Action.24【 深大寺 】

 私は五十の手習いでパソコン教室に通い始めた。

 少し扱い慣れた頃、インストラクターの勧めでFakebookにアカウントを作り、生まれて初めてインターネットを体感した。

 最初はネットに対する警戒心もあったが、プロフィールに写真や出身地、卒業した学校などを記載したら、いろんな人たちと交流することができた。

 短大時代の友人ともFakebookで再会した。

 私からメールを送信してチャットで話をしたら、お互いに旧知の間柄だと分かり電話で連絡を取り合うようになった。一人は千葉在住の主婦で、もう一人は東京の介護士だった。

 ネットとは便利なものだ、三十年以上音信不通だった人とも、こうして再会できるのだから――。


 今は地方に住んでいるが短大時代は東京だった。

 一度だけでも東京で暮らしたいという私の強い要望に、両親が渋々承諾してくれて、調布の伯母の家に寄宿しながら短大に通っていた。

 その頃の私は夢見る文学少女で、他の大学の文学サークルにも参加していた。

 そこで知り合ったのがN大生で小説家志望の草壁行人くさかべ ゆきとさんだった。

 長髪を鬱陶しそうに掻きあげるポーズがかっこいい! バリトンの声が素敵! 小難しい顔で文学論を闘わせる姿が凛々しい! 私の憧れの男性でした。

 なんと! その草壁さんをFakebookで発見したのです。

 ランダムの『友達リクエスト』に名前が出ていて、職業は小説家だったし、プロフィールの写真は年齢を経て渋くなった彼でした。


 主人の許可を得て、短大時代の友人たちと会うため上京することになった。

 新宿のレストランで彼女たちと食事、ホテルに一泊してガールズトークで盛り上がり、翌日は渋谷で解散したが、実は私には秘密のスケジュールがあります。

 Fakebookで草壁さんと会う約束をしていたのです。

 憧れの人に会えると思うと胸がドキドキします。もちろん主人には内緒、この日のためにダイエットをして、細身に見える服をデパートで買って、全身コース一万五千円のエステにも通ったのだ。

 待ち合わせ場所は、昔一度だけ草壁さんと行ったことがある深大寺です。

 三十年前、卒業したら郷里に帰る私のために、友人が草壁さんとデートをセッテングしてくれたのに、お互い初心うぶで何もないままお蕎麦を食べて別れた場所でした。

 その後、地元に帰った私は信用金庫に三年勤め、友人の紹介で郵便局で働く主人と結婚して、母専業主婦二児の母になった。

 今こそ、平々凡々な人生にリベンジしたい!


 JR吉祥寺駅から深大寺行きのバスに乗る。本堂の前で待ち合わせだが、二十分過ぎても草壁さんが来ない。

 私の目の前で、ペンキの剥げた小汚い自転車が停まった。

「いや~遅れてスミマセン。私、草壁くさかべです」

 痩せた貧相ひんそうなおっさんが挨拶した。

「えっ! あなたが草壁さん?」

 Fakebookのプロフィールの写真と全然違う。

 つむじのあたりがだいぶ薄くなってし……もしかして、あの写真はずいぶん昔に撮影したものかしら?

「深大寺に自宅から自転車で三十分くらいで来れます」

 そう言いながら、タオルで汗を拭っている草壁さんは昔とイメージが違い過ぎる。

「丁度、昼飯時だし深大寺そばでも食べましょう」

 挨拶も早々に、二人で門前にある蕎麦屋に入った。

「ざるそば二つ! ひとつ大盛りで!」

 メニューも見ないで勝手に決められた。

 昔、深大寺で蕎麦を食べた時には「君はどれにする?」と東京弁でかっこよく訊ねてくれた記憶があったのに……。

 蕎麦が運ばれるまでの間、しばし昔話をする。

「あの時は手のひとつでも握りたかったけど、あんたがはかなげで手が出せなかった」

 私も手を握って欲しかったけれど、草壁さんが素敵すぎて何も言えなかった。昔の若者は純情だったもの。

はかなげ』そんな言葉は今の私には見当たらない。10キロのお米も易々と持ち上げるたくましい二の腕になった。家事と育児でついたこの体力が主婦の自慢です。

「私ね、二回結婚したけど、今は独身ですよ。気楽でいいさ~」

 どんな人生を辿ったのか知らないが、今の草壁さんにはあの文学青年の面影はどこにもない。


 そこへ蕎麦が運ばれてきた。

 大盛りのざるを自分の側に引き寄せると、ズルズルと大きな音を立ててすする。箸が止まってる時はペラペラとよく喋る。

 すする、喋る、すする、喋る、すする、喋る、喧しい男だ! 蕎麦湯をお茶代わりにガブガブ飲んで、そして最後にゲップをした。

 おやじ丸出し!

「ところでご主人は何してる人?」

「郵便局に勤めてますが……」

「それなら年金が多いでしょう。私なんか定職に就かなかったので年金ゼロ、老後は野垂のたれにですよ。あははっ」

 年金ゼロとか……この人どんだけ生活破たん者なの? 夢を追ってこうなったのかしら? 自分とはずいぶんかけ離れた生活をしているなあーと思った。

 もしも、草壁さんと結婚していたら、私もこんな破天荒な生き方をするのだろうか? 

 そんなことを考えていたら、草壁さんが、おもむろに紙袋から一冊の本を取り出した。

「この本、自費出版したんです。一冊千円でいいので買ってください」

 呆れた! 昔の知り合いに本を売りつけるなんて……。


「じゃこれで、私これからバイトです」

 せわしく草壁さんはママチャリで去っていった。

 結局、自費出版の本を三冊買わされ、おまけに財布を忘れたというので蕎麦の代金まで私が払った。

 三十年間想い続けた人なのに……たった三十分で幻滅した。


 嗚呼ああ、夢破れ! のびた蕎麦なんか食べるんじゃなかった!

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