第2話

「おーいボス、もうコレ捨てっからな!!」


 掃除、掃除、掃除。俺は最近、日がな一日掃除ばかりしている。俺を養うボスがそれはそれは掃除が下手で、ボスがいる空間はそれだけで汚くなるんじゃねーのってカンジなのだ。だから俺は一日中掃除をしている。掃除が完了しない事には、最低限の文化的生活も望めない。絶対だ。


「おいボス! 聞こえてねえのかよ!?」


 俺はボスがいる部屋に直接音声情報を飛ばしていた。ボスが我が家にいる限り、その場所は特定が可能だ。すでに俺の脳内には我が家のマップ情報が叩き込まれている。そしてマップ内の生体反応を拾うくらいワケもない。

 我が家で確認できる生体反応なんて、俺とボスくらいだ。ボスに声が届いていない筈がない。

 ボスのいる部屋の映像をモニタしてみる。……いるじゃん。やっぱりいるじゃん。フヒフヒ言いながら文書をしたためてるご様子だ。

 勝手にモノに触ると怒るくせに、確認すると反応を返さない。本当にふざけてる。


 ボスの最悪な趣味が反映されたクソッタレ衣服、それについたエプロンの紐をギュッと縛り直す。根性を入れ直さなければならない。掃除すれどもすれども片付かないこの魔窟を俺は綺麗にせにゃならんのだ。俺の文化的な生活の為に。


 ボスと俺の住むこの場所は研究施設と居住施設がごっちゃになったみたいな最低の住空間だ。ボス曰く、効率を優先した結果。いつでもどこでも実験が出来るように、あらゆる資料、あらゆる薬剤、あらゆる機材が所狭しと広がっているのだ。床に。

 そりゃボスにとっては効率的な生活を送れるのかもしれない。部屋を散らかす側の人間は、散らかった部屋の中からもお目当のモノを見つけることが出来るみたいだし、生活に困らないそうだ。結構結構、それは大いに結構なことだ。

 しかし、ここには俺も住んでいる。共同生活を送る場なのだ。一人暮らしでないのなら、共同生活者の意思も尊重しなければならない。


「なあ、お前もそう思うだろオメガ」


 俺は理解不能の代物を拾い集めながら呟く。もう一人の共同生活、俺と脳を共有するヤツに向けて。


「私はマスターの行為を否定できません。造物主の意思を尊重してこそ、良き僕だとは思いませんか?」


 俺の唇が、そいつの意思で動く。

 ふざけた回答だ。こいつもボスと同様に単純に片付けが面倒くさいだけに決まっている。


「失礼なことを考えていますねトラック。私はお片付けが嫌いな訳ではありません。片付ける必要性を感じていないというだけです」


 本当にふざけた回答だ。

 毎日毎日どこにいたって研究をやめないボスの所為で日常が研究に汚染されている。汚染は毎日毎日拡大されて行く。絶対に是正しなければならない。俺はおまえらと違って普通の感性を持っているんだ。汚い家で生活なんてしたくない。


「汚い汚いと言いますが、雑菌が繁殖している訳ではないとあなたは分かっているはずですよトラック。環境のパラメタは常にクリーンと出ています。そもそもですね、片付けるという行為は何処に何があるか分からなくなるからするんです。私達もマスターも、何処に何があるかを忘れるなんてあり得ないのだから、問題はないじゃないですか」


 今度は詭弁が飛び出した。

 そう、確かに俺たちはとてもよろしい頭の作りをしている。ハッキリ言って賢い。思い出そうと意識すれば大概のことは簡単に思い出せる。そういう機能を持っている。

 それに、この家も定期的に清潔概念の付与が行われているのだから「汚い臭い危険」の3Kには該当しないのかもしれない。


「ですから、後は現環境の中で効率的に動くことを考えれば良いのです。今あなたがしている行為は無意味です。その時間を他に充てるべきだと考えます。それに私達は被保護者。養われている側の人間なのですから、マスターの意思を尊重すべきでしょう」


 俺達はボスに養われている。OK、そいつは重々承知だ。でも、歩く事に考えを割かねばならない環境は、そこに住む人間が是正していいだろう。養われていようがなんだろうが俺はこの家住人で、文化的生活を要求する権利があるはずだ。魔窟に住むことは文化的な人間の振る舞いじゃない。美意識が大事なんだ。きっとそうだ。


「あー、全く面倒な事を。私は知りませんからね。マスターに怒られても私は関係ありませんよ。私は眠りますのでトラックが勝手にやっていて下さい」


 ほら、面倒だって本音が出やがった。


「あ、まだ寝てませんからあなたの思考は読めますよ? また失礼な事を……」


 あーはいはい、わかりましたわかりました。ワタシは非効率な人間ですよー。早く眠ってあそばせ〜ってんだ。


「むむむ、また分かったフリをして、あなたの悪い癖です!」


 俺は脳内で反応を脳内で済ませているのに、オメガはわざわざ口に出して反論をしてくる。ガミガミガミ、同じ脳みそでどうしてこうも違うんだか。

 俺は最近習得した「聞いてるフリをしながら別の事を考える」技術を駆使して、オメガの不満に雰囲気で返事をしながら片付けを進める。


 本当に、どうしてこうなってしまったんだか。

「頭のいい人類として生きたかった」なんて考えながら死んだと思ったら、俺は頭の作りがすこぶるいい人造人間の中で目覚めてしまった。そして事もあろうに女の人造人間だ。

 話によく聞く異世界転生というアレだが、脳みそに同居人がいるというオマケつき。ペッツじゃねえんだぞ。オマケなんてホイホイ付けるな。

 それにどうせ転生するならオーソドックスな転生生活を楽しみたかった、とため息が漏れる。


「あ! ため息です! 話聞いてます!? どうして脳を共有しながらこうも違いがでますか! まったくもー!」


 本当に、しょうもない。どうしてこうなったんだか。責任者出てこい。そう思う。

 ボスの悪趣味が凝縮された服、有り体に言えばメイド服の、スカート部分末端にあるフリルを握ったり離したりしながらテメェの脚を見る。

 華奢な女に生まれ変わるってのは、まあ百歩譲って良い。ただなんで脳みそが共有なんだ。


「何自分の脚なんて見てるんです!! 自己愛が暴走して倒錯的な性衝動にでも駆られましたか!? はしたない!!」


 本当に、ついてねえなぁ。


 んで、のらりくらりとオメガの説教を躱しながら片付けを進めて、やっとの事で今自分がいる区画の整理整頓が完了した。結局オメガは俺に説教を垂れることに夢中で寝なかった。

 ほら見ろ、これが合理的な配置ってヤツだ。美しかろう?


「まあ、この状態が整頓されているという事実は認めますけど。どうせ散らかるので、やはり無意味ですよ?」


 オメガは虚しい事を言う。

 ただ今回はこれまでとちょっと違う。俺なりの工夫を凝らしたと言っていい。


「何をしたんです?」


 ただ整理して片付けるだけじゃなくて、全ての備品にタグを付与した。


「タグ? どういう意図で?」


 それぞれの備品に属性を付与して、使用を中断して一定時間経ったら元の場所に戻るように細工したんだ。今後はボスの興味が別に移ったりしてこの場所を離れたら勝手に片付く。


「あら、わりと有意義な定義を付与したんですね」


 我ながらそう思う。なぜこれまでは散らかる度に俺が片付けていたんだ。


 なんでかなー、とそんなことを考えているうちに、ふとこれまでのことを思い返していた。

 俺は死んだ。死んだが、実にあっぱれな事に転生をした。転生をしたら魔法のような力が扱える世界だった。死んだのに蘇ったってだけびっくり仰天な出来事なので、魔法があろうが、脳に同居人がいようが、俺が女になってようが次第にどうでもいいことになっていった。そしてどうでもいいやと思って数年が経っていた。実に虚無い。死んでからというもの、どこか俺は空疎化していたのかもしれない。この魔法的な力も、ボスから説明を受けてからろくすっぽ使おうと思わなかったほどだ。片付けに身体を動かしていたくらいだから、利便も考えずダラダラと過ごしたんだなあと、自分に呆れる。


 魔法が使える世界って言っても、なんつーか、炎がーとか、風がーとか、水がーみたいな現象は俺の周りでは見られなかった。俺が住むこの空間は、研究機関とか病院みたいなひたすらに白っぽい雰囲気で、魔法的な物体とか現象が見られるものは大してなかったのだ。ファンタジーにおけるロマンは皆無だった。

 力を使おうと思わなかったのも、普段の生活をしてゆくのに全く必要がなかったからだ。わりと機械的なシステムに生活が補助されていて、俺が力を使うまでもなかった。そんなことよりも片付けこそが大事で、何故か俺は片付けに追われていた。


 一緒に暮らしているのは俺と脳みそを共有するオメガと、あとボス。ボスは自分を賢者だと名乗るテクネって名前の女だ。

 ボスは賢者と自称しているが、魔法使い的な賢者の雰囲気は皆無だった。それは環境がそう見せていたのもあるし、彼女の身の回りを常に埋めている書類の山と、謎の計器類と、薬品の類が影響している。どれもこれも、やっぱりファンタジーの世界にありがちな古ぼけた印象がなく、どちらかといったら俺の前世における研究機関のイメージに合致するほどの緻密さなのだ。科学者だとか化学者だとか、とにかく研究者のような要素でしか構成されてない人間、それがボスだった。

 ちなみに、何故ボスと呼ぶかは、俺が彼女をゲームのラスボスのように感じたからだ。意味のわからん言葉を並べてあれこれ喋っていた姿が、なんかボスキャラだったみたいだった。研究所に閉じ籠って怪しい研究をしているところもボスキャラっぽい。あと、ドラマとか小説とかで研究所の所長をボスって言ってた記憶があり、それに倣ったっていうのも理由だ。


 魔法っぽい力がある、使える。でもそんなものは生活に必要なく、ボスですら使っているところをあまり見ない。そんな生活の中、俺は飯を食って片付けに励み、オメガと会話し、ボスにキレ、ボスにキレられ、たまにボスの授業みたいなものを受ける。

 日々が満たされているというわけでもなく、目的もなく、かといって苦痛といえるほどの問題も発生しない。怠惰で、でもある意味理想的な生活をずっと続けていたのかもしれないな、とだらりんだらだら考えた。


 ぼへぼへぼへーっと考えながら、今日の飯は何にしようかななんて献立に思いを巡らせていると、背後から声をかけられた。この声はボスだ。


「おい、なんかここら辺やけに真っさらだけど、どゆこと?」


「片付けた」


 俺は端的に答える。


「あ、情緒のない返答、トラックがやったのか。僕いつも言ってるよね、ここにあるものは全ての必要だから出してあるの。どうせ必要になったら出さなきゃならないのにどうしてわざわざしまっちゃうのさ!」


「そう言われると思って、今回は工夫した。どうせ何があったか覚えてるんだろ?必要なもんを言ってみろよ」


 ボスは「お?」と意外そうな声を上げて必要な品々を諳んじる。

 すると俺が片付けたものが元あった通りの場所に戻ってゆく。


「ボスはごちゃごちゃにものを広げているようで規則性をもたせてるからな。何に使うものかはわからなくてもその規則性が読めればタグ付けするのも簡単だった」


俺が力を使って片付けたことを説明する。


「ほー、やっと自分で『法』を使うようになったか。長かったねここまで。何年かかったっけ?」


 いつもはものが片付いたことにぐちぐちいうボスだが、今日はそれがない。


「日数なんて数えてないからわかんない。暦がわかるものなんてこの家にねえだろ」


 ボスは「それもそうか」と言いながらあんちょこにメモを取る。俺が真面目に日数を意識していなかっただけで、どうせボスは分かっているんだろう。何年かかったかの質問も、俺がそれを把握しているかの確認に過ぎない。


「いや、時間はかかったけど、よろしいよろしい。やっぱりこういうものは使い方を決めて教えないに限るね。技術っていうのは常に必要から生じるんだよ。いい結果だ」


 ひどく愉快そうにボスは答える。月並みだが鈴が鳴るような声だ。ペド野郎なら即エレクトするような、人によっては蠱惑的に聞こえる音声。口調に反して声色は女児のそれだ。

 体感としては数年ここにいるが、ボスの容姿は変わらない。初めてあった時から、10代前半くらいの見た目のままだ。


「よーし、今日はお祝いにしようかな!! 特別なご飯にしようかな!! トラックもオメガも何を食べたい!?」


「どうせ作るのはお「お肉!!お肉にしましょう!! 今日はそうしましょう!! ね、マスター今日はいいですよね? おにく!!」


 俺が喋っている途中でオメガが割り込んできた。発言をインターセプトするのは勘弁願いたい。舌を噛む。


「あ、ごめんなさいトラック」


 オメガは俺に謝りながらも万歳をする。感情が高ぶっているからか、身体の主導権がオメガに移っているようだ。


「トラック、僕はね、トラックが作ってくれたらなんでもいいよ。でもそうだな、僕は魚がいいな。魚で何かを拵えてくれ!」


 お祝いと言いながら、食事を作るのは俺だ。しかもこの二人ときたら食に関する語彙が貧弱過ぎて、素材しか要求してこない。


「へぇ、わかりましたよ。作りますよ。どうせ俺が作るのにお祝いとか言うなよな……」


 悲しい悲しいと思いながら、俺はキッチンに向かうようオメガにお願いをするのだった。


 しかし、どうせ忘れもしないのに書類を作ったりメモを取ったり、ボスはなんでそんな無意味なことをしてるんだろうなと疑問だ。

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