艦上戦闘機
黒いPRADAのトートバッグを肩に掛け、斜めに黒い菰包みを背負う。黒いショートリブソックスに、紺色のプリーツスカートは膝上十センチ。学校指定の臙脂のリボンタイはゆるゆるで、白シャツは上二つのボタンが外れている。
腰まであるつやつやの髪が風になびく。眉に掛かる程度で切り揃えた前髪が額の上で揺れてこそばゆい。長い睫毛に縁取られた、アーモンド形の目。その中の瞳には不思議な金糸雀色が揺れている。細く整った鼻すじに、みずみずしい桃色の小さな唇。
道行く人皆私を振り返る。何故なら、私はとても美しい。美しい生き物だからだ。
擦り減ってがたがたになった石畳、スナック、パブ、バーの怪しいネオン看板が立ち並び、得体のしれないガラの悪い人間が行きかう路地にあって、私に絡もうとするやつなどいない。そのようなものは例外なく愚者だ。
その路地からさらに雑居ビルひしめくうす暗い一角、外壁に蔦が絡み放題の薄汚れたビルの部屋番号がない一室に迷うことなく足を踏み入れる。八畳ほどの部屋は、五席の対面式バーカウンターで、ボルドー色の絨毯に琥珀色のテーブルが恭しく私を出迎える。
「しのさん、給料をくれ」
「挨拶もなしに金くれってか!?あんたは私のヒモかなにか?」
奥から出てきたのは、化粧の濃いおっさんだった。羽化の途中を邪魔したようで機嫌が悪い。具体的に言うとつけまつげが右目にしかついてない。
「やだ、そんな。私しのさんに御満足いただけるご奉仕なんてできないわ」
「私だってあんたみたいな女臭えメスガキを飼育する趣味は無いわよ。ほら、お給金なら私書箱に入っているから」
常時鎧戸の下ろされている陰気な出窓に、重々しい黒塗りの私書箱が置かれている。右から三番目の神原々巳緒と書かれた抽斗にかけられた南京錠を外し中身を取り出す。白い給料袋と灰色の封筒。
「げ」
「ウーロン茶、飲んでいく?」
羽化を終えた、図体のでかくて骨ばった女性?は酒の銘柄がずらりと並んだバーの奥からデカンタに入ったウーロン茶を取り出す。
「ええっと、あと四十八分後に襲来予告。単騎迎撃可能」
「了解。気張ってね。エアクラフトファイター」
冷えたウーロン茶を流し込むと、PRADAのリュックから真っ赤なChristian Louboutainのハイヒールを取り出し、ショートリブソックスを脱ぎ棄てハイヒールに華奢で真白い足をねじ込む。
オカマが後ろで、行儀悪い!PRADAを乱暴に扱うなと怒鳴ったが気にしない。いつものことだ。
「じゃ、いってくる」
扉を開けると電柱と雑居ビルに被われた粗野な街。夕暮れ時の太陽光線はビル群の窓ガラスを鈍く照らす。私は菰包みをひっつかんで、北西の方角へ駆けだした。
真っ赤なピンヒールにすらりと伸びた脚。揺れる紺色のプリーツスカートの間からは、白く柔らかい太ももが見え隠れする。学校指定の紺のニットベストの上の臙脂のリボンが胸元で跳ねる。
さあ、獲物はどこだ。襲ってこい。私は美しくか弱い女子高生だぞ。血は甘く、肉は柔らかいお前等が好きな一等上等な獲物だぞ。
しのさんの店からすっ飛んで二十分ちょい。住宅街と林野の接する昼なお影の濃い一角にその気配はあった。感知した気配は四つ。確かにこれなら単騎迎撃可能だ。
菰包みから中身を取り出す。ぬらりとした黒い日本刀が二振り。銘は震電と雷電。
日の傾きかけた生活道路のど真ん中で、打ち刀サイズの震電を鞘走らせ抜刀。白刃の煌めきが空を一閃し、気配は三つになる。三つとも遠い。不可視の敵は私の出方を伺っている。すり足でゆっくりと間合いを探る。両脇を家に挟まれた道路から、戦いやすいひらけた場所へ。気配は背後の塀に一つと電柱の上に一つ。あとひとつはどこかその辺にいるだろう。
・・・・・あぁ、遅かったな。塀から飛び出た一つを縦に斬り裂いて振り向きざまに空いた刀で電柱から飛び下りてきた奴を串刺しにする。私には視えてない異形のモノが、私の眼光を受けて怖気づくのを感じる。どうした?私ともっと踊ってよ。今日は血まみれになるにはいい日だぜ?
納刀して殺気を鎮める。柄に手を添えその時を待つ。路端の小石が飛んだ。君の、爪だか牙だかわからないが、それは永久に私の喉首には届かない。何かの演武めいて何もありはしない空間を、斬り上げ、斬り下ろす。気配は消滅した。
私には奴らの姿も臭いも温度も感じることはできない。ただ、そいつらが“在る”ことだけしか分からない。
かつて、幼い私に祖父は言った。あんなの視えない方がうんとましだ。お前はあんなもの視なくていいと。
真っ赤な十センチピンヒールでお店に戻るのは億劫だったのでやむなくタクシーを拾った。紅蓮の靴を履いた美しい女子高生を車は黙って運んだ。車内で先ほどの戦闘を反芻する。
視えない敵は、人によって呼び方が違う。マノモノ、オバケ、ヨーカイ・・・・・私はアレとかソレとかヤツラとか言っている。飛ぶヤツ跳ねるヤツ、大きいヤツ群れるヤツ。私にも視えないが、普通の人にも視えない。
ヤツラは温かな血の流れる生き物を捕食する。種類によって好食する部位が違う。内臓が好きなモノ、骨を齧るモノ、血を啜るモノ、肉が好きなモノ。変わった奴だと皮膚が好きなモノ、髪の毛とか動物の毛皮が好きなモノ。とにかく由来は知らないが害悪だ。駆逐するしかない異形。
そしてこの稼業をやっている人間は大概視える。祖父にも視えた。そして能力のある人間はしのさんのところに集まって、差出人不明の封筒が黒い私書箱に届く。中身はヤツラの討伐依頼でそれを果たすとお金が振り込まれる。振り込み窓口もしのさんのバーにある同じ私書箱になっている。私はそこまでしか知らない。
十歳の誕生日にしのさんの店に連れ込まれて六年目。私が得体のしれない化物と戦っている事は友人はおろか両親さえも知らない。人知れず、闇に在って大勢のヤツラを狩り、生きてきたしこれからも生きていく。
今日切り刻んだのは人間くらいの大きさで、視える人から聞いた話と自分の感覚を合わせて、両生類じみた二足歩行の牙がすごいヤツだと予想している。すばしこい方だが、そこまで速くない。
「着きましたよ。二千二百五十円です」
Felisiの長財布から二千三百円取り出してタクシーを降りる。かつかつと階段を上り、店に入る。
「ただいまー」
「あっ、こんばんわー」
くたびれた地味なスーツに野暮ったい幅広のネクタイを締めたバーコード禿げのおじさんが慇懃に頭を下げる。地元の信金で働いている矢動丸さんだ。
「うっわあぁ・・・・・またそんなに汚れちゃって・・・・・ちょ、ほら、うえぇぇ」
慌ててバーチェアーを飛び降り、傍に駆けよると灰色のBurberryのハンカチでほっぺた上一ミリのところをつまんだり肩に着いた糸くずを取り除くようになにかをつまんでいる。
「くっさ、あんたなにその血まみれ肉片まみれ。ナニしたらそうなるの?」
奥から顔を出したしのさんが顔をしかめて私を見た。
「え?そんなに」
女子高生のふくらはぎをハンカチでごしごししている矢動丸さんもぶんぶん首を振る。バーコードヘアが乱れる。
「みおちゃん相当ゴアだよ。何をどれだけ殺したの?」
「牙がおおきい二足歩行の爬虫類っぽいのを四体」
あー・・・・・と声をそろえて二人が頷き、私は狭いシャワー室に押し込められた。勧められるがまま汗と目に視えない血糊を洗い流す。制服は洗濯機に放りこまれていたので、しのさん愛用のジェラートピケの部屋着を拝借した。
「あらぁ、やっぱりカワイイ女の子が着るとそれなりにカワイくなるのね」
しのさんはカウンター越しに私の髪を一房掬い、キスをする。そしてキープしてあるウーロン茶を慣れた手つきで私に差し出す。彼女の爪はヌーディピンクでそこだけは完璧な女性だった。
「土曜日、アパリションとの作戦行動があるわ。いいかしら?エアクラフトファイター」
「ええ、勿論よ。その時に部屋着も返すわパプノテス」
祖父のコードネームはアヴァロキテシュワラだった。依頼を受ける時はコードネームで呼び合うのが礼儀だと幼いころに教わった。
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