第22話

二年三組の教室につくと、比空は席に座ってクラスメイトを順番に注視していた。

「なにしてんだ?」

「誰がTバック履いてるか調べてるの」

 奥苗は比空の視線の先を追いかける。

「見てわかるもんなのか?」

「それは無理だね。ただ、なんとなーくって感じ」

「事前にわかったら対処のしようもあるんだがな」

 今日履いてる下着は何ですか。なんて女子生徒に訊くことはできない。女子である比空ですらそんなことをしたら変な噂が回るし、だいたい、訊ける人数にも限界がある。

「Tバック履いてるなんて、普通の子は言わないだろうしね」

「そもそも、そんな下着いつ履くんだよ」

「さてね。勝負の日とかじゃない?」

 比空は肩をすくめて言った。顔が赤い。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。

 あと一種類。犯人はどのような手を使って盗むのだろうか。プールの授業中は奥苗と比空ができる限り監視して、授業のクラスの生徒以外が更衣室に入り込まないようにしている。

 この状況で犯人はいったいどんな方法をつかって下着を盗もうとするのだろう。

 金曜日の授業が進む。

 そして、それは四時間目の授業中に唐突に起こった。ジリリリリという警戒音とともに、凄まじい勢いでスプリンクラーから水が噴き出してきたのだ。校舎の中は混乱に陥り、生徒たちは教師の誘導によってグランドに集められた。

 全員がびしょ濡れだった。どうやら、どこかで煙があがって、火災報知器が作動したらしい。消防隊も駆けつけて、一時的に騒然とした雰囲気になる。

 結局火災は大したことがなく。生徒たちはおのおの着替えがある生徒はジャージや部活着などに着替え。着替えがない生徒は最悪帰宅していいという状況になった。

 昼休み。ジャージ姿の比空と向かい合って昼食をとる。パンのビニールの包装も濡れていた。

「なんだったんだろうな、突然」

「どっかのおバカちゃんがイタズラしたんだよ、きっと」

 奥苗はパンを口に放り込みながらジャージ姿の比空を眺める。

「変な感じだな。教室でジャージでいるってのも」

「しょうがないでしょ。制服は全部濡れちゃっていま乾かしてるんだから。だいたい奥苗だって体操着じゃん」

 奥苗は学校指定のハーフパンツとポロシャツを着ている。

「どうやら五限目は残った生徒で片付けになるみたいだよ。全員で校舎の中を拭き掃除」

「うげ。めんどくせーな。サボっちまうか?」

「なに言ってんの。こういう時こそ相談部の腕の見せ所でしょ」

 比空は嬉々として笑った。

「誰にも何も相談されてねーぞ」

「細かいことは気にしないの」

 比空は小さくパンを囓った。

 奥苗は窓の外を見る。グランドでは臨時の物干し竿が掛けられて、シーツやらカーテンやら干せる物は全部干してあった。風で白い布がなびいている。これだけ暑い日だったらすぐに乾くだろう。

 ふと、奥苗の頭の中に一つのことが浮かんだ。身を乗り出して比空に訊ねる。

「おい。比空いま下着履いてんのか?」

 少しの間を置いたあと、痛烈な一撃を頬に受けた。比空のビンタが奥苗の視界を横にずらす。

「最低」

 比空は冷ややかな視線を奥苗に突き刺した。

 クラス中の視線が奥苗に注がれる。

「まさか昼食時にいきなりセクハラ発言をされるとは思わなかった。反省したほうがいいよ」

「そうじゃねーよ」奥苗はひりひりと痛む頬を気にもとめずに、さらに比空に詰め寄る。「スプリンクラーで制服全部濡れたんだろ? その時、下着はどうなったんだ?」

 再び比空の平手が飛んできた。今度は頬にあたる前に手でつかむ。比空は不満げに奥苗の手を振り払おうと腕を動かす。

「もしかして、今までの下着の事件奥苗が犯人じゃないよね? そうだったらどうなるかわかる? 平手なんかじゃすまないよ?」

「だからちげーって」焦りで上手く説明できない。もどかしい。とりあえず知りたい情報を比空に訊ねる。「下着。下着は今どこに置いてあんだ?」

「教えられない」比空は顔を背けて口を尖らせる。「今の奥苗に教えたら盗まれそうだから」

「そうなんだって」

「はあ?」比空が怪訝な顔で奥苗を睨む。

「犯人。もし下着が干してあるなら、その場所なら、きっと目当ての下着見つけられるかもしれないだろ」

 比空の顔が徐々に驚きの顔に変わる。状況が飲み込めたらしい。

 突然起こったスプリンクラーの起動。すべてはこの状況をつくるために犯人が仕組んだことだったんだ。頭上からいきなり水が降りかかったら、当然下着も濡れる。この天候なら、きっと干せば放課後までには乾く。集団で干された下着。それなら、その中からならTバックも見つけられるはずだ。

「二階の隅のベランダ」比空がぽつりと言った。「そこにみんなのが纏めて干してある」

 二階の隅。一番人目につきにくい場所だ。女子生徒の下着を他の人間の視線に晒さないための処置だろうが、その処置が逆に犯行のしやすい現場をつくりだしている。

 奥苗は教室を飛び出した。

 二階は高校三年生の教室が並ぶ階だ。階段を二段飛ばしで駆け下りて、一番端のベランダに向かう。上級生が不審そうに奥苗を見やるが、そんなことを気にしている余裕はない。

 一番端。廊下の突き当たりにある扉を開ける。そこには小さなスペースがあって、非常階段とも繋がっている。外に出てすぐに、大きな暗幕に出迎えられた。その黒い布を捲ると、中には下着が干されていた。なるほど。どうやら暗幕で四方を囲んで、外からは下着が見えないようにしているらしい。

 暗幕で四方を囲われた四角い空間はいくつかあるようだった。おそらくクラスごとに分けて干しているのだろう。

 奥苗は視線を走らせる。視界の隅に誰かの靴を捉えた。暗幕をくぐり、その場所に近づく。と、足の主がこちらに気づいたのか急いで方向転換して非常階段の方に向かった。

「おい! 待てよ!」

 慌てて追いかける。制服のズボンを瞬間的に捉えたが、男子生徒ということがわかっただけで、どこの誰かということまでは判別ができなかった。階段を駆け下りる。けれど、奥苗が一階についた時には、既に男子生徒の姿は見えなくなっていた。

「くそ!」

 悔しさで奥苗は校舎の壁を叩いた。

「あと少しだったのに」

 非常階段をのぼり、ほんの数分前まで犯人がいた場所を探る。ふと、落ちている下着が目に入った。近寄って確認すると、クマの絵が描かれた動物柄の下着だった。風で落ちたのだろうか。拾い上げて奥苗は近くにあった洗濯ばさみで動物柄のパンツを挟む。

 突然背後の校舎の扉が開いた。驚いて腰を浮かせそうになる。扉を開いた人物を見て、奥苗は安堵の息をついた。

「なんだ。比空か」

「なんだとはなによ」

 比空の息は切れている。相変わらず運動神経がない。

 比空は目を見開いた。

「お、奥苗がクマさんパンツを盗んでる」

 奥苗は慌てて下着から手を離した。

「ち、ちげーよ」

「動揺してる? わたしの冗談に本気で狼狽えてる!?」

「してねーよ」

 比空は、ふう、と息を吐いた。

「ごめんごめん」比空は落ち着いた表情になる。「それで犯人は、見つかったの?」

 奥苗は男子生徒を見失った方向を見た。

「いや。逃げられた」

「……そう」

 奥苗は辺りを見まわしてみるが、何か手がかりになりそうなものを見つけることはできなかった。

 奥苗と比空は教室に戻る。残った昼食を食べながら思案した。

「これで、全部盗まれちゃったね」口惜しそうに比空は漏らす。

「そうだな」

「結局。わたしたちはなにもできずに終わっちゃったのかな?」

「もし、作延の妹が盗まれたって言ってる動物柄パンツと、今日盗まれたかもしんねーTバックが切り刻まれて、比空の能力が使えない状態で戻ってきたら、もうおれらにできることはねーかもな」

「そうだよね」

 比空は奥苗の机に頭をのせる。比空の長い髪が机に広がる。

 五時間目は比空の予想通り残った生徒全員で掃除が行われた。その掃除が終わったあと、女子生徒は乾かしてあった下着を取りに行ったようだが、どうやらその時の様子でTバックを盗まれたであろう人物がわかった。それは教師だった。新任の英語の先生が辺りをうろうろと捜索して何かを探していた、と比空は説明してくれた。

 おそらく現段階では大事にはならないはずだ。きっと風で飛ばされたとかそんな理由で落ち着いて、騒ぎになることはないだろう。ただでさえ学舎という不祥事を嫌う環境。そして新任の女子教師も自分がTバックを履いていたと周りの人間には言いづらいだろう。

 騒ぎになるのはその下着が返却された時だ。教師の下着が切り刻まれて戻ってきたら、さすがに腰の重い教職員たちも事件を直視せずにはいられなくなる。犯人はそこまでやるのだろうか。そこまでして、何が達成されるのだろうか。

 土日が挟まれる。そしてプールの授業が行われる最終週が始まった。

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