その者は赤き奈落と共に生まれ出ずる 05

 任命式は、玉座の御前で行われた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 謁見の間は嫌に騎士が多かった。二種類の甲冑を纏った騎士が整然と部屋の両端に並ぶ姿は、さながらチェスの試合が始まるかのようだ。黒地に翠の風の文様が彫り込まれた甲冑を着ているのが王直属の親衛騎士隊。白地に翠の紋様が彫られた方が王以外の王族を守護することを目的とした近衛騎士隊だ。甲冑で見分けがつくようにしているくらいには、彼等の仲は険悪らしい。フォルトは着るなら白い甲冑だが、幸いにも甲冑を支給される旨はまったく受けていなかった。

兜で隠されているものの、緊張感を伴った視線がアイビスとフォルトの二人を刺し貫く。

 その場を包む静けさにフォルトは怖気付くが、ここまで引き連れてきた当のアイビスは神色自若とした態度を全く崩さない。侍女のリアンシによって傷口は清められ、髪は結い上げられ、薄い隈は化粧で隠されている。だが、一貫してその服装は軍服のままだ。きちんと着ているなら正装と言えなくも無いが、前は留めているものの下はショートパンツなので長く伸びる足は丸見え。この場で一番場違いな格好をした妃に向かって、渋く重々しい声がかけられた。

「軍服もまともに着れないのか?」

「申し訳ございません王よ――僕は、足に纏わり着くようなズボンは嫌いなの。後、無駄に焚き染められたあの匂いもね」

 玉座に座る王は溜め息を付く。大きな鷲鼻と顎鬚を蓄えた美丈夫で、確かアイビスの倍以上年が離れているはずだ。思慮深さを伺わせる緑掛かった灰色の目が、静かに謁見の間全体を見渡し、フォルトを見て目を細め、アイビスを見て何故かすぐに目を逸らした。

「……?」

 フォルトは違和感を感じつつも、事の流れを静かに見守る。やがて大臣が両手に剣の載った盆を携えて現れた。皇族付きの騎士は漏れなくその任務の重要性から特注の剣を用意される。学ぶ事で会得した魔術や持ち前の能力に合わせ、金に糸目をつけず誂えられるので飛躍的に騎士の戦闘能力は上がるという話だ。

「妃は左に、騎士は右に」

 囁くような大臣の指示で、フォルトは王座の左右にアイビスと対面するように移動する。厳粛な空気の中、王の威厳に満ちた低い声が響く。

「フォルト・バーリオルよ、そなたに我が帝国第九王妃、ラービーナ・ニウィス・アイビス付きの騎士の役目を命ずる。汝、その命朽ちるまで剣を持ち、何時如何なるときも国が愛する妃を、すべての災厄から守ると誓うか?」

 まるで婚姻の儀の宣誓をもじったような台詞に、むず痒いものを感じながらも片膝を突き頭を垂れ、「誓います」と凛とした声でフォルトは返答する。

 その答えに応ずるかのように、盆の上に載った剣が一瞬光る。どうやら今の誓いは何らかの契約を生み出すものだったらしい。

 アイビスは薄笑いを浮かべて可笑しそうに「命尽きても尚、の間違いじゃあないのかしら」と不吉な事を呟いた。勘弁してくれ――――目玉を零し蝿のたかる死体の姿で戦う自分を想像してしまい、フォルトは背筋が寒くなった。

「そなたの剣を受け取るのだ」

 王の声を合図にアイビスが大臣の持つ盆から剣を取って、跪くフォルトに前屈みになって剣を差し出した。恭しく受け取った剣を改めて眼前で確認し、反射的に感嘆の溜め息をつく。

 フォルトが賜った剣は、ベルト状に腰に巻けるホルダーの付属した小剣だった。刃渡り十五センチ程で、磨き抜かれた刃は鏡のようにフォルトの顔を映し、僅かに黒みがかった色をしている。二種類の石を嵌め合せた贅沢な柄は握り易さもさることながら、投擲する事を考慮された形状をしており、フォルトには非常に相性が良い。剣術に励むものからすれば、少々物足りないサイズの剣かもしれないが、与えられた剣のその本数を確認すればどうだろうか。

 五口。それがフォルトに与えられた剣の数だった。

 丁度巻きつけた時に抜刀しやすいバランスで小剣がベルトに携帯されている。剣の柄の色が五口とも違っており、並べてみるとグラデーションがかかったように錯覚を起こす。

 投擲を目的とした短刀はどうしても失うことを前提としているため、造りが甘くなりがちな中、ここまでの業物を五口設えられたということにフォルトは驚きを禁じえない。

「謳えアイビス」

 命ぜられるままに、アイビスが厚みのある唇を薄く開き、滔々と騎士に加護を願う祝詞を紡ぎ出した。抑揚のある声は彼女から香るそれと同じほども甘さを含み、それでいて清廉さを失わない。何時の間にかフォルトも、王も、部屋中の者達が彼女の祝詞に聞き入っていた。

 やはり妖魔の類ではないかと、靄のかかった頭でフォルトが考えていると

「――かの騎士に祝福を――――」

 バチンっと場違いな音。アイビスの蜜を滴らせたような声が止まった。溶けるような表情でその声を聞いていたフォルトが我に返ると、アイビスは上半身を屈ませて苦虫を噛み潰したような――いや、なんと言うか、彼女には全く似合わない――そう、困った顔をしていた。

「まずい、屈むのは良くなかったな」

 再びのバチンっ、という音と共に、フォルトの鼻柱に激痛が走る。

「いっつ……!!」

 だらんと目の前に広がったのは、見慣れた愛想の無い分厚い生地と、面積の少ない布に隠された大きな胸。真っ白い乳房が悩ましいアングルでフォルトの視界目一杯に広がる。

 そう、戦場には女が少ない。

 そんな言い訳と共に、フォルトは鼻血を吹きながら背中から引っくり返る。上体を起こしたアイビスが申し訳なさそうに自らの騎士を見つめた――釦が外れ露わになった軍服の下を曝しながら。

 アイビスの豊満な胸に既製の軍服は少しきつかったようだ。踊り子の着るような胸だけを隠す服は彼女の普段着なのだろうが、流石に場違いだという事は彼女も理解しているらしい。

 ざわつく会場と刺々しい空気。滞りなく終わるはずだった任命式の流れが悪い方に向かっていく。

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