第14話

比空が体操着のジャージに着替えるのを奥苗は部室の外で待っていた。

「くそっ、誰が比空にあんなことしやがったんだよ」

 容疑者は三人だ。奥苗は順番に疑わしい人間を殴っていって、犯人に無理矢理自白させようかと考えたが、比空にとめられた。暴力はダメと言った比空の眼差しが強かったので、奥苗は怒りに任せて行動しないよう自分の感情を必死に抑えこむことができた。

 冷静に考えなきゃな。軽率な行動はとれない。

 これ以上比空を危険な目には遭わせられない。

 廊下の壁に寄りかかって、今まで起きたことを整理する。

 まず綾瀬真麻のブルマが切り裂かれた。その時、比空がブルマを被ったことで容疑者は三人に絞られている。

 まずは、奥苗と親しい間柄の作延好道。彼によると、ブルマに触れたことは事実で、妹に弁当を届けるときに、隣のロッカーに間違えて入れてしまい、そのロッカーの使用者である綾瀬真麻のブルマに偶然触れてしまったんだろうというものらしい。

 二人目は一個下の学年の今福誠治。彼はブルマを切り裂かれた綾瀬真麻、それに作延好道の妹である作延美世と同じクラスに所属している。彼は五階のトイレを清潔に保つよう努力しているらしい。奥苗の「綾瀬真麻のブルマに触ったことがあるか?」という質問に対しては、「トイレに忘れていったときに返すために触った」と返答した。あまり想像のつかない状況で、限りなく嘘に近い発言だろう。

 三人目は久住佑。奥苗春希と比空望実と同じクラスの生徒。比空いわく一番怪しい人物。質問に対する答えがどれも嘘っぽく。綾瀬真麻に対して妙に親しい発言をしていた。また、奥苗の「綾瀬真麻のブルマに触ったことがあるか?」という問いには、「触ってない」と嘘をついた。嘘をついたということは、何かを隠しているということだ。限りなく怪しい。

 比空望実の能力は絶対だ。この中の誰かが犯人であることは間違いない。

 問題は誰がやったかだ。

 綾瀬真麻の場合、いつブルマが切られたのかわからないため、時間帯によるアリバイを訊ねて犯人を絞るという行動は取れない。縦縞の下着を切られた子も、プールの授業中だったし、水泳部の子も部活の時間帯で、その下着も捨ててしまっていたため犯人を特定する新しい情報は得られなかった。

 比空の場合も同じくプールの授業中だ。下着は切り刻まれて原形をとどめていないので比空の能力も使えない。

 新しい情報が必要だった。比空を傷つけたやつを見つけるために、新しい情報が。

 ジャージに着替えた比空が部室から出てきた。

「大丈夫か?」

「うん。とりあえずはね。なんか体育の授業でもないのにジャージ着てるってことがちょっと変な感じだけど」

 比空はその場でくるりと回って笑った。

「制服はどうすんだ?」

「とりあえず相談部の部室に置いといた。親には適当に言い訳考えとくよ」

「そうか」

 奥苗と比空は並んで歩いて校舎を出る。いつもと同じ帰り道。比空がジャージ姿でいることに奥苗は違和感を覚えていたが、通り過ぎる人は全く気にしていないようだった。おそらく運動部か何かだと思っているのだろう。

 蝉がけたたましく鳴いている。夕方なのに太陽の熱気はまだまだ強く、歩いていると自然と汗をかいてくる。自分の影を踏みつけるように奥苗は歩を進める。

 分岐路に辿り着いた。

「それじゃあ、また明日ね」

 いつものように比空が別れの挨拶をする。奥苗はそれに答えずに立ち止まった。

 比空は首を傾げ、奥苗に近寄る。

「どうしたの? 具合でも悪い?」

「いや。そうじゃねーよ」

 奥苗は別れた二つの道を見比べる。右の道が比空の家へと続き、左の道は自分の家へと続いている。

 奥苗は右の道に足を進めた。

「ちょっとちょっと」比空が慌てて追いかけてくる。「奥苗の家はあっちだよ? 慣れ親しんだ道で迷子になっちゃったの?」

「ちげーよ」

 奥苗はずんずん進む。

「なに、じゃあこっちに用事があるとか?」

 立ち止まって比空を見る。ジャージ姿の比空。比空を一人にしなければ、今日の事件は防げたかもしれなかった。感じた後悔を無駄にはしたくない。

「こっちには比空の家があんだろ」

 奥苗は足早に歩く。

「えっ? どういうこと?」

 小走りで比空が追いついてくる。

 くそ。全部説明しないとわかんないのか。

「送るって言ってんだよ。家までな」

「ええ? そこまでしなくていいよ。まだこんなに明るいんだよ?」

 比空は手を広げて明るさを説明する。

「んなこと関係ねーよ。おれがしたいからするだけだ」

「奥苗の家は逆方向だよ?」

「だから何だよ?」

「いや、だから……」比空は口籠もる。

「明日の朝も迎えに行くからな」

「え、ええー?」比空は口を開けて驚いた。「なんで? どうして?」

「いちいちめんどくせーな。おれが行くって言ってんだから、比空は準備してればいいんだよ」

 奥苗はこれ以上説明するのが恥ずかしかったので、大股で足を進める。

 比空の足音がついてきていないことに気づいて振り返る。

「どうしたんだ?」

 比空は黙って俯いている。

「なんだ? 気分でも悪いのか?」

 心配になって近づく。

 比空はぶんぶんと首を振った。長い髪が比空の頬を叩く。

「ありがとう」

「は? なんだ?」

 比空の声が小さすぎて聞き取れない。

 比空はがばっと顔を上げた。

「あ、り、が、と、う」

 一語一語はっきりとした口調。今度はちゃんと聞こえた。

「奥苗は優しいね」

 えへへ、と笑う比空の笑顔は、背後の西日のせいなのか眩しかった。

「そうと決まれば、わたしの家を目指そう」

 比空はそう言って歩き出す。

「なんだか明日の朝が楽しみだよ」にやにやと笑う比空。

「家になら中学の頃何度も行ってんだろ」

「高校生になって迎えに来てもらうっていうのがいいんだよ」

 比空は弾んだ声で言った。足取りは軽い。

 その姿を眺めながら奥苗は心に決める。絶対にこれ以上比空を傷つけさせない。そして必ず犯人を見つけて、そいつをぶん殴ってやる。

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