祝福の風の匂いは甘く 08

「ディオサを蘇らせるために決まっておろう」

 がつん、と頭を殴られたかのような力強い声。振り返ると、儀式の間の入り口に王が立っていた。ぎらぎらと油膜を張ったような瞳でこちらを睨みつけながら、口の端を歪めて笑っている。

「どうした?なんて顔をしているんだ元騎士よ」

「……せめて、送り逝くならば彼女に似合う衣装を与えるべきではなかったのですか?」

「何を言う。羊に服を着せるのか貴様は?」

「アビスは……、貴方を愛そうとしていました!」

「そうだな、それはそれで好都合だった。お前も流石にアビスに手を出そうとはしなかったようだしな」

 意味が分からない、フォルトが怪訝な顔をしていると、王が困ったように肩を揺らす。

「喚魂の儀式を行えるのはアイビスが処女の内だけだ。他人と交わればアイビスだけが持つ世界感は簡単に破壊される。だからわざわざ誰にも触れられぬよう妃にまでして囲んだのだ。それなのに前任の騎士はあの毒妃の何に当てられたのか偉くご執心でな――まあ任を解こうと思っていた矢先にあっさりと戦死してくれたので手を煩わせずにすんだが」

 少し寂しげに前の騎士のことを話していたアビスの横顔を思い出す。今思えば、彼女は彼を理解できなかったのだろう。だから、死体をそれ以上蘇らせる事をせず、静かに土に埋めたのかもしれない。

 愛される心はとっくに腐り落ちた。愛する心だけは私のものだ。

 彼女の言葉が木霊する。

「後任は女騎士にしろといったのだが、貴族令嬢はもちろん武家の娘さえも、親達が頭を下げて懇願してくるのだ。腐り姫に付いたとあれば、一生嫁の貰い手も無く独り身で生きていくことになるだろう、そんな残酷なお役目だけは私達の命をもってでも免じていただきたいとな」

 困ったものだったよ、と低く笑う王。ぐっと怒りにフォルトの歯列が軋む。だが次の瞬間、虚を突かれたような表情をフォルトは浮かべた。

「―――ははっ」

フォルトは確かに見た。王の顔に一瞬浮かんだ陰を。

「あはははははっはっ!!」

思わず顔を押さえて笑ってしまった。なぜ今まで気付かなかったのだろう。高慢さを傘に着こなして、淡々と皮肉を口にしているつもりなのかもしれないが、その顔に書いてあるではないか。

「なんだ――王よ、貴方も怯えていただけじゃあないですか」

「何?」

「腐り姫に愛されることを恐れ、口先だけでそんなことを言いながら騎士に男を宛がう。自分へ向けられている愛情に気づいていながら拒否する勇気もなく、そんな自分の弱い心の当て付けのように彼女のためではない花嫁衣装を拵え探させる……まったく、救い難いことですよ」

 フォルトは指の隙間から瞳だけを覗かせて王を射抜いた。

「そうやって、ずっとただの小娘に怯えていたのか」

 突き放して、使い倒して、

 大切にする事も、愛する事もせず、

 感謝も、尊敬も、教育も思想も与えず、

 名前さえ奪って服従させた気になって、

 そうして、今捨てようとしているのか。

 フォルトはおもむろに胸元の勲章を剥ぎ取り、王の目の前に掲げて見せた。

「――間違っていたんです。自分一人しか残っていない家の再興を拠り所に人生を歩むなんて」

 何でもいいから目標が欲しかった。

 無駄な事は考えたくない。走り続けるだけが人生だ。

 そう思ってフォルトは邁進してきた。

 自らの心臓を捧げる相手が、国と家以外にあるなんて、幼かったフォルトに誰も教えてくれなかったから。

「お返しいたします。この国にもう私の居場所は必要ない」

 床に落ちた勲章は、真っ赤なカーペットに良く映えて、自分の胸元にあるときより余程立派なものに見えた。捨て去った栄誉がより輝いて見えることなど良くある事だ。

「……やはり悪妃に長く従わせるものではないな」

 王は頭を振ってフォルトを睨む。猛禽のように鋭い目が、侮辱に対する怒りと殺意に赤く濡れている。

「まあ、アビスを探知機としてディオサの体を探す間、その身体と貞操を守ってくれる者が欲しかっただけだったからな。お前は十分役目を果たしてくれた。哀しいかな、最後にこうして無粋に乗り込み狼藉を働くあたりが、没落貴族らしいがな」

 王の身体を包むマントが、一瞬梟のように膨れ、風と共にしぼむ。

「この風祭の塔はラービーナ・ニウィスの聖域。此処で我に勝てると思っておるか?」

 王が空気を撫でるように手を振ると同時に、フォルトの鳩尾を空気の弾が打ち貫きその身体を吹き飛ばした。仰向けに転がって動かないフォルトに、王は自分の優位を確信して笑う。その笑い声に、フォルトの笑い声が重なった。

「本当に、加減も何もあったものじゃない」

 上体を起こしフォルトが口の端を拭う。内臓がまだ揺れていたが、損傷はない。

「戦姫に手は届かなくとも王も能力者。そしてこちらは天上では無能な能力者。何の用意もしてこないはずはないでしょう?」

 天剣の二本を抜き姿勢を低くしながらフォルトが駆ける。容赦なく透明な刃がフォルトを襲うが、ジグザグに走ることで、余波には当たりつつも致命傷には至らない。腕が裂け、頬が裂けたところでフォルトの間合いに王が入った。

「鉄を操る私だからこそ、風を操るあなたのことが少しわかる!技は大振りで、放ってから軌道を変えるなどという応用も効きづらい。しかもあなたは王だ、今まで戦場に一人放り出されたことなどないでしょう!?」

 そこが、前線に立たされていたフォルトと王の違いだ。接近戦に持ち込めば勝機はある、そう確信して懐に入ったフォルトの身体が、がくんと崩れた。肩に、膝に、関節と言う関節すべてに、重りを巻きつけられたような加重がかかる。

「ぐうっ……」

 体が重い。膝をつき四つん這いになって何とか耐えるが、このままでは地面に張り付いてしまいそうだ。

「風を飛ばすだけが能ではないぞ。風とは空気、捉えがたいそれを学び武器とすることが、能力を解するということだ!」

「こんな……ことまで」

 フォルト一人にかかる気圧が、通常の何十倍にも膨れている。空気を圧縮してフォルトを頭上から押し潰しているのだ。

「悪いな、この技は人を拘束する程度の力しか出せぬ。動けぬ敵を剣で殺すのはあまり趣味がいいとは言えないが」

 王は帯刀していた剣をすらりと抜き、大きく振り上げる。これをフォルトの頭上に振り下ろせば、身体を押さえつける空気の重みと相まって、首など簡単に落ちるに違いない。フォルトは必死で握っていた剣を持ち上げようとする。

「ふははははは!そんなもので我が太刀が止められるか!?」

「少しだけ、もう少しっ……!」

 渾身の力で気圧に逆らい天剣を持ち上げるが、胸元まで届くのみ。

「往生際が悪いぞ、観念しろ!」

 王の刃が振り下ろされる、その時フォルトの持ち上げた剣が、自らの腹を裂いた。

「何っ!?」

 王は驚くが、その手元が狂うことはない。高速で振り下ろされた刃が、フォルトの首を捕らえる直前で、金切音を立てて止まった。凄まじい騒音に王は剣から手を放して耳を覆う。同時にフォルトの身体を拘束していた空気の重圧も消え失せた。

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