悲劇 ‐タビ ノ ハジマリ‐
◎◎
走る。
走る。
息せき切って、最適な走り方など忘れて。
ただひたすら、がむしゃらに走る。
置いてきてしまった採取班のことになど考えは及ばない。
走る。
赤い大地を、駆け込んだ超構造体のなかを。
来た道を、全速力で引き返す。
身体にまとわりつく防護服を脱ぎ捨て、鈍重な肉体をそれでも駆使し、血を吐く思いで悪態をつく。
ああ、ちくしょう。
くそったれ。
毒づき、
この眼に――焼き付けた。
蹂躙されていた。
蹂躙されていた。
蹂躙されていた。
何もかもが、兜率天のすべてが虐殺されていた。
俺は戻ってきた。
可能な限り、それ以上の速度で戻ってきた。
外界で、克己石を採取していたとき、伝令が慌ててやってきた。
そいつは言ったんだ。
恐怖に歪んだ表情で、こう叫んだんだ。
兜率天が、再誕者に襲われている――と。
その通りだった。
見たままそのままだった。
再誕者どもが暴れている。
その歯牙で、
いや――殺せていない。
何故なら。
何故なら再誕者の毒牙にかかったものは――
むっくりと起き上がる/
/死んでいたものが目蓋を開ける。
牙をむき、叫ぶ/
/その体液は――濃緑色だった。
そう、再誕者に殺されたものは再誕者になる。
それが
例えばそう――いままさに、俺の腕の中で消えかけている命も。
「み――ろく」
かすれた声をあげるのは、ひとりの少女だった。
薄っすらとひらいた瞳が、頼りなく視線をさまよわせる。か細い手が、何かを求めて弱々しく中空を掻く。
「喋るな! 俺は此処にいる!」
叫び、その手を
握り返される力の、その薄弱さに、俺は心が圧し折れそうになった。
ミヅクリ・ヴァルナー。
小麦色の肌に、そばかすの少女。
俺を好きだと言ってくれたその娘の首筋には、痛ましい傷が色濃く残っていた。
――歯型、だった。
「かえって……きてくれたの、ね」
「当たり前だ」
「やくそく……まもってくれたんだ」
嬉しいなぁ。
そう呟いて、彼女は微笑む。
「あたしも、やくそく……守ったよ?」
囁くような声とともに、震える手で彼女が差し出したのだ、ひとつの中折れ帽子だった。
慣れ親しんだ、旅立つ前に彼女に預けた、俺の帽子だった。
「
そんなもの、どうだっていいのに。
そんなものに、価値なんてないのに。
俺が大切だったのは。
本当に大切だったのは――
「……ねぇ、みろく。リュウカジュ・ミロク」
お願いよ、あたしを――殺してちょうだい。
「化け物になる前に、だれかをあたしが傷つける前に――お母さんみたいになる前に、あたしを、殺して」
少女は。
優しい彼女は。
防人になりたいと願った高潔な乙女は。
気高く、真っ直ぐに、そう言った。
恐怖に全身を震えさせながら、涙を流しながら、そう言ったんだ。
俺は。
「…………」
俺は。
「…………ッ」
俺は、決意と共に帽子を受け取り、目深にかぶる。
紙巻きたばこを口に加え、火をつける。
紫煙を吸って、吐きだし――
そして、
「安心しろよ、
必ずおまえを、救ってやる。
――〝
口の中で唱えると同時に、リュウカジュ・ミロクは微塵すらも躊躇わず――その運命の引き金を、引いたのだった。
◎◎
ミヅクリ・ナランとその一行が駆けつけてきたとき、状況は既に、一つの幕を終えていた。
燃え盛る火の山を背にして、俺は焼け付き、白煙をあげる拳銃を投げ捨てながら、ナランたちへと歩み寄る。
俺の姿を一目見て、彼らは恐怖におののいた。
この全身を染めるのは、緑色の体液。
リノベイトは殺せない。
殺しても生き返る。
だから殺す。
何度でも殺す。
粉微塵に割り砕いて、戻らないぐらい崩し散らして――そして燃やす。
これまでもそうしてきた。
これからもそうしていく。
だが、まずは――
「あんたの奥さんは死んだ。俺が殺した。住民も、七割は死んだ。俺が殺した。死体は全部、燃やしちまった」
背後の火炎山を示しながら、俺は機械的に告げる。
何があったのか。
どうしたのか。
これから、どうするのか。
「ヴァルナーが再誕者の毒に感染した。このままでは長く持たない」
「ヴァルナーが!?」
「……運よく、血清を持っていた。それを注射したが、どこまで保つかは、正直俺にも解らない」
あのとき引いた引き金は、注射銃のその引き金。
167層の有機性資材工場で、偶然見つけた万能血清。
遥か過去の産物ゆえに、効能は解らない。だが経験上、
そう、ヴァルナーには、まだ希望があるのだ。
「俺はこれから、地下700階層まで潜る」
「な……なんだって?」
「700階層はいうまでもなく未知の区画だ。再誕者も遥かに多い。だが同時に、だからこそ希望がある」
風のうわさに聞いた事があった。
700階層より下には、この世界のどんな病も癒す神秘の霊薬が、真理の秘法が存在するのだと。
「それに賭ける」
「だが……だがリュウカジュくん!」
「時間がないんだっ!」
「っ」
なお言い募ろうとするナランを、俺は怒声で遮った。
そう、時間がない。
ヴァルナーには、時間がない。
「七日だ。七日以内に帰ってくる。もし、間に合わなければ」
グッと、下唇を噛む。
考えたくもない。
それでも、俺は言わなくてはならなかった。
彼女の父親に、託さなければならなかった。
それが、リュウカジュ・ミロクの、覚悟だったから。
俺は、ミヅクリ・ナランに告げた。
「ヴァルナーを、燃やせ」
彼の表情から笑みが消える。
消えたことのなかったそれが、漂白されたように失せる。
残ったのは、抜け殻のようなそれだった。
「必ず帰る」
それ以上、俺がかけられる言葉はなかった。
歩き出す。
走りはじめる。
疾駆する。
ただ一人の少女を救うために、かくして俺は、無謀な旅に出ることになった。
……だけれど俺は、解っちゃいなかった。
なにひとつ、解っちゃいなかったんだ――
◎◎
第378階層――
切れる息。
どくどくと溢れ出す血液。
いまにも破裂しそうな心臓。
流れ落ちる、汗。
血走った眼を周囲に向ける。
見渡す限りの化け物ども。
再誕者。
再誕者。
再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者、再誕者――再誕者の群れ。
数百を超える人型が、一斉に体液をまき散らし吠えたてる。
地を蹴立て、濃緑色の津波となって押し寄せる。
眼を――閉じる。
祈る。
眼を開く。
手の中の銃把を握り締め、最後の弾丸を放とうとして――
俺は確かに、その音を聞いた。
「はじめまして。リュウカジュ・ミロク。
耳を
グシャリ。
――心臓が潰される、その音を。
――俺は、何も解っちゃいなかった。
何一つ、解っちゃいなかった。
旅路の第一歩目で、何もかもが打ち砕かれることになるなんて。
それが、本当の旅を始める第一歩になるなんて、俺は、予想すらできていなかったのだから。
「さあ……黄泉がえり、世界を救え――救世主!」
それが、リュウカジュ・ミロクが聴いた、最後の言葉だった。
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