきた少女を、驚いた様子で優しく抱きとめる少年。

 それを引き離そうとする少女に、その様子を優しく見つめる少女。

 それは少年や少女たちにとって、普段と変わらない風景だ。


「帰ろうか」

「はい。帰りましょう」


 少年の言葉に、少女たちが笑顔を返し玉座の間を後にする。


「あーっ、おなかへったー」

「私はお風呂に入りたい。体がべたべただよ」

「ベッドで寝たいですね。もう野宿は嫌です」


 それぞれが思い思いに口にする。その声色はとても穏やかだ。

 体は疲れていても、その足取りは軽い。

 満足感、達成感、充実感。それらが疲れを吹き飛ばしていた。


 少年は一瞬後ろを振り返る。玉座の付近で横たわる魔王の亡骸に、最後の言葉を思い出す。

 それは少年の心の奥底に、一抹の不安となって刻みこまれた。









 魔王討伐の報に、人々は大いに沸いた。

 勇者を召喚した王国では、連日のように勇者を讃える宴が続いている。


 少年は王城のバルコニーの端で、城下街の様子を眺め見ていた。

 ここから城下街は距離が離れていて、人々が豆粒ほど小さく見える。

 でも、宴の熱気と歓声はここまで伝わってきていた。


「こちらにいらしたのですね」


 背後から聞きなれた少女の声。

 そこには飾り気のない淡い青色のドレスを着た少女が立っていた。


「姫様、またそのドレスを着ているんですね」

「ええ。あなた様を召喚した日から、このドレスが私の一番のお気に入りです」


 少女がくすりと笑う。

 王国の王女として、少女は勇者召喚の儀を行って異世界から少年を召喚した。

 その時に着ていたのが、今も着ているドレスだ。すでに何度も何度も着ているため、裾がひけてきている。

 魔王によって民が苦しい生活を強いられる中、王族が贅沢などできないと少女は質素な服を着るようにしていた。


「第一声が『可愛い』でしたからね」

「うっ、もう忘れてください」

「ふふっ、絶対に忘れませんよ」


 少女は意地悪そうな笑みを浮かべて、少年の黒歴史をえぐってくる。

 当時、この世界に召喚されて唖然とした表情を浮かべていた少年の前に、少女は歩み出ていった。

 わずかな沈黙の後に少年の口から出た言葉が「可愛い」だった。

 何から話せば良いのかと必死に考えていた少女は、少年の言葉で頭の中が真っ白になったことを、今でもはっきりと覚えている。

 少女にとって最も大切な思い出の一つだ。


 少女は少年の目の前まで来ると、くるりと回って見せる。

 その美しく艶やかな髪がふわりと舞い上がり、柑橘系の爽やかな甘い香りが少年の鼻をくすぐった。

 魔王討伐の宴でのちょっとした贅沢だろうか、少し前まではくすんでいた肌も髪も、今はきめ細やかに変わっている。


「今の私はどうですか?」

「えっ」

「……もう言ってはもらえませんか?」

「かっ、可愛い、です」

「ふふっ、ありがとうございます」

「ずるいですよ、姫様」


 少年は呆れたようにため息をつくも、その頬は赤く染まっている。

 少年が召喚された時の少女は、表情に乏しい、表情が暗いという印象だった。

 それが今ならはっきりと分かる。魔王が原因だったのだと。魔王が少女の笑顔を奪っていたのだと。

 王族として責任感の強い少女のことだ。苦しむ民の前で安易に笑うことなどできなかったのだろう。

 出会った頃の少女も可愛かったが、良く笑う今の少女の方がもっとずっと可愛いと少年は思う。


 少女はバルコニーの端、少年の隣に立った。

 爽やかな風になびく髪が顔にかかり、それを手で優しく払いのける。


「ここまで声が聞こえてくるのですね」

「そうですね」


 寄り添うようにして城下街を見下ろす二人。その目元はとても優しげだ。

 遠くから聞こえてくる人々の声は、とても明るく聞いていて心地が良い。

 人々の活気あるこの姿が見たかった。この声が聞きたかった。


「この歓声も、全てあなた様のおかげです。本当にありがとうございます」

「い、いえ。僕はそんな――」


 少女は真剣な眼差しで、少年をじっと見つめてくる。

 少年は人々を守るなんて大それたことをしたつもりなど一切なかった。

 全てを終えてこの国に戻ってきた時には、実は夢だったんじゃないかと錯覚するほど現実感がなかった。


「あなた様に、大切なことをお伝えしなければなりません」

「大切なこと?」


 突如として、少女の表情が曇る。


「その、勇者送還の儀で元の世界に戻すことができるのです」

「えっ」


 その言葉に、少年は驚きを隠せない。

 召喚された当初、あまりにも厳しい状況に、元の世界に戻して欲しいと望んだことは一度や二度ではなかった。

 それは元の世界に戻りたいというよりは、この世界から逃げ出したいからだったが、元の世界に戻れないことに強く絶望したこともあった。


「でも、元の世界に戻る方法はないって」

「それは、あなた様にどうしても魔王を倒してもらいたくて嘘をつきました。本当にごめんなさい」


 少女は深々と頭を下げた。

 だが不思議なことに、少年の中に怒りは沸いてこない。


「僕は――」

「私は! この世界に残って欲しいと思っています」


 少年の言葉にかぶせるように、少女が話し始める。

 帰って欲しくない。ずっとこの世界にいて欲しい。そんな意志がはっきりと見て取れた。


「元の世界に未練がおありですか?」

「いや、そんな未練があるわけではないよ」


 少年は身寄りがなかった。この世界に召喚されるまでは、いつも孤独を感じていた。

 友達と呼べる人もいるにはいるが、それほど深い仲というわけでもない。

 元の世界に全く未練がないわけではないが、それ以上にこの世界に大事なものが出来たのだ。


「でも――」

「魔王の言葉なら気にしないでください! もし何かあっても必ず乗り越えて見せますから!」


 少年は、魔王討伐とともに魔王の最後の言葉も報告していた。

 もし危機が訪れる可能性があるのなら、それを黙っておくべきではないという少年の良心からだった。

 少年とともに魔王を討伐し、報告の場にも来ていた少女たちは、少年の発言に驚きを隠せなかった。

 それは報告しなくても良いだろうと、そもそも報告しないだろうと思っていたからだ。


 少年には、所詮魔王の言葉だと安易に切り捨てることなどできなかった。

 力で世界を征服するなど許容できることではなかったが、その手段に卑怯な点はほとんどなかった。

 魔族たちの暴走で騎士以外の人にまで手にかけたことがあったが、それについては魔王が自ら謝罪までしてきたのだ。

 我に従え、従わぬのであれば我と戦え。そんな正々堂々とした姿勢を貫き続けてきたのだ。

 そんな魔王だからこそ、残した最後の言葉は少年にとってとても重いものとなっていた。


「私はあなた様が好きです!」


 少女からの突然の告白。その瞬間、矢継ぎ早に話し続けた少女の口がぴたっと止まった。

 少年を引き止めるためなら、どんな言葉でも伝えるつもりだった。なりふり構わず口にした。

 それでも、この気持ちだけは伝えまいと思っていた。

 少女は顔に熱が帯びていくのを自覚する。ああ、言ってしまったと。


 少年は、少女からの好意に気づかないほど鈍感ではない。

 だが、やはり本人から直接伝えられると、胸にこみ上げてくる思いがある。

 とくんとくんと胸が高鳴る。ただただ嬉しかった。


「ご、ごめんなさい! 今のは忘れてください!」


 足早に立ち去ろうとする少女を、少年は強引に引き止めて抱きしめた。

 少女の体は、年齢の割に細く軽い。少し力を入れれば折れてしまうのではないかと思うほどに。

 だからだろうか。余計に守ってあげたいという思いが強くなる。

 もともと帰る手段などないと思っていたのだ。今更何を迷う必要があるというのか。


「忘れてと言われても無理です」

「あうぅっ」

「僕も好きです。大好きです」

「……ずっとそばにいてくれますか?」

「はい。約束します。ずっとそばにいます」


 少年は少女の唇を強引に奪った。

 二人にとって初めての口付けは、歯と歯がぶつかり合う、ぎこちなくてちょっぴり痛いものだった。









 勇者王。

 月日は流れ、王女を正妻に迎えた少年は、この国の王となった。

 少年とともに魔王討伐の旅をした少女たちを側室に迎えて。


 結局、いつまでたっても魔王の言葉の真意は分からないまま。対策のしようがなかった。

 だから少年は、国を良くすることを、民の生活を良くすることを一番に考え続けた。

 妻たちを愛し続け、国のために働き続けた。


 平和が訪れて幾度も季節が巡り、少年は天寿をまっとうしようとしていた。

 もしかしたら、国のために働き続けたことで、すでに危機を回避できているのかもしれない。

 そうであって欲しいと信じて、少年は息を引き取った。


 少年の死後も平和な時代は続いていく。何十年、何百年と。

 魔王の言葉を気にしていたのは少年一人だけだったのだろうか、次第に人々は魔王の言葉を忘れ去っていった。

 その平和が、勇者の存在によって少しずつ蝕まれているなんて気付かずに……

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