祝福の風の匂いは甘く 10

 フォルトは両手を指揮するように踊らせる。腕の動きに合わせてごうっと空気が回廊を吹き上げた。ほぼ無意識で操れる砂鉄操作と違い、どこかフォルトのその動作はぎこちない。それを見て王は余裕を取り戻したのか、ゆっくりとした動作で立ち上がった。

「なんだ。えらく愚鈍な風の音だ」

 部屋の両サイドに立つ二人の間で、空気の波がぶつかり合った。ごうごうと風の音が部屋に響き、色とりどりの綱が不規則に揺れて鈴が不協和音を奏でる。

「――うっ……うぅっ……?」

 部屋中を吹き荒れる風に繭が大きく揺れ、横たわるアビスの眉根が寄せられる。鈴が鳴り合う不快な音に神経を逆撫でされて、ついにアビスが深い眠りから引き上げられた。

「……ここは?」

 万華鏡色の瞳を隠していた瞼が重たそうに持ち上げられ。繭に体が絡められているので首だけを動かして自分の姿を確認し、それから目の前で向き合うフォルトと王を見て目を見張る。

「フォルト!?どうしてここに!?王、どういうことなの!?」

 アビスは王の手が自分の首にかかった時に、すでに死を覚悟していた。体の自由を失ったまま風祭の塔に運び込まれ、着々と儀式の準備を進める王や側近の姿をずっと夢うつつに眺めていたのだ。姫の再誕を前に興奮した王は饒舌で、人形のように着飾られ繭に捧げられる間、ずっとアビスを浚って今まで妃として傍に置いていた理由を話してくれた。

アビスの心は絶望し、いっそ能力を使ってこの国を滅ぼし、死者の帝国にしてやろうかとも思ったが、人質にされている故郷の事を思えばそれもできるはずがない。結局全てを諦めたアビスは感覚を閉じ、静かに終焉を願うより他無かった。

よくよく考えれば、自分がいるから故郷は狙われているのだ。自分が消え、この国の姫が再誕すれば流石に恩赦も出るだろう。そうすれば故郷も救われ、王も満足する。

そうだ、自分が消えればいい。

催眠効果のある鈴の音のせいもあるのかもしれない、だがアビスは次第にそう考えるようになっていた。

 だからこそ、目の前でフォルトがボロボロになりながら戦っている姿を見ていることに、今のアビスは耐えられなかった。

「フォルト!退くの!お前が戦う理由はもう無い」

「ありますよ。私が誰の騎士か知っておいででしょう?」

 王が放った無数の風の槍を、フォルトが同じ風の槍で相殺する。だが数本フォルトの側の槍の数が足りず、止められなかった槍の一本が膝を掠めた。やはり能力に技能が追い付いていないのだ。

「ああくそっ」

毒づくフォルトはまるで訓練中のひよっこ兵士のようだった。懲りずにまた風の槍を作り出すと、王へとぶつける。

「やっとお目覚めですかアビス様。その似合わない服を脱ぎ棄てて、早くこちらにいらしてください」

「私は逃げない!ここで戦姫の喚魂のための素材となるの!」

「そんなこと言わないでくださいよ」

 王が会話の隙をついて足元に向かって、足首をスライスするように低く風の刃を滑らせてくる。それをフォルトはジャンプで避ける。

「馬鹿め」

王はそこまで読んでおり、宙に浮き無防備なフォルトの身体を壁に向かって易々と吹き飛ばした。

「ぐあっ!」

フォルトは空中の空気の流れを操作し、何とか壁への激突を避け勢いを殺したが、力の緩急を御しきれず結局祭壇上の繭へその身体を突っ込んでしまう。

「いたた……」

 フォルトが繭から腕をついて起き上がると、自分の下にはアビスがいた。繭がクッションになって怪我はなかったが、驚いて万華鏡の瞳が真ん丸に見開かれている。藍のドレスと白い繭の色がアビスの万華鏡の髪の上で融け合い、彼女の白いかんばせを美しく飾り立てている。彼女を何よりも美しくするのは、服ではなくこの髪なのだと、至近距離で久々に主を見たフォルトは改めて思う。

「――お前!この力は?なぜ王と同じ力で戦っているの……?」

 ここにきて異変に気づいたアビスが、フォルトの胸倉を弱々しく掴んだ。手がわなわなと震えている。

「こんな能力の使い方は!」

 アビスが見たこともないほどに狼狽した表情でフォルトに叫ぶ。

「自らの能力を否定し誤認して、違う力に置き換えるなんて正気の沙汰じゃないの!」

 それは今アビスが一人の人間と魂を入れ替えられそうになっているのと同じ事。

能力の矯正を強制され、変質させて発露する。

生まれ持った能力を弄ばれるということは、自身の魂を、精神を改変されることと同義だ。

 その過程に、能力者自身の身の保証などとれるはずもない。

 おのずと、その負荷、反動はすべて能力者自身に返ってくる。

「君の力は、家族に貰った大切なものなのだろう!?その命は家族に繋げてもらったものだろう!?それを失うの!?」

 アビスの悲痛な叫びを前に、ついに堪えていたものが噴出したのか、フォルトが急に口元を手で覆って咽せだしだ。そのまま何度も咳き込む内に涎の混じった血が顎を伝う。

風を操るということは、空気を、気圧と操るということ。その能力を急に与えられた結果、フォルト自身の体内の気圧調整がおぼつかず、血管や内臓が所々破裂や収縮していた。

「すべて、覚悟の上です」

いつも茫洋としていたアビスが信じられないものを見るような目で自分を見てくるのが、フォルトには愉快だった。

 フォルトは右手を床に向けて振り下ろす、竜巻のような風が下から吹き上げ、ふわりとその身体を浮かせて危なげなく彼を床に下した。そのまま高い塔の内部を風が昇っていく。

「やっと、力の加減がわかりました」

 アビスの頬に小さな赤い液体が数滴散った。雨粒のようなそれはフォルトの血。風に混じり小さな赤が花びらのごとく舞っている。まるで、彼の命の絶唱を聞いているようだ。

「貴女が私の力の届かないところで消されようとしている。だったら力なんていらない。今この時に貴女を助けられる仮初の力があればいい。それによって力を失っても、命を失っても、構わない。何としてでも貴女を助けたい――!私は、貴女と前に進みたいんです!!たとえそれが、後たった数歩の距離だとしても」

 渦を巻く風が大量に塔の天上に溜まっている。フォルトを中心に吹き上げ続ける風はじわじわと塔内の気圧を変化させていく。本来であれば気圧は地上の方が高く上空の方が薄い。その前提を無視して上空で圧縮され密度を濃くし続ける空気に、王が慄き対抗するように風を吹き上げるが、フォルトの巻き起こす風に噛み千切られ吸収されてしまう。

「何故だ!なぜそこまで能力を使える!?これは我が王家秘中の力だぞ!」

 驚愕し、さらに強い風をと王が我武者羅に手を振るって風を起こそうとするが、それも上空に蓄積するフォルトの圧倒的な“重たい”空気によって押し潰され食い尽くされる。

「何故だ!?何故だぁ―――!!」

王が狂ったように何度も空気を打ち込む姿を淡々と見つめながら、フォルトがそっと唇を開いた。

「空気も鉄も粒子には違いない。そこに救われましたね――そして鉄は、空気より重いのですよ」

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