第8話 手のひら

「おはよう、沖田さん。今日も人間なんだね」

「みのりさん、おはようございます。ええ、やっぱりこの方がいい」


 朝わたしがリビングに行くと、沖田さんは既に起きていた。ソファに座り、新聞を読んでいる。けれど、その恰好は何とも独創的なものだった。

 上半身は裸、下半身にはTシャツを履いていた。ずり落ちないように腰のあたりでシャツの裾を縛ってある。

 沖田さんは相変わらず、日によって姿が変わっていた。猫の日もあるが、近頃は日に日に人間でいる事が増えてきている。


「ねえ。それ、シャツだよ。上に着るものなのに、よく履けたね」

「あれ? そうでしたっけ。どうりでスカスカすると思ったんです」


 沖田さんは自身のシャツを見下ろして、頭をかいた。


「それにしても、毎朝すごい寝癖ね。これは直すのが大変そうだわ」


 沖田さんは頭をかいていた手を止め、髪を片手で押さえてはにかんだ。沖田さんの短くなった髪は寝癖が付き、ところどころ跳ね上がっている。

 本当は、毛先が耳に軽く被さるくらいのショートヘアだったはずだった。だが、今朝は台風になぎ倒された稲穂のように髪がうねって毛が立ち上がっている。


 人間に戻った当初、沖田さんは洋服を着るのも、髪を切るのも嫌がった。むしろ闘病中に伸びてなくなった月代を、もう一度剃り直そうとしたくらいだ。けれど、わたしに着物を用意出来るほどの甲斐性はないし、かといって裸でウロウロされても困る。何よりこの時代に男性の長髪、ましてや月代など悪目立ちもいいところだ。

 そこで、わたしは沖田さんに土方歳三の写真を見せることにした。函館戦争の折に撮ったという、短髪で洋式の軍服を着た有名な写真だ。


 土方さんは西洋化した新政府軍に大層苦戦した。そのため、自軍でも直ぐに洋服を採用する。更に「帽子が被りにくいから」と、それまで総髪にしていた髪もバッサリ切ってしまったそうだ。

 随分とあっさりした理由だが、沖田さんを説得するには十分だった。


 そして、一緒に寝るのも止めた。人間に戻って以来、沖田さんはリビングのソファで眠っている。けれど、江戸時代の人にしては背の高い沖田さんには、我が家の小さなソファでは丈も幅も足りない。たまに落ちては痛そうに腰をさすっている。

 他に寝られる場所がないので仕方がないが、今やまさか同じ布団で寝るわけにもいかない。本人は遠慮しているが、痛い思いをさせているのが申し訳なかった。


「ねえ、沖田さん。今日は買い物に行きましょうか。沖田さんの布団、探そう。それに、下着とか服とか、まだ足りないでしょ」

「いえ、ソファでしたか。あれで十分ですよ。服も足りてます。猫でいる日もありますし」


 沖田さんはそう言いながら両の手のひらをこちらに向けて、笑顔で頭を横に降る。


「遠慮しない遠慮しない。あんまり良いものは買えないけどね。実はバーゲンなの。他の物も見たいし、行きましょ」

「ばあげん?」


 沖田さんの顔に「?」が浮かんだ。


「今なら普段よりも安く買えるのよ。ああ、血が騒ぐわ。そうだ、今日は電車に乗るわよ。沖田さんは初めてよね? 」


 よく行く大型のショッピングセンターで、夏の最終バーゲンが始まっているのだ。この機会に、沖田さんの生活に必要そうな物は揃えておこうと思った。


 駅に着くと、沖田さんはその設備に唖然としていた。

 券売機のボタンが光ることに驚き、改札の自動扉の動きに警戒する。さらにエスカレーターにはお礼を言っていた。誰かが中で動かしていると思ったらしい。

 また、ホームに電車が近づいた時には「何ですか、あの鉄の塊は」と目を見開き、「此方に向かって来ますよ! 」と息を飲んだ。沖田さんは逃げる事を考えたようだが、わたしがあれに乗るのだと話すと、彼はぽかんとして電車を見つめていた。


「これはすごい。駕籠かごよりも、馬よりも早いぞ。景色がどんどん変わって行く」


 あんなに警戒していたはずなのに、いざ乗ってしまうと楽しくて仕方がないらしい。沖田さんは上機嫌で、食い入るように外を見ている。けれど、ふと遠い目をしてこう言った。


「新撰組が、大公儀おおこうぎが負けてしまうわけです。西洋化によって、こんな動力が身近な物になるのですから。どんな剣の達人でも、鉄砲や大砲には適わない」

「……沖田さん」

「それに、着物だって慣れれば洋服のほうがずっと動きやすい。私は今まで、洋服なんて夷敵いてきの真似事をするようで汚らわしいとすら思っていました。けれど、これは動きやすいし便利です。和服と差が付いて当然でしょう」


 沖田さんはそう言って、窓越しに空を仰いだ。その佇まいが切なくて、わたしは不意に泣きそうになった。

 耐えかねて涙がこぼれたとき、沖田さんが気付いてオロオロしはじめた。


「すみません。そんな顔をさせるつもりではなかったのに。私、あなたの笑顔が好きなんです。泣いていても、きれいですが」

「あ、ありがとう……」


 沖田さんはいつも、ストレートな物言いをする。こんな事まではっきり言われると、さすがに照れくさい。けれど、悪い気はしなかった。


 やがて目的地に着き、買い物を済ませた。買った布団は宅配の手続きをし、服や小物の紙袋を両手に下げて歩く。

 店を出る前に沖田さんはトイレに行き、わたしは近くの壁際に立ち彼を待っていた。その間に電車の時間を調べようと鞄の中の時刻表を探しながら、壁にかかっている時計を見るために少し移動する。

 しかし歩き始めてすぐに、前から歩いて来た男性と勢いよくぶつかってしまった。その拍子に持っていた紙袋を1つ落とし、中身をぶちまけた。


「あれ? 福岡さん? 」

「えっ? 」


 わたしは顔をあげて前を見た。ぶつかったのは、同僚の酒田くんだった。いつか食事の誘いをメールでくれたが、結局行っていない。

 とはいえ、酒田くんとは仲良くしている。彼は要領が良く、仕事もよくできる。鈍くさいわたしに、彼はよく助け船を出してくれるのだ。


「やっぱりそうだ。ごめんね。大丈夫? 」

「わたしこそ、ちゃんと前を見てなくて。ごめんなさい」

「ううん。それは僕もだから。それより、荷物が」


 落としたのは沖田さんの服と下着類だった。どう見ても、わたしの物ではない。

 酒田くんは拾うのを手伝ってくれたけれど、わたしは沖田さんの事を秘密にしていた。それらはあまり見られたいものではない。

 焦って目の前に落ちていた靴下を拾おうと手を伸ばすと、酒田くんの手と重なった。慌てて手を引っ込めようとしたけれど、彼は何故か離してくれない。


「あの、ちょっと。酒田くん? 」

「これって、君のじゃないよね……。彼氏、いたんだ」

「そういう訳じゃないけど……まあ、いいじゃない」


 気まずい空気が漂い始めた。わたしは早く片づけてしまいたいのに、酒田くんは手を握る力を僅かに強める。

 荷物についても、彼氏疑惑も、これ以上は聞かれたくない。けれど、酒田くんがまた口を開こうとしている。次は何を言われるのかとはらはらしていると、頭上から声がした。


「もし。私の連れに、何かご用でしょうか」


 沖田さんだ。声のする方を見上げると、彼は恐ろしいほどの威圧感を放っていた。顔は笑っているのに、目が据わっている。


「みのりさん、遅くなってすみません。大丈夫でしたか」

「う、うん。ありがとう。ちょっと、ぶつかっちゃって。荷物を落としたから、手伝ってくれたの」

「そうですか。それは失礼しました。後は私が拾います。ありがとうございました」


 そう言って、沖田さんはわたしから酒田くんを引き剥がし、落ちたものを素早く拾い集めた。


「ちょっと、君――」

「では、私達はこれで」


 酒田くんは何か言いたそうにしていたが、沖田さんがそれをピシャリと遮った。まさに「有無を言わさず」といった面差しで酒田くんを一瞥すると、くるりと踵を返した。

 呆気にとられている酒田くんを放ったまま、沖田さんはわたしの手を引いて歩き始める。


「さあ、帰りましょう」


 沖田さんの機嫌が悪い。わたしがいくら弁解しても聞き入れてくれない。むすっとして黙ったまま、黙々と歩いている。けれど、何を怒っているかわからない。

 それにしても、沖田さんは歩くのが早い。わたしは段々ついて行けなくなってきて、遂に足がもつれ始めた。


「沖田さん、ちょっと待って。早いよ」

「え……あ、すいません。うっかりしてました」


 沖田さんはすぐに振り返った。「しまった」というような顔をして、歩くスピードを落としてくれる。けれど、やっぱりそれ以上は何も話してくれない。


「ねえ。なんで怒ってるの? 」

「怒ってません」

「じゃあ、なんで喋ってくれないの」

「……すいません」


 返事はあったけれど、やはり前を向いたままだ。わたしの方を見ない。


「沖田さん、何か変よ。どうしたの? 」


 沖田さんは立ち止まり、わたしの方へ半身を振り返った。けれど目を伏せて口ごもり、視線は余所を向いている。言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。


「いえ、何でもないんです。本当に。ただ……」


 沖田さんには珍しく、何やら言い澱んでいる。一旦言葉を切ると、決心をつけるような表情をした。


「ただ? 」

「みのりさんは、あの男が好きなんでしょうか」


 言いにくそうに、けれどはっきりとわたしに問い掛けた。その顔つきは至極真剣で、真っ直ぐにわたしの目を見つめている。


「え? 酒田くん?どうして? 」

「違うなら、いいんです」


 表情を崩さずに、沖田さんはすっと目線をずらした。


「彼は同僚なの。仲はいいけど、そういう目で見たことはないわ」

「そうですか、わりかりました」


 わたしの返事を聞くと、沖田さんはニッコリ笑った。前を向いて、また歩き始める。いつもの沖田さんに戻った。かれの柔らかくなった表情に、わたしはほっとした。


 沖田さんはまだ、手を離してくれない。けれど、手の温もりが心地良かった。

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